タクシードライバー(6)

タクシードライバー(第6話)

サムライ

エセー

1,657文字

タクシー・ドライバーは孤独な仕事。そして、車窓を流れる大都会の風景にも、どこか人々の孤独の影が垣間見える。都会に浮かぶヘッドライトとそこに映る人生の陰影と。人々との一期一会を通して社会と人生を眺める。

夜が怖い(秋葉原事件に思う)

 

木曜日午後8時 上野公園~秋葉原

 

 

私は夜が怖い。正確には夜の公園が怖くてならない。そこには、死の影がある。私は夜をおそれる。夜の公園の静寂をとりわけおそれる。

 

水の音が聞こえる。公園の片隅の薄汚い公衆便所、悪臭の底に水の音がかすかに流れる。浮浪者達が無言で洗濯をする、わびしい夜の音。

 

傍らには段ボールの不潔な寝床。便所のひさしの下で、今宵の夢路に何を見るつもりだろうか。それは家族のなつかしい面影かも知れないし、少年時代の甘酸っぱい幻影かも知れない。

 

彼らに尋ねたい、君らは夜が怖くないのかと。あてどなく街をさまよい、公園のベンチから己を照らす街灯にじっと見入るとき、死の影が君の魂を鷲づかみにする。その瞬間、わっと叫びたくはならないかと。恐怖から、わっと叫びたくはならないかと。

 

私は叫んだよ。君らのように夜を過ごしたあの日々、無慈悲な水銀灯の光から目をそらし、わたしは草場に広がる闇を見つめた。だが、黒々と口を広げる暗い空間は、未来や将来をその深淵に呑み込み、ただ果てしのない虚無へと続くばかり。

 

お客さんが言ったよ。

「多摩川が増水した時ね、ヘリが出動して川中に取り残された人を救出したんだよ。ロープにぶら下がっていたのは浮浪者だった。猫と一緒にしがみついていたんだね。僕はそれをテレビで見ていてね、ロープを切っちゃえばよいのにと思った。あいつらを助けたってだめさ、どうせ路上でしか生活できない輩なんだから」

 

バーバリーを着込んだそのお客さんはそう言ったよ。高級焼肉店でたらふく食った後で、ニンニクくさい息の下から、舌三寸でそうほざいたよ。

 

私は言ってやりたかった。あんたは夜の恐ろしさを知らないと、行き場のない者たちが集まる、あの公園の真の恐ろしさを知らないと。そして、あんたは運命の恐ろしさを知らない。あんたが明日公園で夜を迎えないと、誰が言えようか。大食漢のその紳士に、私はそう言ってやりたかったよ。

 

あるお客さんはこうも言ったよ。

「久しぶりに帰国したんだが、この国は元気がないね。有楽町でも新宿でも、皆うつむきながら道を歩いている」

 

そのお客さんには道行く人々が灰色の顔をしている理由がどうしても分からなかったのだ。だから私は教えてあげたよ。

「みな不安なんです。きょうは平穏無事でも明日はどうなるか分かりませんので。たとえいま笑っていても、いつまで笑顔でいられるのか分からない。だから誰も笑わないんです」

 

君は渋谷に行ったことがあるだろうか。華やいだ街だね、あそこは。一晩中街灯が辻を照らしていて、ひねもす影というものがない。人々の表情が明るいのは東京では渋谷だけだよ。腰の曲がったじいさん、ばあさんだって、ふだんの気むずかしい顔つきを忘れてにこにこしているよ。若い人が多いからかも知れないね。

 

なに、行ったことがないって、あかじみたシャツと破れた靴ではとても歩けないって言うのかね。でもごらん、夜通しやっている喫茶店から、いま若者が出てきただろう。彼の目は笑っていないね。なぜなら、彼もまた、夜の恐ろしさをよく知っているからだよ。夜ごと喫茶店の染みの浮いた天井を見つめて、自分の暗い未来に恐れおののいているからだよ。

 

人間の心にはみな刃が潜んでいるね。君も私も、そして喫茶店から出てきたあの若者も、心によく切れる刃物を持っている。夜の恐ろしさを知る者の刃はとりわけ鋭いんだよ。なぜだか分かるかい。自分を滅ぼすことに、もうそれほど苦痛を感じないからさ。生の終わりを迎えるとき、この恐ろしい夜もともに滅びるのならば、己の死など、もうどうでもよいのだよ。

 

夜は怖いね。夜の怖くない国に行ってみたいね。でも、それは夜のない国なのかも知れないね。

2008年12月8日公開

作品集『タクシードライバー』最新話 (全6話)

© 2008 サムライ

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散歩 日常 最終回

"タクシードライバー(6)"へのコメント 1

  • ゲスト | 2008-12-17 04:02

    心に突き刺さる言葉ですね。この国には、もうちょっと優しさが必要だと思います。

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