反ワクチン音頭

応募作品

古戯都十全

小説

3,710文字

2021年5月合評会応募作。

五月十八日、とある海辺の町で予約されていたワクチン接種予定者が現れなかったことを皮切りに、寄り合いカフェを閉鎖された高齢者による騒動が規模を大きくしながら、背後に陰謀を伴いながら、次第に抵抗の形を帯びていく……。

北は海、南は遠く山に囲まれた海辺のこの町で六十五歳以上の高齢者のワクチン接種が始まったのは五月十七日、その翌日の十八日に予約されていた二十五人の接種予定者が会場に現れなかったことがことの始まりである。

水河太一郎の死因は心不全であったが、妻の伸子はかねてからその事実に納得してはいなかった。ただ夫が死んだことについては苦もなく納得できていた。彼女は二人の子供が家を巣立って行ってから十数年、夫との二人暮らしにおいて老後における新たな関係構築の模索に腐心した。しかし仕事を引退してから太一郎は日がな一日、目線を新聞とテレビ画面の間で往復させ、それら紙面と画面に穴をあけることに執心するようになっていた。伸子が彼に語り掛ける言葉は排泄されてもうまく流れに乗らず、すぐに彼女の体内へ逆流していった。二人の間の距離は容易に埋まらず、夫婦関係は濁った水たまりのようになった。

この間、彼女は町内の寄り合いカフェに通うようになり、自身の境遇について肺に水が入ったときの咳のように吐き散らした。町内の友人たちは年を経るごとに彼女の口が悪くなっていくことに気づいたが、とくに咎めることもなく、彼女が詰まった配水管を直すように吐く言葉に対し、緩衝材を用いることなくそのまま受け止めた。

太一郎が亡くなってから二週間後、寄り合いカフェの利用者の一人がコロナウイルスのPCR検査で陽性となったことで伸子は自身の感染を疑った。と同時に、彼の死因も間違っているのではないかという疑いを強く持つに至った。寄り合いカフェが閉鎖されて家でおとなしくしていた伸子であったが、排水手段を失った彼女の心は徐々に飽和状態へと近づいていく。しかし一向に収まる気配を見せないパンデミックへの苛立ちは募り、彼女は構わず自らの体内へ憤りを流し込んでいった。

 

どりゃ どりゃ

 

「彼女らはすでに自分たちに免疫があることを知っていた。だがたとえ免疫がなかったとしても、彼女らは町に繰り出し自らの権利を主張したであろう。主張というのは大袈裟かもしれないが、街に出て茶を飲み、歌うこと。つまり生きることそのものが主張なのだ。よって私はこれが組織化された、裏のある、計画的な運動だとはみていない。もちろん我が県内に、空予約によるワクチンの大量廃棄によって政治の攪乱を目論む闘争言説が陰でうごめいていることは承知している。だがそれをもってしても私としてはこの眼前の光景に対して闘争の自然発生説を取らざるを得ないのだ」

「しかしですね、とある県内テレビ局の記者の綿密な取材によりますと、そのワクチン廃棄が組織的に行われたという説の裏どりができているそうですよ。まだ発表はしていないらしいんですが……」

「だから何だというんだ? 何を言いたいのか知らないが、もし組織的な計画があったとしてもそれが権力側のものでない限り自然発生的なものといえるのではないのか? それとも何だ? 新たな革命のはじまりだとでも言いたいのか? 笑わせないでほしいな。よしんば革命らしきことが企図されていたとしても、我々外部にいる者がそれを認識した時点でそれは既に終わっている。革命はそれと認識した時点ですでに果たされているんだよ」

 

アソーリャ アソーリャ

 

 県内の年齢構成別のウイルス感染者で最も多いのは紛れもなく六十五歳以上の高齢者である。水河伸子がそのことに自覚的であったかどうかは定かではない。

五月二十日、寄り合いカフェの利用者約三十人が町の中心部にあたる駅前広場にブルーシートを広げて陣取り、感染対策を行わずに食事、談笑、歌唱を始めたことは後世に記録として残すに値する。一種異様なこの光景に対して通行人の一人が警察に連絡し、やってきた警察官の説得でその日、彼女らはおとなしく散会した。しかし翌日、広場ではさらなる大人数の宴会が催される。車椅子使用者、要介護者等含め総勢約七十人規模の集団が広場を占拠した。再び警察が出動し散会を促したが一部が抵抗、公務執行妨害で五人が逮捕される。その翌日は広場に人はほぼ散見されず、前日の騒動により駅利用者も極端に減少した。

そして二十二日、広場には無秩序が形成される。車で、バスで、徒歩で、タクシーで、自転車で、寄り合いカフェの利用者数とは比べものにならないほどに次々広場に増殖する老齢の女たち。広場はものの数十分で埋まり、そこからあふれた女たちが駅前の幹線道路に陣取り始める。歌い踊る女たち、食らい飲む女たち。三たび警察が駆け付けた折、彼女らはめいめい勝手に振る舞っていた行為をやめて道路から広場までやおら五列縦隊に整列し、警察の眼前で秩序を形成する。

 

心中 心中

 

「ああ、そういえば半年ほど前に若い女性が一人で話を聞きに来たな。無秩序と秩序、抵抗にはどちらが有効かという話をしたがね。彼女は名を名乗らなかったが―名乗りもしないのに話をする私もどうかとは思うが―その熱心さにほだされたよ。私の理論をそれこそ私の胃の中まで掘り返すように聞いていったね。君自身の取材かテレビ局の取材の受け売りか知らないが、私のもとに来た女性が寄り合いカフェ利用者らを組織したということは調べればいずれわかることだろう。しかしもし彼女が抗議運動を組織化したとして、その過程において私が話したことを援用したなどとバカげたことを言うのはやめたほうがいい。私の考えることなんて所詮はくだらん理想論だ。同業者にすら見向きもされない。だいたい君は私や彼女をやり玉に挙げて何をしたいんだ? 世間を攪乱した罪人として吊るし上げたいのか? たかが弱小地方紙の安っぽい正義感はひとまず置いておいて、目の前で起こっている事実だけを書きたまえ。それら事実の積み重ねが真実を作るんだ。突飛な空想は捨てるんだな」

 

ドッコイショー ドッコイショー

 

五月二十三日、遅まきながら県はワクチン予約の停止を決定、各市町村にその旨を伝達する。接種再開を二週間後と先走り気味に定めた知事はその間に対応策を検討する対策会議を設け議論を開始するが、この急ごしらえの県の対応に幅広い年齢層の県民が反発。かの海辺の町で起きた騒動を模して県内市町村にある主要駅十か所で飲めや歌えの抗議が開始される。

警察が抗議運動に手を焼いた翌日を挟んで二十五日、自称「濡れ鼠」という若い女が海辺の町の警察署に出頭する。彼女は県内キー局四社のテレビカメラを引き連れてきており、出頭、自首、逮捕の模様を撮らせて中継させることと引き換えに、かの海辺の町のワクチン接種会場で撮られたと思しき、ワクチンの大量廃棄の映像を各局で流すことを確約させていた。そのワクチンは二十三日に起きた大規模騒動の日に予約されていたもので、接種会場の職員が夕方、廃棄予定のワクチンの原液を瓶からバケツにあけて水で希釈する様子が映っている。

 

「この間、海辺の町において男たちは何をしていたのか? そもそも我々の社会では程度の差こそあれ男性は公の場、私的な場を問わず、排泄をその他の性よりも優位に、暗黙の了解として認められている。言葉、表現、し尿、精液。彼女らの行動、ないし主張はこの暗黙の了解を崩し、排泄の優位を得るための闘争でもあったわけだ。男たちはただこれを横目に見ていたわけではない。彼らはこの闘争に加わらないことで逆説的に闘争を一段高いレベルのものにした。これが濡れ鼠の意図したことであったならば、この一点だけをとっても彼女の戦略は相当高度なものだったといえるだろう。

ただこのような闘争は今に始まったことではない。闘争は常にあった。今まではただ可視化されていなかっただけだ。と同時に、これを狂った女たちの阿鼻叫喚絵図として処理することは現実に蓋をすることに他ならないだろう。彼女らは抑えられていた自らの欲望を排泄しただけにすぎないのだ。たとえ君の言うように裏で組織化され操られていただけだとしても、それが欲望に叶うことであれば、逆に彼女らがその陰謀を逆手にとって利用したといえるのではないかね? 濡れ鼠はパンデミックを利用し、寄り合いカフェの女たちは濡れ鼠を利用し、君は彼女らの闘争をネタに記事を売る。持ちつ持たれつで実に結構じゃないか」

 

五月二十七日、駅前広場の監視カメラの映像から、騒動を扇動したとして水河伸子が逮捕される。翌二十八日、未明から警察署、および役場前は逮捕に反発する群衆で埋め尽くされる。感染の怖れをものともしない群衆は夜明けの無秩序状態から、日が昇り始めると徐々に秩序だった動きを見せ、十列縦隊を形成、警察署前、役場前からそれぞれ行進しながら幹線道路に進み出て踊り始める。

 

 

コロナどりゃどりゃ かかればどりゃどりゃ

死なばもろとも コロナと心中

家族親類友人にゃ会えず 一人コロナと心中心中

アソーリャ アソーリャ ドッコイショー ドッコイショー

 

ワクチンどりゃどりゃ 打たずにどりゃどりゃ

免疫できずに コロナと心中

歌い踊れりゃ ワクチンいらず 我らコロナと心中心中

アソーリャ アソーリャ ドッコイショー ドッコイショー

2021年5月24日公開

© 2021 古戯都十全

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"反ワクチン音頭"へのコメント 11

  • 投稿者 | 2021-05-25 06:13

    いいなあ、心中。
    あとあれですね。コロナの初期にアメリカだっけ?なんか若者がすすんで集まってパーティーピーポーな感じの事をたくさんしてコロナを飽和させよう。みたいなニュースがありましたけども、ああいう感じを思い出しました。ただでも、それをこの話では余生の少ない、しかもそういう事をしなそうな女性がやってるっていうのが異様に見えますね。

  • 投稿者 | 2021-05-25 07:48

    毎日どこにも出掛けずに家にいるのは、そろそろ限界な気分です。Zoomでしか人に会えない。たまに仕事に行くと、店に入る客を数えるのが私の役目で、ちょっと目を離した隙に出たり入ったりされるので、そんなに正確には数えられない。それもストレスです。パンデミックのストレスが爆発したというストーリーには、とても共感を感じました。パソコンの側の電球が切れたので、明日あたりは出掛けようと思うのですが、心が沈んでいると家を出る気にならず、そしてまた家に籠ってしまう。痛快な劇でした。ありがとうございました。

  • 投稿者 | 2021-05-25 12:41

    初段の比喩の多用で「?」となりましたが、それ以降は実に読み応えがありました。人畜無害を絵に描いたような伸子が騒動を扇動する意外性がよかったと思います。
    あと太一郎の死は必要だったのかな? という疑問がわだかまっていますが、自分自身まだそのあたり消化できてないです。

  • 編集者 | 2021-05-25 19:54

    構成に少し戸惑ったが、面白く読めた。やはり混乱には祝祭性が必要だな、と言うことに気付かされる。俺もまるでコロナが存在しないかのごとくイベントを続けているが、この経験は、多分、まあ、いつか、役に立つだろう。おばあちゃん、いつまでも元気でいてね。

  • 投稿者 | 2021-05-28 14:12

    不思議な言い回しが面白かったです。
    よくそんなの思い付くなあと。
    あり得そうな話を面白い言い回しと構成でやっておられるんだなぁと思いました。

  • 投稿者 | 2021-05-29 07:03

    『心中 心中』
    と心中という重い言葉が、音楽もない小説なのにリズミカルに力強く響いているところが印象に残ります。
     昔、章の合間にカリプソの歌詞を入れて短編を作りましたが、私はあまり上手く作れませんでした笑

  • 投稿者 | 2021-05-30 12:38

    かけ声が挟まるたびに話がどんどん大きくなって加速度が増していく。音楽的に構成された文章だと思う。個々の登場人物は音符の一つに過ぎず、われわれは伸子や濡れ鼠の目線に密着することよりも、より大きな物語のリズムに身を委ねることを要求される。そういう意味で、作者が描こうとしたのは社会なのかもしれない。

  • 投稿者 | 2021-05-30 15:55

    痛快です。米騒動の地をなめるな、ですね。
    女性のおしゃべりにおける排泄性に注目とは良い観点でした。仲間とのおしゃべりの場を封じられるとこうなるぞ、と。本当に時々、電車の中で大声で喚き散らしたい気分に駆られます。誰がしゃべっているのか分からないけど、分かったような分からないような解説も良いです。
    反ワクチン音頭と一緒に婆さんたちの生の声も欲しかったです。できれば下新川郡の地言葉で。

  • 投稿者 | 2021-05-30 23:18

    いつの時代も音頭が生まれる背景は鬱積したものがたまったときの発散なんだろうなと。合の手(?)が良いアクセントになっていて構成が面白く、良かったです。

  • 投稿者 | 2021-05-31 18:02

    星5

  • 投稿者 | 2021-05-31 18:28

    スタンピードを起こすなら、きっとこういう形が一番自然なのかなと思いました。
    今一番足りてないのがこれかもしれないなと。

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