A.V.C.D&☮

合評会2023年01月応募作品

春風亭どれみ

小説

4,151文字

多くの食料資源に見られる問題のご多分に漏れず、ツナは海洋資源の乱獲、アボカドは多く水と土壌の栄養を必要とする為、貧困国の資源を搾取しているという観点から、活動家からターゲットにされることも少なくないそうです。どの食材にも栄養と毒の両方の要素があるように、社会や環境にとっても、同様の要素があるということでしょうか。難しいことは分からないにしても、せめてキチンと残さず美味しく食べたいものです。

いつの頃からであろうか、鏡に映る男のセンチメンタルがひどく滑稽に思えるようになったのは。

 

そう気付いてからというもの、中折れのパナマハットやら年季モノのカホン(叩くと音の鳴る木箱みたいな楽器と言えばピンと来る人もいるかもしれない)やらを一切合財手放し、かわりに野暮ったいシルエットのワイシャツやスラックス、安価なタブレットPCに囲まれて日々の生活をやり過ごすようになるまで、そう時間はかからなかった。例えばそこに、新しい家庭を持ったなど大きな決心が伴っているなら、また違うものなのかもしれないが、こんな漠然とした動機からの諦念では、時期が来たというだけで身の丈に合わない制服に着せられ、ひよこのような声色で「先輩、先輩」と鳴く12歳と中身はそう変わらないメンタリティーに違いない。「課長補佐 田崎慎哉」と書かれた名刺をケースにしまえば、なんちゃって企業戦士の完成だ。

 

生息地はインフラが錆び始めたオフィス街、隙間時間に食べる昼食は、アジフライ定食かコロッケの乗ったかけそば。なあに慣れればかえって居心地のよいものである。

 

その証拠がかつて庭としていたはずの街を歩いているのに感じるこのそぐわなさである。CDも碌に売れない時代のはずなのに厚底のローファー姿の女の子たちで妙に賑わうレコードショップ、マカロンやカヌレが回転寿司のように流れるデザートビュッフェ、路地でシートを敷いて自作の詩を売るピンクのインナーカラーばかりが目に入る青年。いったいどこに身を置けばよいのやら、往年のセンチメンタルが顔を覗かせる隙すら与えない。

 

できればこの土地を再訪することすら避けたい気持ちでいっぱいであったが、お得意先の輸入小物のショールームがこの地に出店している以上、仕方のないことである。弊社の事業内容はホームページに眩暈がするほど記されているので、そちらを参照していただくとして、今自分自身が担っている課長補佐という肩書に課せられた使命を身も蓋もない言い方で纏めるなら、部下の代わりの謝罪中年である。「責任者を出せ」の声にちょうど都合の良いなんちゃって責任者。なんちゃって企業戦士のコスプレを謳う自分には、もはやそれは天命と言えるであろう。

 

とは言えど、いくら仕事であると言えども、今日は流石に気が滅入った。シルバニアファミリーの赤い屋根を彷彿とさせる外観の店で、木目とパステルカラーの可愛らしい小物たちに囲まれ、お天気お姉さんのような風貌のオーナーに小一時間詰められ続けると精神の疲労でここまでくたくたになるものかと感じる。飯でも食って気を取り直し、とっととこの街を去ってしまいたい。

 

どこかに前髪がすかすかの中年が相対しても違和感を覚えないマスク越しにもほうれい線の分かる店員さんがいる飯屋はないものか、こういうファッション文化を気取ったアーケードに限ってチェーン店の牛丼屋などがなかったりするから困ったものである。昔はもう少し飯をかきこめる、ご飯屋さんなんかがあったはずなのに。

 

生存戦略の為だろうか、シャッター街になるのを免れ、生き延びている街並みはどこもそれぞれコンセプトを決め、それを演じている。スマートフォンで思い出した店名を地名とスペースの後に打ち込み検索しても、殆ど何もヒットしない。閉店を知らせるページすらないのだから、結構前にどこも潰れてしまったのかもしれない。画像の方でかつていきつけであった店の名前を検索すると、在りし日の街並みとともに想い出の味と称してホルモン炒めの写真をアップした個人ブログに当たる。今のように、ご飯を差し出されると、まずカメラアプリを起動する人も珍しくない時代でなく、観光地のご当地グルメでもない一端の定食屋のホルモン炒めを軽く見積もっても20年近く前に写真に収めていた人はいったい何者なのであろうという疑問も浮かびはしたが、それ以上に心に懸ったのは、この定食屋を切り盛りしていたおばちゃんのことであった。自分が夢を追い、世間体には苦学生という身に甘んじていた当時で、既に50歳前後に見えた、割烹着姿がバッチリ様になっていたあのおばちゃんは今いずこ。

 

昔とは言っても、当時でももう21世紀を迎えており、若者はツッパらず、スカしているのが常であった。おばちゃんのあけすけな物言いや立ち振る舞いは既に前時代的なものになっていた。当然と言えば、当然である。今現在、自分にとって一番身近な50歳前後といえば、直属の上司に当たる愛原課長であるのだが、彼のモノの捉え方や価値観を思い浮かべても溜め息をつくだけになるので、考えるのをやめた。当時は少々厚かましく感じ、煙たかったおばちゃんのコミュニケーションがなんだか恋しく思える。

 

スマートフォン上に地図を広げながら、気が付けば店のあった場所まで足を運んでいた。とうに店が無くなっていることは知っていた。その跡地は今、液晶画面の修理ショップになっていることも、その店の前にはそこそこ繁盛し、若い顧客から高い星の評価を貰っているクレープ屋の屋台があることも、調べればすぐに分かることなのに、どういう訳かその場所まで足が勝手に動いていた。

 

(とは言ってもなあ……クレープって腹でもない。甘い物より、まずは炭水化物だ)

 

中途半端な時間であるせいもあって、休日のお昼や三時頃には行列が出来るというクレープ屋の前に、並ぶ客は3,4人程度で食べようと思えば、すぐにありつける雰囲気ではある。この時間、ラーメン屋なんかは中休みになっていたりして、結局何も食べられずにオフィスに戻ってコンビニ飯ということにもなりかねない。飯くらい安寧の気持ちで頂戴したいものである。いっそクレープを食べてしまうべきか否か、暫く悶々としていると、殆ど金切り声に近い呼び込みの啖呵が耳に飛び込んだ。

 

「お兄さん! 迷っているなら、食べてきな、美味しいよ、うちのクレープは」

 

お兄さんという齢はとうに超えているが、辺りには自分以外にそれらしき人もいない。指名して人を呼び込むなんて、断りにくいったらありゃしない。なんて厚かましい店員だろう、そう額を上げて、声のする屋台の方を見たら、その理由がすぐに分かった。クレープ屋の屋台には、あまりにも似つかわしくない皺だらけのおばあさんが目を細めて立っていた。マスク越しにもほうれい線どころか、皺だらけであろう顔の全体像がありありと浮かんだ。何故なら、そこには面影があったから、あのおばちゃんのニカッと笑う大きな口元の記憶が呼び覚まされたから。

 

「お兄さんなんて、歳じゃあないですし。おじさんにはスイーツの代表格みたいなクレープは、その……」

 

「何バカなこと言ってんの。そしたら、クレープを売るババアなんてどうなっちゃうんだい。それに今はね、デザートばかりがクレープじゃあないんだよ。これなんかどうだい、ツナとアボカドのクレープ。食べ応えもあって、お腹にたまるよ」

 

「ツナアボカドですか……ツナはよくシーチキンのおむすびなんかをコンビニで買ったりしますが、実は食べたこと、ないんですよね。アボカド」

 

頬を掻いて苦笑いすると、おばあちゃんはキョトンと目を丸くした。「え、アボカドだよ、アンタ、ゴーヤかなんかと勘違いしていないかい」とでも言いたげな表情だ。しかし、こんな推され方をしてしまうと、他に選択肢がない。気が付くと、ツナアボカドのクレープを一つ、さらに搾りたての100%アップルジュースまで注文している自分がいた。

 

クレープの生地の中に織り込まれたツナと小エビ、仄かに香るサウザンドドレッシングのにおい。はみ出たレタスはシャキシャキと歯応えがありそうで、そこから少し顔を覗かせている緑のアーチのこれが、そうか、アボカドか。確かに見るからに美味しそうである。

 

「絶対、お兄さんの口に合うよ、太鼓判。それとハイ、アップルジュース。ちょいと待ちな、今からおまじないだ」

 

そう言うと、おばちゃんならぬおばあさんは蓋つきタンブラーにでかでかと一文字、「☮」のマークだけを記して、自分に寄越した。おばあさんには、あまりに不釣り合いな舶来のアイコン。その記号が持つ意味をどれだけ分かっているかも定かではなかったが、その後に添えられた一言にドキッとした。

 

「お兄さん、よくこんなのが書かれたステッカーでベタベタの木箱を持ち歩いて昔、アタシと爺さんがやっていた定食屋に来ていたでしょう。でも、うろ覚えの見様見真似だから、字が間違っていたかい?」

 

「いえ、間違ってはいないです。けれど、自分でも忘れていたようなことを……よく覚えてくれていましたね」

 

「なあに、婆さんにはお兄さんが学生さんだった時代でも、つい最近のように思えちゃうだけだよ。自分ではすっかり齢をとっちまったって、思っているかもしれないけどもね。どんな仕事もやることは一緒さ。結局、そこは変わんないよ。定食がクレープに変わったアタシが言うんだから、そこは保証済み」

 

ニカッと変わらない笑みを湛えるおばあさんに全部見透かされていたような気がした。

 

公園のベンチに腰掛け一人、クレープを貪っていると、アボカドというものが自分の想像したものと全く違うものであることを知った。思っていたよりももっちゃりとしていて、味のない南瓜とでも言うべきか、クレープの生地と同様、謙虚な印象を覚えた。そして、どこかで出会ったことのある食感……スマートフォンの履歴をスクロールして、もう一度、ブログの写真を眺めると、ホルモン炒めの隅にさり気なく、しかし、アボカドは確かにそこにいた。

 

(一杯、食わされたなあ……こりゃ)

 

自分があっという間にツナアボカドのクレープを平らげたのは言うまでもない。問題は残された「☮」が書かれたタンブラーだ。これを持ったまま電車に乗るのはあまりにも、気恥ずかしい。そういえば、最近は街のどこにもくずかごがない。

2023年1月22日公開

© 2023 春風亭どれみ

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"A.V.C.D&☮"へのコメント 13

  • 投稿者 | 2023-01-24 20:14

    原宿かな? 「センチメンタルがひどく滑稽に思えるようになった」ではじまりつつも「そういえば、最近は街のどこにもくずかごがない」というセンチメンタルなオチに帰着するところがいい。

  • 投稿者 | 2023-01-25 22:31

    好きでやってたことが、こんなの単なるファッションなんじゃないかって思って嫌になって、そうなると他人のファッションにいちいち突っかかるようになったりとか、すごく覚えがあって共感して読みました。
    門外漢からの肯定が妙に嬉しいのも覚えがあります。

    アボカドのお話への投入も見事です。

  • 投稿者 | 2023-01-27 17:49

    渋い。渋いですねー。渋いですねー(強調)。あと二、三回、行ったら、なんとなくふらっと行ったりしたら、楽器買い直しそうだけど、でもそうじゃなくてもいい。もう行かなくてもいい。ここで終わってくれるのがいい。適量だと思います。

  • 投稿者 | 2023-01-28 05:24

    20年経って会社員生活が体に馴染んでも、どこかでずっと生き続けている ”あのころの自分” が今の自分を偽物のように思わせる。
    どっちも本物で、どっちもいていいよと、ほどよい加減で踏み込んでくれるおばちゃんが素敵でした。

    話の進む方向は全然違うのですが、サラリーマンが、かつて夢追うバンドマン時代に通いつめた、夫婦で営む定食屋を久々に訪れるという東京03のコントを思い出しました。

  • 投稿者 | 2023-01-28 16:21

    「センチメンタルがひどく滑稽に思える」のに、センチメンタルに浸りきった男の話。
    主人公、そのうちまた原宿を庭にしそうに思えた。

  • 編集者 | 2023-01-28 18:38

    甘くないクレープ、まだ食べたことないですが気になります。ピースマーク、流行りましたね。すべてがノスタルジックでした。

  • 投稿者 | 2023-01-28 23:52

    20年ほど前通った場所を再訪するという設定だからでしょうか、実際2000年代のJPOPの歌詞やMV的な雰囲気を感じました。具体的に言うとファンモンとかケツメイシみたいな、曲の始まる前から終わった後までドラマ仕立てになってるMV的な。春風亭さんの御作はどれも特徴的な明るさがあって自分は好きなのですが、クレープ屋に転身したおばあさんが主人公を元気づけて終わるのは少しうーむと思ってしまいました。

  • 投稿者 | 2023-01-29 13:24

    青春の夢を捨てて心ならずもしがないサラリーマンとなり、面白くもない仕事をこなす冴えない日々、街角でふと若いころ通った定食屋の女将に再会。
    昔の人情劇そのまんまの内容なんですが、ちょっとけだるく妙に明るく都会的に仕上がるところが作者の個性なんですね。
    おそらく爺さんが死んでしまって定食屋をたたんだのだろうけど、それでもめげずにクレープの屋台を開いちゃうたくましい婆さん、「あんたなんかまだまだ若造だよ」なんてついつい説教かましちゃう婆さん、絶滅危惧種ですね。私も説教されたい。

  • ゲスト | 2023-01-29 15:44

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  • 投稿者 | 2023-01-30 02:50

    良い婆さんでした。婆さんが健在で本当に良かった。
    ノスタルジーですね。食べたことのない新しい味と思っていたアボカドも実は思い出の味だった、そこに安心と不安両方を覚えました。婆さん同様町が変わっても変わらない思い出に出会えて良かったという気持ちと、どこまでいっても新しい物に出会えないのかもという気持ちと。
    アボカドの描写が美味しそうでした。アボカド以外もおなかが空く描写で上手いなぁと思いました。

  • 投稿者 | 2023-01-30 11:57

    たいへん美味しゅうございました。小説ってやっぱりこういうんじゃないとね。なんかあらすじだけドヤ顔で読まされたあとだから、人間がちゃんと人間に描かれている物語を読むと、いいなあって思ってしまいます。

  • 投稿者 | 2023-01-30 14:47

    好きな作品です。どれみさんはこういった重いことではないけれど、ふとしたことで湧き上がる感情を哀愁たっぷりに描くのがとても上手ですね。ツナとアボカドでマグロの赤身とトロを一緒に味わえるなんてことを思ったりしました。

  • 投稿者 | 2023-01-30 15:47

    不思議な余韻が残る、印象的な作品です。語り手とおばあちゃんのキャラがさりげなく立っていていいですね。ただのノスタルジーでも、今日的なものに対するアンチテーゼでもない、半生を振り返りつつ未来を志向する物語といいましょうか。

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