アフガンについて少々思ったことを。(追記アリ7)愚痴はごめんw

united無ぇtions

エセー

28,026文字

報道はそのままじゃないです。何より現地の者達を捉えてるのは英と仏のみ?
米軍とCIAがアフガンであほうな支配をしているのをずっと見続けた英と仏の一部の者達は、やっと今ココかwwと思っていることだろう♪

そう言えば昔々はアフガンと呼ぶマスコミいなかったなー、、

うちのブログでも読者さん、最初はわからなかったようだったw

などと懐かしむ老人w

 

 

部族社会を全く理解できないアメ公。何度やっても無理だってーの。同じことの繰り替えし。更に似たような事を南ベトナムでしてきたのに。
CIAの農場である南アメリカのほぼ全土で旨く行っているから勘違いしてるのだろうか?

 

国際社会の大半の紛争はお米の国がなくなれば消え失せるという事を知っている少数の者達は、何やってるのだろう?ほくそ笑んでいるだけなのだろうかね?

 

アフガンを知ろうとしたら、ソ連侵攻前から始めないとわかりません。当然ですが、民族性、部族(各派閥と西側メディアは呼んでいる)、言語、古い歴史なども知って、”アフガン人達の資質”を知ることが一番最初に必要なことでしょう。
昔はネットなどなかったんで図書館入り浸りするしかなかった。今はとても楽にできるので、誰でも一月も集中すれば可能だと思われ。

本文はその中でアフガンに関係在ることの一部、最近のことだけを取り上げています。

 

 

 

さて

ヒントのようなもんです。

アフガンを調べ、アフガン人を調べれば、そのうち何かが勝手に浮かび上がってきます。

これの紹介文のところを読んでいない方は、一度お読みください。

 

ーーーー

 

タリバン

AFP記事より

https://www.afpbb.com/articles/-/3361885?page=1

https://www.afpbb.com/articles/-/3361885?page=2

 

流石AFP

書いちゃいけない事も書いた?w

 

以下引用

817 AFP

 

・・・・

タリバン最高指導者ハイバトゥラ・アクンザダ師

2016年にアクタル・マンスール(Mansour Akhtar)師が米軍のドローン(無人機)攻撃で殺害された後、タリバンの新指導者に指名されたのが、ハイバトゥラ・アクンザダ(Haibatullah Akhundzada)師だ。

最高指導者となる前のアクンザダ師は、知名度のあまり高くない聖職者だった。同師が選出されたのは武装勢力の司令官というよりも、精神的指導者としての役割が大きかったとみられている

 

最高指導者に任命された直後のアクンザダ師に対し、国際テロ組織アルカイダ(Al-Qaeda)の最高指導者アイマン・ザワヒリ(Ayman al-Zawahiri)容疑者は忠誠を誓った。これによって、アクンザダ師はジハード(聖戦)戦士として、タリバンと長年同盟関係にあるアルカイダの信任を取り付けることができた

タリバンは当時、前任の最高指導者マンスール師が暗殺され、また創設者オマル師(Mullah Omar)の死を指導部が何年も隠していたことが露見し、激しい権力闘争で短期間だが分裂状態にあった。アクンザダ師に託されたのは、その過激派組織を結束させるという大きな仕事だった。

これまで、アクンザダ師が公に姿を見せるのは、イスラム教祝祭日の恒例メッセージでのみと大きく限られている。

 

 

 

共同創設者バラダル師

共同創設者のアブドゥル・ガニ・バラダル(Abdul Ghani Baradar)師はタリバン運動の発祥の地、カンダハル(Kandahar)で育った。

多くのアフガニスタン人と同様、バラダル師の人生も1970年代後半の旧ソ連によるアフガニスタン侵攻によって大きく変わり、反乱軍に加わった。バラダル師は隻眼(せきがん)のオマル師と肩を並べて闘っていたとされる。

 

旧ソ連撤退後に発生した内戦による混乱と腐敗の中1990年代初めに2人はタリバン運動を発足した。

 

2001年のタリバン政権崩壊後は、暫定政権のハミド・カルザイ(Hamid Karzai)大統領に対し、新政権を認める可能性について触れた書簡を持ち込んだ反乱勢力の小集団にバラダル師も加わっていたとされている

 

2010年にパキスタンで拘束されたバラダル師は、米国の働きかけで2018年に解放され、カタールへ出国した。そこでタリバンの政治部門トップに任命されると、アフガニスタン駐留米軍の撤退につながる和平合意に調印した。

 

 

 

ハッカニ・ネットワークのシラジュディン・ハッカニ師

旧ソ連に対抗したジハードの司令官として有名なジャラルディン・ハッカニ(Jalaluddin Haqqani)師の息子が、シラジュディン・ハッカニ(Sirajuddin Haqqani)師だ。

シラジュディン・ハッカニ師はタリバンのナンバー2であると同時に、強力なハッカニ・ネットワークHaqqani Network)のリーダーでもある。

米国がテロ組織に指定しているハッカニ・ネットワークは過去20年間、アフガニスタンで政府軍や米軍主導の北大西洋条約機構(NATO)軍と戦ってきた最も危険なタリバンの一派と見なされてきた。

 

 

 

創始者オマル師の息子、ヤクーブ師

創始者オマル師の息子ヤクーブ師(Mullah Yaqoob)は、タリバンの強力な軍事委員会を率いている。軍事委員会は、戦闘の現場で戦略的作戦を実行する指揮官らの巨大なネットワークを統括している。

ただし、タリバンにおけるヤクーブ師の正確な役割については依然、臆測が飛び交っており、2020年の軍事委員会トップへの任命は単に表面的な措置だとする見方もある。

 

以上引用

 

 

他の記事として重要かな?と思われるもの

 

https://www.afpbb.com/articles/-/3240198 AFP8月17日

パキスタン南西部バルチスタン(Balochistan)州クシュラク(Kuchlak)のモスク(イスラム教の礼拝所)で16日、爆発があり、アフガニスタン旧支配勢力タリバン(Taliban)の最高指導者の弟を含む4人が死亡した。タリバン筋とパキスタンの当局者らがAFPに明らかにした。

・・・

匿名でAFPの取材に応じたバルチスタン州高官は、死者の中にタリバン最高指導者ハイバトゥラ・アクンザダ(Haibatullah Akhundzada)師の弟、アフマドゥラ・アクンザダ(Ahmadullah Akhundzada)師が含まれると言明。同州の州都クエッタ(Quetta)と、アフガニスタン国境に接する都市チャマン(Chaman)をそれぞれ拠点とする2人のタリバン筋も、アフマドゥラ師が死亡したと述べた。

 

タリバン専門家ラヒムラ・ユスフザイ(Rahimullah Yusufzai)氏によると、爆発があったのはイスラム神学校に付属したモスクで、以前はハイバトゥラ師が運営していた。ユスフザイ氏はAFPに対し、ハイバトゥラ師は「指導者になった後にこの場所を離れた」と説明。「弟がこの神学校を運営していた。われわれは弟が殺されたと認識している」と述べた。

 

クシュラクの住民らも匿名で、モスクはハイバトゥラ師の一族が所有していたと語った。住民らはまた、アフマドゥラ師はイスラム学者として尊敬されていたがタリバンとのつながりはなく、兄が2016年にタリバン指導者となった後、このモスクを引き継いだだけだと説明している。

 

一方、前出の警察幹部は、一族がモスクを所有していたことを否定。AFPに対し、所有者は地元の別の男性だと述べた。この男性は爆発発生時、現地にいなかったという。

 

以上引用

 

 

 

あとこれが重要かな?

https://www.afpbb.com/articles/-/3087963

523 AFP】アフガニスタンの旧支配勢力タリバン(Taliban)の複数の幹部筋は22日、AFPの取材に対し、隣国パキスタン米軍が前日実施した無人機攻撃により、同勢力の最高指導者アクタル・マンスール(Akhtar Mansour)師が死亡したことを認めた。アフガン政府もこれに先立ち、同師の死亡を確認したと発表していた。

・・・

 

ある幹部筋は「信頼できる情報として、マンスール師が死亡したと言える」と言明。さらに2人の幹部筋も同師の死亡を認めた上で、後継者選びのため指導部がパキスタン中部クエッタ(Quetta)に集まっていることも明らかにした。同師の死亡を受け、タリバン組織内で後継者をめぐる内紛が発生する可能性がある。

マンスール師の死や後継者について、タリバンからの公式発表はない。米当局は、アフガン国境に近いパキスタンのアフマッドワル(Ahmad Wal)で、同師を標的とした複数の無人機攻撃を実施したことを明らかにしたが、同師を殺害するに至ったかについては決定的な証拠はないとしていた。

 

以上引用

 

 

 

おまけ的な記事

https://www.afpbb.com/articles/-/3361649?cx_reffer=livedoornews&utm_source=livedoornews&utm_medium=news&utm_campaign=txt_link_0814_r1

813 AFP】英国のベン・ウォレス(Ben Wallace)国防相は13日、アフガニスタンからの米軍撤収を批判し、旧支配勢力タリバン(Taliban)の復権は世界の脅威となる過激派の温床を生み出す恐れがあると警鐘を鳴らした。

ウォレス国防相は12日、タリバンが支配地域を広げていることを受け、アフガン国内にいる英国人の避難を支援するため、兵士約600人を派遣すると発表した。

・・・

また同氏は、欧米諸国が20年にわたりアフガンに関与するきっかけになった2001911日の米同時多発攻撃以前に、タリバンが保護下に置いてきた国際テロ組織アルカイダ(Al-Qaeda)に言及。

アフガンからの部隊撤収はアルカイダを利することになり、アルカイダが復活すれば「英国とその国益にとって、安全保障上の脅威」になると警告した。

・・・

 

ウォレス氏はさらに、米国とタリバンが昨年カタール・ドーハで結んだ和平合意に触れ、これによって英国には部隊撤収以外の選択肢がなくなったとの見方を示した。

 

以上引用

 

 

AFPはさすがなー、必要な部分のみをUPしているよねー。

 

取材であり一次証人ではない。そして記事にされた部分は記者が書いたそのものなのかカットや付け加えがあるのかなども不明だ。が、

見た感じ、違和感は無い。取材で不足部分はあるかもしれないかも、というのが感じられる程度。

 

そして、アフガンは国際社会に注目され始めたのはソ連のアフガン侵攻から。

 

ソ連内部にいる西側の虫(英国系かな?プランはアメ公)によってアフガン参戦をしてしまった間抜けなソ連。

今回と似たようなもんだ。当時アメリカが支配できなくってどうしようもなかったアフガン指導者達の一掃をソ連にさせよう、同時にソ連にも疲弊してもらうためにアフガン側に指導・援助しよう、という計画だ。

まんまと旨く行った。

 

そしてソ連撤退後

1992年にムジャーヒディーン勢力が首都カーブルを占領し、ラッバーニー政権。アフマド・シャー・マスードが国防相、政府軍司令官に。

このマスード将軍が、当時において米国のアフガン支配の最大脅威だったようだ。何より人望が最高にあったと言われている。

当然、他部族の支配層にも大きな脅威だったろう。

 

その政権がアフガンを平定思想だったことに脅威を覚えたアメリがとパキスタン。

タリバンを使い、1996年からアフガニスタンの大半を支配した!!パキ、サウジ、UAE、カタールが支援していたのがタリバン。

 

今現在の事だが、北アフリカから始まったダーイシュを支援しているのがサウジ。ダーイシュを設立したのはCIAを中心とするもの。

ちなみに、現時点でアルカイダはCIAに切られたようにも見えるが、奴等のことだから利害が一致するといつ関係が復活するかわからない。

 

 

アメ公の最大脅威の排除(マスード将軍のウィキペより)

 

200199日、自爆テロによって暗殺された。

なお、200199アメリカ同時多発テロ事件の2日前であり、日本国内でも911日朝の時点で暗殺死亡説が報道された。

暗殺者はアラブ系の2人で、モロッコ出身のベルギー人とされたが、後に旅券は盗まれたものであることが判明。北部同盟の主要メンバーを狙ってジャーナリストを装っていたとされる。

実際の攻撃は、暗殺者の一人が持っていたビデオカメラやベルト、いずれかに隠していた爆弾を爆発させたものとみられる。

 

>暗殺者の一人は爆発によって死亡し、一人は逃亡中に射殺された。

フランスの諜報機関DGSE20031016日に明らかにしたところによると、マスード暗殺に使われたカメラは、200012月フランスのグルノーブルでクリスマスのショーウィンドーを撮影中の写真ジャーナリストのJean-Pierre Vincendetから盗まれたもの。FBIDGSEはカメラの製造番号を追跡し、同一のカメラであることを確認したとされる。

 

遺体は故郷ジュンガラック村を望む丘に埋葬された。アフガニスタン暫定政権発足式典では、壇上に大きな遺影が掲げられた。

 

暗殺の直前にジャーナリストのセバスチャン・ユンガーから取材を受けており、これが最後の記録となっている

 

以上引用

 

 

マスード将軍は暗殺に気をつけていたと思われる。が、DGSEがわざわざ出てきたところもアレだし、ユンガーの取材を知って、その情報を使ったのは当然だと思われる(もしくはユンガーを使った)。米仏共同の暗殺作戦だったようだ。勿論サウジやカタールが絡んでいるだろう。

 

 

同ウィキペディアからの抜粋で人物像を見てみよう

 

>タジク人。家族は妻と14女。弟のアフマド・ズィヤ・マスードは北部同盟の外交官を務め、2004127日、ハーミド・カルザイ政権の副大統領に就任した。

英語・フランス語を使用。

 

綱紀やイスラムの教えに厳格だったが、その人柄と軍事的才能から北部同盟の兵士達には強い信頼を得ていた。

インタビューではアフガニスタンでの戦乱を平和的な会話によって解決し、民主的な政権が誕生することを望む発言をしている。

1996年のタリバーンによる首都カーブル包囲の際には、これ以上首都や民衆に被害を及ぼす訳にはいかないとして撤退している。

 

大の読書家で、好きな作家はヴィクトル・ユーゴーであり、また、反共主義者にも関わらず、毛沢東の作品から多くを学んだと公言している。

1997年時には、寝る間も惜しみ読書に時間を割いていたため、1日の睡眠時間はおよそ2時間程度だった。

1996年のタリバーンの攻勢により、事前に首都から撤退したが、その際マスードは約3000冊の蔵書を持ち出している

 

持ち出した蔵書は実家のゲストハウスの廊下に山のように積み上げられていた。その読書に対する執着ぶりは、夜間、発電機が止まり、あたりが暗くなっても胸からペンライトを取り出し何事もなかったかのように読書を続けるほどであったという。1992年ごろ、日本の月刊誌「文藝春秋」にも行軍の合間に読書に勤しむ司令官の写真が掲載されたことがある。

 

以上引用

 

 

本当の民主主義であれば、このような人物は大切にされようが、アメ公が支配するためだけの見せかけのものだ。ホンモノの民主主義を求めるマスードは最も危険であった。

もし、そこでホンモノの民主主義が出来上がってしまえば、それがもし広まったら終わりだからだ。

 

 

 

副題、壮大なる茶番その3とかにしとけばよかったかな?

 

 

 

** 8・18追記 **
https://www.afpbb.com/articles/-/3362130
AFP8月18日
>アフガニスタンの旧支配勢力タリバン(Taliban)の同国制圧を受け、同国からの米軍撤退に対する米国民の支持が急激に低下したことを示す世論調査の結果が17日、発表された。
・・・

 

>バイデン氏は、2001年9月11日の米同時多発攻撃後に開始された米史上最長の戦争を終わらせるという決断への国民の支持を期待していた。しかし、回答者の51%は撤退の方法を支持しないと回答。45%は、タリバンに政権が渡るのであれば、米国は撤退すべきではなかったと答えた。

以上抜粋

 

上の記事でこの記者が何を言いたかったのかなーとう穿ってみたw
”回答者の51%は撤退の方法を支持しない”
”45%は、タリバンに政権が渡るのであれば、米国は撤退すべきではなかった”

wwwwwww
わかるでしょう?
では他に撤退の方法、どういうのがあるの?
まぁ、そこはおまけでいいとして、

 

メインは
タリバンに政権が渡るのであれば、、って、、どんなバカでも、
タリバン以外だったら、米軍が連れてきてタリバンの代わりに傀儡敵にして、いずれアフガン政権を持たせたいとしているダーイシュしかないじゃん!!wwwwって思うよな?!

 

ただ、ブリ公が旨くアメ公を誘導したのだろう、タリバンの反異教徒?外国?の重鎮を欧米に排除(暗殺)させて、旨く今回に持っていった。
演出うまかったよ。さすがブリ公!ただ、占領軍(欧米軍)の兵士に死者はどのくいらいでたのであろう?嘘の数値ではなく実際になくなった人。多分ゼロ、とか。
最近自国の兵士を生贄にすると軍内部で反感持たれるからねー、やりにくいんだろうねー。ぷw

 

アメ公が一掃したがった連中が一掃された様子なので、これから1年くらいですかね?
その後、アメ公の過大な裏での要求に、タリバン指導層がどう対処するのか?まず内紛が密かに起きて、、どっちが先に殺られるか。米べったりがそうではないほうを粛清していくのが今までのパターン。現実だと今の特に西側(中国は特殊過ぎるので東西の別枠)では悪は大概勝つんだよね、卑怯だから。

 

中国接近と言う者もいるが、中国に利益を生み出すモノが無いアフガン。
もし中国とイランが近づくならアフガンを利用したらかなり良さげだが、中国はかなりアメ公寄りになっているのでそれは中国の利益にならないので無い。

 

ロシアはよほど懇願されなければ手を出さない。なので無い。

 

隣国イランくらいだ。だが、イランも基本他国に干渉しない。タリバン自体が米国との関係なしと考えたとしても、イランに近づくことはあまりなさそうだし。

 

中央アジアの国々の政府は当然「国境を完全シャットアウトできるならしておきたい」くらいだろう。自国で手一杯だし旨味ゼロに手を出す意味なし。

なので中央アジアを獲りたい米英の資本原理主義者ども意外にあんなとこ使いたがる者達は無し。
大体ウクライナくらいで躓いて支配もろくに旨く逝かず南ベトナム政府化してるじゃんw
本来、あの程度確保できたら余裕であの地域から中に浸透させられるくらいになるはずなのに。
でも、そんなドアホウどもにいろいろ殺られてしまっているロシアも大概だよな。徐々に包囲は縮まっているのに気にしないのがアレすぎ。

 

 

** 22日追記 **

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%AC%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E7%B4%9B%E4%BA%89_(1978%E5%B9%B4-1989%E5%B9%B4)
【アフガニスタン紛争 (1978年-1989年)】

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%AC%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E7%B4%9B%E4%BA%89_(1989%E5%B9%B4-2001%E5%B9%B4)
【アフガニスタン紛争 (1989年-2001年)】

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%AC%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E7%B4%9B%E4%BA%89_(2001%E5%B9%B4-)
【アフガニスタン紛争 (2001年-)】

 

ネットで動画含めて探したが、上記3つが一番マシ。
なんか、最近になって消えている情報が幾つかある。
主にアフガン王国以降に違和感感じるところが多く出る者もいるだろう。
その違和感を感じたところは、情報がなくなっている箇所だ。

特に全く何も知らない者でもソ連の侵攻の動機が少なすぎると思うだろう。
現地政府からの要請だけで簡単に動くようなものではない。
しかも当時アフガンがイスラム化しても、元戻るだけであり、中央アジアへの波及はほとんど考えられないものであった。中央アジア各国は社会主義の下、同時にムスリム国家でもあったから。別に禁止されたりとかではなかった。
なので、イスラム急進主義が中央アジアに波及するとかいう理由には頭をかしげるしかない。

特に初期の頃は英国、ソ連侵攻前頃からは米国のアフガンでの活躍wが書かれているモノが全く無い。??あれれ?だよね。フシギダネ?

 

ネットが出る前の資料とかをあさらなければいけなくなってるのかな?

 

 

** 23日追記 **
https://www.afpbb.com/articles/-/3243328?cx_part=top_focus&cx_position=1
マスード息子の写真あり(2019年9月6日 AFP記事)

 

2019年の記事。
AFPはその時から何か掴んでいたということですねー
米軍撤退が本決まりに成る頃かな?その少し前?

 

記事を見る限り、本人は神輿だと自覚し、いつ生贄にされるかわからんとも判っている様に見える。イギリス滞在長かったらしいが、やはりそこはアフガン人なんだろう。

 

パンジール渓谷(昔はパンジール渓谷って表記だった)で、英雄マスードの息子を亡くさせて、どうしようってんだろう?
タリバンの評判を落とすためだけに?
やるよなーそういうこと、奴等なら。
えぐいよブリ公(+アメ公)

 

でも息子は自分の父が英米指揮下のテロリスト組織にやられた、って知らないのか?
知っててわざと?アフガンをもっと混迷に落としたい?
それも一つの復讐かもな

 

https://www.afpbb.com/articles/-/3362800?cx_part=latest
>タリバンがアフガニスタンを制圧して以降、政府軍兵士の一部は、反タリバン勢力の要衝として知られる首都カブール北東のパンジシール渓谷に集結している。

 

>ナザリ氏はAFPに対し、パンジシールでは、アフマド・マスード(Ahmad Massoud)氏が、タリバンに対抗するために約9000人の部隊を編成しようとしていると語った。マスード氏は、2001年9月11日の米同時多発攻撃の2日前に国際テロ組織アルカイダ(Al-Qaeda)に暗殺された伝説的なムジャヒディン司令官アフマド・シャー・マスード(Ahmad Shah Massoud)元国防相の息子。

 

>AFPが撮影した写真には、訓練に参加する数十人の新兵やパンジシール渓谷を走る装甲車両数台が写っていた。

 

>ナザリ氏によると、反タリバン勢力側は新しい統治制度を確立したいと考えているが、必要であれば戦闘も辞さない構えだ。

 

>同氏は、「タリバンは、このままでは長くは続かない。われわれはアフガニスタンを防衛する準備ができており、流血の事態を警告する」と語った。(c)AFP
(以上抜粋)

 

兵数ではパンジール側が圧倒的だが、タリバン側は装備が違うのだろう。
けど、
ソ連侵攻時の抵抗もそうだったよな?
マスードは覚悟しているけど、今回は負けるとは思っていないんじゃないか?
ホームの渓谷で、昔、今のタリバンよりよほど強かったソ連軍を、よほど少数で撃退していたんだ。
これで勝てないならやめたほうがいいくらい。

 

 

** 25日追記 **
ネットやネットで見られるBBCとかの記事(動画含む)を見ていると、なんだろう?
煽ってばかりいるのしかいない?かろうじてAFPが現状を捉え、時には過去のことで今に関連性高いものを記事にしているのみ。

 

現状、アフガンのタリバンの全体的な行動を考えれば
1) 国際社会を敵にしないように努めている
2) タリバン全体を大雑把にコントロールはできている。
ことがわかる。
一部勝手なことをしているのがいるが、その割合は南米での犯罪者の割合以下じゃないか?一部を持ってそこを大げさに捉えてそれがタリバン全体だと見せかけている者や組織が多すぎる。というかそれのみか?AFP除くと。

 

「自分が思っているタリバン像」を決めちゃってる逝かれなんだよな。
幸い今の情報はかなり多い。なので、そこから事実はどうなんだろう?どういう情況(個々の。小さいものから全体まで各部分で)なのだろう?
ということはわからない様子。
だから米国系メディアで
「8月31日まで米軍が撤退できなきゃどうするのか?」とタリバンの指導部の一人に質問するバカがいる。そんなアホウな質問を許すメディアがいる。

 

そんなの「その時なっての情況で、再度話し合うかどうか?を決める」しかないだろう。
が、そういうことを今この時点で言えない。それが交渉の一つの手段。そのカードを「おまえのカードを先に見せろ」って言ったのが、そのアホウ米メディア。

 

馬鹿極まりないよな?
あの髭とターバンのおっさんも、「何言ってんだ?こいつ」とか思ったようで、バカに言い聞かせるように再度返答していた。

 

「現状把握」が、全く出来ていないのがこっち側。
現状把握をさせたいんだけど、西側のあほうども全く理解してくれねーって困ってるののがタリバン指導部。

 

アメ公が配下のテロ組織使ってマスード将軍を暗殺しなければ、もっとうまく行っていたのに。
米英はかならずこういうアホウを行う。目先のことしか見えないから。

 

バカが人類を滅ぼしているのが現状。

 

 

** 26日追記 **
アフガンは部族社会と書いた。
昔から今現在まで全く変わっていないのが現状。
米支配時代の政権でも、大統領が最も苦労したのがその部分。
「まとまらない」のだ。

 

南ベトナムも政権は利権派閥で似たようなもんだっんじゃないかな?
が、アフガンはもう生粋のそれなので桁が違うというか根っこが違う。
もともとの狩猟民族と、現代でライフル担いで鹿射ちやってる名人くらいの差かな。後者はプロ中のプロだけど、所詮・・。

 

なのでそこを変えようと考えるなら、50年くらいの長さで綿密な計画を立て、全てのアフガン人(特に男)の意識を完全に変えようとしなければ不可能。
敗戦国日本に連合国がやったやり方が通じるのは世界でも日本だけ。それを何度失敗してもまたアフガンでやった米軍の結果が今ココ。

 

ならばブリ公のやり方がいいのか?
無理。
植民地政策はうまかったブリ公。でも不足社会で、それも拮抗した幾つもの部族の社会をうまく操縦したことは無いんじゃないかな?

 

もし、うまくできるとしたら、ロシアくらいかな?やる気ゼロだけどw
各部族を国家として独立させ、国境線を決定させる。そこは不可侵と徹底させる。なので国境線の話し合いで妥協は無しとする。ここをクリアできさえすれば、あとはロシア式の「放置主義」でおk!
逆に干渉は、ほんの少しでも反発を産み、僅かな反発がそのままでかくなっていく。要注意だ。

 

更に、米軍が作った汚職集団が面倒くさい。全部アフガンに駐留した西側で引き取れ。
味をしめた汚職集団は拡大こそすれ、縮小したりなくなることは在りえない。

 

部族集団でもあるように見えるが、それら汚職集団は利益に成ればくっつき、そうでなければ敵対するという1か0かの烏合の集団の群れ。山賊連合ってとこだ。

 

そんな中、タリバンがイスラムを使い求心力を維持しているのは、イスラムがあの地に根付いた奇跡のようなものだ。
もし無宗教であったら、それこそ山賊の群れでしかなかったろう。

 

イスラム教の起こりから、当該地域を見ていけば、イスラムによっていかに蛮族たちがどうにか人間らしくなっていったか?が見える。

 

蛮族なのだ。だからこそ部族社会であるし、逆にそれが力になることもあるけど。

 

国際社会を見ていると、イスラムを否定したいがためにタリバンを否定したい、みたいな様子が見える。

イスラムを否定してタリバンをどうにかしたいのであれば、方法はひとつだけ。全滅させるしかない。

 

でもチキンだから「ボクは悪人じゃないから」などと裏で極悪非道なことを喜んでやっているくせに表ではいい子を演出しなければ国体を維持できない各国は、タリバンを殲滅できなかった、しなかった。

 

糞どもと蛮族の闘いは、糞どもの敗退で集結したのが今回の件。

 

で、糞どもは失敗を失敗と認めないので向上はない。だから以前と同じことを言いまくるしか無い。よって、今後も同じ過ちを繰り返すしか無い。

 

が、タリバンは、そこは少しうまくなって、今は許容範囲を探っている。
もし、西側がタリバンのその許容を受け入れれば、ギリギリの線でアフガンの平和と人々の生活の平和は作られるだろう。女性も不自由があるが、それは蛮族の中で自分の身を守る範囲内だと、余程のアホウ出ない限り理解できると思う。蛮族なのだから!

 

パキスタンとかで肌の露出の多い欧米人旅行者が痴漢にあったりするのは日常だろ?
そういうことだ。そこらくらいいい加減分かれと思うのだが、全くわからんらしい。

 

民主主義至上だと思いこんでいる「最高のカモども」が、資本原理主義者どもに騙されて他の体勢を全て否定し攻撃する事が正義だと思い込んでいるのが、全体主義以外の何者でもないって全く判っていないのが痛すぎる。

 

民主主義は多数決だと思わされていることに疑問を持たないのかね?
愚民政策が先進国では大成功しているんで、無理なのかー、そうだよなー、無理だなー。

 

犬猫が人類を支配するほうが余程地球上の全てにとって最もマシな体勢なんじゃないかな。とか思えるくらい。

相手を知ろうとしない限り、無理。

で、知ろうとしている者は、今の所皆無。AFPの記事にさえ、それが見えるものが無い=そういう記者が居ない。
中国の中央と少数民族みたいなもんだな?今の西側体勢。全く一緒だなぁ♪

 

 

** 26日追記2 **

凄いのを見つけた

https://www.rt.com/op-ed/533018-west-destroyed-afghanistan-pdpa-revolution/

 

これほど事実をまとめたものを見たことがなかった。アフガン史上唯一の民主政権の社会の描写もある。ソ連がアフガンに介入しなければならなくなった陰謀も勿論正確に記載されている。その後のことも。

文としても、この短い中に盛り込んで、素晴らしいと思う。ご覧あれ!

 

(以下、翻訳サイトで翻訳そのまま、および原文)

ワニの涙の津波が西洋の政治家を巻き込むので、歴史は抑制されます。一世代以上前に、アフガニスタンはその自由を勝ち取り、それは米国、英国、そして彼らの「同盟国」が破壊した。

 

1978年、アフガニスタン人民民主党(PDPA)が主導する解放運動は、ザヒルシャル王のいとこであるモハマドダウドの独裁政権を打倒しました。それはイギリス人とアメリカ人を驚かせた非常に人気のある革命でした。

 

ニューヨークタイムズ紙によると、カブールの外国人ジャーナリストは、「インタビューしたアフガニスタン人のほぼ全員が、クーデターに喜んでいると言っていた」と驚いた。ウォールストリートジャーナルは、「15万人が…新しい旗を称えるために行進しました…参加者は本当に熱心に見えました」と報告しました。

 

ワシントンポスト紙は、「政府に対するアフガニスタンの忠誠心はほとんど疑うことができない」と報告した。世俗的でモダニスト、そしてかなりの程度まで社会主義者である政府は、女性とマイノリティの平等な権利を含む先見の明のある改革のプログラムを宣言した。政治犯は解放され、警察のファイルは公に焼かれました。

 

君主制の下では、平均余命は35歳でした。 3人に1人の子供が乳児期に亡くなりました。人口の約90%は読み書きができませんでした。新政府は無料の医療を導入しました。マスリテラシーキャンペーンが開始されました。

女性にとって、利益には前例がありませんでした。 1980年代後半までに、大学生の半数が女性であり、女性はアフガニスタンの医師の40%、教師の70%、公務員の30%を占めていました。

非常に急進的な変化であったため、恩恵を受けた人々の記憶に鮮やかなままです。 2001年にアフガニスタンから逃亡した女性外科医のSairaNooraniは、次のように回想している。

「すべての女の子は高校や大学に行くことができました。私たちは好きな場所に行き、好きなものを着ることができました…私たちは金曜日に最新のインド映画を見るためにカフェや映画館に行きました…ムジャヒディンが勝ち始めたときにすべてがうまくいかなくなりました…これらは人々でしたウェストはサポートしました。」

 

 

米国にとって、PDPA政府の問題は、ソビエト連邦によって支援されていたことでした。それでも、当時のアメリカとイギリスのマスコミが主張したように、それは西側で嘲笑された「人形」ではなく、「ソビエトが支援した」君主制に対するクーデターでもなかった。

ジミー・カーター国務長官のサイラス・ヴァンスは後に彼の回想録に次のように書いています。「クーデターにソビエトが加担したという証拠はありませんでした。」

 

同じ政権には、カーターの国家安全保障問題担当補佐官であり、ポーランドのエミグレであり、熱狂的な反共主義者であり、過激派であるズビグネフブレジンスキーがいた。

 

1979年7月3日、アメリカ国民と議会には知られていませんでしたが、カーターはアフガニスタンの最初の世俗的で進歩的な政府を打倒するための5億ドルの「秘密行動」プログラムを承認しました。これは、CIAオペレーションサイクロンによってコードネームが付けられました。

 

5億ドルは、ムジャヒディンとして知られる部族および宗教の熱狂者のグループを購入し、賄賂を贈り、武装させました。彼の半公式の歴史の中で、ワシントンポストの記者ボブウッドワードは、CIAが賄賂だけに7000万ドルを費やしたと書いた。彼は、「ゲイリー」として知られるCIAエージェントとアムニアットメリと呼ばれる武将との会談について次のように説明しています。

 

「ゲイリーはテーブルに現金の束を置きました:100ドル札の1フィートのスタックに500,000ドル。彼はそれが通常の$ 200,000よりも印象的だと信じていました。私たちがここにいる、私たちは真剣です、ここにお金があります、あなたがそれを必要としていることを私たちは知っています…ゲイリーはすぐにCIA本部に1000万ドルの現金を要求します。 」

 

アメリカの秘密軍は、イスラム世界各地から集められ、パキスタンの諜報機関、CIA、英国のMI6が運営するパキスタンのキャンプで訓練を受けました。他の人々は、運命のツインタワーの目の前で、ニューヨークのブルックリンにあるイスラム大学で採用されました。新入社員の1人は、オサマビンラーディンと呼ばれるサウジアラビアのエンジニアでした。

その目的は、中央アジアにイスラム原理主義を広め、ソビエト連邦を不安定化し、最終的には破壊することでした。

 

 

1979年8月、カブールの米国大使館は、「米国のより大きな利益は、アフガニスタンの将来の社会的および経済的改革にとってどんな後退を意味するかもしれないが、PDPA政府の終焉によってもたらされるだろう」と報告した。

私がイタリック体にした上記の言葉をもう一度読んでください。そのような冷笑的な意図が明確に説明されていることはめったにありません。米国は、真に進歩的なアフガニスタン政府とアフガニスタン女性の権利は地獄に行く可能性があると言っていました。

6か月後、ソビエトは、アメリカが作成したジハード主義の脅威に応えて、アフガニスタンに致命的な動きをしました。 CIAが提供するスティンガーミサイルで武装し、マーガレットサッチャーによって「自由の戦闘機」として祝われたムジャヒディンは、最終的に赤軍をアフガニスタンから追い出しました。

北部同盟と呼ばれるムジャヒディンは、ヘロイン貿易を支配し、地方の女性を恐怖に陥れた武将によって支配されていました。タリバンは超純粋な派閥であり、そのムッラーは黒く罰せられた盗賊、強姦、殺人を身に着けていたが、女性を公の生活から追放した。

 

1980年代に、私はアフガニスタン女性の苦しみを世界に警告しようとしていたRAWAとして知られるアフガニスタン女性革命協会と連絡を取りました。タリバン時代、彼らはブルカの下にカメラを隠して残虐行為の証拠を撮影し、西側の支援を受けたムジャヒディンの残忍さを暴露するために同じことをしました。 RAWAの「マリーナ」は、「私たちはすべての主要なメディアグループにビデオテープを持っていきましたが、彼らは知りたくありませんでした…」と私に言いました。

 

1996年に、啓蒙されたPDPA政府は暴走しました。大統領のモハマド・ナジブラは、助けを求めるために国連に行っていました。彼が戻ったとき、彼は街灯から絞首刑にされた。

 

「[国]はチェス盤の駒だと告白します。世界を支配するための素晴らしいゲームが行われている」とカー​​ゾン卿は1898年に述べました。

インドの総督は特にアフガニスタンに言及していました。 1世紀後、トニーブレア首相はわずかに異なる言葉を使用しました。

「これはつかむ瞬間です」と彼は9.11に続いて言いました。 「万華鏡が揺れました。ピースは流動的です。すぐに彼らは再び落ち着くでしょう。その前に、私たちの周りのこの世界を再注文しましょう。」

アフガニスタンについて、彼は次のように付け加えました。

ブレア首相は、大統領執務室から爆弾の犠牲者に話しかけた彼の指導者であるジョージW.ブッシュ大統領に反響した。「アフガニスタンの抑圧された人々はアメリカの寛大さを知っているでしょう。軍事目標を達成するにつれ、飢餓と苦しみに食料、薬、物資を投下します…」

ほとんどすべての言葉が間違っていた。彼らの懸念の宣言は、西側の帝国の野蛮な「私たち」がそのように認識することはめったにないという残酷な幻想でした。

 

2001年、アフガニスタンは打撃を受け、パキスタンからの緊急救援隊に依存しました。ジャーナリストのジョナサン・スティールが報告したように、干ばつの犠牲者への物資が止まり、人々が家から逃げ出したため、侵入により間接的に約2万人が死亡した。

 

約18か月後、カブールの瓦礫の中に不発のアメリカのクラスター爆弾が見つかりました。これは、空から落下した黄色い救援物資と間違われることがよくありました。彼らは、空腹の子供たちを探して手足を吹き飛ばしました。

 

ビビマルの村で、オリファという女性が夫の墓にひざまずくのを見ました。カーペットの織工であるグル・アーメドと、6人の子供と2人の子供が隣で殺された家族の7人です。

アメリカのF-16航空機が澄んだ青い空から出てきて、オリファの泥、石、わらの家にMk82500ポンド爆弾を投下しました。オリファはその時不在でした。彼女が戻ったとき、彼女は体の部分を集めました。

数か月後、アメリカ人のグループがカブールからやって来て、15枚のメモが入った封筒を彼女に渡しました。合計は15ドルです。 「私の家族1人につき2ドルが殺されました」と彼女は言いました。

 

アフガニスタンの侵略は詐欺でした。 9/11をきっかけに、タリバンはオサマビンラーディンから離れようとしました。彼らは多くの点で、ビル・クリントン政権が米国の石油会社コンソーシアムによる30億ドルの天然ガスパイプラインの建設を許可するために一連の秘密取引を行った米国の顧客でした。

 

タリバンの指導者たちは秘密裏に米国に招待され、テキサスの邸宅にあるユノカル社のCEOと、バージニア州にある本社のCIAによって楽しまれていました。ディールメーカーの1人は、後にジョージW.ブッシュの副大統領であるディックチェイニーでした。

 

2010年、私はワシントンにいて、アフガニスタンの現代の苦しみの首謀者であるズビグネフ・ブルゼジンスキーにインタビューするよう手配しました。 私は彼に、ソビエトをアフガニスタンに引き込むための彼の壮大な計画が「少数の興奮したイスラム教徒」を生み出したことを認めた彼の自伝を引用した。

「後悔はありますか?」 私は尋ねた。

「後悔! 後悔! 何が後悔しているのですか?」

 

カブール空港でのパニックの現在のシーンを見て、「私たちの保護」の撤回を嘆く遠方のテレビスタジオのジャーナリストや将軍に耳を傾けるとき、このすべての苦しみが決して起こらないように過去の真実に注意を払う時ではありません また?

(以上)

(原文)

As a tsunami of crocodile tears engulfs Western politicians, history is suppressed. More than a generation ago, Afghanistan won its freedom, which the United States, Britain and their “allies” destroyed.

In 1978, a liberation movement led by the People’s Democratic Party of Afghanistan (PDPA) overthrew the dictatorship of Mohammad Daud, the cousin of King Zahir Shar. It was an immensely popular revolution that took the British and Americans by surprise.

Foreign journalists in Kabul, reported the New York Times, were surprised to find that “nearly every Afghan they interviewed said [they were] delighted with the coup.” The Wall Street Journal reported that “150,000 persons… marched to honour the new flag… the participants appeared genuinely enthusiastic.”

The Washington Post reported that “Afghan loyalty to the government can scarcely be questioned.” Secular, modernist and, to a considerable degree, socialist, the government declared a programme of visionary reforms that included equal rights for women and minorities. Political prisoners were freed and police files publicly burned.

Under the monarchy, life expectancy was 35; one in three children died in infancy. Some 90% of the population was illiterate. The new government introduced free medical care. A mass literacy campaign was launched.

For women, the gains had no precedent; by the late 1980s, half the university students were women, and women made up 40% of Afghanistan’s doctors, 70% of its teachers and 30% of its civil servants.

So radical were the changes that they remain vivid in the memories of those who benefited. Saira Noorani, a female surgeon who fled Afghanistan in 2001, recalled:

“Every girl could go to high school and university. We could go where we wanted and wear what we liked… We used to go to cafes and the cinema to see the latest Indian films on a Friday… it all started to go wrong when the Mujahedin started winning… these were the people the West supported.”

For the United States, the problem with the PDPA government was that it was supported by the Soviet Union. Yet it was never the “puppet” derided in the West, neither was the coup against the monarchy “Soviet backed,” as the American and British press claimed at the time.

President Jimmy Carter’s secretary of state, Cyrus Vance, later wrote in his memoirs: “We had no evidence of any Soviet complicity in the coup.”

In the same administration was Zbigniew Brzezinski, Carter’s national security adviser, a Polish émigré and fanatical anti-communist and moral extremist whose enduring influence on American presidents expired only with his death in 2017.

On July 3, 1979, unknown to the American people and Congress, Carter authorised a $500 million “covert action” programme to overthrow Afghanistan’s first secular, progressive government. This was code-named by the CIA Operation Cyclone.

The $500 million bought, bribed and armed a group of tribal and religious zealots known as the Mujahedin. In his semi-official history, Washington Post reporter Bob Woodward wrote that the CIA spent $70 million on bribes alone. He describes a meeting between a CIA agent known as ‘Gary’ and a warlord called Amniat-Melli:

“Gary placed a bundle of cash on the table: $500,000 in one-foot stacks of $100 bills. He believed it would be more impressive than the usual $200,000, the best way to say we’re here, we’re serious, here’s money, we know you need it… Gary would soon ask CIA headquarters for and receive $10 million in cash.”

Recruited from all over the Muslim world, America’s secret army was trained in camps in Pakistan run by Pakistani intelligence, the CIA and Britain’s MI6. Others were recruited at an Islamic College in Brooklyn, New York – within sight of the doomed Twin Towers. One of the recruits was a Saudi engineer called Osama Bin Laden.

The aim was to spread Islamic fundamentalism in Central Asia and destabilise and eventually destroy the Soviet Union.

In August 1979, the US Embassy in Kabul reported that “the United States’ larger interests… would be served by the demise of the PDPA government, despite whatever setbacks this might mean for future social and economic reforms in Afghanistan.”

Read again the words above I have italicised. It is not often that such cynical intent is spelt out as clearly. The US was saying that a genuinely progressive Afghan government and the rights of Afghan women could go to hell.

Six months later, the Soviets made their fatal move into Afghanistan in response to the American-created jihadist threat on their doorstep. Armed with CIA-supplied Stinger missiles and celebrated as “freedom fighters” by Margaret Thatcher, the Mujahedin eventually drove the Red Army out of Afghanistan.

Calling themselves the Northern Alliance, the Mujahedin were dominated by warlords who controlled the heroin trade and terrorised rural women. The Taliban were an ultra-puritanical faction, whose mullahs wore black and punished banditry, rape and murder but banished women from public life.

In the 1980s, I made contact with the Revolutionary Association of the Women of Afghanistan, known as RAWA, which had tried to alert the world to the suffering of Afghan women. During the Taliban time, they concealed cameras beneath their burqas to film evidence of atrocities, and did the same to expose the brutality of the Western-backed Mujahedin. ‘Marina’ of RAWA told me, “We took the videotape to all the main media groups, but they didn’t want to know…”

In 1996, the enlightened PDPA government was overrun. The president, Mohammad Najibullah, had gone to the United Nations to appeal to for help. On his return, he was hanged from a street light.

“I confess that [countries] are pieces on a chessboard,” said Lord Curzon in 1898, “upon which is being played out a great game for the domination of the world.”

The Viceroy of India was referring in particular to Afghanistan. A century later, Prime Minister Tony Blair used slightly different words.

“This is a moment to seize,” he said following 9/11. “The kaleidoscope has been shaken. The pieces are in flux. Soon they will settle again. Before they do, let us re-order this world around us.”

On Afghanistan, he added this: “We will not walk away [but ensure] some way out of the poverty that is your miserable existence.”

Blair echoed his mentor, President George W. Bush, who spoke to the victims of his bombs from the Oval Office: “The oppressed people of Afghanistan will know the generosity of America. As we strike military targets, we will also drop food, medicine and supplies to the starving and suffering…”

Almost every word was false. Their declarations of concern were cruel illusions for an imperial savagery “we” in the West rarely recognise as such.

In 2001, Afghanistan was stricken and depended on emergency relief convoys from Pakistan. As the journalist Jonathan Steele reported, the invasion indirectly caused the deaths of some 20,000 people as supplies to drought victims stopped and people fled their homes.

Some 18 months later, I found unexploded American cluster bombs in the rubble of Kabul which were often mistaken for yellow relief packages dropped from the air. They blew the limbs off foraging, hungry children.

In the village of Bibi Maru, I watched a woman called Orifa kneel at the graves of her husband, Gul Ahmed, a carpet weaver, and seven other members of her family, including six children, and two children who were killed next door.

An American F-16 aircraft had come out of a clear blue sky and dropped a Mk82 500-pound bomb on Orifa’s mud, stone and straw house. Orifa was away at the time. When she returned, she gathered the body parts.

Months later, a group of Americans came from Kabul and gave her an envelope with fifteen notes: a total of $15. “Two dollars for each of my family killed,” she said.

The invasion of Afghanistan was a fraud. In the wake of 9/11, the Taliban sought to distant themselves from Osama Bin Laden. They were, in many respects, an American client with which the administration of Bill Clinton had done a series of secret deals to allow the building of a $3 billion natural gas pipeline by a US oil company consortium.

In high secrecy, Taliban leaders had been invited to the US and entertained by the CEO of the Unocal company in his Texas mansion and by the CIA at its headquarters in Virginia. One of the deal-makers was Dick Cheney, later George W. Bush’s vice president.

In 2010, I was in Washington and arranged to interview the mastermind of Afghanistan’s modern era of suffering, Zbigniew Brzezinski. I quoted to him his autobiography in which he admitted that his grand scheme for drawing the Soviets into Afghanistan had created “a few stirred up Muslims.”

“Do you have any regrets?” I asked.

“Regrets! Regrets! What regrets?”

When we watch the current scenes of panic at Kabul airport, and listen to journalists and generals in distant TV studios bewailing the withdrawal of “our protection,” isn’t it time to heed the truth of the past so that all this suffering never happens again?

 

 

** 26日追記3 **
https://www.afpbb.com/articles/-/3363487?cx_part=latest
欧米諸国、カブール空港でのテロ警告(AFP記事2021年8月26日 22:02)

で、
https://www.afpbb.com/articles/-/3363499?cx_part=latest
カブール空港付近で爆発、けが人の有無不明 米軍発表(AFP記事2021年8月26日 23:14)

 

今回は凄く雑ですねアメ公さん?

撤退作戦に空港に集まった民衆が邪魔で、自国民たちが来られないからだろうけど、もすこしやりようがあったんじゃないかな?例えばあれをあーするとかさあ。
31日過ぎたら書いてやろうかな?w

 

タリバン側にも速攻でバレてるのが痛々しくって、流石敗戦国らしくていいですな!

恥ってのを相変わらず全く知らんクズ。タリバンの下っ端達はまじ怒り心頭で「なぜこいつらを生かして帰してやるのだ?!」と思ってるだろうよ。

ちなみに、事前にテロを察することなど出来ない、少なくともあの場所のアメ公NATO共には無理。
理由?FSBか、アフガン経験した元ソ連兵にでも聞いて見るんだな。

 

 

** 27日追記 **
上記の追加記事が多く出ている。
写真も多い。
けど、米兵が被害に遭ったというが、その写真はない。

 

多く出ている写真は、記事からすると米兵がいたとされるバロンホテル前のものと見られる。
もしもう一方のアビーゲート付近の写真であれば、カメラマンは水路の写真も撮っていたろうから。
と思ったら、ツイッターに一件だけ米兵はアビーゲートにいた、というのを見つけた。
そっちの写真はないからなぁ、、なぜないのかわからんが、、

 

また、事件以前のアビーゲート付近の動画が少しあったので見たが、米兵というか白人兵は映っていない。アフガン人で米軍のような迷彩戦闘服とベストを着けた兵がちらほら。メットををはずして休息している者も見えた。

FOXニュースの映像だと、白人ではない英軍のようなカーキ色の戦闘服を着た若い兄ちゃんは写っていた。白人兵は見えなかった。

英文のニュース記事写真、動画、SNSの写真、動画から探したが、白人兵の被害者の写真はなかった。

 

米兵っても、現地契約で身分が米兵なアフガン人か他のアラブ系なのかもしれないな。
ならば、米軍的には被害ゼロ同様で、「米兵が殺られた!」と被害者ぶるのができるし、アフガン駐留この10年で最大の被害とか言っているけど、そのおかげでバイデンを揺さぶれる。効果は絶大。

 

今まで「被害に遭った」と公表し、でもその被害が表に出ないことも多い米軍や米政府の発表。今回も信用していいものか?

もし米兵が本当に被害を受けたのであれば
1)米政府公認
2)米軍公認
3)CIAだけ公認

もしくは
4)アメリカはテロが起きることを知らなかった。事前の予測はたまたまなんかで知っただけ。

まず4)は在りえないけど。
なので、被害は無いんじゃないかな?

もし今後写真とか出てきても、今回の写真じゃないとかさ。今までもよくあったように合成とかさ。

 

んじゃ、そういうふうに見て、何の効果があるのか?
米軍上層部の多くと、CIAは撤退させたくなかった様子。
今回のことを利用すれば、ダーイシュを伸ばせると思っている?
パンジール渓谷側とダーイシュとタリバンの三つ巴に?
全部に関わっている米側なので、かなり誘導できそうでは在る。支配下なのはダーイシュのみ。パンジールとタリバンは、米と利害が一致して協力している間柄。

ダーイシュ(ISISや(ISKP)はCIA(と米軍?)が作って支配下にある。ダーイシュ全体をコントロールできる者などダーイシュにいない。サウジも無能なのでコントロールを行っているのは米側しかいないんじゃないか?

どのように持っていくとか、今後の計画など全くまだなさそうだ。

 

 

** 29日追記 **
https://kakuyomu.jp/works/16816700426674635867/episodes/16816700426977201235
このサイトはアフガン関連のツイッター(英文?)から(多分重要なものを)日本語に訳してくれてUPしてくれています。

 

ここからわかったのは、というか、感想が
米軍、カタール、サウジ?、それとパキ?は、前アフガン政権からタリバンにシフトさせるためのもの、とも捕らえることが出来ます。
どこからどこまでを含むのか?は今後の情報ですけど。

 

しかし旨く乗り換えましたねぇ、、
これがカタールだったかな?あそこでの会合と、先日のCIAとの会合でまとまったのでしょうかね。

 

やっぱアラブ系(アフガン人も中東人と同質と思っています)は、したたかすぎるなぁ、、
全く信用できん(まぁ彼等なりの信用の仕方があるのでしょうけど)。

 

というものでした。

それなりに判ってましたが、でもここまでうまく手駒全部を使ってやられちゃうと、一本取られたな感が結構ありますね。

 

 

** 愚痴 **

ごめん、愚痴言わせて。

 

アフガン関連の記事を調べるために、見ないようにしてきたツイッタをここんとこ見ている。

ツイッタでは情報を拾ってくるのが旨い人達をフォローしているが(主義思想関係なく)、未だに皆さん感情(衝動)で判断することばかり。

論理的思考を維持している者を見ることはない。それでもその努力が見える、という人は1−2人みえるのでまだ救われるけど。

で、

やっぱ読んでしまうよねーw

 

そうすっと、せっかく外地にいてまともなオツムの人間だけに囲まれて生活して精神的にまともな人間でいられるごくあたりまえの人間として普通の環境を手に入れていたのに、

英米+下僕やわが祖国国民達のソレの毒を吸い込んでしまう。

 

おバカな物語を書くのが好きな私には、最もよくない毒ガスですな、それは。

 

他で毎日更新3本しているけど、笑いの質が落ちているんじゃね?と自分でも思ってしまう今日この頃。

 

かと言って、英米系英語ニュースを一つ一つ見てっても、クズが書くクズ文なのでクズの無意識の恣意が入っていてやはり同じようなもの。

AFPとかRTとか結構まともな者が書いている文だけだと情報量は不足。

クズの動向を見るためにも少なくともCNNやBBCなどの書き起こしくらいは読まねば。

 

あ、今、バイデンに圧力すごく加えているねぇ、、アフガンでタリバンを支配下に確実にするために、バイデンに譲歩させるよう圧力を。

でも、

カブール空港の支配権を渡すくらいなら英米と戦争するという者が大半なんじゃないかなタリバン。

英米ばかだからわからないのか、もしくはタリバンを分裂させてアフガンをとんでもないカオスにして英米で完全な植民地(軍事基地国家)にしようと目論んでいるのかな?

 

まぁいいや、も少しで見えてくるだろうし。

 

なので、アフガン落ち着くまで、我が脳を汚染する毒を忌避できないんですよー

 

まじきもくてきもくてきもくてきもくてすんげーイヤ

 

** 31日追記 **

 

2021年8月18日公開

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