シ小説

シ小説(第1話)

七曲カドニウム

小説

1,806文字

シから私、シから死、シから詩、シ的小説。

「1に0をかけて何故0になるのでせうか?」

 

 てろてろとした安っぽい制服のプリーツの皺をぎゅと握ったまま聞いたら吊りスカートの片方の肩紐がすとんと落ちる。
 わたくし、九九の六の段から先がどうしても覚えられなかったのです。
 語弊がある、かしら。
 そもそも覚える気がなかったのかも知れなかった。今にして思えば、現在暗唱出来るということは私の饐えた人生にも九九は必要だったと云う訳です。
 算数もこんな具合にからっきしで、図工では折り紙の山折と谷折が出来ずに「山はこんなに小さくはないので、折れるはずはないのです」と教師に云い、音楽では笛を吹いてみろと縦笛を渡されば「おたまじゃくしが騒いで五月蝿いから」と云い、鼻の穴に入れて音楽の先生を不快にさせ弾けずじまいで、挙げ句に縦笛を机に打ち付けぱりぱりに粉砕してしまいました。
 よって縦笛は私の人生に不必要。
 所謂典型的な問題児であった私の通知表には「協調性がなく落ち着きがありません、努力しましょう」と毎年記入されるはめとなりました。
 五段階評価で二と一が輝かしく並び、愚図で何一つとして取り柄など無かったのです。
 わたくしは0、何も無いのでした。
 (もはや、この呪いはとけてゐる)
 女に教養や学力は要らない、それが父の口癖だったけれど隠れて母はこうわたくしに言いました。女でも賢くなくては、大学に行くのよ、貴女は、それが対比した母の口癖。
 南極と北極如き厳しい父と母から一銭も貰っていないわたくしは公園のまわりに生えている花を贈ろうと考えたのです、浅はかだと笑いますか。
 手折った花のべっとりとした樹液、無理矢理にちんぎった草で手の端に瑕疵
「お母さん、お誕生日おめでとう」
 母の誕生日が一体全体何度目のものであったかなどとそういった問題に私は無頓着で気にもしなかったが、誕生日だからとて父が母に何かを与えたりしない、と云うことは知っていました。
 いや、正確に云えば母のこめかみに殴られたあとの青痣があった事から父から暴力は与えられていたのですね。事実として。まあ、素敵。
 祝詞も、弔詞さえもお家の宙を飛んだことはなく、喜んだ母の姿を見たことも無かったのでした。
「死人の花なんて要らない」
 一瞥した、ピンク色したハイビスカスに似た、わたくしがあげた花は一瞬で色を失い死人の花に成り下がった。のだ、のだ、その一瞬にして。
「頼むかららこんなものをくれるなら怒らなくてもいいくらいの賢い子になって」
 塵芥箱に棄てられた木槿、ああ名前を奪ってごめんなさい。または私の中で死人の花と縛ってごめんなさい。擦り傷ぱちぱち。
 とてつもなくわたくしといふものは空回りな人間でありましたが、こんなわたくしにも逃げ込む場所がひとつありました。
 髪の毛を工作鋏で切られてしまった日も、小雨降る公園ジャングルジムの横で見知らぬ二人組に下着を剥ぎ取られた日も、伊勢路川沿いの山口さんちに私は居ました。泣き顔をホイと云う犬が舐めてくれました。いつもいつも。
 船を作る手を止めた、おじい。すぐそばに、おばあ。
 瓢箪型の小さな池に錦鯉が泳ぎ小高い丘と竹が生えた日本庭園。
 ちょうど七夕の日も。
 
「お願いごとを書こうか」
 
 おじいは慣れた手つきで鉈を振り短めの竹を切り出して持たせてくれました。
 ぱっきん乾いた音と葉の擦れる音が響き、池にまで波紋が届きました。波紋はまるで優しさのように広がり。
 けれども笹を持ち帰ったら母は喜ばないだろう。わたくしに問いただすだろう。
 さすれば、山口さんちにもう二度と来れなくなるかもしれない、赤く熟れた茱萸の実を小鳥が突っつくのも、鯉が跳ねて水面が揺れるのも、風の吹き溜まりで笹たちのおしゃべりにも、温いホイにも会えなくなるのではないか。
 なので橋の欄干から伊勢路川に笹の葉を流すことにしたのです。とりどりちりぢりの折り紙くずくず。
 
「みんな幸せでありますやうに」
「み……で…あ……」
「  」
 
 
 
 
 
 ああああああ滲む滲む短冊の文字。水性で書いた流れるる文字に、夕映えと相まって異様な川の色、水面をぢっと見つめますると急激に自分のした事が “惡” であることをわたくしは理解しました。
 これがわたくしの記憶の中にある一番初めの罪悪感でありました。
 
 ねえ?
 ねえ?
 ねえ?
 
「0に何をかけても0になるのでせうか?」
「それは、どうして?」
 
 
 

2019年11月16日公開

作品集『シ小説』第1話 (全2話)

© 2019 七曲カドニウム

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