好きで溺れてる

破滅派16号原稿募集「追悼・山谷感人」応募作品

曾根崎十三

小説

15,171文字

破滅派16号参加作品。あまり山谷感人を追悼できませんでした。フェイタルコネクションを読んだ女がでてきます。好きで溺れてる話です。

「追悼・山谷感人」

破滅派の表紙にはその文字が躍っている。誰だ山谷感人って。何かの有名人だろうか。大学を卒業してからすっかり文学から離れてしまった。もう随分経つ。今の文壇のトレンドなんてTwitterのタイムラインで噂程度にしか知らない。大学は文学部と文芸サークル出身のくせに、文学とは何ら関係のない仕事をしているのに、未練たらしく申し訳程度の関わりにしがみついて、文学フリマには毎回来ている。買ったものの、時間がなくて積んでいるだけの本も多いので、この「追悼・山谷感人」も積ん読タワーの建築材料の一部になるのかもしれない。そういえば仕事で上司が時間はあるものではなく作るものだと言っていた。忙しさを言い訳にして行動しない奴はその行動にそこまでの価値を見いだせていないからだ、と。つまり、僕にとって文学の優先順位は低く、首の皮一枚で意識に留めている程度のものにすぎないのだろう。それよりも、もっと優先順位の高いものに付随するおまけなのだ。

「山谷感人を知ってるの?」

まじまじと「追悼・山谷感人」を見つめる僕に隣から可奈が問いかける。正直なところ、僕はこの子のために文学フリマに来ている。彼女が喜ぶから僕は文学フリマに行こうと言う。

「いいや。全然」

と言いつつも、破滅派の本は文学フリマで毎回買っていたので、僕は見たことも聞いたこともない山谷感人を追悼する本を何となくで手に入れてしまった。

「山谷感人を本当に全く知らないの?」

「そうだよ」

「ふーん」

可奈はにやりと笑った。これは何か悪巧みをしている顔だ。僕を困らせようとしている。そしてもったいぶってもじもじとしている。そういうところが面倒くさくて好きだ。いつまでも突っ込んでくれない僕に痺れを切らしたらしく、百合ブースが並ぶゾーンに差し掛かったあたりで可奈は言った。

「あたしの元カレだよ」

全然ピンとこなかった。そもそも可奈は恋多き女だったと知っているので正直ふーんというレベルだったが一応大げさに驚いてやった。あの大きいおっぱいは何人に揉まれたのだろうか。僕は揉んだことはないけど。たぶんFカップくらいはあるだろう。その中の一人に山谷感人とやらが混じっていたとして、今更何か変わるわけではない。僕が揉めないことには変わりないわけで。彼女の発言にどういう意図があるのかよく分からないが、恐らく文学フリマで追悼されるレベルの有名人と付き合っていたんだという自慢だろう。

「ヒモのくせに、いつも嫌味たらしかった」

まぁ世の中にはそういう人もいるだろう。いや、愚痴か。愚痴を聞いてほしいのかもしれない。女性あるあるだ。というか、追悼、ということは亡くなったのだろうか。可奈には悲しみやら懐かしさやらもあるのかもしれない。僕には何の感慨もないけれど。

「しかもアル中なんだよ。まぁなかなかハチャメチャな人生を送ってきたみたいだから何か溺れるものを必要とするのも仕方ないのかな」

優しいんだか何だかよくわからない感想を吐いて可奈は僕を見た。あまりにもじっと見るから、今日はカラコンを付けてるんだなと男の僕にでも分かってしまった。可奈はかなり目が悪く、彼女の目に合う度数のカラコンは店頭に置いていないので、いつもネット取り寄せしている。このカラコンは三か月前に通販で買ったものだろう。しかし、これはどういう表情なのだろう。何を考えているのかよくわからない。いつもそうだ。でも、そんなところも好きだと思う。惚れた方が負けなのだ。僕は惚れた弱みで彼女に振り回されている。

「このブース面白そう」

僕から視線を外してパンフレットに目を向けた可奈が言う。今日の可奈は少しおしゃれな気がする。いや、いつも通りだろうか。この服を選ぶ時に少しでも僕の顔が浮かんだだろうか。浮かんだとしたら良いのだけど。

僕たちはしばらくブースを回った後、東京流通センターを後にした。可奈はずっと僕の隣にいる。手を握るなんて造作もない距離だ。でも僕から彼女には指一本触れることができない。しかし、記憶の中の温もりだけを重宝している。手を握ったり、抱きしめたりすることはできない。そんな資格なんてないし、僕にとって彼女はそういうことができる存在ではない。イメージすら上手くできない。

「好きだよ。しゅーちゃん」

今日も彼女は嘘くさい告白をする。本気にする方が馬鹿らしい。僕は大好きな彼女を軽蔑する。もうずっと軽蔑している。それでも僕は彼女に会おうとしてしまう。好きだから。それを踏まえると、僕だって欲望に踊らされた理性なき軽蔑すべき人間なのかもしれない。

だって、彼女はもう結婚しているのだから。旦那が僕の知らない人なのが救いだった。いつ見ても、とても幸せそうに、平和そうに暮らしている。昨日だって、旦那と外食に行ってたじゃないか。セックスレスでもないのも知っている。そういうゴミが出ていた。僕は少しの時間でもあればせっせと足しげく彼女の近くで息をひそめている。それくらい優先順位が高い。時間はあるのではなく作るものだ。僕は彼女の人生の関係者としてはきっと下位だが、人生の視聴者というか観測者としてはかなり上位の自信がある。その気になれば僕と出会ってからの彼女の人生を描いたドキュメンタリーだって作れる。しかし、僕は彼女の人生の全てを知っているわけではない。それが悔しい。僕は当然赤ちゃんの頃の可奈を知らないし、小学生の頃も、中学生の頃も、高校生の頃も知らない。観測期間では可奈の親には負けるだろうが、観測の濃さでは負けない。大事なのは過去よりも今だ。彼女の存在を感じたい。いつだって可奈がどうしてるのか何を考えてるのか知りたくて僕は彼女を追い求めているのに、ちっとも分かりやしない。もう何年の付き合いだろうか。彼女の恋愛相談を何度も受けてきた。山谷感人は恐らくペンネームだろうから、そのどこかにいたのだろう。可奈は真面目に活動に参加する数少ない女子部員だったので、そもそも入部当初からオタサーの姫の地位を確立していた。さらに、読み専ではあったが、発言は積極的で、批判的な空気になれば場を和ませたりと空気に気を遣うタイプだったので、彼女の在籍期間とオタサーの姫としての地位の高さには拍車がかかった。彼女はただの受け身な女子部員ではなかったので、告白したり、されたり、フラれたり、フッたり、付き合ったり、別れたりしていた。彼女を起因としてサークルを辞めた男も多い。

旦那が僕とあまり面識のない人で良かったと心から思う。サークル内ではなく彼女のゼミの同学年の人だった。オタサーの姫を射止めたのは結局オタサーの人間ではなかった。彼女が付き合って、結婚して、幸せそうで、心から良かったと思っているよ。でも実際には僕は彼女が何を考えているのか分からない。いっそ可奈になることができたら良いのに。僕は僕でなくなって、可奈の目で世界を見て、可奈の手で触れて、可奈の舌で味わって、可奈の脳みそで考えられるようになれば良いのに。可奈のことを理解したい。

「晩御飯は旦那さんと食べるんでしょ。早く行きなよ」

乗り換えの改札の向こうに行かず、僕をじっと見つめる可奈を冷たくあしらった。恋多き女だった彼女は安住の地を見つけたのだ。めでたしめでたし。僕は彼女の世界の外側の人間にすぎない。ハッピーエンドの邪魔をすることはできない。誰よりも彼女の幸せを願っている。本当だ。嘘じゃない。僕が傷ついて彼女が幸せになるなら喜んでその傷を引き受ける。僕は自己中心的な思いやりに満ち溢れている。

 

 

「好きだよ。しゅーちゃん」

思えばあの時が初めて彼女に好きと言われた時だった。これは僕が彼女に告白した返事だった。僕は天にも昇る気持ちだった。この瞬間に舌を噛み切って死んでも良いくらいに幸せだった。あれは間違いなく僕の人生の頂点だった。死んでおけば良かったのかもしれない。

「だから、これからも友達でいてほしい。君とは付き合えない」

天国から地獄に突き落とされた。カップルが等間隔で座っている屋上庭園でカップルのように座りながら僕はフラれた。体感としてはこのビルから落ちるくらいの衝撃があった。前方にはまた別のビルの屋上庭園が見える。そちらにもカップルらしき人影が等間隔で座ってる。川沿いじゃなくてもカップルは等間隔に座るものらしい。その等間隔カップルに混ざっている僕らは、きっと傍から見ればカップルに見えただろう。そもそも、これまでだって何度となくデートをしてきた。そう、デートだ。好意を寄せる女の子と二人で出掛けるのがデートでなければ何なのだろう。

「何で」

泣きそうになるのを悟られまいとしながら、僕はかろうじて短い言葉を吐き出した。思えば彼女にはお見通しだったかもしれない。彼女は幼児を見守るような優しい眼差しで僕を見つめていた。

「大好きだからだよ」

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2021年10月28日公開

© 2021 曾根崎十三

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