重力に逆らうな、寝ろ

紙上大兄皇子

小説

6,207文字

800万人の命を奪い、禁固2億8千万年の判決を受けた武器開発者アルフォンソ・ベンスラ。超人的な知識人であるとともに「重力に逆らうな」という奇妙な哲学の持ち主である彼の日々を、刑務官の「私」は冷静に綴っていく。近未来SF。

重力に逆らうな、寝ろ

 

 

*月*日

 

Z8号は禁固二億八千万年の判決が出てから、かえって明るくなったようだ。いざ禁固刑の判決が出てみると、やはりほっとしたらしい。普通の囚人が死刑判決を待つのとは違った落ち着きを見せていたから、かつて富裕層を震え上がらせた死の商人に恥じない態度だと関心したものだが。

司法のせいもあるだろう。犠牲者の残り寿命を足すというのは、どう考えても個人の尊重にならない。広報の会見でも、記者団から失笑が起きていた。三十年、少なくとも五十年ぐらいではないと、受刑者に絶望を与えることにならない。絶望以外の償いがあるとは、思えない。

ともあれ、処遇以外を考えないことだ。司法などに期待しても仕方がない。私は私の仕事をすればいい。考えられる手法はそう多くない。

一・雑居房に収監し、影響関係に期待する

二・懲罰房への収監を増やすことで、順化を計る

三・その他、別の方策(要調査)

優先順位は数字どおりでいいだろう。おそらく、プライドの高い人間ほど、他人に我慢がならないものだ。雑居房はE棟のものがいいだろう。チンピラ風情に囲まれることは、鼻っ柱を折るだろう。

囚人たちはベンスラの名を知っているだろうか? あるいは、C棟あたりの方がいいかもしれない。集合罪に問われた者ならば、噂ぐらいは聞いたことがあるだろう。実物がどんなものかを知っているか定かではないが、少なくとも、死の商人が空にどんな恐怖を与えたかは知っているに違いない。

あるいは、記事を流すのはどうだろうか。煽動の疑をかけられるだろうか? 囚人たちはデータ抹消の労を厭うだろうから、得策ではない。口頭で伝えるのが一番だろう。彼らは噂に飢えている。話題があれば、なんでもいいのだ。

アルフォンソ・ベンスラ。プラスチックで作る対空ロケットを開発し、莫大な利益を上げた。猿たちの民兵組織に屑のような値段で売りつけ、それを山にしてみせた。ベンスラとは富裕層を殺すための道具という抽象的なものではなく、垂直的にプルトニウムを打ち上げ、一回こっきりで使いきれる核打ち上げ花火だ。ベンスラと呼ばれる核兵器は、これまで八〇〇万人の富裕層をし止めた。

人は空など飛ぶべきではない、大地を取り戻せ――彼の哲学については、教えない方がいいだろう。チンピラは影響されやすい。彼の哲学に感化され、団結でもされたら厄介だ。やはりE棟にするか? いや、彼らは何も知らなすぎる。やはりC棟だろう。不安だが、刑務官に増員を頼むことはできなくはない。C棟はやはりC棟だ。Bではない。

哲学のある囚人はやっかいだ。刑務所に哲学はいらない。論争は刑期を長く感じさせるだけだ。何も考えなければ、人生などあっという間だ。

しかし、よく考えれば、Z8号はカタコトだ。心配せずとも、論争などできないだろう。C棟の猿たちはすぐに飽きる。まともな意思の疎通など図れないだろう。心配はいらない。

準備するもの。

一・移送計画書(一週間)

二・処遇報告(十日)

三・特別待遇稟議書(至急。主任には期待できない)

アナイスは快く思っていない。子供が必要だ。子供は私達をいっそう結び付けてくれるだろう。なにを怖がっているのか? 世の母親たちがみんなやってきたことだ。それに、委託すれば母親になるのは一瞬で済む。彼女はいつまでも女でいられる。女――彼女が最近よく口にする言葉。

 

 

*月*日

 

雑居房に入れたのは失敗だった。C棟の囚人たちを侮りすぎていたようだ。いや、侮ったのはあのZ8号の力だ。彼のことを整理する必要がある。

アルフォンソ・ベンスラ。量子力学を独学で究め、核融合技術を応用した武器開発に長く従事。七十八歳。南米系らしいが、国籍は不明。語学堪能。右足が不自由なのは戦闘ではなく、少年期の虐待によるとのこと。右足の筋力は凄まじく、その足で兎のように跳ねて歩く。痩身長躯。ヘソまで届く長い顎ヒゲが哲学者のような風貌をかもし出している。かなりの財産家。貧困地域に学校を建てるNPO団体に多額の寄付をしている。妻は多数。子供はその五倍はいる。貧困層に支持者は多い。異名は死の商人、空の死神、大地のキリスト。

書き出してみて思い知らされるが、かなりの人物だ。新しい言語を覚えるなど、どうということのない業なのだろう。それにしても、わずか四日でマスターするとは。なぜ彼は武器開発の道になど進んだのか? まともな道では活かされないのか? 私生児だとの噂。いたしかたないか。

雑居房の刑務官たちは囚人が寝転がって働かないことを私のせいだと思っているらしい。Z8号がどういった煽動を行ったのか、報告は来ていない。いつもそうだ。苦情だけが速やかにやってくる。

何にせよ、C棟の猿たちを動かすとはかなりの煽動力だ。A棟になど収監したら、とんでもないことが起きるだろう。暴動で済めば安いものだ。

独居房への送還はもちろんのことだが、懲罰房へ頻繁に収監すべきだろう。あの手合いは多少暴力的なことでもしない限り、プライドが折れやしない。もっとも、証拠を残さないようにしなければ。どんな告発をされるかわかったものではない。

なぜ上は本国への送還を申請しないのか? この場合、戸籍がないなどということは問題にならないだろう。工場のある地域で処分すればいいだけの話だ。

準備するもの。

一・送還報告書(至急)

二・懲罰願(複数枚。理由は熟考のこと)

三・刑務官による虐待の判例調査(二〇一二年以降のもの)

アナイスの苛だちは、単に急っつかれているからというだけではないようだ。あるいは、彼女には子供ができないのかもしれない。不妊治療を受けさせるべきか? 病院にいって事実を突きつけるようなことは、彼女のプライドを傷付けるだろう。

私が子供を持ちたがっているという事実そのものに苛だっているのだろうか。だとしたら、見下げ果てた根性だ。なんでもかんでも自分の思い通りになると思っているらしい。仕事とやらが忙しいのだろうか。

 

 

*月*日

 

C棟の囚人が二名自殺。刑務課主任に呼ばれる。部長の名前を出されたから、おそらく私の責任ということになるのだろう。

しかし、あの猿たちのどこにそんな連帯があったのか? 二名の囚人にはデモ参加経験がない。集合罪といっても、強盗や詐欺の共謀罪だろう。そんな彼らがなぜ殉死などという愚考に走ったのだろうか。とても私の不備とは思えない。Z8号が何を言ったのか、要調査。

本当に抗議のテクストなど見つかったのか? 誰かが私のせいにしようとしているのかもしれない。自殺した囚人に憂鬱症の兆候はなかったのか、その調査が第一のはずだが。

また、疑問点がもう一つ。Z8号が受けた懲罰の秘密厳守は、内規に属する。移送の現場を見てデマが広がったのならいいのだが、懲罰官が情報を漏らしていたとすると、事は重大だ。Z8号の洗脳は刑務官の側にまで及んでいるということになる。周りはすべて敵だと思うか、それとも仕事を投げ出すか。消極的に前者だ。我々には子供が必要だ。

あるいは、Z8号は洗脳の技術を身につけているのかもしれない。ただ単に口が上手いのではなく、特別な言葉や声音を使うことで、洗脳する方法があるのかもしれない。そうした技術の有無についても要調査。

念のため、これまでZ8号と交わした会話。

――人間は寝ているのが一番自然なんだ。無理をして立っているだけだろう。なにも、俺が足()えだからって負け惜しみを言ってるわけじゃない。(なぜ一日中寝ているのかと問われて)

――長いと言っても、この歳になれば後は寝てるだけさ。いつか、右足も萎えて歩けなくなるだろうよ。そうすりゃあんたには迷惑をかけることになるな。すまないね。頼むよ。(禁固二億八千万年は長くないかと聞かれて。少しはしゃいだ様子)

――そりゃあ、鳥が空を飛ぶのはかまわないさ。自分の羽で飛んでいるんだ。知ってるか? 人間がもしも自力で空を飛びたかったら、二十五メートルの翼と胸囲四メートルの大胸筋が必要なんだ。それか、体長を五十センチにして、毛むくじゃらになるかね。貧乏人を踏みつけて、空を汚してまで飛ぶ必要はないのさ。(なぜ対空ロケットを開発したのかという問いに対して。やや怒った調子で)

――子供は好きさ。まだ生まれてまもないからな。特によちよち歩きのが最高だね。あいつらは重力と格闘しているんだ。頼まれたのでもないのに生まれてきたわけだからな。(なぜ学校設立に多額の寄付をしているのかを問われて)

そう、子供だ。どうせ、私が提案したZ8号の処遇案はすべて失敗に終わった。子供を使うというのは、いいアイデアだ。

たしか、ある特定の子供に対して寄付をし、ライブトークで交流をするという慈善団体があったはずだ。Z8号にこれをやらせるのはどうだろう? おそらく、多大な効果が得られるに違いない。

準備するもの。

一・慈善団体の情報(至急)

二・処遇報告(至急)

しかし、Z8号にPC環境を与えるというのは、まずくないだろうか? 一応、アクセス制限はしてあるだろうが、彼ほどの知能の持ち主なら、それを突破することも不可能ではないだろう。要相談。しかし、あまり警戒されると、提案そのものを没にされてしまう。その按配(あんばい)が難しいところだ。

どれぐらいの寄付が必要なのかわからないが、場合によってはアナイスにもやらせよう。怒らせるだろうか?

 

 

*月*日

 

本日も結果良好。Z8号は刑務所に収監されていることを悔やみはじめている。子供に会いたいと漏らす。アルフォンソ・セグンド。名前もつけている。

アナイスは興味を示さず。他、特になし。

 

 

*月*日

 

セグンドの調子が悪いとのこと。劣悪な環境では、日々を生き残ることもままならないようだ。会いに行きたいとごねる。少し入れ込みすぎか? あくまで噂のレベルだが、こうしたライブトークの相手は本物かどうかわからないとのこと。何度かそうした詐欺があったらしい。仮にこれが嘘だった場合、悪い影響が出るのは必至だ。Z8号は外部との連絡を取りたがっている。それが主任の耳に入るだけでも、よくないことになるだろう。

準備するもの。

一・ライブトークの実情調査(慈善団体のものも含めて)

二・外部アクセスに必要な知識(Z8号への警戒)

しかし、なぜZ8号はあれだけたくさんの子供がいるにもかかわらず、ライブトークで出遇っただけのセグンドに執着するのか? やはり、禁固二億八千万年というのは、彼にそれなりの絶望を与えたのだろうか。絶望したふりをしているだけだと疑うことも必要だ。あるいは、これまで子供と一緒に暮らした経験がなかったのだろうか。ただ子供を作っただけで、育ててこなかった。それは大いにあるかもしれない。なんだかんだといいつつ、そうした経験は必要なのだろう。それがわかっていたからこそ、多額の寄付をしてきたのではないか。贖罪。

アナイスにもそうした経験が必要だ。彼女は理屈を信じすぎる。身を任せてみればいいのだ。そう言ってみよう。

 

 

*月*日

 

セグンドが死に、Z8号は脱走を試みた。死の商人と恐れられたアルフォンソ・ベンスラとは思えない失態だ。なぜ十五メートルの壁を登りきれると思ったのか? それほどセグンドに会いたかったのか?

主任はセグンドの死そのものがでっちあげではないかと疑っているようだ。馬鹿げた推理だ。そんなことをする意味がない。仮にチャイルド・エイド・プログラムが詐欺団体だったとして、なぜ支援を打ち切るような真似をするのか? 絞れるだけ絞ればいいではないか。主任には悪意がある。C棟の猿たちにZ8号の懲罰房移送を教えたのは、彼ではないか?

Z8号の容態。両手の爪七本剥離。右足骨折。同アキレス腱損傷。左肘脱臼、靭帯損傷。腰骨にヒビ。肋骨三本骨折。助からないかもしれない。

C棟の囚人たちは再びストライキを決行した。現在七日目。彼らは地べたに寝そべり、消極的な抵抗を示している。情報漏洩(ろうえい)しなければそのままでも大丈夫だろうが、これまでの経緯を考えると、期待はできない。

準備するもの。

一・ライブトークに代わる処遇(新しい子供?)

二・上申書(刑務課長? 主任を越して出す必要がある)

これからの身の振り方についても、考えておかねばならないようだ。アナイスは半狂乱になるだろう。彼女はこれまで、自分のこと以外で怒ったことがないのだから。

子供がいればよかった。死の商人でさえあれほど変わったのだ。きっと、彼女だって変わっただろう。

 

*月*日

 

Z8号は本気らしいが、どうやって辿り着くというのだろう。仮に私が協力したとしても、飛行機以外の方法があるとは思えない。本当に這って行くのだろうか? 支援者がいるのならば、あながち嘘でもないのだろうが。老齢にしては信じがたい行動力だ。

C棟のストライキはまだ続いている。猿たちはZ8号の教えを忠実に守り、寝そべっているらしい。誰もみな、懲役を忌避している。穏やかな顔で眠っているそうだ。刑務官たちの苛だちは募っている。猿たちが穏やかなほど、ますます苛だつだろう。

アナイスは病院へ行くことを心の底から嫌がっている。私の診断結果は伝えない方がいいだろう。子供ができないのは、彼女のせいばかりではない。

 

 

 

*月*日

 

ベンスラはゴミ袋から這い出ると、迎えに来ていた車に乗り込んだ。今にも身体がバラバラになりそうだ。たぶん、すぐに死ぬだろう。しかし、とても穏やかな顔をしている。

――あんたはここにずっとへばりついているんだろう? それも悪くないがな。言っとくよ。重力に逆らうな。ただ、受け流せ。

彼の最後の言葉。港から船で行くという。ああやって自らの哲学を貫き、地べたを這うようにしてセグンドの骸を抱きに行くのだ。

早晩、尋問が来るはずだ。私もへばりついてはいられなくなるだろう。

準備するもの。

一・現金(三〇〇ドル?)

二・書き置き(アナイスへ、なるべく感動的に)

アナイスはどうなるだろうか。その状況になればなんとかするだろう。体験は重要だ。飛び出すこと、いや、滑り出すこと。

 

 

*月*日 アナイスへ

 

さようなら、アナイス。私はもう君といることはできなくなった。私は脱獄幇助(ほうじょ)の罪で終われる。これで私も猿どもの仲間入りだが、心配しなくていい。後悔はしていない。

おそらく、君の元へも調査の手が行くだろうが、戸籍は外しておいたから、君が代理逮捕されることはない。安心して、今までどおり仕事に励んでほしい。君はまだ三十八歳だ。それだけ若ければ大丈夫だ。私が脱走させた男は七十八歳だった。それでも、這って息子に会いにいったよ。

私は君と子供を持ちたかった。君と私がただの他人でなくなるとしたら、それ以外に方法はなかったからね。これからまた誰かと一緒になることがあるとしたら、それを忘れないでくれ。

もちろん、子供を道具に使うつもりはなかったがね。私は子供が好きなんだ。考えてもごらん。子供は生れ落ちるだろう? 重力に逆らうな。私はそう学んだよ。寝ていては何も始まらないがね。

 

――(了)

2007年6月25日公開

© 2007 紙上大兄皇子

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