意識を高く飛ばす。高度が高いわけではない。宇宙の彼方というわけでもない。「高く」なだけ。
相対性は無い。
時計回りにぐるぐる回りながら飛ぶ。
意識は形を必要としない、と、気づいたのはいつからだったか
大きさを広げれば広げるほど意識は薄くなっていく。だが、小さいと効果は薄い。
意識がぎりぎりなくなる前程度、
ーー
人類が、なぜ生物のサイクルに入っていないか?
いつ頃からそれを気にするようになっていたのだろう
意識が肉体と別物だということを感付いたのは、いつからだろう
精神性を高めるのであれば、肉体こそ重しでしか無い。と、若い頃は思っていた。
が、肉体が無ければ、それこそ「苦労」の1%も体験することは不可能なのだ。
それに気づいたとき、そのために、なのか。とは思ったが、その奥底に何か重要なことがあると感じはしたが、その時点では見ることは不可能だとなぜか気づき、そのままにした。
地球にも、宇宙にも散らばる破滅した文明の残滓。
何か得るものはあったのだろうか
なぜ、同じことを繰り返すのだろう。
この疑問は常に。
「まだ進めていないから」
単純なことであった
そこから、まだ先に進めていないのだ
その「そこ」が、どの程度なのか、はわからない
が、肉体の時期を超え、精神体になり、その後、のことだとは予測は付く。
精神体を飛ばし、広げれば広げるほど、意識は薄くなりとけていくように、いや、一体化していくようにも感じられる
何と一体化するのだろうか
無すら無い、しかし全てであり
過去も未来も無いが、全てを抱合する
昔の、神に最も近づいた時代の人々が追い求めた調和すら
人々の言う神は、人と同じ存在同様でしかないわずかに、違うだけだ
そういう些細なことなど何の意味があるのだろうか。しかし、大きな意味合いでもある。
我思う故に・・
クラインのツボ
それらは
昔の人達の、神の領域を理解したく努力した痕跡だ。
その意味でいうと、、生き物を生み出した何かの目的で言えば、今の人類の大半は失敗だ。
その失敗作達に迫害される知恵遅れとか言われる個体達こそが、わずかに進化した一つの生き物。
大半は、それを活かすための要員でしかなかった。
サヴァン症候群。これに気がついた者は大したものだ。だが、その目的を「なぜ?」と追求すべきであったろう。
多くの生き物のうち、変異を持つ個体がでる。多くは奇形等で長生きはできない。が、ひと、の社会の場合、保護され長生き出来る場合もある。
ひとという種が、最もそういう新しい段階にチャレンジしやすい環境でもあるのだろう。
ーー
その男は気がついた。
自分の本質は意識であることを。
そして、肉体は体験をするためのものだということを。
ただ、
その肉体は、「必要なだけの」体験をする永さへの耐久性が無い。少なくとも、数倍から数十倍は必要なのではないか?と思った。
だが、
だが今のこれらは100年にも満たないものだ。
その条件が必須のものであるならば?
勿論臓器移植でわずかに若返らせて少しづつ生き延びるなんて冗談は無意味だ。
肉体を仮りの宿としているモノは多いのだろうか?
男は、ある猫にそれを感じたことがある。
なのでひと種以外にもあるのだろう
何を、、どこをめざしているのだろうか?
肉体を得ているときは、その精神体?の意識は途絶える。
なので、精神をさんざん飛ばしに飛ばし、初めてある時に気づく
いや、目覚めるというべきなのだろうか
脳さえ足かせになるほどの
そういうモノが、なぜ肉体を?
また、
堂々巡りになる。
何を体験させ、何に気づかせ、どこをめざさせたいのか?
だから、それがわからないからこその、その目的を見つけるための、繰り返しなのだ
宇宙を作り・・・
時間の無いそれらにしてみればどうってことないのかもしれない
逆に、何かをすり減らしているのかもしれない
ひと、などに到底わからぬことなのかもしれない
しかし、
今まで、
ここに来るまでがそうであったように
今は、精神を切り離して高く高く飛ばすだけだ
また、いつのときか、何かがわかるかもしれない。
ーー
(多分続く)
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