秘湯艶女@Z04 (ひとうあで~じょ@ず~よん)

合評会2021年11月応募作品

春風亭どれみ

小説

5,996文字

※この小説はフィクションです。実際の個人・団体・事件等とは、一切関係がありません。

しかし、これを書いている最中に温泉にまつわるエトセトラがありましたが、嫌悪感という言葉も示す通り、「嫌い」と「悪い」はすぐに惹かれあっちゃうから、我自身も常に目を光らせ、自戒しなければなりませんね。裏を返せば、「好き」と「良い」もかもしれませんが。

どこか焦点の定まりきっていないくすんだ鈍色の瞳を覗き込むと、ポリゴンテクスチャで動いていると思しき女性がちらちらと明滅していた。

「おいおい、職務中に周りには目もくれず没頭してアニメの女の子……って、歳のキャラにも見えないな。にしても、お前、もうちょい職場でもくだけてみたらどうだとは言ったが、飛躍しすぎじゃあないか」

その鈍色の瞳を持つ男は私の部下である。彼は普段、職業柄か、コンプライアンスという足並みからは一歩も二歩も遅れ、落ちこぼれた社会人という括りの中では問題児ぞろいのこの職場の中で、かえって浮いてしまうほどに生真面目な人物で、おまけに仕事もはやかった。上司である私にとって、それはそれでありがたいことでもあった。

だが、低俗な仕事だと、暫し揶揄される、我々実話系ゴシップ誌の業界にCSRなどというものが存在するとしたならば、広くひっくるめた意味での老害、そしてその価値観の最期の受け皿であることだ。私たちは社会の灰皿である。そもそも、そんなものがあるから、社会倫理のアップデートが進まないのだと、撤去を訴えられ続けているあたりも含めて、そう言えるのかもしれない。

だから、彼の特性は、この職場において諸刃の剣、ないしウィークポイントにすらなり得ると思っていたので、注意というよりもコミュニケーションを図りたいという一心で、私は彼に声をかけたのだった。

国民的な義賊アニメの女盗賊よりも顔と身体の造形が幾分熟れて艶かしい感じの立体アニメのキャラクター。あまり詳しくはない世界だが、あどけないことがセオリーであるはずのアニメキャラの世界では些か変化球、おそらく年齢も決して若くない設定であるはずの彼女が今回、私とこの部下とのとりとめもない日常会話を成立させる為の唯一の頼みの綱であった。

「断りもなく、業務中にインターネットを閲覧して申し訳ございません。いわゆるVtuber業界の中で、この人は企業案件でなく、個人のエンジョイ勢としてやっている類のようなのですが、いろいろと異色といいますか、引っ掛かるところがあると思ったので、事後承諾のような形になってしまいましたが、次のネタにならないかと考えておりまして……あ、それと頼まれていたゲラの方は出来ています」

「相変わらず、堅苦しいなあ。まあ確かに、こういうジャンルに切り込んでみるのも面白いと思うよ。実際、アニメとかそういう特集を組んで、大きく路線変更に舵を切った雑誌も少なくない。ただ、うちは年齢層がなあ……そういうのについていけないってなっている壮年をもはや最後の顧客としている節さえある。辛うじて、漫画に欲情できたとしても、劇画とかそういう世代だよ。……イヤだわセンセエ、みたいなさ」

虹彩に宝石を埋め込んだような作画をしたアニメの女性が、バックに実写で撮ったと思われるどこかの旅館の一部屋の景色を背負いながら、今この瞬間に120人ほどいるらしい生配信リスナーたちに、笑みを湛えながら手を振っている。その見慣れない光景を私はぼんやりと眺めていた。

「秘湯艶女@Z04」と名乗る彼女は、いつもどこかの温泉宿からバスタオル一枚だけを纏ったバーチャルの姿で生配信を行っているのだという。背景写真の雄大な紅葉を従えた桟敷の露天風呂は正真正銘、彼女の……いわば、中の人が今現在宿泊している客室で撮影したものだという。23回目の生配信となる今日の舞台は伊香保なのだとか。なるほど、旅館の個室ならなまじっか個人宅から配信するより、プライバシーも護られるやもしれない。

「けど、温泉宿って言ったって、満喫やカプセルホテルじゃあないんだから、そうホイホイ泊まれないだろうに、どこからそんなお金が出て来るものかね」

艶っぽい声色で、「ふふ、なんだか美味しそうなウイスキーに浸かっている気分になってしまいます。こちらは黄金の湯と呼ばれ……」などと泉質について喋り始める彼女は、配信元の規約により、豊満に造形されているであろう胸部の楕円を開放することは決してなく、況してや、コンピュータグラフィックの着ぐるみの中にいる人は素顔すら晒すことはない。それなのに、部下が言うには、彼女の配信があるたびに、ありがたがるファンたちはお布施と称して、荒い息遣いまで伝わってきそうなコメントとともにまったく可愛くない額面の日本円を、電波を用いて送金するのだという。

「秘湯艶女@Z04さんは、抱えている登録者数はさほどなのですが、少数精鋭といいますか、ファンの方が送るスパチャの投げ銭が最低でも2万円、殆どの方が上限まで引っ張って5万円と、相場と比べて破格なんです」

「5万円ってお前、御祝儀でも躊躇する額を正体も分からないポリゴンの女に……正気の沙汰じゃあないな」

「いや、まったくヒントがないというわけでもないんです。彼女は元々、幻の@ガールと呼ばれた往年のセクシー女優なんだそうで、温泉の話題以外では当時の業界のこぼれ話だとかを話すこともあったりするそうで……ここ暫くはしていないので、次回はもしかしたら、そういう回になるかもしれません。ただ、そもそも僕ら世代では@ガールとか言われてもまず何のことやらですし……出て来る単語の解像度が……といいましょうか、対象の層でない分、不鮮明でして。でもこれはかえって、我が雑誌の記事として向いている証拠なのではと考えた次第なのですが」

右手で愚息の一つもまともにこすったことのなさそうなどこから切り取っても四角四面の部下の口から@ガールという破廉恥な単語がむるりと零れたのを見て、私は失笑を抑えることが出来ず、ぷっと吹き出してしまった。当人は、@ガールなる者がどういった存在なのかもわからずに、とくとくと私に彼女の人となりを説くその様が、なんだか無垢な幼児が電車の窓に映る「ファッションヘルス」とか「ブティックホテル」とかいった拗音と促音のまじった少し難しいカタカナを得意げに読み上げる姿とかぶって見えて、おかしくて仕方なかったのだ。

@ガールとは、アダルトビデオメーカーであるビープエンタテイメントがプロダクションを介さず、直々にスカウト・オーディションを行い、当レーベルの看板専属女優として売り出す女優に冠される源氏名の総称であり、20年近く前に4代ほど続いたこの企画の中で、彼女たちは皆、その名の通り頭文字に@の一字をつけて、喘ぎ、跨り、そしてよがってみせた。

彼女たちのゼロ年代当時の流行に即したルックスや演技、洗練されたふるまいは業界の中でも質が高いと評判で、今は絶滅の危機に瀕しているスポーツ紙のピンク面を担当する駆け出しの新米記者だった私も幾度か特集を組ませてもらったこともあったが、残念ながら、彼女たちは時代を席巻することはなかった。

思い当たる理由はいくつかある。カルチャースナップを主とするフリーペーパーの編集者とカメラマンたちが独立し、立ち上げたビープエンタテイメントは確かに従来の懊悩煩悶が染みついた紫色の煙を燻らせた業界に水色の風を吹き込もうとしていたが、歴史と伝統のあるロマンポルノの映配上がりの老舗やショービズのノウハウを駆使し、バラエティ色豊かな企画を手掛ける才覚を持つプロデューサー陣を多く有する大手グループと比べて、新興で無派閥のぽっと出であるが為に、受注や流通の網があまりにも心許なかった。月額固定で通信速度も革命的にスピードアップなどとADSLが持て囃され、画面を開けば、荒くぎちぎちに圧縮された小さな画像とやたら左右に動く蛍光色の文字が蠢く当時のインターネットの世界では市井に充分なアプローチすることはまだ難しかった分、レンタルビデオショップの暖簾の向こう側の棚を多く抑えられず、人間の目線から大きく外れた最下段でDVDが埃を被ってしまうことは、レーベルの趨勢を占う上では、これはもう致命的といっても過言ではなかった。

おまけに@ガール自身たちも、その現状を特に由々しき事態とも思っていなかった。彼女たちには、苦界に落とされたという従来の鬱屈もなかったが、ここを踏み台にテレビタレントにのし上がってみせようといったような野心も見られなかった。

そういった状況がいくつか絡んだ結果として、ビープのアダルトビデオはその颯爽とした雰囲気とはうらはらに次第に先細りしていき、最後は窮地の代表取締役社長がヤキでも回ったのか、経産省の官僚に粗末な賄賂を贈っただとか何とかで逮捕され、呆気なく解散してしまった。その結果、その人物と知己であったとかよく分からない理由で大臣政務官が一人、辞任する羽目になったはずだが、確かその議員自身も零細派閥の伴食大臣補佐という境遇であるために、単に気まぐれな蜥蜴の尻尾切りにあっただけなのかもしれない。

執拗なまでにシャギーに梳かれ、ミルクティーのような色合いに染め上げた髪をした眉の細い彼女たちは、今、どこで何をしているのだろうか……。

「それ、お前じゃあ、ピンと来なくて荷が重いだろう。俺にパスしてくれてもいいんだぜ」

気が付くと私は、件のVtuberの取材を買って出ていた。

幻の@ガール。嘘か真かは定かではないが、その単語に年甲斐もなく昂っている自分に、私は何より驚いた。

 

「今日の配信はここ、天津小湊温泉からお送りしていますぅ。皆さま、ごゆるりとお楽しみください」

生まれは千葉の八千代、育ちは埼玉の春日部と、国道16号の排気ガスを吸い込みながら成長し、骨の髄まで関東近郊のベッドタウンイズムに浸かって生きてきた自覚のある私でさえ、千葉県内にこれほどまでに立派な温泉郷が存在していることを知らなかった。記者を務める身としては恥ずかしいことこの上ない話だ。それをアニメ絵のキャラクターに教えられるのだから、何事も経験である。

私はその感慨の旨を、数ビットほどの簡潔な文に変えたものに、デジタイズされた5千円をささやかに添えて、彼女に送った。チャット欄に巣食う周りのリスナーたちは、如何にも勝手を知らなさそうな私のコメントに反応こそしなかったが、連中から醸し出される嘲りの雰囲気のようなものは露骨なまでに、ひしひしと私にも届いた。

「私も今まで、この潮騒の響きの心地良い素敵な温泉街のことを知らなかったのですが、それもそのはずでして、この温泉が見つかったのは何と私のデビュー年なんです。……ふふ、あの頃の私はアイラインもつけ睫毛もびっちりで、皆が皆、そういったファッションをしていたのでまるで自覚はありませんでしたが、傍目からは、立派にギャルの女の子に見えたのかもしれませんね」

彼女がそう呟くと、ちゃぽりと乳白色のにごり湯が掬い上げられる音がASMR宜しくイヤホン越しに軟らかく私の耳に反響した。

私の両手の指先は二面の液晶画面にかかっていた。右手で@Z04嬢が映し出されるノートパソコンの画角を弄り、軽く添えられた左手の袂のスマートフォンには、奇跡的に404 Not Foundされず残っていた最後の@ガールのホームページ画面を表示させて、私はスタンバっていた。時計の針がもたもた回っている間に私は幾度も、揺れ動くアニメアイコンと女優の小さな宣材写真を見比べては、生唾を飲んだ。

彼女は時系列に沿わない断片的な想い出話を気まぐれに紡いだ。精巣から直に捻り出されたかのようなおじさん構文をチャット欄から見つけると、その構文がまるで、社長に連れられた接待の場で出逢って以来、何回か摩天楼の最上階で酌み交わしたとっちゃん坊やのような壮年のそれのようで、当時を思い出すなどと微笑んだりしていた。

「でも、その人、凄いお偉いさんだったみたいで。そんな人も女の子と会う時は初心なんですから、ここではとしあき☆彡さんも偉いおじさんと同じ気分を味わってもらいたいな……」と、吐息交じりに呟くと、吐息はそのまま伝播して、私の丹田とスマートフォンは同時に熱を孕んだ。そして、私を司る思考体系が孕んだ熱によって、ふわふわと糸の切れた風船のように浮ついてゆくのを感じた。

 

萌えをふんだんにまぶしたデザインで描かれた艶女は、さながら曇ったガラス越しから覗く熟女のシルエット。エロスとタナトスはいつも靄の中にある。何故、彼女@ガールを自称し、3Dアニメーションの皮と「秘湯艶女@Z04」という奇怪なHNを身につけ、電脳の世界でパーティーを催し、うらぶれた者たちに手を振り続けるのか、その意図は一切分からない。

 

私がもやもやと考えが纏まらない由無し事に耽っているうちにも、“モザイク”を纏ったその嬢は自身の遍歴を謳い、業界の離合集散を記した手書きの変遷図を矢印のカーソルでそっとなぞり、ビデオメーカーの人脈と顛末を一丁前に政治的メロドラマに仕立て上げ、誰に擽られたかみたいな口ぶりで、往年のこぼれ話を鈴のような声で喋る。事が済んだら、一切合切が馬鹿馬鹿しく思えるようなその熱の源泉は何処からくるのだろう。まさか私たちは今、集団で匹夫な政治屋の背徳感を追体験し、夢見ているのか。良識も生産性もない熱の放射が齎すものは——。

 

ふうと溜め息をつくと、私の懐の¥50,000-は、あまりにも無碍に放射された。

 

「ところでデスク、@Z04さんのこと何か分かりましたか。やっぱり僕も気になって、ネット界隈を嗅ぎまわってみまして。彼女、デビュー後、すぐに会社が潰れて、二、三、名前と所属を転々としながら、結局は名のある者の愛人に収まった某@ガールなのでは……みたいな噂もあるみたいです」

「ま、そういう出所の分からないゴシップ自体も彼女のアイコンの一つってこった。これ以上は野暮。それもまた一種のフェチズムなんだよ。ただ、突撃取材してみて分かったことは二つあったな」

私は手にピースサインを作り、高らかに宣言した。

「一つは、心に皺がよった者にとっては、改めて御開帳されたものそのものよりも、それを伏せているものの方に興奮を覚えるということ。正体を隠したVtuberは万華鏡なんだな。そして、もう一つは、そこに欲望が渦巻いている限り、政治も須らくポルノの要素を孕むってことだ。それが、秘湯艶女@Z04嬢の人気の秘訣ってやつじゃあないか。ウチの読者層にもウケが良さそうだ。結局、ケツが青い時から、ネットで無修正のものをありがたみもなく閲覧してきたお前ら世代には分からない綾かもしれん」

フロアで一人だけ肘掛けを有したオフィスチェアに浅く腰掛け、脚を組む私を部下は文字通り見下して、突っ立っていた。まるで目の前で尻を出し排泄をする恥知らずがいるかのような目つきだ。焦点が定まっていないのでなくて、もはや焦点そのものが霧散している。

嗚呼、なんだか、どこか遠くの古宿で浴衣のまんま寝転がりたくなるような気分になってきた。

2021年11月16日公開

© 2021 春風亭どれみ

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"秘湯艶女@Z04 (ひとうあで~じょ@ず~よん)"へのコメント 10

  • 投稿者 | 2021-11-21 12:48

    一言、破滅派らしい文体だと思いました。話題からぶれないところがシャープでカッコよかったです。

  • 編集者 | 2021-11-22 22:38

    山道で拾ったボロボロのエロ本、友達の家に集合して固唾をのんで観た裏ビデオ、そんなアナログなアダルトコンテンツが通過儀礼だった世代として、涙なしには読めない物語でした。

  • 投稿者 | 2021-11-23 04:45

    なんだか全裸監督を連想してしまいました。往年のエロコンテンツへのノスタルジー。
    語り手が動画を見るシーンは圧巻の描写力でした。

  • 投稿者 | 2021-11-23 12:55

    さすがのどれみ師匠という名作。お仕事小説かつ業界話っぽさがありながらどこか過ぎ去った喧騒へのノスタルジーを感じる文学作品だと思いました

  • 投稿者 | 2021-11-23 13:19

    どれみ節を堪能しました。
    時代に乗れなかったアダルトアイドル、秘めてこそのエロス、欲情の前には政治も地位も金も同レベルに堕ちる、日活ロマンポルノやストリップ劇場から連綿と絶えないエロス論を詩情豊かに聞かされた思いです。

  • 編集者 | 2021-11-23 14:35

    他の方が大体コメントしてしまったが、懐かしいが湿気が凄いような、そんな匂いのする作品だった。

  • 投稿者 | 2021-11-23 16:33

    懐かしむ世代でもないのに何となくノスタルジーを感じました。温泉いきたい。
    動画見てるだけなのにこんなにしっかり書けものなのだなぁと感心させられました。

  • 投稿者 | 2021-11-23 18:48

    熱海にこの前に行ったのですが、何か今作に流れる空気と似たものを感じました。

  • 投稿者 | 2021-11-23 18:58

    この語り口好きですね。
    AV業界の今は昔的なネタと、最近のVtuberネタが混在して、ごちゃまぜのどんぶりのような雰囲気でおもしろかったです。

  • 投稿者 | 2021-11-23 20:10

    それを伏せてる方が、快感って言うのはよくわかります。でもそれを声に出して言うと、ひかれるんだろうな。多分。私も気をつけよう。

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