タクシードライバー(3)

タクシードライバー(第3話)

サムライ

エセー

1,400文字

タクシー・ドライバーは孤独な仕事。そして、車窓を流れる大都会の風景にも、どこか人々の孤独の影が垣間見える。都会に浮かぶヘッドライトとそこに映る人生の陰影と。人々との一期一会を通して社会と人生を眺める。

女占い師

 

 

世の中には、不思議な力を持っている、と自ら主張する人がたまにいるものである。以前わたしが乗せたお客さんの中にもそんな変わった人物がいた。

二年前の秋のことである。その夜は小雨まじりのぐずついた天気で人出が少なく、タクシーはみな客を探すのに苦労していた。新橋から赤坂方面へ延びる外堀通りも、空車表示の車がエンジン音を空しくとどろかせ必死に走り回っていた。そして、私もまた、多くのタクシーと一列に並ぶようにして、人影まばらな夜の街を当てもなく流していた。

突然、ヘッド・ライトの光の中に女の姿が白く浮かび上がる。細い手がためらうようにわずかに挙がった。暇に任せて速度を上げていた私はあわててブレーキを踏んだ。

ドアを開けると三十代後半と見受けられる白いパンツ姿の女性が乗り込んできた。束ねた長い髪から女の香りがほのかに匂い立つ。「すいません、代々木上原まで」すっきりとした面差しがわずかに上気している。

「かしこまりました」やっと仕事を見つけほっとしたのか私の声は少し上ずっていた。表参道の方角へ向かう道中、ほろ酔い加減の女の雑談にも、いつもより愛想良く応じる。

やがて、女が急に真剣な調子に声音を変えて言った。「あなたは諦めている、いえ、捨てている」

「えっ、何を捨てていると言うのですか」

「人生をよ」私の背中をじっと見つめる女の気配。「私って霊感が強いの。自分の前世も見たことがあるわ」

しばらくの沈黙の後また女が言った。「死のうと思ったことなんて私だってあるわ」

私はミラー越しに女の白い顔を見た。なぜ他人の過去が読めるのだろうか。仕事もなく、夢もない日々、私は確かに死をこいねがったことがある。静かなエンジン音の中で私は苦い日々を思い出していた。

車は表参道の黒々と揺らめくケヤキの並木道を抜け、代々木公園付近へ差し掛かっていた。深町交番の赤い灯がひどく侘びしげだった。代々木上原の駅まであとわずかだ。

女が唐突に言い出す。「わたし経堂まで行こうかしら、まだ電車があるけどもう少し話していたいわ。だって、あなたはきっと前世で逢ったことがある人だもの」

光栄に思いつつも私は言った。「運賃が、だいぶかかりますが」

「別に構わないわ。だけど欲がないのね」

実は当時駆け出しだった私は、世田谷の複雑な道が不得手で、ただあまり行きたくないだけだった。

「その純粋さを失わない限り、一年以内にあなたはある人に出会いもう一度転職します。今度は人の役に立つ仕事を選ぶでしょう。このままでいいやと思ったら、あなた運転手で終わっちゃうわよ」

人にはそれぞれ居場所がある。ある意味でそれは社会が決めるものである。世間が、おまえはタクシー・ドライバーとして生きてゆけばいい、そこがおまえの居場所なのだから、と言うのであれば、浮き世の身をこの四角い箱の中に埋めるのも別に悔いはない。

女は思ったより酔っていた。経堂の街に入っても道を正しく指示できない。やむなく人波のいまだ途絶えない繁華街を、メーターをおそるおそる覗きつつぐるぐると周回する。

長い道草の末、ようやく、車は白い高級マンションのエントランスに入った。

「きょうはありがとうございました、また乗ってください」

「ええ、必ず乗りますよ」と、女がまるで未来を見透かしたかのように答える。

だが、二年たった今も女には二度と巡り会わないし、私が転職をする兆候もいまだにない。

2008年9月16日公開

作品集『タクシードライバー』第3話 (全6話)

© 2008 サムライ

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