川上にある町

合評会2023年07月応募作品

小林TKG

小説

4,400文字

二人の名前は、今人気の女子の名前だそうです。調べたら出てきました。

母もその母もその町に住んでいた。優衣もその町に住んでいた。優衣はその町が好きではなかった。すごく田舎だったからだ。すごく田舎に感じたからだ。学生の頃その町を出たくてたまらなかった。

ヘルメットをして自転車で学校に向かっていたある時、優衣はその町を出る決意をした。通学路の途中、橋の途中で自転車を止め、欄干からその下を見た。そこには川が流れている。上流の町。川上にある町。至る所に大きな岩が転がっている。川底が見える。川の流れは穏やかだった。いつもそう。雨の日も川の水量はそう変わらない。いつもそう。夏、暑くなっても川には一定量の水が流れている。土曜、日曜になると釣り人がやってきて、川に糸が垂らされる。それが水や光に反射してキラキラと光る。

「いつもそう。いつもそう」

 

優衣は大学進学の為に都会に出た。父も母も反対はしなかった。

「こんな田舎にいても将来、仕事も、どうにもならないだろうしなあ」

初めての一人暮らしは優衣にとって新鮮で楽しい事に溢れていた。テレビのチャンネルが川上の町よりも多かった。電車もひっきりなしに走っていた。人も沢山いた。色々な人が居た。バイトもしたりした。

 

しかし都会に住んで半年もすると朝日と共に目を覚ますことが無くなった。お腹が、腹痛を感じることが増えた。自然の香り、においがしなく、感じなくなった。川上の町にいた頃は嫌でも感じていたものが感じなくなっていった。季節の移ろい方や、光量の変化、空気の変わりよう、そういうものを感じなくなっていった。

 

大学三年の初秋、父が死んだ。大学もバイトも一週間ほど休んで川上の町に帰った。父はこれから火葬場に行くという所だった。父の死は突然だった。仕事が終わって帰る時、車に乗ろうとする時に何の前触れもなく倒れてそのまま意識が戻ることなく、死んでしまったんだという。母は憔悴していた。

優衣は父が焼かれている間、火葬場の外に出て池、水たまりが火葬場の前にあった。その縁にしゃがんでそのまま暫く過ごした。前の年の夏に帰省した時の事を思い出していた。勝手知ったる町。川上の町。優衣が出て行った時と何ら変わりのない、代り映えのない町。その時の事を思い出していた。

夜、晩御飯が終わってから、なんでか坂下にコンビニが出来たという話になった。それでなんでか行ってみようという事になった。家族三人で歩いてローソンに行った。途中、学生時代に自転車で行って帰ってを繰り返していた橋も渡った。なんてことない橋だ。特に面白いわけでもない。特徴もない。車道もあって、歩道もある。普通の橋。川上の町と同じ。なんてことない。いつも同じの。いつも一緒の。

 

「今日は涼しいな」

前を歩いている父がそう言った。優衣はずっと並んで歩いている母親と何かを話していた。何を話していたのかは覚えてない。思い出そうとしても思い出せない。思い出すのはその時の母親の顔。夜になった川上の町。夜になった川上の町の風景。車道。歩道。橋。欄干の下を流れていると思われる川。その周りの砂利。岸。土日になると釣り人が大量発生する川辺。川べり。夜空、星。風、風が揺らす木々。木々の音。前を歩く父の背中。街灯。父の背中。

「あ、」

優衣が立ち上がると、母親が火葬場のガラス越しに優衣に手を振っていた。火葬が終わったらしい。いつの間にか二時間経っていた。火葬場の係の人に最初に言われていた、

「二時間ほどお待ちいただきます」

その二時間。

 

大学を卒業した優衣はそのまま都会で就職した。休暇の度にこまめに実家に、一年に一回は必ず川上の町に帰省した。ある時の帰省の際、駅の改札がsuica対応になっていて驚いた。ある時には駅前に大きなスーパーマーケットが出来ていた。

「この辺もまた変わるのかしらねえ」

ちょっとした買い物の帰りの車の中で助手席に座っていた母親はそんな事を言った。変わる。変わる。どうなんだろう。どうなんだろうなあ。変わる。変わるってなんだろう。変わる。変わる?

優衣はその時不意に腹痛を感じた。都会に居た時しか感じなかった腹痛。彼女は車を路側帯に停めて外に出た。ガードレール。山の中の道。片側、運転手席側にはのっぺりと山、その斜面が広がっている。反対側、助手席側にはガードレール。その下に川が流れている。流れていた。川。ゆったりと道に沿うように、時には交差するようにして、川。川が。川上の町の川とは違う。あの橋の下を流れる川よりも水量もある。でも川底は見えない。砂利、川べりはある。釣り人もちらほらいる。変わる。変わる。

優衣はそれを眺めた。しばらく眺め続けた。父の背中を思い出した。あの夜。あの夜の。気が付くと腹の痛みは治まっていた。

 

それから暫くして、優衣は子供を産んだ。都会で知り合った男性との子供。女の子だった。愛真と名付けた。その男性との結婚は色々あってしなかった。色々あって。色々とあった。本当に色々とあって、そうなった。それからまた少しして、母親が死んだ。その母親の死をきっかけに優衣は実家に帰った。実家に。川上の町に。仕事も辞めて、娘と二人だけで。彼女は川上の町に帰った。

優衣が地元に戻ってまた少し経った頃、愛真が死んだ。

 

優衣がその知らせを受けた時、彼女は家の掃除をしていた。すると突然に玄関の引き戸が喧しいくらいに叩かれた。外で誰かが大きな声で叫んでいた。父と母が生きていた頃は玄関に鍵なんて掛けたことが無かったらしいが、彼女は都会暮らしの経験から掛けるようにしていた。開けると、川上の町の若者、いや、若者なんてこの町には居ない。知らない、いや、どっかで、町で、何かで見たかもしれない男が何人か、もしかしたら学生時代の同窓生も居たかもしれない。男達がそこに立っていた。

 

十歳になった愛真は橋から下の川に落ちたんだという。川と岩のくぼみに引っ掛かって流されずに死んでいる寝間着姿の愛真を釣りに来た人が発見した。

 

愛真が死んだのは未明から明け方の事だと警察で言われた。朝、愛真ちゃんを見てなかったんですか。と、言われた時、まだ起きていないと思ったから掃除をしようと思った。と、優衣は泣きながら答えた。運動部の部活で疲れているんだろうと思ったから。愛真は陸上部に入っていた。だから寝かせてあげようと思った。と。家の裏口、勝手口のドアの鍵が開いているのを優衣は知らなかった。前の晩、寝るときに閉めたはずだと。絶対に鍵を掛けたはずだと。彼女はそう答えた。

 

その時分、世間にパッとしたニュースが無かった。だから川上の町、田舎の町で起こったその事件にマスコミは群がった。優衣の家にも連日そういう連中がやってきた。家の塀に花束や人形も備えられたりした。川の、愛真が死んでいた岩の所にも、橋の上、橋の名前が書かれている所にも。近所への聞き込みを行った映像がニュースに流れたりしたし。ヤフーニュースなどのコメント欄には母親が怪しいと書かれていたりした。

しかし愛真が死んでから一か月が経った頃、都会のマンションの一室で女性を殺して風呂場でバラバラにするという事件が起きると、潮が引くように誰もいなくなった。

 

優衣はその一か月の間、ずっと腹痛に悩まされていた。お腹が痛くなる。どうしてか。もう都会には住んでいないのに。どうしてか。そしてそれは誰もいなくなってからもおさまる事は無かった。トイレに行く度、下痢、軟便、水様便が出た。それでも、それが終わってもなおじくじくと腹は痛み続けた。

 

ある時、家のチャイムが鳴って、開けると二人の女が立っていた。知らない女であった。片方は化粧っけも無いような顔をしており、もう片方はなんだろう。なんて言ったらいいんだろう。アニメの様な顔をしていた。

優衣の顔を見るとその知らない二人の化粧っけのない方が、

「生前、愛真ちゃんと仲良くしていて」

といった。それは、その言葉はまるで、他人事のように優衣には聞こえた。歳だって全然違うだろう。その二人はどう見ても、娘とは十は違うように見えるけど。でも、それにしても、それが、それで、

 

しかし何故だか、優衣はその二人を家に上げていた。二人は仏壇の前に座って祈るわけでもなく、ただ、優衣と対峙するように座っている。居た。

「この度は、どうもすいませんでした」

そして二人して優衣に、優衣に向かって頭を下げる。下げた。優衣には意味が分からなかった。

「あなたがそうなってしまったのは、あなたのせいではありません」

化粧っけのない方が言った。

「あなたのそれは不具合なんです」

アニメが言った。

 

そう言われても優衣は困惑するばかりだった。お腹が痛くなるのを感じるばかりだった。

「いつもお腹痛くて大変ですよね」

アニメがそう言った時、何かに操られるように、引っ張られるように、優衣はその顔を見ていた。

「きらきらりーん」

すると、隣のすっぴんがいつの間にか両手を優衣に向けてそう言い放っていた。他人事のような。感情のない。

「あなた達は、いったい」

優衣は困惑していた。何か、でも、何かが、

「愛真ちゃんは今もうバナナの国の黄色い戦争ですから、大丈夫ですよ」

今、どっちが言ったんだろう。今。

「まあ、バナナじゃないとは思いますけども。でもあの歌詞の最後の一行ですから」

「だから、あなたも安心してこっち来てくださいね」

 

気が付くと優衣は一人、仏壇の前に座っていた。

仏壇の前には見覚えのないバナナが一房置かれていた。

優衣はふと、思い出したように携帯でさっきの二人が言っていた事を調べた。バナナの国の黄色い戦争。スガシカオ。歌詞が出てきた。最後の一行。

そのあとトイレに入ると、久しぶりに固い便が出た。固形の。立派な。今までどこに居たんだろうと思う位。

それから、夜、優衣はあの橋まで行って欄干から躍り出た。

 

墓の前にあの二人がやってきた。化粧っけのないのとアニメみたいなのが。二人は、

「パイセンの魔法のおかげで何とかなりましたね」

「いや、わたし別に魔法なんて使えないけど」

と話しながら墓に花とお茶を供えて、それから顔の前で手を合わせて、

「……」

「……」

目を瞑って祈った。墓前に祈りを捧げた。

 

違った。

 

その二人は祈ってなんていなかった。片方は小声で、水カンのアラジンのこすってからグラスターポリッシュまでの四回繰り返す所を。もう片方は、ずとまよのあいつら全員同窓会の最後の所。お疲れさまですから終わりの所までをぶつぶつと言ってるだけだった。

 

まるでそれを念仏のように。

 

あるいはそれでも、そういうのでも、そんなんでも祈り、弔いですと言わんばかりに。

 

追悼のように。哀悼のように。

2023年7月24日公開

© 2023 小林TKG

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"川上にある町"へのコメント 16

  • 投稿者 | 2023-07-29 20:17

    えー!!! ずるいです! 下痢でこんな物悲しくもTKGみのある話を書くなんて! えー!!! ずるい! 漏らさないのもアリなんですね。
    水カンの呪縛から解かれたのかと思ったらそんなことなかったです。ずとまよ本当に出てきて動揺しました。
    お疲れ様です風邪気味です冗談なのか本心なのか分からなさすぎ問題了解も災害も大嫌いって言ってたってことですよね? ラップ部分なので念仏としてもアリかもしれません。

    • 投稿者 | 2023-07-31 16:07

      感想いただきましてありがとうございます。
      前回の合評会の際、不意の角度を突いて、曽根崎さんにずとまよの話をされて、だから、あの時から、あの合評会の帰り道から、もう、
      「じゃあ、次は、水カンとずとまよと出さなきゃ」
      ってそれだけを考えましたよ。ホントに。この二か月、アラジンと同窓会を交互に聞き続けましたよ。一時嫌になる位。でも、また笑い転げられるのさあばらの骨が折れるまで。

      著者
  • 投稿者 | 2023-07-29 22:24

    そう言えば、母を火葬した時、泣き叫びながら点火スィッチを押して、それ以降、骨揚げまでの記憶が全然ないですね。肉親の死とその遺体の始末って言うモチーフが、TKGさんの作品に水晶のような核を形成しているのかなあと思いました。
    娘を亡くした後に出てくる謎の人物に違和感がない。魂の彷徨というのか、すでに彼岸に行ってしまったのだなと。
    下痢ネタで美しい話を書かれてしまった。参った。

    • 投稿者 | 2023-07-31 16:13

      感想いただきましてありがとうございます。
      去年、父の死を経験しまして。で、それが楽しくてですね。存外に。子供のころ以来の葬儀が楽しくて。棺に納める花の値段が高かったり。一応喪主もやって、火葬場に行く際に、助手席で遺影持ってましたし。火葬場の二時間待ちもなんか、静かで。想像とは違ったし。納骨の時も墓にうまい事骨が入らなかったし。だからまあ、その時の事をたくさん書きたいんですよね。鮮明で。これ、沢山話しかけるなあって思って。はい。新鮮で。ええ。

      著者
  • 投稿者 | 2023-07-30 09:26

    読んでいてTKGさんって純文も書けるの? でもどうせどこかでなんのこっちゃが展開になって読者を困惑させるんでしょ? なんて思っていた自分を責めたくなりました。純文って文章を切り取ってそれに共感したり意味を探るものだと勝手に思っていますが、「愛真は陸上部に入っていた。だから寝かせてあげようと思った」が私に響きました。

    • 投稿者 | 2023-07-31 16:16

      感想いただきましてありがとうございます。
      愛真を陸上部にしたのは、窮地の策でしたwww
      朝起きない。寝かせてあげようと思うなら、どういうのがいいのか。って思って。運動部かなあみたいな。そこ一回通り過ぎてから、その部分に違和感を感じたので、なんとかしないといけない。って思ってwww
      運動部って何ある?女子もやるのって何?陸上部かなあ。みたいな。そういう感じでした。危なかったです。

      著者
  • 投稿者 | 2023-07-31 00:12

    良いですね。Ghosts of the Tsunamiという東北大震災の時のことを書いたノンフィクションを思い出しました。小林さんは意外にも、と言ったら変なのですが、日本の土俗的な心性によく通じているのかもしれないという気がしました。『利他と流動性』以来、小林さんの作風に加わった新しい系列の作品の、ひとつの達成に思います。

    • 投稿者 | 2023-07-31 16:31

      感想いただきましてありがとうございます。
      すいません。まったく土俗的な心性には通じてないんですけども、でも何かあるとしたら、私が秋田の田舎の生まれっていう事かなと。多分。多分だけど。私が子供の頃はぽっくりとかも普通の言葉でしたしwww
      あとそれから、Ghosts of the Tsunamiが最初Ghost of Tsushimaに見えましたwww
      ごめんなさい頭の悪い事書いて。

      著者
  • 編集者 | 2023-07-31 16:33

    コメントを見てより理解が深まる。あまり経験したくないが、葬式が一種楽しいことに同感した。うんこネタでこの人物や場面の美しさ、天晴。うんこうんこ。

    • 投稿者 | 2023-07-31 16:43

      感想いただきましてありがとうございます。
      まさかみんなして、ぶっ放す話書かないだろうって思ってたんですよwww正直。
      自分以外にも誰かしら、なんか、ぶっ放さない人いるだろうって思ってたんですよ。そしたらみんなぶっ放すから……。
      だからあれんじゃないでしょうかね。相対的に綺麗に見えるだけなんじゃないかなあ私の話ってwww

      著者
  • 投稿者 | 2023-07-31 17:48

    主観人物が結局いないままで物語が進行して、まるでうんこの投げ合いのように主題を押し付けあって消えるように物語が消えていく様が、なんとも物悲しくて死にたくなりました。良かったです。

    • 投稿者 | 2023-07-31 19:03

      感想いただきましてありがとうございます。
      なんかこういう話になってしまったんですwww
      最初はいつも通り、私の書きそうな、よく書きそうな話を書こうと思ってたのに。
      なんかこんな事になってしまったんですwww

      著者
  • 投稿者 | 2023-07-31 18:06

     いつもながらの独特な世界観を描いているが、お題という最重要ルールを守っているとは思えなかった。

    • 投稿者 | 2023-07-31 19:04

      感想いただきましてありがとうございます。
      やっぱり盛大に漏らすべきでしたかねーwww

      著者
  • 投稿者 | 2023-07-31 19:53

    物悲しい田舎の悲劇と思いきや後半に出てくる不気味な二人が妙に生々しくグロテスクで……。妙にクセになる世界観でとても気に入りました

    • 投稿者 | 2023-07-31 20:07

      感想いただきましてありがとうございます。
      またいきなりあんなの出して、今回こそ怒られるんじゃないかと思ってましたよー。ありがとうございますー。

      著者
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