都知事の訃報が届いたのは急だった。出先のホテルでの首吊りだったそうだ。破滅派内で最も知事と懇意なのは私とJuan.B氏だったが、我々も彼の身の上について知ることは少ない。
きっかけは私が書いた都知事待望論だった。その時待望論を書いた理由が、彼が候補者の中で群を抜いて奇抜だったというのが理由の一つだった。政見放送はその主張、パフォーマンスについて制限されることがない。彼は政見放送中に好き放題していた。それが目的なだけで三百万もの供託金を払い続けていたのだろう、と当初思っていた。だが、彼の主張の中で一つ目につく物があった。それが理由のもう一つであり、彼が言った言葉の中で非常に刺さるものがあった。
「人に言えないようなところから生まれてきたのか?」
私はこの一言で彼を暫く注視すると決めた。待望論を書いてから大分経った頃、彼から直接連絡があった。私とJuan.B氏と彼と面会し、その日のうちに意気投合した。それから数年は落選が続き、情勢も目まぐるしく変わった。
時々選挙運動を手伝うなど、労力の提供をしつつも、別に見返りを期待したわけでもなく(寧ろ見返りが期待できるほどの成果が当時は全くなかった)暇なときだけ手伝う程度のものだったが、ある日転機が訪れた。リベラル系議員の提出した表現規制案およびそこから派生しての東京都青少年健全育成条例、通称都条例の改正案によるものだ。
この内容は、今まで絵に限っていた検閲対象を、文章にまで広げるというものだ。当然ネットで非常に紛糾したが、様々に飛び交う意見の中に、相変わらず派手なパフォーマンスと共に彼のものもあった。そこで、Juan.B氏がよくイベントを行う阿佐ヶ谷のトークショーに彼を呼び、配信イベントを行った。彼はそこで改めて次の都知事選への出馬表明を行い、自身の政策やヴィジョンを語り、大きな反響を呼んだ。その意味で我々破滅派が彼を焚き付けたということも、少しだけある。
この勢いで、泡沫候補から自由の闘志として扱われるようになり、保守系与党内で着々と地盤を固めつつあった反表現規制派議員の後押しもあって、何と都知事選で当選したのだ。こうして彼は当初の公約通り、都条例の改正案どころか、元の都条例ごと撤廃するという快挙まで成し遂げたのだ。
だが、実際のところ、世論を冷静に見ると手放しで喜べる状況でもない。着実に表現の自由が支持を集めていったというより規制派がひたすら世情の反感を買い続けたというのが正しい。検閲が正しくあるべき姿なのか、あるいはやはり自由こそ人間に必要なのかは歴史上何度も繰り返された議論である。正確にいうと自由の概念が出始めたのはここ数百年程度なので、実際は検閲があった期間の方が遥かに長い。その問いに対して取り敢えず下された直近の結論は、過激な検閲派は危険だというものだ。我々の正しさが証明されたわけではなく、取り敢えず保留された状態だ、と。
彼の自殺は、反表現規制の政治家の一角として更なる活躍が期待されている中での訃報だった。正直なところ疑問が拭えなかった。泡沫候補の頃から派手なパフォーマンスで注目を集めていたので、反感を買うことは多々あったと想像される。怨恨による殺害なら、理由としては納得感があるが、自殺するほど気に病むことがあったという気配は特に見当たらなかった。確認したいことが幾らでもあるため、関係者から都知事の身辺に関する詳細を聞いて回ったが、何一つ確証を得ることがないまま、葬儀には私が出向くことになった。故人の意思での家族葬で、関係者のみの参列だった。本当に政治に関わること以外は、全くといっていいほどに質素というか地味極まりない。寧ろ陰気であるが故に、政治の世界という非日常で自由に破天荒を演じられたのかもしれない。
葬儀後に家族の人から日記帳を数冊渡された。待望論のことを覚えておられており、もし追悼特集を組んでいただけるのならその参考にも、と。しかし、プライベートまで踏み込む気はなかったので遠慮しようかとも思ったが、私生活のことは書いていないとのことだったので受け取り帰宅した。
この急な自死の切っ掛けについて、日記を遡ってもそれらしい事が書かれていない。しかしそれとは別に違和感があった。あるべき物が逆に書かれていなかったからだ。
それは例の都条例をひっくり返した時の前後について、普通の政治家ならば、一生をかける程の大事業であるにもかかわらず、対してそのことについて記載が見当たらない。逆に気になる事が書いてあった。与党系の議員との会談の記録が不自然なほどに多い。何かしらの交渉だったのだろうことが窺えた。
葬儀から数日経ったある日、破滅派の編集部宛に都知事の秘書を名乗る人から連絡があった。生前の都知事のことで聞きたい事があるのと、伝えたい事がある、と。
都知事の件ということもあり、結局また私が出向くことになった。指定された場所は銀座のカフェである。先について待っていると、やがてその人がやってきた。前に葬儀の席で見た記憶がある。挨拶も程々に、彼は突然こう切り出してきた。
「都知事の手記のうち、会談した企業関係について書いてあるものを渡して欲しい」と。
こちらとしては、既に日記の内容はテキストデータとして保存済みなので、原本は証拠として以外は別に用途がないが、相手が政治の世界に身を置く人間となると、何かしらの闘争に巻き込まれないかと最低限の警戒は解かなかった。
「無論、彼の死因について、またその背景についてこちらが知りうるものを提供します」
"禁書目録の自動更新"へのコメント 0件