鬼築家の素敵な食卓

紙上大兄皇子

小説

6,694文字

北海道へ入植した鬼築さん一家は、厳しい自然に耐えながら、今日も開拓の日々を送る。食卓もてっきり貧しいのかと思いきや、そんなことはなく、そこにはいつも美味しそうな「おにく」が並んでいた。

鬼築という名字は、北海道に数件残っている。もともと能登半島に見られる名前だが、明治期に入植した。

北海道の開拓民になるというのは、生半な決断ではない。どこに家を建てる? どうやって食い扶持を確保する? 村人は口を揃えて尋ねただろうが、一番はじめの鬼築さんには、生きて行くためには仕方がないという諦念だけがあっただろう。

 

 

鬼築さんの奥さんは、とてもおっとりしていた。旦那が勝手に決めてしまったことでも、めくじらを立てない。穏やかに笑って、山刀を研ぐ。厳しい開拓の地で枝木を払うために、少しでも刃先を細くしていた。

鬼築さんが寄り合いから帰ってきて、野良仕事に戻ると、父親の帰りを待っていた子供たちが駆け寄ってきた。幼い兄弟の一郎と二郎は、食事について尋ねた。北海道のひもじさについて正直に伝えると、二人はわなわなと震えた。すると、長女の一子が優しげに慰めた。北海道には食べるものがたくさんある。蟹、魚、鹿。全部が全部、ここら辺で穫れるものより大きい。秋になると、鮭が川を埋め尽くす。冬眠に入る前の熊が川に入って食べるらしい。

一子の話を聞いて、二郎は飛び上がった。二郎は鮭というのがどんな魚か知らなかったが、雑穀の入った米や、火も通っていない芋に比べたら不味いはずがない。

それは一郎も同様で、弟と比べれば多少は疑り深い目をしてみせたが、やはり食欲のもたらすあの誘惑に抵抗できなかった。お肉は? 一郎は尋ねた。一子は得意気に、北海道には獣がたくさんいる! と答えた。

得意げに教え諭す一子を、奥さんは頼もしく見守っていた。鬼築さんはというと、髭を抜きながら、見守るというより、ただ見ていた。鬼築さんの髭は濃く、一本抜け終わるまでにもう一本が生えてきてしまうのではないかと言うほどだった。

北海道の入植地は、先住民の言葉だとわかりづらいため、すべて番号による地名をつけられていた。先人たちの血の泌むような努力の結果、入植地は広大な原野や深い渓谷へと至っており、後発組の鬼築さんたちが住むのは、十三毛別もうべつ廿にじゅうせんさわという。果ても果て、神々が住むような山奥だった。

家を作ろうと思っても、材料は役場の人が馬橇で運んでくれた板切れだけだった。おい、と大工を呼びつけられるような場所でもない。鬼築さんは腕まくりをすると、平たい石を釘打ちにして、家を建て始めた。奥さんや子供たちも手伝いながら、家を組んで行く。次男の二郎は自分の力不足を恥じたのか、かやを採ってくる、と裏にある山へと駆け出した。

奥さんが止めるより早く、二郎は山へと消えた。奥さんの声が虚しい谺となって響き渡る。まだ日の高い時刻だったが、裏の山は高く、山の端には不安げな霧がかかっていた。

家作りは年長の子供二人の手伝いもあり、順調に進んだ。が、日が暮れる頃になってもまだ柱と梁が組めただけで、横風をしのぐぐこともできなかった。親子五人はその中で煮炊きをし、馬鈴薯ばれいしょに塩をかけて食べた。塩の甘みが口に沁みた。鬼築さんは翌日の建築に向けて微睡まどろみながら、二郎、と呟いた。そして、そのまま眠った。

朝、二郎が背中を傷だらけにして戻ってきた。狼に追いかけ回されたという。不平めいたことは何一つ口にしなかったのだが、逃げ惑うときの死ぬ思いが、目の下に濃い隈となっていた。

二郎は、茅なかった、と呟いた。そして、背中の怪我をかばうようにうつぶせになった。まだ血の固まらない傷は、てらてらと赤い筋になっていた。

二郎を休ませたまま、鬼築さん一家は建築に励んだ。奥さんは時折うめき声を上げる二郎の看病をしながらだったので、手が遅い。一郎はというと、二郎の背中の傷に毒されたのか、青ざめたまま考え込んでいる。狼がいるならおにくがたくさんある、などと励ますのだが、一郎も、僕らもおにくだよ、と譲らなかった。家族が一丸とならず、建築が危ぶまれる中、動じないのが鬼築さんだった。材木を運び、炉を組み、釘を打ち、恐ろしい勢いで働いた。

そうやって一週間もする頃、簡素ながら家が出来上がった。風雪で倒れてしまわないよう、頑丈な柱と梁を持っていた。家の中心にでんとそびえる柱は邪魔なことこの上なかったが、板囲いの壁があり、雨雪を防げる板葺きの屋根があり、煮炊きをする土間とかまどがあり、親子五人で眠る床の間がある。耐え忍ぶようではあっても、生きていく下地はできた。鬼畜さん一家は頼りない矩形の中で、寄り添うように生活を始めた。

道庁入植課の役人が鬼築さんの家を見に来た。そして、家の中心にある太い柱をぽんと叩いた。

「ふむ、これなら大丈夫だろ。さすがに鬼築さんだ。造りがしっかりしとる」

役人の心強い言葉を聞いて、妻子はわっと歓声を上げた。が、それに続く役人の言葉に暗くなってしまった。

「だがな、大変なのはこれからだ。十五線沢で聞いたんだが、馬鈴薯もそう育たないらしい。この雪だ、土地が痩せてるんだろう。ひもじい思いをするかもしれないぞ」

子供たちはがんと殴られたような顔をした。わかってはいても、役人にそういわれると、絶対にひもじくなる気がした。きりきりと苛んでくるあの飢えへの恐怖は伝播して、妻も悲しい顔になる。が、鬼築さんだけはあいかわらず平気な顔をしてその話を聞いていた。

翌日、鬼築さんは狩をしてくるといって、縄一本を持って出かけた。帰りを待つ家族たちは、獲物を期待して、鹿か、いや熊だ、と興奮を抑えられずにいたが、勇ましいことが大好きな一郎だけは違っていた。父ちゃんは銃も鉈も持っていかなかった。なんにも捕まえられない。言われてみて、家族は失望した。たしかにその通りだった。

やがて、日が沈んだ頃に家の外から鬼築さんの声が聞こえた。妻子は怯えた獣のようにぴくりと身を起こすと、すぐさま外へ駆け出た。鬼築さんはその方に黒い塊を背負っていた。獲物! 叫びながら近づいた妻子は、鬼築さんが狼を背負っているのを見た。しかも、まだ生きていた。獲れたぞ! そう笑う鬼築さんの顔には、幾条もの赤い傷がついていた。

家に狼を運びこむと、鬼築さんは狼の頭を撫でた。狼の目がとろりとしたのを確かめると、飼うぞ! と宣言した。早速犬鍋を煮込もうと竈を焚き始めていた奥さんは口惜しそうにを放り投げた。がらがらと転がる吹子を見て、子供達はどちらの味方にもつきかねた。

狼は生け捕りにされるときに打撲を追っていたので、それが回復するまで待つこととなった。狩のお供とすることは問題ないように思えた。暴力を振るったのは鬼築さん自身だというのに、狼は鬼築さんをうっとりとした目で眺めた。奥さんはいらだたしげに、淫売! と舌打ちした。

狼の傷が癒えると、鬼築さんは狩に出かけた。腰に包丁を一本携えただけで、奥さんは心配したが、三日後にもなると、綺麗に腑分けされた肉を皮袋一杯に持ち帰ってきた。鍋だ! 子供たちは叫びながら、家の柱の周りをぐるぐると回った。奥さんが竈を焚く仕草もどこか浮かれていた。もうすでに春になっていたから、長く煮焚きをすると家の中が暑くなったが、湯気に混じる油の匂いが堪えられないので、汗みずくになるのも構わず、回り続けていた。

この日の食卓は毎度の芋煮に山ほどの肉が入った鍋だった。醤油か味噌があればなお良かったのだが、生憎あいにく、馬鈴
薯が切れたとき、物々交換に出してしまっていた。満腹になった子供たちはひとしきり満足して床に横たわったが、味噌! 醤油! とむずかり出した。困った奥さんは贅沢をたしなめたが、鬼築さんは、次な! と鷹揚に笑いかけた。子供たちは狩を成功させた父を信頼していたので、すぐに大人しくなり、眠りについた。

翌週も、その翌週も鬼築さんは大量のおにくを持って帰った。狩の分け前を貰っているのだろう、狼は日増しに身体が大きくなった。子供達もそれに負けまいと栄養を取り、むくむくと成長して行った。野良仕事にも精が出て、固い土に覆われていた地面は、その近辺のどの集落よりも広く、こんもりと変わった。痩せた土には馬鈴薯の種芋が植えられ、秋に芽吹くのを待っていた。

あるとき、奥さんが鬼築さんに尋ねた。このおいしいおにくがどこからやってきたものか、不思議で堪らなかったからだった。入植者たちはみな食うに困っているし、狩もそうそう楽ではない。マタギという熊撃ちがいると聞くが、それもかなりの錬達ではないと一冬に一頭も得られないという。廿線沢は確かに山深いところだから、もしかしたら、楽に穫れるおいしいおにくがあるのかもしれなかった。ある、と鬼築さんは答えた。それなに? 入植者。奥さんはしばらく考え込んだ。そういえば、最近獣害の話をよく聞く。麓をぐるりと回った八線沢では、村がひぐまに襲われて全滅したという。心当たりは少なくない。しかし、生きて行くには仕方のないことかもしれなかった。このことはしばらく子供たちには黙っておくことにした。

顎に手を当てたまま、奥さんはしばらく悩んだ。しかし、その顎は入植まもない頃はおろか、入植してくる前よりもふっくらと肉づいていた。腑分けして帰ってくるのは、子供達のためかと尋ねると、面倒だから、という答えが帰ってきた。奥さんは思い悩むことをやめ、すべてを生活という言葉の裏に隠した。

子供たちはおにくを食べ、すくすくと成長した。特に一郎の成長は目覚しく、十にも満たないまま、肩を隆々と怒らせた。父親の狩がどんなものであるかも目の当たりにしたが、生きて行くために仕方のないことだと受け入れた。彼にとって、あんなにおいしいおにくを食べないのは馬鹿げたことだった。

一郎は狩に目覚しい才能を発揮した。彼の顔にはまだあどけなさが残っていたから、獲物に警戒されることが少なかった。特に、若い女の獲物を穫ってくる事に関してはすでに父親をしのぎ、二郎などは一郎の穫ってくるおにくの方が柔らかいと、楽しみにすることが多かった。

一郎はいつも山を越えて狩に出かけた。麓を回るよりも早く別集落へ辿り着ける。廿線沢の周りは「獣害甚だし」と廃村になった集落が多かったので、獲物を穫るためにはより遠くへ行かなくてはならなかった。

もちろん、狩の日々を続けていた一郎にも迷いはあった。このまま狩ばかりしていてもいいのだろうか。学校とやらへ行った方がいいのではないか。一郎は二郎を嫌いではなかったが、自分の後をついてくるばかりの弟ではなく、対等に話せる友達が欲しかった。

そんなある日、一郎は山奥で自分と同じぐらいの背格好をした少年を見つけた。狩のために狼をけしかけようとしていたところだったが、手を出して動きを制した。少年は背中にかごを背負い、山菜を採っているところだった。

「やあ、君はどこの子だい?」

と、狼の唸り声から一郎を見つけた少年が話しかけた。一郎はまごつきながら、廿線沢だ、と答えた。

「へえ、そんな集落があるんだね。廿線沢かあ、一、二、三、四、五、六、七、八、九、十……」

少年はそのまま廿にじゅうまで数え上げた。一郎は廿まで数える方法を、そのとき初めて知り、ずいぶん頭のいい奴だと関
心した。

「ずいぶん奥地だなあ。あれ」と、少年は狼に視線を落とした。「これ、犬かい? ずいぶん大きいな。狼じゃないかい?」

一郎は、そうだ、と答えた。それから、なぜ狼を飼っているのかと尋ねられ、狩のため、と答えたものの、畳み掛けるように、どうやって狩るの? と尋ねられると、答えるのが難しかった。鬼築家が狼を狩に使うのは、逃げられるのを防ぐためだった。まずは狼をけしかける。そして、傷を追ったり、腰を抜かしたり、とにかく逃げられそうにないことがわかってから、止めを刺しに行く。この方法ならば、失敗しても、狼に襲われたというだけのことになる。もしもこの猟法を教えてしまったら、全部が台無しになってしまう。一郎はなかなか答えられなかった。

「君はきっと心の素直な人なんだね」と少年が言った。「狼はなかなか人に懐かないというから」

少年はにこりと笑った。一郎は少年の聡明さに感心した。自分ではとても思いつきそうにない言葉だ。学校へ行ってるか? と尋ねると、少年は、たまに、と答えた。野良仕事が忙しくて、なかなか学校にはいけないという。それならば、自分がおにくをわけてやるから、学校で教わったことを教えてくれ。一郎は少年と約束をして別れた。

少年の名は、太一といった。一郎にとってはじめてできた友達だった。山を越えた向こうの四線沢五号橋のたもとに住んでいるということだった。近々遊びに行くことを約束し、そのまま別れた。

喜びのあまり走って家に帰った一郎は、家のすぐ前まで来て、狼を置き去りにしてきたことを思い出した。大事な狩りの道具だ。取りに帰ろうかと思ったが、行き違いになっては面倒だ。それに、同じような狩りをしている人間がいるかもしれない。一郎はそのまま家に帰ることにした。

家からは湯気が立ち昇っていた。夕餉ゆうげのしたくをしているのだ。まだおにくの残りはあったのかな、と不信げに中を覗きこむと、土間で太一が腑分けされていた。一郎は思わず、あっ! と叫んだ。また遊ぶ約束をしていたのに、腑分けされてしまっては遊べない。一郎はひどく落ち込み、そのまま寝床に伏してしまった。

料理が出来上がっても、一郎が食べようとしないので、奥さんが、うめえぞ? と話しかけた。なんでも、狼がおにくを丸ごと持って帰ってきたそうだった。一郎はめそめそしながら一部始終を話した。鬼築さんを始め、一家全員が暗い気分になったが、生きて行くためには仕方のないことだった。

こうした件があってから、鬼築家ではあまり周囲の人間と接触を計らないようになった。おにくと仲好くなっても、あとで悲しい思いをするだけだからだ。しかし、入植者の数は増え続けており、こちらが関係を断っても、周囲には集落ができるようになった。子供たちは大きくなり、奥さんも味噌だ醤油だ、鍋だ鎌だと贅沢をいうようになる。特に、野良仕事をしている奥さんと長女の一子は物々交換をする機会も多く、よく人と接した。二人は狩りをしなかったから、人と話すのも憂鬱ではなかった。

一子が十五になると、出来たばかりの三十五線沢の名主から、嫁の話が来た。入植地で名主といっても名ばかりではあるが、悪い話ではなかった。一子はそこへ嫁ぎ、鬼築さんはぽろぽろと涙を零した。

一子は嫁ぎ先でよく働いた。神々の出そうな山に住んでいた一子にとって、三十五戦沢のように大きな集落で過ごすことは、大した苦にならなかった。が、問題は食事だった。毎日おにくを食べていた一子は、しっかりとした肉付きをしていたが、ここでは芋と菜っ葉の入った粥を食べられればいい方だった。

一子は日に日に痩せていった。嫁ぎ先では心配したが、おにくを食べられなければどうにもならなかった。家事をするのも億劫になってしまった。

「一子さんや、あんた、ただ飯食らうために貰ったんじゃないよ」

姑は少しずつ意地が悪くなり、一子の食い意地を非難し続けた。一子は困り果て、実家に電報を送った。すると、ほど無くして、二郎がおにくを届けてくれた。

一子は喜び勇んで、おにく入りの芋煮を作った。嫁ぎ先では、どうやって手に入れたんだい? と賞賛を受けた。姑はもう帰ってこなかった。一子はその家で子供を生み、ときおり実家から届けられるおにくを料理した。

やがて、一郎も二郎も婿に行き、鬼築さんは夫婦二人きりと狼一匹になった。鬼築さんは五十を過ぎても健脚だったから、狼を連れて狩に行った。月に二度もおにくが取れれば充分だった。狼も子供を産み、そのどれもが熊と間違えられるほど大きく育った。

 

 

鬼築さんがどうなったのかについては、よくわかっていない。家を出た子供たちは、少しずつおにくを食べなくなっていったという。鬼築さんが建てたあばら家も、いつしかなくなってしまった。

後年、鬼築さんの家があった山を調査した学者は、恐ろしい量の白骨を見つけて腰を抜かした。ここにはさぞ巨大な熊が住んでいたのだろう――学者は見識を述べ、その熊は体長七メートルを下らないと推測した。そして、その熊にとっては、これだけの人を殺めたことは、生きて行くために仕方のないことだったのだ、と自著を結んでいる。

2015年8月5日公開

© 2015 紙上大兄皇子

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"鬼築家の素敵な食卓"へのコメント 1

  • 投稿者 | 2015-11-25 14:39

    クマが好きなんです。その性格が。

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