助太刀パンプキンは訳ありシースルーバング

春風亭どれみ

小説

12,542文字

応募規約はよく読んでから投稿しないとダメですよ。反射神経的に、「お題はこれねくらい」の気楽なノリで書き始めると、後でもっと凝った縛りがあることに気付かずに書き上げちゃうので……お蔵入りも勿体ないので、放流しちゃいます。

月並みな表現になるけれど、後から改めて考えると、それは一目惚れというヤツだったのかもしれない。

目にした瞬間、背筋がゾクゾクッとした。何しろ、こんな体験は生まれて初めてだったので、なんと表現したらいいのやら……なのだけれども、確かに感じたのだ。まるで高圧電流が流れるプラグをいきなり背中に差し込まれたかのような不意打ちの衝撃を。

自分語りをするのも恐縮だけれども、生まれてこの方、二十年もの間、僕にくだされ続ける評価はずっとゆるぎない。

「穏やかだけれども、つまらない」

これがまた、どんなものごとに対しても眉一つ動かすことがないマシーンのような人格であったりすれば、かえってキャラが立っているといえるけれども、ハンバーグが出てくればいつもより少しだけ心が躍ったり、毎週火曜日の更新を密かに楽しみにしているネットの漫画の連載があったり、自分なりには、好きな食べ物や惹かれる物事があるつもりなのだ。しかし、人様のそれと比べると、どうも針の振れ幅に物足りなさを感じるらしい。

では、そんな他愛ない存在である僕の心を初めてのレベルで動かしたものは何なのだという話なのだけれども、それがまた人に話すのが、少し気恥ずかしくなる内容なので、今もこうして、アップグレードを済ませて、スマートスピーカーからスマートトーカーに進化したAIに向かって、心模様を吐露するに至った……といった具合だ。

「ですが、ユーザーアカウント様の年齢層でそのような女性のイメージ画像に興味を惹かれるといった事象は珍しいことではないと見受けられます」

「そうなんだけれども……」

そう言ってAIが提示したのは、とある企業の公式アプリ内に掲載された一つのJPG画像ファイルであった。僅か二六〇〇キロバイトのデータで描画された女の子のイラストが自分の人生の中で初めて感じた大きな戦慄だったという事実が、つまらないと言われる自身の性格の裏付けになっている気がして、気後れしてしまうのも無理もないと思わないだろうか。

朝日が眩しそうに軽く目を細めながら、ショーケースにライ麦パンやフレンチトーストを並べる黒髪をシニヨンでハーフアップに纏めた女の子。絵の中の女の子に関しては、過度な装飾を抑えたシンプルなブラウスの制服を身につけている以上のことは何一つ描かれているようには見えないが、その制服こそが彼女が『あけぼのベーカリー』の従業員であるという唯一にして最大の情報を表していた。

はじめは、このイラストを描いたイラストレーターさんが自分自身に刺さったのだと感じ、SNSにアップされた当人の他のイラスト類などを追ったりもしてみたが、同じ人間が描いただけあり、画風は似通ってはいるものの、今一つピンと来るものが残念ながらなかった。どうやら僕はパン屋のブラウスの彼女でなければならないらしかった。

「この画像データからは特定の思想・信条または宗教的、政治的メッセージを含むコードは感知されませ……」

「いいって、そんなのチェックしないでも。メッセージも何もこの彼女、モデルが存在していたんだから」

人格が存在しないはずのAIに冷たいまなざしを向けられた気もしたけれども、例えばストーカーのようなやましいことは、僕は何一つしていないのだから、堂々と宣言すれば良いのだ。

「たぶんアルバイト先の先輩なんだよ、モデルが。でもまあ、絵師の人に言質をとれるわけではないから、ことの真相なんか永遠にわからないけどさ」

自分自身の心をかき乱す彩度の極まったイラストと、同じアプリ内から拾ってきた齢を片手で数えられるような子が描いたと思われるピクセルごとにデジタル変換された色鉛筆画のパン屋さんのイラストを並べてみてから、僕は溜め息交じりに呟いた。

 

そもそも当のイラストは、以前まで勤務していたアルバイト先が潰れてしまい、翌月以降の下宿先の家賃や月々の生活費を工面する為、やむを得ずアルバイトの求人サイトをハシゴし続けていた際に、ばったり出くわしたものであった。

職場の風景や業務内容を説明する文と写真の羅列をスクロールしていくと、制服・ユニフォームの項目があり、そこに大胆にサイズを縮小された当該のイラストが、豆粒みたいなフォントの※と後に続く尚書きとともに掲載されていたのである。縮小が施されたイラストはガビガビに画素数が荒く、何の気もなしにそのイラストを指でタップしてみたら、掲載元のアプリに跳び、そして僕は、オリジナルの縮尺のそれを目にした。事の次第はそんな感じである。

全国的に展開と言えば大げさだけれども、日本の三大都市圏に綺麗に四店舗ずつ、計十二の街々に店を構える『あけぼのベーカリー』は社の方針なのか、昔から栄える繁華街のような土地を避け、郊外に点在するキャンパスの最寄りになりやすいニュータウンにターゲットを絞って出店しているらしく、採用条件から読み解く分には、大学帰りに通うアルバイトにはうってつけの環境に思えた。僕の大学の最寄りの店舗だけが本店であるはずなのに、唯一、求人広告が必要な状況下に置かれているのは、単に工業大学の連中はこういったパン屋のスタッフでさえ、華が過ぎると、臆して敬遠してしまっているからなのだろうと、僕は勝手に勘ぐってひとりで合点いっていた。

ポピュラーな表計算ソフトを用いて数分で自作した簡単な履歴書を引っ提げて、店のドアをくぐった時、最初に目についたのは、芳ばしい香りを折々放つパンの群れではなく、手書きのポップとともに馬鹿に大きい木製イーゼルの掲示板に貼られていた見覚えのあるイラストであった。よくよく見ると、イラスト内で描きあげられた店の風景の画角も、この店と完全に一致しているようにも思えた。

「いやー、そんなにまじまじ眺められると恥ずかしいですね。アルバイト面接志望の方ですか」

その声に振り返ると、夜空で染めたみたいな色をした髪をシニヨンで括ったイラストと似た髪型をしたスタッフが、片えくぼが目立つ柔らかな笑顔を湛えて僕に歩み寄って来た。イラストよりも背格好はすらっとし、顔の輪郭線もやや面長で目鼻立ちが小ぶりな印象を受けるのにもかかわらず、彼女の立ち振る舞いと表情は、絵のモデルが彼女自身であるということへの異様な説得力を有していた。

「只今、店長の吉田を呼んで参りますので、少々お待ちくださーい」

そう告げると、彼女はバックヤードに消えていき、代わりに店長を名乗る肩幅の広い中年男性が僕を出迎え、面接会場へと案内した。尤も面接会場と言っても、肩肘の張るようなフォーマルなものは一切感じられない、什器置き場のような部屋に長机とパイプ椅子を二脚並べただけのお粗末な場所で僕の面接は執り行われた。

「こんな狭いところでごめんね」

「君がOKなら、パン作りの方をお願いしたいんだけど……大丈夫、生地を捏ねるとか焼くとかそういうのは、ベイカーがやることで、出来たパンをサンドウィッチにするとかそういうことをお願いしたいんだ」

「これは仕事に慣れてからでいいんだけど、うちは本店だからちょっと特殊で二階には会社の本部があってね。まあ、そこの雑用を、ほんのちょっと、呼ばれたときだけでいいから、手伝ってもほしいのだけれど……えっと制服は貸与、自分で用意してほしいのは……」

肩幅ばかり大きい店長が、あれやこれやをその身なりに似つかわしくない甲高い声で喋り倒しているのを、僕はずっとうわの空で聞くばかりであった。その時、僕の心を占めているのは、イラストと同じ髪型と雰囲気を醸し出していた女性であり、おかげで時給や労災に関しての大事な話をだいぶ聞き逃してしまった気がした。よくこのような調子でアルバイトに受かったものだと改めて思う。

終身雇用の風潮がとうに廃れたと言えども、伴侶を決めるかのごとく深刻な顔をして選び抜く就職活動とは異なり、アルバイトを選ぶ感覚など、たいがいの人はチャラけた男のナンパの感覚を笑えないほど、低い意識で行っているものだという意見はまあごもっともなのであろう。

「俺なんかパンの匂いにつられてやって来た犬みたいなもんだよ。うわっ、ここのパン美味っ。賄いとか出ないかなって」

いつだかの午後番のシフトで石鹸で肘まで泡塗れにしながら、キッチンスタッフの荒居先輩が自嘲気味に呟いていた。しかし、そんな可愛げのある程度では収まらないほど俗物臭のキツい自身の志望動機には我が事ながらうんざりするしかなかった。

 

けれども、サンドウィッチを延々作り続けたり、閉店までキリのない洗い物をこなしたしたり、時折トイレを掃除したりの業務を黙々と処理していくのは寡黙な僕の性には合っていたようで、アルバイトを始めてから一ヶ月半も経つと僕のエプロンからはそれまで付けられていた若葉マークが外された。そして、ちょうど十度目の出勤を終えて、社員証や名刺も兼ねたタイムカードをセンサーに翳そうとした時であったろうか、僕は小走りの吉田店長に呼び止められた。

「ねえ、まだタイムカードは切らないで。そろそろ新しい業務を教えないとと思ってさ。そんなに時間はかからないから、二階の本部の方まで行ってくれないかな」

「ハイ、わかりました」

思わぬ残業にあまり気乗りはしないものの、言われるがままに二階の本部の引き戸をノックしてから、おずおずと訪ねると、アルバイトよりも契約意識の高い本部の社員たちは皆、早々に退社を済ませており、デスクの一角には、ひとりメイク道具を広げて、リラックスした面持ちでリップスティックを指先で転がしている女性のアルバイトスタッフがいた。僕の志望動機である例の彼女である。

「あっ、すみません。もう来るとは思わなくて、今、急いでここを片付けますね。店長はもう帰っちゃったかも、急いで呼び止めにいくから、悪いけど、暫くそこで待っていてー……ってニュアンスだったので」

申し訳なさそうにメイク道具をしまって、パソコンをカチカチと動かす彼女は、普段纏めている髪をばっさりと下ろすと意外とウェービーなセミロングヘアーで、口元は今しがた差し直したと思われるせいか、「から紅って、こんな色のことを指すんだろうな」というほどに一際明るく目立っていた。貶している意図は全くなく、むしろ彼女の新たな一面にドキドキさえしたのだれども、『あけぼのベーカリー』の楚々としたブラウスより、スニーカーとキャラクター耳の大きなカチューシャ姿を想像しやすい、鳥で例えるなら、路肩のすすき野原で囀る雀よりも都会の神社にいる落ち着き払った烏……そんな印象を与える変貌ぶりであったので、僕はそれなりに動揺し、上擦った気色の悪い声色で返事をしてしまった。勝手に抱いていたイメージと違う一面というだけでなく、そもそも仕事の領域もシフトの時間帯も異なっていたので、挨拶以外でまともな会話を交わしたのは初対面以来という事情もあった。なので、このようなスマートさの欠片もない僕のリアクションも、仕方のないことではあった。

「接客・レジ打ち担当の百瀬です。えー、もう若葉マークとれたんですか。凄く早いですよ、それー。私、三ヶ月くらいかかりましたもん。ヤバッ、めっちゃ優秀な即戦力ルーキーだ」

初めて雑談を交わすと彼女は意外に口早で、一日の自分の仕事を済ませた後に、急に後輩の指導を押し付けられた人間とは思えないほど、天真爛漫であった。

「いえいえ、そんなことは。業務内容も全然違うので。あ、百瀬先輩、僕の方が後輩なので、タメ口で大丈夫ですよ」

「相手は敬語なのに、二十歳の人に対して、タメ口の十七歳はありえなくないですか。それにアタシ、先輩って柄じゃないので百瀬でいいですよ。モモセセンパイって言い辛くないですか。まあ、下の名前が瀬那なんでどのみち言いにくい名前なんですけど」

「いきなり呼び捨ては、流石に。間をとって、百瀬さんでいいですか」

「さん付けって、呼び捨てと先輩呼びの間なんですか、ウケ……って、すみません。脱線しちゃいましたね」

百瀬さんはカラカラと哄笑したかと思えば、スンと我に返ったかのように仕事モードの口調で襟ならぬリボンを正したり、何かとリアクションに忙しい人のようで、ずっと物静かな友人との付き合いしか持ってこなかった身には、ジェットコースターに乗っているみたい思えて、追うだけで目を回しそうになった。

彼女は液晶の画面に映る馴染みのOSのアイコン群にひっそりと紛れ込んだ唯一見慣れない、額縁の中にある南京錠と鍵の形をした感嘆符が描かれているアイコンを迷わずにダブルクリックして、新しい業務そのものであるアプリケーションを開いた。

「IDは給与明細にも書かれている社員番号、パスワードは後から個別に設定するので、今は0が八つで突ッパファイルできますっと」

「おいしくかけたねあけぼのベーカリーイラストコーナー・セキュリティ・ネットワーク……これって、例の」

「それです、それです。うちの公式アプリ内から入れるイラストSNSあるじゃないですか。勿論、仕組みを作ったのは外注のITの会社みたいなんですけど。そもそもの成り行きは、うちの店舗に職業体験に来た小学生がお礼にって、イラストを描いてきたのがきっかけらしいんですよー。それをたまたま店長会議でよその店長さんたちも見ていたみたいです。そっから、芋づる式にみたいな。エモいですよね」

繁華街ともビジネス街とも違う、ベッドタウンを前提として都市計画されたニュータウンばかりに出店したベーカリーのエピソードとしては、何の違和感もなく受け入れられる話であった。少子高齢化に対してさざ波程度の抗いを見せているニュータウンの歯医者や交番には得てして、そういった子どもたちが手掛けた「おえかき」が飾られていたりする。チェーン店である以上、よその店舗もその試みに「うちもうちも」となり、「では……」と、本部が簡素なプラットフォームを用意したという経緯に対しても、頷く以外なかった。

「当アプリ内のイラストコーナーでは、あけぼのベーカリーに関連したみんなが楽しめるようなイラストを投稿していただけるようお願い致します。見た後に思わず、喉が鳴り、当店のパンを買いに行きたくなるような美味しいイラストを心待ちにしております」

アプリが表示するホーム画面を下へ下へとスクロールすると、「おねがい」という青字のリンク欄があり、そこには規約というほどは畏まってはいない会社側からの簡潔な声明が掲載されていた。裏を返せば、それ以外の制限めいたものはなく、老若男女、延いては、描いては消され、描いては消されと、虱潰しに筆を折られざるを得なかった、人ならざるモノに対してもその門戸は開かれているようであった。

「えっと、アタシたちはSNSに掲載されるイラストを選ぶ係みたいな感じです」

「……それは僕らが、子どもたちや大きなおともだちが描いたイラスト群の中から、ふさわしい物を選考するってことですか」

絵に惹かれてアルバイトとしてこのパン屋に潜り込んだ身とは言え、絵心の欠片も審美の素養も全くといっていいほど持ち合わせていない、感受性の乏しさを自負している僕にとって、その役目はあまりに荷が重すぎると感じた。怖気づいた僕の語気を察したのか、はたまた単に訂正をしただけなのか、彼女は慌てて手を横に振った。

「そんな大げさに考えなくって大丈夫ですって。瞬間的にってアップされる普通のSNSと違って、掲示板に毛が生えたくらいのものですから。一週間に一度、纏めて投稿されたイラストをバーッとアップするんですけど、その時にこれはごめんね、ちょっとマズいんだよねってヤツだけ撥ねちゃえばいいだけですから」

「人力で絵の検閲をするってことですか」

僕の言葉に百瀬さんは親指を立て、細い輪郭を以てしても一本一本の歯が小ぶりに思える歯並びを見せながらニカッと笑った。

「いやー、流石です。そういえば、そこの大学の生徒さんなんですよね。やっぱ、理系の大学生の人は、理解がメチャ早です。んで、試しにこれが今日送られてきた四十枚のイラストファイルなんですけど、試しにやってみますか、パトロール」

 

それからというもの、僕は率先してこの役回りに手を挙げ、進んで投稿されたイラストの検閲を買って出た。

ときめきに乏しい無機質な学生生活、向いているとはいえ、ひたすらに単調な惣菜パンを作るアルバイトの仕事、加えて世間的には無趣味とカテゴライズされている僕の性分と来る中で、素性のしれない何処かの……とは言っても、少なくともあけぼのベーカリーを知っている誰かさんが対価もなしに描き上げた緻密だったり、稚拙だったりするイラストたちをぼんやりと眺め、その中から、場違いな代物を見分けるといった具合に申し訳程度の刺激のあるこの仕事は、僕にささやかな楽しみを提供してくれた。

チェーンと言っても、ローカル店に限りなく近い組織力のあけぼのベーカリーだけに、その店のパンだか、店員だかを描こうだなんていうもの好きは一日に五十人いれば、かなり多い方で、過剰な時間を費やす心配もなかった。実に程よい暇つぶしであった。

「判断基準ですか……明らかにバッテンっていうのはさておき。そうですねー、良く描けているイラストでも、眺めていて何故かモヤモヤってしちゃうのは、パッと見では気づかないけれども、何かあるのかもってことで、ごめんなさい別のSNSとか自分のホームページかなんかで公開してくださいって、撥ねちゃいますねー」

僕の目は電子のそれのように、目ざとくはなれない。それこそ、映画みたいに暗号めいたメッセージを巧妙に隠したイラストなんかを描いたり描かせたりしたものであっても、それに対してサイレンを鳴らすことなどできないとんだざる警備でしかない。そこである時、百瀬さんに選別のコツを尋ねた際、彼女はそう答えたのだった。

「そうは言ってもねえ……」

僕は幸か不幸か、悪意を始めとする負の感情に対してのセンサーが人より鈍く出来ているようで、露骨に邪魔だとか言われれば、それに気づくかもしれないけれども、例えばジェラシーのようなより巧妙にさし込められた不純な感情などでは、殆どプラマイ0の存在しないに等しいものにしか、僕には思えないのだ。

ほんのり焦げたバターの匂いでくすぐったい指の腹で、チンチラみたいに頻りに鼻を拭いながら、僕は残念ながらバンされたイラスト群からその名状し難いイヤな感じとやらを学び取ろうと、当店の従業員たちがしょっ引いた曰く付きで未公開になったお蔵入りイラストの一覧を一つずつダブルクリックしては、原寸大に拡大して眺めた。

その殆どは従業員のプライバシーかノット・セーフ・フォー・ワークに抵触するような誰の目にも明らかな劇物ばかりであった。名札に「みなみ」と描かれたブラウスの制服を着て小脇にバスケットを抱えた可愛らしい女の人のイラストなどは、少女漫画のようにくりっとした左目と記号的なウインクを示した右目をした、いかにも小学生の女の子が描いたようなそれであったので、うっかり名前が載ってしまった事故により、泣く泣く何処かの店舗の「南さん」か「美波さん」のプライバシーの為に撥ねられたものであることが推測されたが、半裸でMの字の形に足を開脚したコック帽のベイカーのイラストやパンの上に少年漫画でしばしば見受けられる蠅の飛び交う巻き糞を乗っけたイラストなど、絵を描いた主は、何を思って投稿しようと決意したのか、甚だ理解に苦しむブツも何点か見受けられた。

「絵に描いたそれなら、別に衛生上は不潔ではないって言ってもねえ……不衛生と不快はまた全然違うもんな。まあ、裏を返せば、電子の世界ならその手の嗜好の人は衛生的に楽しめるようになったとも言えるけど、少なくともこのアプリ内では預かりきれない案件だなあ」

あまり広くは全国展開されてはいないはずの未上場の中堅パン屋のアカウントにまで届くほど、身近に深淵が存在していることに僕は少々困惑しつつも、次々と流れる危険物を右から左へと受け流し続けた。

そんなことをしばらく続け、アーカイブのデータを数ヶ月分遡ったところで僕の右手がふと止まった。

「これは、何がまずかったんだろう」

そのイラストはまず間違いなく小さな子どもの手によって描かれたものに思えた。逆に大の大人がここまで原始的な目で人の姿を捉えることが出来たのなら、それはそれで画期的なほど、その絵の中の人間が持つ身体のパーツは乱雑にして単純であった。逆三角形に近い輪郭線の中には、目と思われる黒丸が二つ、ぐわっと広がった口に当たる楕円が一つ、鼻を表す記号は短い縦棒の線であった。そんなこの人物の頭頂部の描写は黒のクーピーを寝かせながら引いたと思われる太い一本の横線で簡潔に済ませており、手には何やら分からない長い棒のようなものを持っていた。パン屋に関連したイラストなのだから、バゲットか、もしかしたら、めん棒なのかもしれない。

背景のようなものは特に描きこまれておらず、白地であったが、人物の周りには、鳥なのかよく分からないが、何やら黒い羽のあるものが数匹飛び交っている風に、僕には見えた。

この絵がバンを余儀なくされた理由をうんうん唸りながら考えているうちに、ディスプレイの端っこの黒帯にゆらゆらと近づいて来る、ブラウスにエプロンをつけた女性のシルエットを、僕は確認し、ぎょっとしながら後ろを振り返った。

「えっとー……それって、パトロールに引っ掛かった絵ですよね」

シルエットの主は眉尻を下げ、怪訝な表情を浮かべながら、画面を覗き込もうとする百瀬さんであった。彼女はまだパン屋さんのモードのままであったので、長めの髪は出逢った時のようにシニヨンでお団子のように結っており、顔もすっぴんのままなのではないかと思えるくらいにスッキリしていた。

そんな彼女の姿にテンションが上がらない訳でもなかったが、それ以上に何だか落ち着かない彼女の挙動の方が、僕は妙に思えて気になった。それに口ぶりから見ても、彼女はこの絵がすんなりアプリ上に掲載……とはいかず、従業員の特別なアクセスなしには、決して目にすることの出来ないお蔵入りの代物であることを知っているかのようであった。

「ハイ、基準をもうちょっと正確に学習しようかなと思いまして。仮にも僕は今、AIの代わりにサイバーパトロールをしている訳ですし。他はさもありなんなんですけれども、この絵は今一つ理由らしい理由を見つけられないんですよ」

「これ多分、小さな子が描いた絵ですよね。機械でもたまにありますけど、バグって外されちゃったとか。人間がやっていたとしてもありえることかなって。でも、この子には何の落ち度もなさそうですから、ごめんねって感じですけど」

百瀬さんは薄ら笑いを浮かべながら、当たり障りのない言葉をふわふわと並べるばかりで、どうにも素振りが怪しかった。僕はその姿を見て、何を隠しているのかは分からないけれども、彼女はあまり嘘の付けない誠実な性格の持ち主なのだろうなと思った。

「だとしたら、今からでもこの絵、公開してあげてもいいですよね……ああ、とは言っても、去年の十月末ってもう半年近く前ですね。今さらかなあ、描いた本人ももう忘れてそうですし」

十月末のパン屋となると、ハロウィン商戦で活気づいている時であろう。事実、その月のイラストコーナーの絵は期間限定の商品であるかぼちゃのデニッシュを美味しそうに食べる魔女であったり、悪魔の羽を付けて接客する制服姿の従業員を描いたものが多かった。こういった賑やかなお祭りごとは、僕はあまり得意ではないので、裏方として採用されたことにホッともした。そうなると、例のバンされたイラストに描かれていた飛び交うあの黒い羽の絵も鳥ではなく、蝙蝠なのではないかと推察するのもそう難しいことではなかった。

「そういえば、ハロウィンの日、百瀬さんは何か変装とかしたんですか」

そう何気なく世間話として尋ねると、既に先ほどから様子が何処かおかしかった百瀬さんの目があからさまに泳ぎ出した。僕も、何かを追及する意図はなかったので、「あまり聞かれたくなかったなら、すいません。別にいいです」と即座に前言を撤回しようとしたのだが、百瀬さんはそれを遮り、観念したように宣言した。

「いえ、こちらこそ、変に気を遣わせちゃって、ごめんなさい。そのー……それなんです、私がやったの」

「というと、これは……」

僕は察しがあまり良くない人間なので、ついにはこの百瀬さんのことを描いているらしいイラストが何の格好をしているものなのか分からなかったので、追って尋ねた。

「その日は侍のコスプレしたんです、アタシ。だから、頭に乗ってる黒いのは丁髷で、手のヤツは剣道部の友達から借りた竹刀のことを描いてくれたんだと思うんです。いやー、よく描けていますよ、そのイラスト」

リップを塗った時とは正反対なくらいに百瀬さんの唇は血の気が足りなく、それだけ分かりやすく動揺している様子が見受けられた。同時に、僕の反応を恐々と伺っているようにも思えた。

「丁髷ですか。一歳上の従姉も自室でリラックスしている時は眼鏡かけて、髪もてっぺんで纏めて、そんな感じの緩いヘアスタイルにしてるみたいですし」

「イヤッ、そこまでならあるあるなんですよー。実際、その日のシフト前まで泊まりで遊んでた友達が夜、そんな髪型してましたから……それもヒントになっちゃったのかなー。んで、ハロウィンの日曜だから、接客組は何かコスプレしようって話になってるんだけど、どうしようって、相談してたら、たまたまテレビから時代劇のCMが流れて。あーこれだ、アタシ、デコ広いし、絶対これ似合うわって、その場のノリで決めちゃったんですよ。止めときゃよかったのに、やるならガチっしょって、刈り上げみたいな感覚で半分くらいデコも剃っちゃって……とりかえしのつかないレベルで侍に挑んだんですよ」

数歳しか違わないけれども、僕は十代の女の子の向こう見ずな行動力に圧倒され、言葉を失い、「ハ、ハァ……」と力のない相槌くらいしか打つことが出来なかった。

「アタシ、毛量多いんで、前髪下ろせば、まあまあ、カモフラージュできるんですよ。月代でしたっけ、わりとガチ目に剃っても。だから、やっちゃえって。でも、やった結果は想像以上ですからね、前もって言っておきますけど。だから、見てひかないでくださいね。……んで、完成系がこれなんです」

そう言って、百瀬さんはスマートフォンに保存された画像データを僕に見せてきた。そこには、確かにあけぼのベーカリーの制服を着た侍が天使の輪っかやキョンシーの帽子とお札を付けた接客のスタッフに交じって、チェストとばかりに竹刀を頭の上に構えてポーズを取っていた。思った以上に百瀬さんはしっかりと侍になりきっていた。

「ここまではスタッフ同士でも瀬那、本気すぎワラみたいに盛り上がってたんですけど、いざ、お客さんが入ったら……その、反応が結構、お察しで。それで急に我に返って恥ずかしくなっちゃったというか。アタシ見て、ガチ泣きした小さい子とかもいて、もしかしたら、この絵を描いたのも、その子なのかなーって」

「それで居た堪れなくなって、このイラストにも疑心暗鬼になって、権力を発動したと……でも、この絵だけでこれは侍の格好をしたウェイトレスを描いていますなんてなかなか判別できないですし、もう時効ってことでしれっと規制を解いてもいいんじゃないですかね」

「んー、まーそうなんですけどー……」

百瀬さんは未だに煮え切らない態度を取っていたが、僕はマウスを右クリックして、たった一人の目だけには忌まわしく映る無邪気なイラストの凍結封印を解いた。

「あっ、あっ、あー……なかなか容赦ないですねー。でもまあ、そうだ。このイラストには罪はありません、ハイ。自首ついでに言うんですけど、休み明けになっても、友達にも散々髪型のこと弄られるし、自尊心メタメタにヤられて凹んでたくらいの時に、ポッとアップされたのが、お店に飾ってあるカワイイイラストなんですよ。あ、これ絶対アタシじゃーん、こう見られてるなら、今のアタシもなかなかイケてるクないって。それとなーく、一番人目につくホーム画面よりに寄せたら、あれよあれよと求人サイトのページとかにも使われちゃったりしたらしいんですけど。うん、満更でもねえなと」

百瀬さんは、勝因は前髪の毛量が結果的に減り、薄い束感を作りやすくなった為、ツーウェイのシースルーがキマるようになったとか、僕には今一つ理解できない呪文のような言葉を並べて、打って変わって朗らかに喋り倒し始めた。僕は相槌を打ちながら、聞きに徹していたが、その当のイラストにホイホイ付いてきた結果が今の身である為、何とも言えない感情が湧いた。それはまさに、モヤモヤした感情というヤツであった。

「この丁髷の位置をもう少し後ろにして、頭頂部の辺りの髪をこう前に持って行って、気を遣いながら束ねると、これになるんですよー。こういうの怪我の功名って言うんですかね。今もうちの接客ルールで同じ感じで束ねるんですけど、ここまでスマートにはならなくて、再現不能なんです。でも、それでもデメリットの方が多くて、向かい風とか吹くと、周りから昭和の芸人かよって笑われるくらい事故るんで、やっぱり早く髪生えろー、戻れーって内心思ってましたね、この時も」

百瀬さんは、軽く見ても五分は一方的に喋り倒したと思われる髪型の談義を、そう総括して締めた。

 

「そんなことを踏まえた上で、お願いしたいんだけど、このイラストの女の子の髪型が丁髷になったバージョンを描いてみてくれない」

僕はそうホームトーカーに注文すると、彼に搭載されたAIは、難儀の跡がそこかしこに見受けられる珍妙な絵を提示した。その絵はあまりにもキッチュが過ぎており、無垢な欲情にはあまりにも荷の重い相手に思えた。

「そうだよな。まあ、そうなるよな……」

頬杖をついた僕は、そう独り言ちながら、パラパラ漫画のように百瀬さんがモデルになった女の子のイラストのビフォーアフターを一頻り見比べてから、最後にモデルと思われる少女の手による検閲で、長い封印下に置かれていた幼児先生のありのままの感性のもとに描かれた彼女のイラストを、液晶の光で目がチカチカするまで、凝視する。すると、じわじわと頬杖をついた方の掌にぬくもりという段階を優に超した熱が伝わってくるのを感じた。ノートパソコンの電源を落とし、液晶画面を暗転させると、黒地の画面越しにも分かるほど、あからさまに頬が火照り、顔全体が紅潮した僕の顔が浮かび上がっていた。

どうやら僕の脳はバグってしまったらしい。丁髷頭のイラストを見るだけで、下手したら、時代劇や中学歴史の教科書の偉人の絵やモノクロ写真を見るだけで、悪戯っぽくニッと笑うあの子の笑顔と重なり、胸の鼓動が止まらなくて、どうしようもなくなってしまうのだから。

 

 

2022年10月2日公開

© 2022 春風亭どれみ

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