ときのながれは身を任せ

合評会2023年05月応募作品

春風亭どれみ

エセー

4,188文字

I Write Tragicomedies Not Sins/Panic! At The Video

(ったく、ふざけんなよ、クソジジイ。こういう時、ペペロンチーノとか選ぶか、普通……?)

 

就任祝いですとばかりに、眼前に差し出されたスパゲッティはオリーブの香りが豊潤で、麺の上にふんだんにちりばめられた赤い輪は、いかにもなほどにスパイシー感が溢れている。しっかりと口に運んで食したら、きっと美味なものに違いないのだろう。もうもうとした湯気にあてられて、配信の画面ではうまく顔が映っていないことをいいことに、時野永礼ときのながれは小さく溜め息をついた。

彼女はフリーのアナウンサーを中心にタレントを集めた芸能プロダクション「銭力ゼニ・フォース」に所属するタレントで、それまでは地方のローカル番組のリポーターや、Web番組の報道バラエティをこなしながら、細々とアナウンス業やタレント活動を続けているアナウンサーの卵であった。「自分の芸を世間に売り込みたい」、「地上波の番組で日本中にメッセージを伝えたい」という熱意をそれほど持たない彼女は昨年の10月に25歳の誕生日という今までの人生におけるそこそこの区切りを迎えていた。そういうこともあって、大きな玉の輿ビッグサクセスは望めなくとも、番組で知り合ったストリーミングTVのDを務めるツーブロックや合コンで知り合ったコンサルを営むツーブロックあたりとそろそろゴールインなんてのもありかと彼女が考えていた矢先に舞い込んできたのが、「僕のYouTubeチャンネルでアシスタントを務めてほしいザンス」というふざけたオファーだった。

仕事依頼のメールの送り主はファンゼン・ヒヤリ=ハット卿Ⅱ世という名で活動している配信者。なんでも「鼻からスパゲッティ教」なる新興宗教の教祖という肩書を持つ胡散臭い男で、はじめは時野アナもこのオファーを蹴るつもりでいた。しかし、マネージャーから先方の提示するギャラを聞いた時、

 

(司会進行も本人が基本進めて、本当にちょっとしたアシスタントをこなすだけでこんなになのね……。一回くらいお試しで出てみてもいいかな)

 

そう思ったことが縁で彼女は、あれよあれよという間にチャンネルのアシスタントとしてすっかり定着した存在となった。チャンネルの設立目的は当然、「鼻からスパゲッティ教」の布教である。この宗教の教義は「悩みや心配事は鼻からスパゲッティを啜れば、たいていのことは馬鹿馬鹿しく思えて、すっと気持ちが楽になる」というシンプルなもので、ヒヤリ=ハット卿は、ある時は、東尋坊の崖の上から、またある時は有明の干潟でムツゴロウに囲まれながら、信者たちの悩みを一身に背負いこみながら、勢いよく鼻からスパゲッティを啜り、そして盛大にむせた。時野アナはその醜態を眉尻を下げ、少々の困り微笑みを浮かべながら、見届ける。そうすると、月末に今までの仕事よりも遥かに羽振りの良いギャラが彼女の口座に振り込まれた。

しかもコストパフォーマンスが良いのは、単に日本円での話だけではなかった。このふざけたチャンネルでアシスタントを務める困った笑顔のお姉さんが癒し系でカワイイと、どこぞのまとめサイトで紹介されて以来、彼女は知る人ぞ知る存在となり、どこかのテレビ局に就職した経験を持たないフリーアナウンサーとしては異例とも言うべき、全力で東京の坂を駆け上がる仕事や、深夜にダウ平均株価の数字を読み上げる仕事など、箔の付く仕事グッドサクセスもぼちぼち舞い込むようになった。「鼻からスパゲッティ教」チャンネルのアシスタントは彼女にとってまさに割の良い仕事であった。

 

しかし、心の底から「鼻からスパゲッティ教」を信仰などしていない彼女に都合の良い幸福がそう長く続くはずもなかった。

運命の歯車が大きく回り始めたのは、先週の収録後、時野アナがヒヤリ=ハット卿に呼ばれ、彼自身の教祖の引退の決断を打ち明けられた時のことであった。

 

「ごめんね、時野さん。今月いっぱいで引退しようと思うんだ、この仕事。……教祖をさ」

「はぁ、そうなんですか……短い間でしたが、一緒に仕事をしてきた私としては、少し残念です」

 

彼はカメラと信者の目が光っていないときは、語尾に「ザンス」を付けずに普通に喋る。なんでも彼が言うには、かかりつけのお医者さんからついにドクターストップがかかったのだという。

 

「お医者さんからね、慢性的に続くあなたの頭痛の原因はずばりあなた自身の信仰にありますって言われちゃって、このまま続けると、難聴まで引き起こす可能性があるから、やめなさいって。それも今すぐにだって言うんだよ。小さな劇団をやりながら、インターネットもない時代にこの宗教を起ち上げて、世紀末に突然、おっ死ん……創造主のもとに還っていった演劇サークルの先輩から引き継いだこの宗教を畳むとなると寂しいけどね、仕方ない」

「お身体が第一ですから。しかし、月賦でお布施を貰っている世界237人の信者の方々にどう説明するかですよね……」

「月々で1980円も頂戴しちゃっているからねえ。そう、それで、その事なんだけどさ、時野さん……」

 

彼女は彼が自分の名前を口にした時、脳裏に何か途轍もなく悪い予感が過り、寒気がしたが、一度言葉を紡ぎ出した彼は間髪入れずに次の句を述べた。

 

「解散まで自分で決めた期限を設定した時限宗教タイムリミットフィロソフィーって形にしてもいいから、君が継いでほしいんだ。時野さん……いや、ファンゼン・ヒヤリ=ハット卿Ⅲ世!!」

「何言ってるんですか、無理無理無理、無理ですって! だいたい、健康に悪いんだったら、私だってイヤですから。特に私は一応アナウンサーです、鼻腔とかに悪影響を施すことなんてしたくないですって。後、宗教は英語でreligionですから」

「おっ、さすが、国立大出ているだけあるねえ。そうそう、その為の時限なんだよ、信者の方が満足して棄教できる環境を作り、宗教のクロージングを行う役目。勿論、その為の協力は先代としていくらだってするから……!」

 

シルクハットに片眼鏡、燕尾服を身に纏った男がステッキを放り投げて、干支がちょうど二回り分も若いアシスタントに額をこすり付けてジャパニーズ土下座をしている。仕事に確固たるポリシーがあるわけでもない時野アナはこういう押しには若干弱い側面もあったので、

 

「顔を上げてください……やりますから、半月! でも、配信はやって2回……後継者として名前を襲名する回で1回、宗教を解散する回で1回、それだけですからね。面倒な事務手続きとか、解散登記とか、そういうのは、代表者はあなたのままで、自分でやってくださいね!」

 

彼女はそれをしぶしぶ承諾してしまった。すると、先代の顔はパァっと晴れやかになり、「そうか、ありがとう、うんうん、後、半年の間、よろしくね」と朗らかに当代の腰をバシバシと叩いて激励した。

 

「……あの、Ⅲ世になったら、そのふざけた衣装も着ないといけないんですか?」

「んー……これも開祖が身に付けていた聖闘士装束セイントセイイだからねえ……でも、時野さんにはサイズが合わないよね。かわりに網タイツのバニーガール衣装ならあるんだけど、これも燕尾服といえば、燕尾服だよね」

「さっきのと併せて、セクハラで訴えてもいいんですよ」

 

彼女はそう憎まれ口を叩いていたものの、次の瞬間には、プロ根性なのであろうか、シルクハットに片眼鏡、蝶ネクタイ付きのバニーガールの衣装に身を包まれながら、乗馬鞭を手にし、

 

「あ~ら、この私こそそこの冴えないおじさまにかわって新しく教祖となったファンゼン・ヒヤリ=ハット卿Ⅲ世よン。以後、お見知りおきを」

 

そんなセリフを吐きつつ、PR動画の撮影に精を出していた。

 

「OK、似合ってるよ、時野さん。全然、恥ずかしがることないって、映画で見た深キョンみたいだよ、うんうん」

「それは映画の役で、しかも、深キョンだから辛うじて赦されていることで……あぁ、恥ズッ……末代までの恥、確定ですよ、これ」

「でもさ、こうやってさ、額縁の中に初代の先輩、僕、時野さんの写真を並べて、飾るとさ、思い出すんだ……仮面ノリダーの怪人たちをさ……」

 

時野アナは、訳の分からない業を背負わされた自分のストレスなど露知らずで、自分の知らないテレビ番組の企画に思いを馳せて、しんみりする中年男性のことを、すぐそこに転がっているステッキでしばきあげたくなったが、その衝動をすんでで堪えて、一つだけ要求をぶつけた——。

 

そんな背景を持ったファンゼン・ヒヤリ=ハット卿Ⅲ世として初の配信となる生配信。もうもうと立ち込めるスパゲッティの湯気で曇った画面のコメント欄には、スパチャが大量に投げられ、月額1980円のみと無理のない範疇に制限していたお布施が宗教自体の時限のかわりに、まさに箍が外れて、青天井で積み上がっていた。

 

(……あぁ、ここまでお金が入って来ちゃったら、もう引き返せない、覚悟決めろ、私)

 

彼女は自分の頬を両手で二度、バシバシっと叩いて、生唾を飲んでから、大見得を切った。

 

「さあ、しかと見届けなさい、坊やたちィ! ペロンペロンとペペロンチーノン♡……ォヴォッオェ!!!!」

 

彼女が大量の麺を鼻から啜りあげ、咽びあがった拍子に喉元から、ランチに食べた咀嚼されたバーニャカウダの胃酸和えがとめどなくこみあげて、ペペロンチーノの麺たちを白日の下に押し戻した。バーニャカウダのキュウリやペペロンチーノの麺の混合物でどうしてそんな色になるのだろうと薄れゆく意識の中で時野アナが思うほどにそれは鮮やかすぎるピンク色をしていた。

「鼻からスパゲッティ教」のYouTubeチャンネルは公序良俗に反する映像を流したとして、即行でBANされたが、後に発表された課金額のグラフによると、この曰くつきの瞬間に最も信者の中で経済が動いたとのことであった。いやはや、人間の業というものを深く考えさせられる配信となったと、女性週刊誌の三面記事はこの顛末を伝えていた。

そして、写真週刊誌デビューを果たし、マスク姿の忍んだ姿をスクープされた時野アナの手元には、ケリーのバッグが燦然と、主張するかのごとく、際立って目立っていた。

 

2023年5月15日公開

© 2023 春風亭どれみ

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"ときのながれは身を任せ"へのコメント 11

  • 投稿者 | 2023-05-17 23:34

    世の中カネだね。ネオリベラリズムの業の深さを感じた。

  • 投稿者 | 2023-05-19 23:32

    うんちネタ、おしっこネタに続いて今度はゲロネタ、精神年齢が小学校低学年レベルの自分にとっては今回の合評会最高です。サブスクの宗教という設定も面白いと思いましたが、普通に現実に存在してるのでしょうかね。語り口も落語のような軽妙さを感じてよかったです。

  • 投稿者 | 2023-05-20 11:03

    銭力(ゼニ・フォース)、聖闘士装束(セイントセイイ)などのネーミングが本当に馬鹿馬鹿しくて好きです。個人的には日本語の妙で「配信者」と「信者」が同じ字面で構成されているのが面白いと思いました。

  • 投稿者 | 2023-05-20 21:38

    凄い!さすがどれみさん。
    月々1980円でも237人いれば47万円近く稼げる。教祖が一人でツールがYouTubeだけならほとんど経費かからないし、ひょっとしてニュービジネスモデル?鼻からスパゲッティ教というのも斬新。売れないフリーアナが有名になってゆく過程も今っぽくて。

    蛇足ながら、ヒヤリ・ハット教と空目したことを告白しておきます。ぜひヒヤリ・ハット教のお話も書いて下さい。

  • 編集者 | 2023-05-20 23:57

    深キョンに時の流れを感じました。後継問題はますます深刻になっている気がしますね。

  • 投稿者 | 2023-05-21 10:29

    スラップスティックコメディは波野さんの十八番だと思っていましたが、どれみさんもやりますね! 面白かったです。

  • 投稿者 | 2023-05-21 10:59

    鼻からスパゲッティは本当に痛そうですね。そら体おかしくなるわ……。先代は何を思って「ヒヤリ=ハット卿」なんてトンチキな名前をつけたのか。センスが尖っていて面白かったです。
    これを機に過激配信OKのサイトのライバーとして「美女の嘔吐」を配信する人となり、スパチャ稼ぎに闇落ちしそうですね。

  • 投稿者 | 2023-05-21 16:23

    鼻からスパゲッティが出るのかと思ったら、吸うんですね。すごいですね。信者にやらせるのではなく教祖が行うイニシエーションになっているというのはYouTubeとの親和性が高く、今風のナイスアイディアだと思いました。

  • 投稿者 | 2023-05-21 16:24

    とてもいい宗教。教義もとてもわかるというか、理解できる。そうだろなって思う。鼻うがいもしたらいいよ多分。あ、でもそれだと普通になっちゃうのかなあ。でも、とにかくこれはいい宗教。ワタシソウオモウ。

  • 投稿者 | 2023-05-21 19:12

     スパゲッティを鼻からすする宗教が一定割合の人たちから支持を得るという設定に無理がある気がした。
     主人公の女子アナは自ら選択して後釜を引き受け、結構な財産を得たわけで、逃げ場のない深刻な事態に陥ったのだろうかと思った。

  • 編集者 | 2023-05-21 19:36

    なんて良い商売だろう。
    AI美少女アバターとボイスチェンジャーを駆使して俺もやろうか…。

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