ナツキ F

ナツキ(第7話)

ムジナ

小説

11,498文字

第7話

まぶたが間違った折れ方をしている気がしたが、眉間の筋肉でむりやりひっぱり上げた。ごりごり言いそうな体を腕で押し上げて、私は体勢を起こした。首と肩が痛い。毛布を敷いてもさすがに机をくっつけただけの簡易ベッドは寝苦しかった。杉山のセーターを丸めた簡易枕も気休めだった。眠い。頭の中が平べったくなってる感じがする。ちゃんと動いてない。右のほうからにぎやかな空気が聞こえたのでそっちを見ると、一年生5人が杉山のパソコンを見ながらあれこれ話し合っていた。重い首をひねって左を見ると、足を組んで座った杉山がCampusのノートを開いて手に乗せ、悠里と玲ちゃんが上から覗き込んでいるのが見えた。
「…どう?」
自分で予想していたよりもはるかにがさついた声が出た。さすがにここまで徹夜が続くのは体によくないな。記憶も曖昧だった。今朝、徹夜で脚本を書き上げてから寝ぼけ半分で部活に来て、あまりのやつれ方に心配した3人が机でベッドを作ってくれて無理やり寝かされた、みたいな感じだったかな。 3人が顔を上げて私を見たので、私は毛布に目を落とした。
杉山が斜めな声色で言った。
「ひどい声。」
私は小さく咳払いをしてから控えめに声を出した。
「脚本は、出来はどう?」
杉山はうなずきながら言った。
「いや、すごいよ、これ。ところどころわけわかんないものが書いてあるけど。」
「それは寝ぼけてる時のだから。」
「だろうね。でも他のところは、すごくいい。これでいく?」
「うん。…あそうか、私監督か。」
杉山は顔を下に向けてちょろっと笑った。恥ずかしいと思えるほどまだ頭が動いていなかったので、私はそのまま続けた。
「うん。これ元にして、あとはその場その場で。」
「了解。でもよく一晩で考えたね。」
眠い。杉山の声が目の前を通り過ぎて行く。
「おーい。」
「…ん?あ、ごめん。ぼーっとしてた。」
「夏美さん、寝ぼけすぎ。」
悠里が笑いながらこっちに来た。眠い。
「あんまり無理しないほうがいいですよ。」
玲ちゃんの声が聞こえた。眠い。玲ちゃんは珍しくメガネをかけている。ちょっと野暮ったい黒縁のメガネだ。いいなぁ、こういうメガネでも似合うんだなぁ。
「うん…昼になったら起こして。」
眠い。もうしばらく寝ていたい。私がまた横たわると目が勝手に閉じた。
頭の中のものがゆっくりと傾いていく感じがする。
「お前そこ寝づらくない?」
「ん?うーん…」
「枕も俺のセーターじゃ首痛いでしょ。」
「うん…。でもこれなんか、いい匂いがする。」
口に出した後で自分がかなり気持ち悪い発言をしてしまったことに気がついた。反応が聞こえる前に眠ってしまうことにした。

びっくりするほど軽くまぶたが開いた。さっきの眠気が嘘みたいだ。学校に来る前に飲んだレッドブルが今更効き始めたのかもしれない。仰向けのまま目をぱちぱちさせてみた。
部室がやけに静かだなと思って起き上がってみると、窓際の机に、白いヘッドフォンをつけてパソコンをいじっている杉山がいるだけだった。グラウンド側の窓から真っ白な太陽の光がガンガンと突き抜けて来ている。まだ昼過ぎくらいかな。部室の時計を見ると6時50分過ぎを指していた。
…ん?
しばらく眉間をしかめてからようやく思い出した。部室の時計、動いてないんだった。やっぱりまだ寝ぼけてる。スカートのポケットに入れたままだったスマホを左手で引っ張り出して画面をつけると、13:35と表示されていた。みんなは多分昼休憩中だ。そういえば私も昼ご飯を食べていない。というか朝も食べてない。意識した途端、急に胃がぺしゃんこになっているような感じがした。
「杉山。」
呼びかけると杉山はちょっと目を開いてちらっとこっちを向いて、ヘッドフォンの片側をを耳の後ろにずらして向き直った。
「おはよう。結構寝てたね。」
「うん。みんなは昼ご飯?」
「そう。悠里が連れて行ったよ。なんか、駅のとこに新しくパスタ屋さんができたんだって。」
「ふーん。」
私はワイシャツのボタンの跡がついてしまった手のひらを見ながら言った。
「杉山は、もうご飯食べたの?」
「いや、まだ。ちょっと試しに、BGMの音楽作ってた。部室の鍵持ってなきゃいけないし。」
「え、すごい。聴かせてよ。」
私は机のベッドから降りて杉山のところにかけよった。杉山は少し恥ずかしそうな顔で白いコードをパソコンから引き抜くと、画面を少し私の方に向けた。画面には何か、難しそうな制作画面が表示されていた。横長のバーのようなものがいくつも並んでいて、その中にギザギザした波みたいな線やいびつな階段みたいな線が映っていて、多分これが音を表してるんだろうと思った。
どんな曲なんだろう。少し胸の中がそわそわした。
杉山は左手を伸ばしてスペースキーを叩いた。再生が始まった。
ピアノの音が、遠くから聴こえてくるようにぼんやりと、ノスタルジックなメロディを流していた。だんだん近づいてはっきりとしてくる。途中から電子音みたいな音が混じり始めて、不思議な流れができてきた。杉山がまたスペースキーを叩くと、音楽はプツッっと止まった。
「どうかな。これ、空っぽの学校のところで流そうと思うんだけど。」
私はブンブンと縦にうなずいた。
「これいい、すごくいい。」
「ボキャ貧かよ。」
杉山は少しうつむきながら笑って、パソコンを閉じた。
「すごいね、曲作れるなんて。」
「曲なんて誰でも作れるよ。」
杉山はどこか向こう側の方を向いた。
「そうなの?」
「理論とか、ちょっと勉強すればそれっぽいものはいくらでも、作れるよ。」
少しとげのある言い方だった。
「杉山も、勉強したの?」
「ううん、ピアノは習ってたけど、作曲とかは。色んな曲聴いて、なんとなく。」
「すごいじゃん。」
「っていうか、本来、全部そうあるべきなんだよ。」
「どういうこと?」
杉山は斜め下を向いて、ちょっと考えながら話した。
「手っ取り早くそれっぽいものを作るために理論だけ覚えて、聴いたことあるような曲を量産する人って、いっぱいいて。今流行ってるバのも、結構みんなそんな感じだし。そういうのが嫌で。」
「うん。」
なんとなく杉山の言わんとしていることは伝わって来た。杉山が軽音部に入っていないのも、多分同じ理由なんだろう。
「そういうのって、ただ元からある部品を組み合わせてってるだけなわけ。でもそれじゃあ本当に意味のあるものって生まれなくて、なんていうか、こう…」
杉山は瞬きをしながら、身振り手振りで説明しようとしていた。
「こう…でっかい粘土の塊みたいのがあってさ、それをねりあげて形を作っていくっていうのが、正しいやり方なんだよ。うん…なんか、自分でも何言いたいのかよくわかんなくなって来た。」
杉山は少し気まずそうに話を濁して、上目遣いで私の方を見た。
私は固まっていた。
でっかい、粘土の、塊。
私の中にある熱い部分が、その言葉に激しく反応し始めていた。
そうなんだよ。それなんだ。
私の中にあるのは、まさに「でっかい粘土の塊」で、それが胃から肺から喉までぎっちり詰まっているんだ。だから息苦しいのだ。私はそれを吐き出したくて、たまらなくて、だからこの3日間、2回も徹夜して脚本を書いてたのだ。一人で行った海とか、玲ちゃんのあの顔とか、ずっと感じてた怠さとか、無力感とか、空っぽな感じとか、それが一つの塊だった。きっと私の好きな映画を作った人たちも、そうやっていたに違いない。あの美術部の2年生もきっとそうだったのだ。だからあんなに鋭い目つきになれたんだ。
私は激しく、これ以上ないくらい激しく共感していた。こんなに人の言うことに共感するのは生まれて初めてだった。この興奮を、なんとかして杉山に伝えなければならない。
「杉山。」
「ん?」
杉山は眉を上げた。
私は言おうとした。でもこの共感を口で伝えられるほど私は話すのが上手じゃないということを、言おうとしてから思い出した。徹夜明けの頭の中は使いかけの言葉で散らかりすぎていた。
私は諦めて、変に見えるだろうなとは思いながらも、結んだ髪の毛をブンブン振ってうなずきながら、
「そうだよ、そうだよ。」
と何度も繰り返した。もう3年目の付き合いになる杉山の前で、今さら器用に振舞おうとしたって意味がない。
杉山はまた一回おかしそうに笑って、
「悠里たちが戻って来たら飯食べに行こう。玲ちゃんに鍵預けるから。」
と言った。私はうなずいた。

杉山がドリンクバーを取りに行っている間に私の頼んだ温玉うどんと杉山の頼んだ冷麺が運ばれて来た。ファミレスの店員さんは私たちと同じくらいの年に見えた。私も夏休みが終わったら、バイトしないとな。店員さんは伝票を片手で丸めて、机の上のアクリルでできた筒に突っ込むとパタパタとどこかへ去って行った。
「お待たせー。」
杉山がコップを両手で持って戻って来た。
「カルピスで良かった?」
「うん。ありがと。」
杉山はコップを机に置くと体を折って向かい側に座った。私は杉山に話しかけた。
「悠里たち、一年生とちゃんと絡んでるんだね。」
「そうみたい。俺らも頑張んないと。」
「三年生が二人揃って人見知りなんてね。」
私がそう言うと杉山はへらへらっと笑った。
「そしたら、今度一年生連れてご飯食べに行こうよ。撮影始まったら。」
「あ、いいねそれ。」
「去年そういうの、全然なかったしね。」
「一緒にご飯食べに行けるほど活動してなかったからなぁ。」
一年生の時はどうだったっけ。確か、夏休みの活動の時は先輩がコンビニに行って、全員分のご飯をまとめて買ってきてくれていたような気がする。そのための「注文用紙」もあって、みんなの集計をとって三男が交代で買いに行っていた。普通の部活なら一年生がやるべき仕事なのに、そういうことをわいわいとやりたがる先輩たちだった。そういうのも含めて、いろんな意味で活動的な人達だった。
そう考えると、珍しい部活だよなぁ、映画部。うちの学校で一番縦社会のない部活かもしれない。
「でもあれだよね、他の部活だったら、上下関係とかすごい厳しそうだよね。」
そう声をかけると、杉山は冷麺をすすり終えてから顔を上げた。
「ね。吹奏楽部とかすごいらしい、鈴原に聞いたけど。廊下で先輩とすれ違う時とかもでかい声で『おはようございます!』て言うんだって。」
「あ、見たことあるかも。映画部、一年生の時からそういうの全然なかったもんね。」
「そうだなー。すごい仲良くしてくれたしね、あの代の三年生。結城さんとか。」
杉山はその代の三男にかなり気に入られていた。部長の結城さん含めて四人の男子がいて、みんないい人達だった。結城さん目当てで入部して来たという当時の二女の先輩たちは、杉山にかなり嫉妬していた。
その代の三年生に一人、女子の先輩がいた。茉理さん。西野茉理さん。
結城さん達が杉山を可愛がっていた以上に、茉理さんも、私にすごく良くしてくれた先輩だった。
私は思い切って口を開いた。
「茉理さん、とかね。」
杉山は顔を上げて、目を丸くして私を見た。戸惑ったように数回瞬きをして、ようやく表情を和らげた。
「茉理さんね。すごかったなあの人は。本当の、天才だったね。」
「うん。」
私は頷いた。
結城さんたちはツイッターで時々近況をつぶやいていて、何をしているのかは大体知っていた。附属の学校だし、うわさも時々入ってくる。結城さんは大学の演劇部で役者をやっていて、外の劇団にも入っているらしい。他の三人は映画づくりのサークルで活躍している。
茉理さんの情報が更新されることはなかった。去年の四月以降、茉理さんはどこにも現れていない。
「うどん、美味い?」
「あ、うん。そこそこ。冷麺は?」
「微妙。やっぱりそっちにしとくんだった。」
杉山は苦笑いしながら冷麺をすすっていた。私はわざとつやつやした温泉たまごがよく見えるようにしながら丁寧に温玉うどんの麺を持ち上げた。

午後の部室にはまた昨日と同じような騒がしさが回っていた。脚本が出来上がったので、役者陣は本格的にセリフを読んだりしながら練習をし始めた。昼休憩の後、杉山とコンビニに寄ってノートを人数分コピーして配ったのだ。ざわざわの間をぬって玲ちゃんや関さん、悠里の声に乗って私が夜中に書いたセリフが飛んでくる度に、ちょっと顔を伏せたい気持ちになった。
一年生はまたパソコンの前で盛り上がっていた。撮影係の川西くんと植山さんが試しに撮った昨日の部室の動画をパソコンで編集してみているらしい。鈴原くんと佐々木さんはパソコン画面と脚本のコピーを交互に見ていた。
私は、実は、暇だった。脚本を書き上げてしまったら、撮影を始めるまでは、暇なのだ。本当はシーンごとにどういう構図で撮ろうかとか、考えなきゃいけないことは結構あったが、ソッキョウセイを大事にするためには考えすぎてもいけないのだった。
それから、私は一人だった。役者陣、製作陣の川西くんや植山さん、みんなのいる部室の様子を、私は一人椅子に座って、ぼけっと眺めているだけだった。
みんながいるのに、なんか、寂しい。
一人で家でソファに寝転がっていた時と同じ淡い紫の感情が、胸の中できゅうきゅうと音を立てて引き締まっていく。
結局、ずっと私はこうだ。クラスでも、バイト先でも。周りに人はいっぱい居るのに、私だけずっと、アクリル製のドームの中にいるみたいだった。自分のため息でドームが曇って、周りの景色が遠くにぼやけて見えるのだ。私が声を出しても、みんなにはくぐもった音が聞こえるだけで、言いたいことの半分も届かない。みんなの声も、ドームが共鳴してワンワン鳴っているだけだ。誰とも繋がれない。私が見ている世界は世界そのものではなくて、常にアクリルに映った二次元の像だった。全部がのっぺりしていて、実感がなかった。
だからずっと憂鬱なんだ。アルバイトを辞めたのも、そのせいだった。パンを並べる時に湧き上がる黄色い匂いも、レジに立つお客さんのボソボソした声も、小言を言う先輩も、みんなのっぺりしていた。二ヶ月も働かずに辞めてしまった。きっとこんなんじゃ、社会に出てもろくなことがないだろう。
いつからこんな風になってしまったんだろう。前は、もっと色々なものがはっきり見えていた気がする。もっとちゃんと感情を感じられてた。こんな風に、ひねくれて、ドームの中にこもってしまったのはいつからだろう。
中学の時か。思い返そうとしたら、脳みそがため息をを吐いた気がした。
別にいじめられていたわけではなかった。友達がいなかったわけでもなかった。でも中学に入ると、女子の人間関係は複雑になってくる。みんな自意識が高まってきて、色んな種類の自分を作って、使い分けるようになる。ある子と仲良くするために、別な子の陰口を言ったりするようになる。普通の事だ。そうやって段々社会に適応していく。人間になっていく。
でも私にはそれが耐えられなかった。『人の悪口を言ってはいけない』みたいな正義感があったからとかではなく、純粋に、ついていけなかった。みんながサイコロの目のようにころころと顔を変えて接してくると、私はどの面が本物なのか分からなくて、常に混乱していた。それに先輩後輩やらの関係まで絡まってくると、もう何が何だか分からなかった。小学校の時に比べて、一日一日が重く疲れるようになった。私は自分からみんなと距離を置いたのだ。私は自分でドームを作って、その中にこもったのだ。
でも、密閉されたドームの中にずっといると、呼吸と一緒に色んなものが充満する。そのせいで息苦しくなっているのだ。多分これからもずっとそうなんだろう。自分の息で曇ったドームの中で、自分の息で生ぬるくなった空気の中でぼやっとしたまま生きていくんだ。
かちゃん、という音にビクッとして、急に目のピントがあった。シャーペンを机から落としてしまった。私はお尻を椅子から離して、床に倒れたシャーペンに手を伸ばした。
拾い上げて背中を起こす。向こうでカメラとパソコンをいじっている川西くんと植山さんが視野に入った。
よく考えたら、あの2人も今は暇なはずだ。
誘ってみるか。
変に思われないか、ちょっと不安になった。
別に変なんかじゃない。私先輩だし。っていうか、監督だし。
私は二人が覗き込んでいるパソコンの前に行って、声をかけてみた。
「ねぇ、今、時間ある?」
二人は顔を上げた。
「ちょっと校舎の中、撮りに行ってみない?」
植山さんの顔がパッと、本当に物理的に明るくなったように感じた。
「行きましょう!」
「あ、ちょっと待ってください、三脚取ってくるんで。」
川西くんはそう言うと部屋の隅に駆けて行き、機材入れの段ボールを漁り始めた。
私は植山さんに話しかけてみた。
「よかったー。脚本書き終わったらちょっと暇になっちゃって。」
「私も、本番までに音の録りかた練習したかったので!」
植山さんはにこにこしながら頷いていた。可愛いなぁ。私が一年生の時って、こんなにフレッシュだったっけ。
段ボールから黒の三脚を引っ張り出した川西くんが戻ってきた。私たちはぶくばくぶくばく言っている役者陣の横をすり抜けて、鉄の音のするドアをごろごろと開けて、私たちは廊下に出た。
ドアを閉めると、部室の中のやかましさはくぐもって、外から漏れ入ってくるセミのノイズと混ざり始めた。部室棟の廊下は静かだ。
「とりあえず、ここから撮ってみる?」
川西くんは、はい、と言ってカメラのついた三脚を広げ始めた。安定すると、植山さんがマイクのコードをカメラに挿した。
「すごい、本格的なカメラなんだね。」
川西くんはちょっと目を細くしぼめて笑いながら頷いた。
「親父の趣味がこういう系なんで、貸してもらったんです。」
「部室の中撮ってみたんですけど、すごいいい感じに撮れるんですよ。」
植山さんが嬉しそうに言った。さっきパソコンで見ていたのは、やっぱりそれだったらしい。
「どういう風に撮ります?」
川西くんがカメラを覗き込みながら言った。
「あ、そうね。」
私はちょっと廊下を見回した。人がいない廊下。うす青くなった空間だ。
なんとなく、何を撮ればいいかわかる気がした。
「カメラはね…なんかこう、廊下の奥の方をしばらく眺めてからぐるって回して、窓の外を見上げる感じで、やってみてくれる?」
「あっち撮ってから回す感じですかね。」
「そうそう、でなんかほら、廊下の壁って、白いでしょ。こっちの窓からは日が当たんないから、空の色がうつってうす青くなってるから、それを映してから外の本物の空、みたいな。」
自分で何を言ってるのか分からなくなりそうなのを頑張って引き戻しながら手をぶんぶん動かして説明してみた。川西くんは頷きながら聞いていた。
「それから、マイクは…」
植山さんが顔を上げた。
「外の音と部室の声が、いい感じに遠くで混ざってるのを録りたいんだよね…どこがいいんだろう。」
私は廊下の色んなところに立って、音を聞いてみた。
「植山さん、ここおいで。」
マイクを持った植山さんがぱたぱたと走ってきた。
「この辺、いい感じじゃない?」
「あ、本当ですね。」
「じゃあ、ちょっとこれでやってみようよ。」
二人ははい、と明るく返事をした。
そしてまた静かになった。
あ、そうか。私が合図を出すんだ。監督なんだから。
私はもう一度二人の顔を見てから言った。
「それじゃいくよ。よーい…スタート!」
私の声と、録画ボタンのピッ、という音が一瞬だけ廊下に反響した。ちょっと恥ずかしくなったが、カメラが鳴ってくれるのに少しホッとした。植山さんはマイクを掲げて静かに立っていた。川西くんはカメラを覗き込みながら、三脚台の取っ手を持ってゆっくりとカメラの向きを変えていった。カメラはゆっくりと窓を見上げて、3秒くらい空を見上げた。
「ストップ!じゃないや、えっと、カット。」
植山さんがふふふと笑った。私も笑ってしまった。川西くんの方を見ると、やっぱりちょっとおかしそうに目を細めていた。
「なんか、ちょっと恥ずかしいね、これ。」
「でも結構いい感じに撮れたと思います。見ます?」
私は頷いて、植山さんとカメラの前に駆け寄った。画面を覗き込むと、川西くんが再生ボタンを押した。
廊下、うす青い壁、窓、青空。部室のにぎわいとセミの叫びが遠くに反響する感じの音。すごい。
「こんなにしっかり撮れるんですね…」
植山さんが息混じりに言った。
「ね、すごく良いよ、これ。」
私はうなずいた。

「それで色々試してみたんだ、低いところから撮ってみたり、何周もぐるぐる回してみたりとか。」
「へぇー、いいね。面白い画がとれそう?」
杉山が鍵のしまったドアをガタガタ鳴らしながら聞いた。
「うん。あとね、川西くんを台車に乗せてゆっくり押しながら撮ったんだ。歩いてるところを横からそうやって撮ったら良さそうじゃない?」
「3-Dちゃんと閉まってる。いいねそれ。歩いてる場面とかで使えそう。」
「3-Dはオッケーね。役者陣はどんな感じ?」
私は施錠確認用紙の3年D組の欄にチェックをつけた。あと2クラス。
「脚本読んで、軽く合わせてみたりしたよ。面白かった。ちょっと恥ずかしいけど。…3-Eもオッケー。」
3-Eも施錠済み、と。
「ほい。…私も『カット!』とかっていうのがちょっと恥ずかしかった。」
「あ、それで思い出した。渡すものがあるんだよ。鍵終わったら渡す。」
「うん。何なの?」
「お楽しみ。…F組もオッケー。おしまい!」
「ふぅ、終わったー。」
私は3年F組の欄にチェックをつけてペンの芯を引っ込めた。生徒会の備品のペンは無機質で手に馴染まない。
「教室の施錠の確認なんて、生徒会でやればいいのにな。いつから文化部の三年がやることになったんだろう。」
「ね。でもこれでしばらくは回ってこないね。」
私と杉山は踊り場に置いておいた鞄を持って、階段を降り始めた。薄暗い校舎に乾いた音がわんわんと響く。
2階まで降りると、ギターケースを背負った男子2人が階段に歩いてくるところだった。背の低いほうが私のと同じ用紙を手に持っていた。
「お、杉山じゃん。」
背の高い方が声を出した。杉山は立ち止まった。
「あ、お疲れ。」
杉山は低めな声で応じた。二人と合流して、また階段を降り始めた。
「映画部?夏休みもやってるんだ。」
「うん、今映画作ってるから。」
「撮ってんの?」
背の高い男子は露骨に驚いてみせた。
「お前はなに、監督かなんか?」
「ううん、監督は水野。」
杉山はちょっと私の方を手で示した。何か言うべきだろうか。私が視線を泳がせていると背が高い男子は私の方をちらっと一瞥してから杉山に目を戻した。
「俺は音楽と、役者。」
「へぇーすげえ。音楽ってことは曲作ってんの?」
「うん、まぁ。」
「ふーん…お前が軽音部にいてくれたらなぁ。」
「まあ、趣味合わないし。」
「そうだけど。でも今年みんな下手くそでさ、ひどいもんだよ、文化祭のテーマソングもろくなのができなさそうだし。お前作ってよ。」
「エイフェックスツイン風のやつだったらいくらでも作るよ。」
「勘弁してくれよ。」
施錠確認用紙を事務室に出して、私たちは校舎の外に出た。軽音部の二人は晩御飯を食べに行くらしく、じゃあな、と言って走り去って行った。背中に張り付いたギターケースがぺこぺこと揺れるのがすこし可笑しかった。
杉山に聞いてみた。
「友達?」
杉山はうなずいた。
「軽音部で唯一音楽の趣味がいいやつ。」
「ふーん。」
杉山が友達と喋るところを見たのは多分、初めてだ。私と杉山はクラスが一緒になったことはない。なんか少し新鮮で、不思議な感じだった。
「杉山って、クラスに友達いる?」
「うん?うん、多くはないけど。今の背高い方も同じクラス。水野は?」
「あんまりいない。」
そっか、と杉山が言った。
ふと思い出して、もう一度杉山に話しかけた。
「ねぇ、渡すものって?」
「あ、そうだった。」
杉山はトートバッグから何か板みたいなものを引っ張り出して、私に手渡した。白と黒のななめのしましま模様がヘリについている。受け取ってからこれが何なのか理解するのに1秒ちょっとかかった。
「あ、これ!」
映画の撮影の時にパチンと鳴らす、あれだ。
「寝てる間に悠里と玲ちゃんとドンキ行って買ってきた。いいでしょこれ。」
杉山は面白そうに話した。そしてカバンから白いペンを取り出して私に渡した。
「カチンコっていうらしいよ。これ、それ用のホワイトマーカー。」
「へえ、ありがとう。でもこれ、余計恥ずかしいね。」
「まぁいいでしょ、監督なんだから。」
そうだった、監督だ。
脚本は書き終わったけど、映画作りの本番はこれからだった。脚本に関しては何となく書き物の経験があったけど、監督となると完全に未知の領域だった。肋骨の内側で明るい色の感情と紫色っぽい感情が、ぐるぐるかき混ざっている感じだった。
杉山が唐突に口を開いた。
「でもあの脚本、本当すごいよ。綺麗だし、リアルだし。」
「うん。」
杉山は人一倍映画好きで、映画に詳しい。きっとその杉山がそう言ってくれてるんだから本当なんだろう、と思うことにした。
私はちょっと伸びをして背中を伸ばした。
「なんかさー、」
「ん?」
杉山が横目でこっちをみた。自分から口を開いておいて、何が言いたかったのかよく分からなかったので、何となく言った。
「楽しいね、映画部。」
杉山はちょっと下を向きながらけらっと笑った。
「そうだね。」
もう一度伸びをして、呼吸をしてみた。空がある。色が濃くなってきて、藍色に少し緑を混ぜたような色でうすぼんやりと発光してる。周りを見回してみる。車がすいすいと滑っていく国道、ナトリウム色の街灯、白すぎるコンビニ、何かに取り残されたみたいなボロ家、干しっぱなしの洗濯物、左を歩く杉山、ちょっとよれたワイシャツ。
あぁ、なんか、あるなぁ。ちゃんと。
今までのっぺりして、二次元に見えた周りの空間が、目の前でしっかり存在してるように急に感じた。
「俺も良かった、こういうのやってみたかったし。」
杉山が口を開いた。声はちゃんと青っぽい空気を突き通って私の耳に伝わってきた。
「映画作り?」
「そう。っていうかこう、みんなでなんかやる、みたいな。」
「今まで無かったもんね。」
「そうそう、活動少ないし…去年とか酷かったしね。」
「そうね。」
「3年間だらだらっと終わんのかなーと思ってたら、こういうことできてさ。しかもなんかすごく青春っぽいじゃん、みんなで映画作りなんて。」
「うん、ぽい。」
「うん。だから水野が言い出してくれて良かった。」
「ふふふ。」
そもそもは植山さんが見つけてきた昔の映画部の脚本がきっかけだった。どこかに本編のビデオが残ってないかな。どんな映画だったのか、観てみたい。
「みんな、楽しんでくれてるのかな、映画部。」
杉山が再び、急に口を開いた。
「どうして?」
杉山はちょっとうつむきながら言った。
「一昨年の映画部、すごい楽しかったじゃん。」
「うん。」
「一応部長だし、三年生だから、あの代の先輩がしてくれたことを、なるべくみんなにもしようとしてるんだけど、いかんせんコミュ障じゃない。」
「うん。私もだけど。」
「うん。だから、伝わってるか不安になってさ。後輩たちに。去年の映画部は本当に黒歴史だったから、絶対ああいう風にはならないようにしようと思ってるんだけど、結城さんたちみたいな行動力がないんだよね、俺。」
私は、ちょっと考えてみた。
少なくとも、私よりはよっぽどあると思うけどな、行動力。私が動けなさすぎるのかもしれないけど。杉山はなんだかんだ色んなことをしてくれるし、少なくとも私は、そういうところを頼りにしているつもりだった。
「でも、私が映画撮ろうって言い出した時、すごい乗ってくれたし。色々調べてくれたりして、すごい動けてると思うよ、杉山は。私とかよりも、ずっとアクティブだって。」
「いや、最近の水野はすごいよ。脚本とか、監督まで引き受けてくれてさ。」
どう反応して良いか分からなくなって、私は黙り込んでしまった。杉山が声をださずにふふっと笑った。
「俺も頑張らないとなー。」
だんだんと人通りが多いところへ出て来た。蛍光灯ののっぺりした明かりが地面を照らしている。もう駅だ。横断歩道の向こうに改札口が見えた。
「じゃあね、また明後日。」
「あ、うん。じゃあね。」
私は横断歩道の前で立ち止まり、杉山はそのまま道を歩いていった。杉山が急に吐いた弱音が私の脳に貼り付いていた。
杉山は、いつも何を考えているんだろう。
私はかばんのポケットから水色の定期入れを出して、信号の赤い光を、目のピントを合わせずに眺めていた。

2017年9月18日公開

作品集『ナツキ』第7話 (全20話)

© 2017 ムジナ

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