フィルム・ノワール はじめの10選

破滅派21号「ノワール」応募作品

藤城孝輔

評論

8,974文字

破滅派21号「ノワール」応募作。

まず誤解してはいけないのは、「フィルム・ノワール」(film noir、黒い映画)という語がフランス語由来だからといってフランス映画を指すわけではないことだ。

第二次世界大戦中、ナチスの占領下にあったフランスではアメリカの映画が規制されていたが、戦後になるとそれまで見ることができなかったハリウッド映画の奔流が一気に映画館に押しよせてきた。一九五〇年代のフランスの批評家たちが当時のハリウッドでは単なる職人と見なされていた映画監督に作家性を発見し、監督こそが映画の作者であると主張するようになったのも、一人の監督が手がけた複数の作品が同時期に相次いで公開されたことで主題や作風の連続性が顕著に見いだされたためである。

そんななか、独特の世界観と映像の質感をもったハリウッドの低予算犯罪映画がフランスの映画批評界隈で「フィルム・ノワール」と呼ばれるようになった。「魔術的リアリズム」と七〇年代のラテンアメリカの文学、「ロード・ムービー」と六〇年代のアメリカ映画といったように、ある種のジャンルは特定の時代や文化とわかちがたく結びついている。フィルム・ノワールの場合は、四〇年代のアメリカというコンテクストから切り離して考えるわけにはいかない。

『タクシー・ドライバー』(マーティン・スコセッシ監督、一九七六年)の脚本や『アメリカン・ジゴロ』(一九八〇年)などのネオノワール作品で知られる映画監督・脚本家のポール・シュレイダーは、論考「フィルム・ノワールに関するノート」(“Notes on Film Noir”、一九七二年)のなかで、フィルム・ノワール成立の歴史的な条件を四点挙げている。第二次世界大戦中から戦後にかけて蔓延した幻滅感、戦後映画のリアリズム、ドイツの影響、そしてアメリカ国内におけるハードボイルド文学の伝統である。

一九三〇年代の世界恐慌以降、アメリカ社会ではギャング映画やハードボイルド小説のバックボーンとなる退廃的な価値観が醸成されていたが、戦争がはじまり愛国的なプロパガンダがメディアを席巻すると、そういった闇の部分は一時期影をひそめた。だが、戦後、戦地で兵士たちが目にした悲惨な現実が世間に広まるにつれ、戦勝の浮かれ騒ぎは幻滅へと変わっていった。

イタリアのネオレアリズモや日本の独立プロの作品などリアリズム映画が各地で流行したのも、戦後社会の現実をありのままにとらえようとしたからである。都市の荒廃をドキュメンタリー・タッチで描いたジュールズ・ダッシンやヘンリー・ハサウェイを戦勝国アメリカにおけるリアリズムの例としてシュレイダーは挙げているが、テネシー・ウィリアムズやジョン・オズボーンといったリアリズム演劇の勃興とそれに伴うマーロン・ブランドらメソッド演技法を学んだスターの映画界への参入もこの流れに含めることができるだろう。

他方、戦争によりヨーロッパから多数の映画人がアメリカに亡命してきた点も、フィルム・ノワールの誕生に欠かせない要因である。ハリウッドで職にありついた亡命映画人たちは、一九二〇年代のドイツ表現主義や三〇年代フランスの詩的リアリズムといったヨーロッパ映画の潮流で培われた美学をアメリカ映画にもたらした。とりわけ、精神分析理論の発達とともに花開いたドイツ表現主義は、登場人物の不安や恐怖を陰影の効果で表すフィルム・ノワールに直接的な影響を与え、ノワール独特の暗鬱な雰囲気を生みだしている。

ハードボイルドと呼ばれる、レイモンド・チャンドラー、ダシール・ハメット、ジェームズ・M・ケインらによる感傷を排した犯罪小説は初期のフィルム・ノワールにおいて格好の素材となったが、人間の心理を映像で表現しようとしたドイツ表現主義と同様にノワールもしだいに異常心理の描写に向かっていく。五〇年代に入ってからのノワール作品の多くがサイコパスや狂人を中心に据えるようになったのも、亡命映画人を介してハリウッドがドイツ映画から引き継いだ遺産だといえる。

ノワール作品で活躍した女優、ローレン・バコールは「あなたが見たことがない限り、それは古い映画ではない」という有名な言葉を残している。モノクロ映画がモノクロであるというだけで問答無用で忌避されるようになった今日、モノクロームの美学を追求したフィルム・ノワールに熱狂するのは一部のシネフィルに限られるのかもしれない。白黒の映像を見続けるのが苦手な向きには、『ロング・グッドバイ』(ロバート・アルトマン監督、一九七三年)や『チャイナタウン』(ロマン・ポランスキー監督、一九七四年)といったネオノワール作品から入るのも悪くない。

しかし、本稿ではあえて一九四〇年代から五〇年代半ばのオールド・スクールなノワール作品を紹介することにした。フィルム・ノワールを理解するうえで、まずは本来の歴史的なコンテクストを踏まえることが大事だと考えたからだ。それに、先に正統派を知っていればこそ、ネオノワールをはじめ後世の映画におけるオマージュや引用をよりいっそう楽しめるというものである。たしかにバコールの言うように未見の映画はいつまでも新しいままだが、歴史というレンズを通すことで古いと見なされた作品の新しい意味に気づくこともある。

以下に挙げた一〇作はいずれもよく知られたノワール作品であるが、決してフィルム・ノワールの全体像をカバーしているわけではない。なので、ノワールという暗い深淵へと向かうほんのささやかな入り口として理解してもらいたい。同一の監督の作品は複数とりあげないというルールを課したため、重要な作品がいくつも漏れている。『深夜の告白』(ビリー・ワイルダー監督、一九四四年)や『復讐は俺に任せろ』(フリッツ・ラング監督、一九五三年)、『黒い罠』(オーソン・ウェルズ監督、一九五八年)といった傑作の数々を無視するとは何事かとシネフィルには怒られかねないが、すべての読者を満足させることはできないので勝手に怒らせておくしかないだろう。

ちなみに、一〇作とも二時間以内に収まっている。簡潔さもまた、近年の映画が忘却してしまった美点の一つである。

 

『マルタの鷹』(“The Maltese Falcon”、ジョン・ヒューストン監督、一九四一年)

ジョン・ヒューストンの監督デビュー作であり、フィルム・ノワールの最初の作品として位置づけられることも多い金字塔的な映画である。ダシール・ハメットの一九三〇年の小説の映画化としては三作目であるが、もっとも有名なのは本作である。

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2024年4月26日公開

© 2024 藤城孝輔

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