なんちゃって根無し草と淡くなる群青

合評会2021年07月応募作品

春風亭どれみ

小説

2,527文字

習作がてら、無謀承知で合評会へ。期限に余裕があるので、もうちょっと弄るかもしれません。

庚申塔のお猿たちに見送られつつ、防風林に護られた芝生公園を抜けると、驚くほど風は凪いでいて、さっきまでもうもうと立ち込めていた草いきれなど、そもそも存在していなかったかのようだった。微かな潮風が鼻孔をくすぐり、あまりにいい塩梅なので、空に向かって胡瓜でも翳して食んでみたら、さぞ美味しかろう。このあたり一面の白っぽすぎる灰色と混ざりきらない青に、はしゃぎながら小さなレンズを向けることもせず、心によぎるのは、なんとも他愛ない空想。

 

呆れるほどに瑞々しさが足りない。新鮮味のない新生活の日々の前に、張り付いて取れなくなった薄気味悪い乾いた微笑みを無理くりに汗ばんだ掌で引っ張り上げるのもむなしくて、あてもなくここまで漂ってしまった私はさしずめ、なんちゃって根無し草だ。

 

その時点で、「やはり柄にもない」と踵を返してしまってもよかったが、トリコロールの貨物船が水色と群青の曖昧な狭間に吸い込まれて消えると、もう眼の前の景色に点在する物と者は、どれもこれも力感に乏しい様々であるがゆえに、途端に私の胸に淡い親近感と安心感が湧いてきてしまったのかもしれない。気づけば私は、シートも敷かず、砂浜の上に体育座りで海を眺めていた。いくつもの鉛を沈めでもしたかのような、どんよりとした青だ。あまりに群青が過ぎ、殆ど黛青とした水面に隠されたお魚たちの表情を私が知る術など、一生涯ないのだろう。きっと水族館で見るような滑稽な顔をして泳いでいたりなどしないはずなのだ。私には分かる、私自身が群青の構成員だから。

 

「もし……もし……?」

「……ひゃ、ハイ?」

 

そんな風にすっかり心を海の底まで潜らせていた最中、突然、景色だと思っていた者、その人に声をかけられたので、思わず喉から裏返った返事が零れた。疑問符に疑問符で返された老婦人は少しばかり戸惑いこそは見せつつも、品よく私のだらしのない返事に、潤な微笑みで応えてくれた。

 

「驚かせてしまって、ごめんなさい。少しお尋ねしたいことがあったの。こういうものは若い人の方が詳しいから」

 

つばの広い麦わら帽子を浅く被った老婦人は瞳の色と同じ色のカーディガンを羽織り、まるでジブリの映画からこちらの世界に訪れたような装いをしていたが、手に携えているものだけが容姿の特異点となっていた。スマートフォン、iPhone XR。たまたま私と同じ機種のものを彼女は手にしていて、ゴツゴツとした舶来のIT機器は茎のように細い彼女の指には、いかにもなくらい、持て余している風に私の目には映った。

 

彼女がまなざしを向ける方を見てみると、ポツンと浜辺に佇む孤独なテトラポットに寄り添うように小さなハマナスの花が咲いていた。見頃も終わりに近いからだろうか、花びらのしおしおと萎びた、イメージする艶やかな紅の花とは程遠い、遠くから見たら褪せたピンクの点でしかない。老婦人に気にかけられなければ、もはや存在していないも同然で、ましてレンズのピントを合わせられることなど決してないはずの月並みな雑草のように、私には思えた。

 

「せっかくこんなところで懸命に咲いているものだから、年甲斐もなく、撮って、送ってみたくなったの」

 

そういうと彼女は、ところどころ剥げた黄銅色の表紙をした詩集を取り、ハラハラとページをめくりだした。

 

星はこれいじょう 近くはならない

それで 地球の草と男の子は

いつも背のびしている

 

一篇の詩の隅には押し花が添えられてあって、それは著者や出版社の手掛けた装丁、意匠ではなかった。さすがに色褪せてはいるが、はっきりと花弁と在りし日の想い出を携えたままの、それは紛れもなく目の前のそれと同じハマナスの花だった。

 

「押し花って、そんなに長持ちする物なんですか……この本も相当、年季が入っていそうですし」

「普通だったら、一年も持たないと思うのだけれど、これを送ってくれた人は植物の学者さんだったから、特別な方法を知っていたのかもしれないの。寡黙な人だけど、旅好きで、手紙でだけは随分、能弁でロマンチストで、手紙にこういうものを添えたりなんかしてね。……君の大好きな詩が、元気のない時に見せてやるといいだろう……なんてね、普段は口が裂けてもそんな歯の浮くようなことをいうのを嫌がるクセにね。結局、そういう人は意地悪な人なのよ。だから、仕返しにね。あなたはあなただけが自由に魔法を使える魔法使いのつもりでいたのでしょうけれど、今なら、こんなに綺麗に、世界をちょっぴり変わった形の瓶の小舟に乗せて、送ることができるんですよーって、やってみたくなっちゃったのかしら」

 

老婦人は箸が転がってもおかしい年頃のようにクスクスと笑いながら、私から簡単なアドバイス少しばかり受けただけで、彩度の高い写真を見事に撮影し、それをあっという間にLINEで送ってみせた。

 

LINEは暫く私が見つめても、既読のマークは一向に付かなかったが、老婦人は満足したような面持ちをすると、iPhoneを電源ごと切って、海の向こうを指さした。

 

「あの子、さっきからずっと気になって見てはいるだのけれども、あれじゃあ、波に乗っているのだか、吞まれているのだか、分からないわね。それでも、波が来るのを待ちきれない……みたいな感じなのですもの」

 

私も目を海の方にやると、胸板の薄い少年がじたばたしながら、板の上に立っては小波に一押しされて、呆気なく頭から海に落ちての動作を繰り返していた。彼が撃沈した後、白い水柱が立つ度に、群青は泡立って、淡く色を薄めていった。

 

「……まったく、どうして、あんな無茶しちゃうんですかねえ」

 

私がニヤニヤしながら、老婦人に合いの手を入れると、二人はすっかりお腹を抱えて、意地悪く吹き出してしまった。無我夢中の少年は幸いなことに、こちらにも、お魚にも、目もくれることもないだろう。そして、庚申塔のお猿たちは、そんな二人の哄笑を、「見ざる聞かざる言わざる」のモットーで見逃してくれる、そのはずだった。

2021年6月17日公開

© 2021 春風亭どれみ

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"なんちゃって根無し草と淡くなる群青"へのコメント 14

  • 投稿者 | 2021-07-20 06:03

    群青と黛青の対比が面白いなと思いました。

  • 投稿者 | 2021-07-20 23:00

    「私」が心に抱く迷いや不安のようなものが伝わってきました。
    それらはスマートフォンに挑戦する老婦人、サーフィンに挑戦する少年の「背のびしている」姿を視界にとらえることによって相対化されるというような感じでしょうか。

  • 投稿者 | 2021-07-21 21:55

    著者の他の作品とは異なる息の長い文体が全編一貫していて、文体に対する意識を働かせながら書いたことが伝わってくる。繊細な感性を持った語り手の目を通して描かれる心象風景は明治・大正の小品文を連想させる。ガチガチの美文なんて書かなくていいから、もうちょっと肩の力を抜いてもいいかも。

  • 投稿者 | 2021-07-22 00:55

    もう難しいんでしょうけど既読を気にしない世の中で生きていけたらなあ。数年前に遠浅の海を毎日飽きずに眺めていたのを思い出しました。

  • 投稿者 | 2021-07-22 15:49

    老婦人と植物学者の長い付き合いが想像されますね。絶対に夫婦ではないし、でもただの友達でもないだろうと。色あせたハマナスの押し花に、薄れていく群青、押し付けがましくない文体に、移ろい枯れ行くのも悪くないなと思わされました。

  • 投稿者 | 2021-07-22 21:25

    ジブリの映画と作中にも出てくるように、確かにジブリの短編映画にでもありそうな世界観を感じました。
    事件ではないにしても、何かしらスパイスになるような文章があると、小説としてもっと面白くなるのかもなあと個人的には思いましたが、雑味なしで爽やかな文章で終わる小説もそれはそれで良いじゃないかとも思いました。
    私の感じた「爽やかさ」というのも本当は見せかけのもので裏には何かあるのでは…というような気もしますが。

  • 投稿者 | 2021-07-22 23:13

    はじめまして。
    最初の方は文章がかたく、私の語彙力の低さもあり、ネット辞書片手に読みました。
    難しい文章が続くのだと緊張感を持って読んでいたのですが、老婦人が出てきたところから急に文章がふんわりとやわらかくなるので、老婦人が主人公に波のように不意に新しい空気をもたらしたんだなと解釈しました。
    ご年配の方がスマホをしまうのに電源を落とすのがリアルですね。

  • 投稿者 | 2021-07-23 02:41

    散文詩っぽい文章ですね。「君の大好きな詩が、元気のない時に見せてやるといいだろう」実際にこんなことを言う人がいたらキモっ、てなるかも知れませんが、文章にすると素敵ですね。手紙でしか書かなかったのも宜なるかな、って感じです。

  • 投稿者 | 2021-07-23 13:06

    どうコメントしていいのか分からなかったので、あなたの他の作品を読んでみました。今回のは『習作』ということですが、もったいないです。前の方がずっとすっきり、はっきりして読みやすいし、ストーリーも新しいし、面白い。作者さんはなにかを目指して書いておられるのだと思いますが、そっちには行かない方がいいのでは。書かない方がいい言葉と、書いたらいけない言葉が増え過ぎです。私は素人ですが、分かる人には分かると思います。前の作品はとてもいいです。自分の言葉で書いている。

  • 投稿者 | 2021-07-23 21:43

    はじめまして。
    老婦人が誰も目にとめないようなハマナスに目をとめ、また彼の方ではそう知らなくても不器用な泳ぎ方の少年をずっと見ていたのを知ったとき、自分を根無し草のように思う主人公のやや感傷的な孤独も癒えたように思います。なんとなく、「何を書くべきか」論のようにも読める気がしました。

  • 投稿者 | 2021-07-25 03:15

    「……ひゃ、ハイ?」
    の所で、急激に親近感を持ちましたし安心しました。ああよかった。この人は私の様に常に何かしらの事を思考している、あるいは思考している風だけども、自分のパーソナルスペースに他人が入り込むことに対して、まあ、中長期的な関係性が出来てないうちは、ちょっとあれなんだなと。苦手なんじゃないかと。もう私かと思いました。これは私の話かと思いました。未来の私かと。

  • 投稿者 | 2021-07-26 14:21

    個人的に、すごく好きな風景だと思います。登場人物に非常に好感が持てました。

  • 編集者 | 2021-07-26 19:48

    習作とはいうが本当によく出来てる。登場人物もいいが、特に押花の描写が良かった。

  • 投稿者 | 2021-07-26 20:01

    夏らしいトーンが印象的。このテーマにしてよかった。

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