岡本尊文とその時代(三十七)

岡本尊文とその時代(第37話)

吉田柚葉

小説

1,778文字

誰もが挨拶を交わし、自然と自分の事を語り合います。

ホールの外に出ると、強い視線を感じた。見ると、スーツを着た長身の若い女性がこちらをじっと見つめていた。目鼻立ちのはっきりした顔立ちで、黒髪を後ろできつく束ねているらしかった。年頃は四十を少し超えたくらいか。私は、不信に思いつつ、顎を突き出すように曖昧に会釈してみた。すると女性も会釈し、こちらに寄って来た。

「初めまして。」

と女性は言った。やはり初めましてらしい。

「あァ、どうも失礼しました。いや、どこかでお会いした事があるのかとおもいまして……。」

と私は言った。

「お会いするのは初めてですが、ここにいらしている時点で無関係ではありませんから。」

と女性は機械的に言った。女性の視線は、真直ぐに私の目に向けられている。一時も外さないけはいだ。私は、其の視線から逃れるために、腕時計確認する演技をした。

「そう云う物なのですかね。どうも私にはがよく判らなくて。」

と言って私は女性の反応を伺った。女性は、

「初めて来られたのですか。」

と問うた。

「そうです。友人に連れて来させられまして……。」

「でしたら、まだこの空間に馴染めてられないのですね。それは失礼致しました。ここではこんな風に誰もが挨拶を交わし、自然と自分の事を語り合います。」

「自分の事を語り合うのですか。」

と私は苦笑した。

「別に決まりではありませんが、自然にそうなってしまいますね。申し遅れました、わたしは、園田愛理と言います。『晴天の会』の職員です。」

そう言って女性は私に名刺を渡した。富山部講師とある。

「講師をされているのですか。」

「そうですね。猪原先生の後を継いで、今は月に一度、仏教塾の講師をさせて頂いております。ですが、普段はネイルアーティストとしてサロンで働いています。」

「仏教塾ですか。」

「そうです。猪原先生が地元の富山県だけで特別に行っていた講座ですが、六年目にして引き継がせて頂きました。」

「それは、どのようなものなのですか。」

「様々な仏典をテキストに、講読形式で行ってゆく講座となっております。もとは一年で終了する予定だったのですが、先生が五年やられて、終わったのは全体の二割程度ですね。」

「それを引き継がれたのですか。」

驚いて私は問うた。

「そうです。もちろん、受講して下さっていた方たちの中には、反感を持たれた方も何人かおられたようですが、先生の一番弟子という事でおおむねは好意的に受け取って下さっていただいております。もちろん、力不足は否めませんが、それが今の実力だとおもって受止めております。」

「はァ……。」

と私は言うより仕方が無かった。気圧された、と云う印象より他になかった。次の一語を探してオロオロとしていると、ホールの扉が開き、そこから、

「お母さん!」

と言って、手を挙げ、こちらに近づいて来る若い女性があった。眩いばかりの美人であった。

「あら、どうしたの。」

と園田さんはこともなげに言った。

「どうしたじゃなくて、もう打合せ始まってるの。段取りに就いてもう一度確認したいって、岡本先生がおっしゃってるの。」

美人が、呆れた風の言い方をした。見ると、瞳が青い。ハーフなのだろうか。

「あら、本当。」

「本当、じゃなくて、さァ早く。」

美人が園田さんの手を引いた。園田さんは、

「それでは、楽しんでください。」

と言ってホールの中に入って行った。私には、あの美人の顔に何か引っかかるものがあった。どこかで会った事があると感じた。……

 

トイレに入ると、入口の手洗い器の処で、スーツを着た若い男が二人、一人は手を洗いながら、もう一人は鏡で頭髪の具合を整えながら、言葉を交わしていた。私は手前の小便器で用を足しながら、会話に耳を澄ませた。

「マスコミもいるし、あまり病気の事は言わない方が好いんじゃないか。」

「オカルトじみると云うこと? そう言っても、先生が自力で治されたのは事実なのだから……。」

「事実……。それは事実で好いのかな。例えば抗がん剤を使われなかったと云うのも……。」

用を終え、ズボンのチャックを閉めると私は、手洗い器を素通りしてトイレを出た。実際問題、場所が開かないのだから、素通りするより他に仕方が無かったのである。私はひどく気分を悪くしていた。と、同時に、今の会話を聞いておいて好かったともおもった。知らず知らず、自分が猪原と云う男に好感を抱いていたのが判ったからである。

2019年9月6日公開

作品集『岡本尊文とその時代』第37話 (全38話)

© 2019 吉田柚葉

読み終えたらレビューしてください

リストに追加する

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 短編集として公開したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

あなたの反応

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

作品の知性

作品の完成度

作品の構成

作品から得た感情

作品を読んで

作者の印象


この作品にはまだレビューがありません。ぜひレビューを残してください。

破滅チャートとは

この機能は廃止予定です。

タグ

この投稿にはまだ誰もタグをつけていません。ぜひ最初のタグをつけてください!

タグをつける

タグ付け機能は会員限定です。ログインまたは新規登録をしてください。

"岡本尊文とその時代(三十七)"へのコメント 0

コメントがありません。 寂しいので、ぜひコメントを残してください。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る