代代無窮 ~失われた中国は求めない~

破滅派第16号原稿募集「失われたアレを求めて」応募作品

大猫

小説

14,761文字

人生代代無窮已 
江月年年望相似 
人の世は代々移り替わるけれど
長江を照らす月はいつでも同じ

張若虚『春江花月夜』

八十年代終わりから九十年代初頭の数年間で、天安門事件が起こり、ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが統合し、ソ連が崩壊して各地で内戦が起こった。その頃の中国の話。いつ行っても面白い国だけど、鳥かごから解き放たれた勢いのあった時代はいっそう面白かったように思える。

一 海藍

 

「青い海」なんて名前のくせに、楊海藍ヤンハイランは二十五歳まで海を見たことがなかった。北京から乗った飛行機の窓に顔を付けて、雲の切れ目からキラキラ光る波しぶきを見つめたと言う。当時、独身者は国を出るのが難しかったから、付き合っていた彼氏と結婚を済ませ、新婚の夫を残して来日した。中国では家族を残して単身国を出るのは極めて普通のことだ。もっとも夫も半年後には日本へやって来た。海藍の親が国家幹部だったおかげだろうが、彼自身が優秀な建設技術者だった。後に日本で会社を立ち上げてまあまあ成功することになる。

海藍は百六十八センチある私よりも更に長身で細身で、腰まで伸ばした漆黒の髪を特大のお下げ髪にしていた。色白で細い眉に切れ長の目、鼻筋が通った綺麗な顔立ちだったが、いつも物静かであいまいな笑みを浮かべていた。言葉がよく分からなかったからそうしているしかなかったと後から聞いた。

一九八十年代の終わり、中国人研修生を引き受けて一人前のソフトウェア技術者に育てて祖国に返すという、どこか眉唾モノの「日中友好事業」に参加した企業の目的はもちろん国の補助金だったが、なにがしかは隣国の発展に貢献したいという殊勝な志もあった。中国側もメンツにかけて優秀な人材を送ろうとしていたはずで、実際、一緒に入社した李翔リーシャンという男性は非常に有能で、入社早々重要プロジェクトに配属されて客先へ常駐した。海藍は親が国家幹部だったので難関の選抜試験は楽々通ったものの、日本語の方は仕事のレベルには程遠く、周囲も彼女自身も困り果てた。李さんは出向中だからサポートできないし、だいたい最初から二人は仲が悪かった。四川省出身で子供の頃から苦学した李さんは海藍のことが嫌いだったし、生粋の北京っ子の海藍は李さんを田舎者だとバカにしていた。

そこで私に声がかかった。中国人研修生の来日時の出迎えの際に通訳アルバイトをした縁だ。またアルバイトをしてみないか。小さな開発会社だけどそれなりの時給は出すし、プログラミングも覚えられるし、研修生の人もいるから助けてあげてほしい、などなど。うまいことを言っているが、来た早々に研修生を潰してしまっては外聞が悪いし、どうせ人手不足だから学生をアルバイトとしてこき使い、ついでにそのまま安月給の社員にしてしまうつもりだったのだ。大学四年生だった私は提示された時給でも申し分がないと思って即決した。そうして会社の思惑通り、翌年そのまま入社してしまった。

 

浅草橋の雑居ビル、西向きのいつも蒸し暑い島に、私は海藍と並んで配置された。ただの大学生に仕事のサポートなどできるはずもなかったが、とりあえず無聊を慰めてくれる相手が来て海藍は喜んだ。半ば話し相手のために雇われたのだからと、私もアルバイトの身分も忘れて狭いオフィスで堂々と中国語で喋った。

「私は三人兄弟なの、あなたは?」

「えっ?」

中国人は一人っ子政策で兄弟などいないと思い込んでいた。一人っ子政策は一九九七年に始まったから自分の世代は関係ないと笑われ、兄が一人、妹が一人いると言って三人が並んだ写真を見せてくれた。

「兄は海涛ハイタオ、妹は海英ハイイン。従兄は海寧ハイニン海珠ハイチュー

「海が好きなの?」

「違うよ! 字輩って知ってる? 同じ世代の子供は全員に海の字がついてるの」

ここでまた机上の知識の底の浅さを思い知らされた。字輩で思い出すのは愛新覚羅溥儀、弟の溥傑。あるいは『紅楼夢』の賈璉、賈珠、賈環、賈宝玉。同一世代の者の名前に共通の文字や同じ偏、旁の字を使う習慣だ。歴史か古典小説だけの世界だと思っていた。ところで後年、私は中国人と結婚することになるのだが、相手は六人兄弟の末っ子で兄弟全員に「雪」の字がついていた。雪硯、雪誼、雪瑛、雪鵬、雪林……まあ、これはどうでもいい。

海藍の好きな俳優は高倉健。長らくの外国映画禁止時代の後、初公開された日本映画が『君よ憤怒の河を渡れ』だ。フーテンの寅さんも大好きだと言う。

「外国映画は禁止だったけどうちでは見られたの。アメリカ映画もいっぱい見たよ。『風と共に去りぬ』とか」

外国の娯楽が一切禁止の時代でも「参考情報」と称して共産党幹部の家では外国の番組が普通に見られたのだ。幹部たる者、資本主義国の堕落した文化を事前に知っておいて、一般人民が騙されそうになったら教え諭してやるためだ。しかし寅さんを見ても資本主義に毒されるとは思えないのだけど。

「毒されちゃったわよ! 私ね、寅次郎インツランを見たから日本に行きたいって思ったの。優しい人ばかりなんだろうって思って」

うつむいた海藍の長いお下げ髪がゆらゆら揺れた。そう、現実は厳しい。日本へ来たって寅さんの家族が出迎えてくれるはずもない。

 

会社に馴染んで行くにつれて、海藍と他の社員たちの溝を意識せざるを得なくなった。「楊さん、楊さん」、「ハイハイ」と、ニコニコお互いに礼儀を崩さずにはいるものの、社員たちは最初から「李さんのおまけ」とみなして難易度の低い仕事しか与えなかった。ギリギリの人手でかろうじて回している会社には、「日中友好」のために彼女を一人前の技術者に育てる余裕などなかった。「おまけ」呼ばわりされるくらいだから、海藍自身、仕事ができたとは言い難く、仕事ぶりは適当で大抵はきちんとできていなかった。海藍は指示があいまいでよく分からないと言うし、仕事を与える方は分からないならなぜ聞かないのだと反論するし、それを耳にした社長は解決策を提示するでもなく、まあそこを堪えて何とかうまくやってくれよと言うだけだしで、恨み言は日々に声高になって行く。

「あの人をうちのプロジェクトに入れろって? いやそれ勘弁して下さい。お荷物背負ってる余裕ないんで!」

てな話が向こうの島から聞こえて来るたびヒヤヒヤした。海藍は平然としていたので、おそらく自分のことを言われているとは考えなかったのだろう。ヒアリング力がないのもこういう時には幸いだ。

もっと悪い噂も流された。ある日、女子トイレで大便をした後、水を流さないで出た者がいた。後から入った女子社員が大騒ぎをして、「きっと楊さんだ」と触れ回った。中国人だから水洗トイレの使い方を知らないんだと。

「それは違うと思いますよ。家では洋式トイレしか使ったことなくて、和式トイレは怖いから入らないと言ってましたから」

築四十年のオンボロビルはまだトイレが和式だったのだ。私の否定にも拘わらず、「楊さんがうんこしてトイレを流さなかった」話は陰でこっそり流布されて行った。私はそれ以上海藍のために弁護する努力をしなかった。新入りだったこともある。こういう話を喜ぶ人は偏見に目が曇っているというよりも、偏見で人を笑い者にするのを楽しんでいるのだから言っても無駄だと諦めていたこともある。意気地のないことだった。

 

トイレ疑惑が原因になったのかどうなのか、海藍は二年の研修期間を一年半で切り上げた。その頃には彼女の夫が来日してバリバリ働いており、いずれ独立して会社を作ろうと思うので内助に徹したいと言う。彼女の主張はあっさり認められた。私だけ取り残される形となり、この機会に中国に行ってみようと思って退職願を出した。そうしたら社長が引き止めた。留学大いに結構、休職して行ってこい、帰国したらまた仕事が続けられるようにしておいてやると。社長としては海藍をうまく育て上げられなかったことに少々負い目を感じていたらしい。その償いでもあるまいが、帰国後の職を確保した上で留学することができた。これは海藍の陰徳と言って良いだろう。

北京へ留学すると言ったら海藍は大喜びで、

「父さんに頼んでおくからね。私の家で暮らせばいい」

と言った。大学の寮に入るからその必要はなかったが、ともかく中国へ行った際には大いにお世話になることになった。

その後、会社は凝りもせず何人かの中国人研修生を受け入れたが、どの人も優秀だったようだ。とりわけ有能だった李さんは研修期間終了後、外資系の会社に入社してキャリアを積んだ後、独立して会社を興したと聞いている。

 

 

二 ナターシャ

 

留学手続きを済ませたところで天安門事件が起こって渡航禁止になってしまった。仕方なく半年ほど会社勤めを続け、ようやく念願の北京入りを果たした頃には九十年代に入っていた。

大学の寮ではロシア人と同室になった。ナターシャ・クロフスカヤと言い、背丈は私より低いが体重は倍くらいあったと思う。ソ連では著名な中国古典研究者である母親の影響で中国語を勉強していたのだった。二十数年ぶりのソ連留学生団の一人だった。八十年代終わりから九十年代初めは、ゴルバチョフによるペレストロイカの断行中で、それまで国家ぐるみで対立していた中国とも和解の流れに舵を切っていた。天安門事件で留学生を帰国させた国が多い中、その穴を埋めるように大勢のソ連邦の学生が北京を訪れていた。

黒髪だと思っていたナターシャが実は赤毛だったと知ったのはルームメイトになって一週間ほど後だ。宿舎のシャワーは夕方五時から七時まででしばしばお湯が止まる。これでは風邪を引いてしまうと、ナターシャはよほど気温の高い日にしかシャワーを使おうとしなかった。髪の毛はいつでも黒ずんで脂ぎっているのだが、髪を洗うと頭のかさが一挙に三倍になった。綺麗な赤毛なのにもったいないと思ったものだ。

幸いにも私たちは朝寝坊で掃除が嫌いという点で性格が一致していた。休日は昼近くまで寝ているのも同じだし、床に埃が舞っていても知らぬ顔ができるところも一緒。違いと言えば私は酒飲みで食べ物がなくても割に平気だが、ナターシャはほんの少しの空腹にも我慢がならないことで、彼女のデスクには常に皿に盛った肉まんやしなびたりんごが乗っていた。

留学生寮の人たちは全員、よくもナターシャのルームメイトが務まるものだと私を褒めてくれた。なにしろ彼女の恐るべき超早口の中国語は中国人さえ聞き取れない。「読書百遍、意、おのずから通ず」とはよく言ったもので、同じ部屋になったから仕方なく、百遍も二百遍も根気よく会話を繰り返すうちに、シチュエーションとコンテクストで、どうにか意図するところを推理・理解できるようになった。あまり応用できない特技ではある。

ところでナターシャは非常におしゃべりだ。そして話題はいつも男の話だ。誤解のないよう言っておくが、ナターシャの「男の話」は私の「男の話」とは違う。私のは、今日バスで見たお兄さんがかっこよかったとか、胸毛のある男ってロシアではモテるのかとかの類だが、ナターシャのテーマは男とはいかに邪悪な生き物であるか、とりわけロシアの男たちはいかに極悪非道、人面獣心の輩ばかりで、ロシア女性がいかに悲惨な運命を強いられているか、ということだった。

「とにかく自分勝手」

椅子に座った上体を私の方に向けて、ナターシャは喋り続ける。

「男の方が偉いと思ってるのよ。平気で女に暴力をふるうし、すぐ怒鳴るし、家のことも何もしないし。酒ばかり飲んで働かないし。大口ばかりたたいて、ひとつも実行しないし」

むっちりした白い小さな手を左右に振りながら、ナターシャの口調はますます早くなる。

「とにかく結婚したら最後、一生、そのロクデナシに縛られることになるわ。奴隷のような生活が始まるんだから」

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2020年10月14日公開

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