『家霊』という小説を書いたのは岡本かの子であった。
カレーは好きだが「家霊」など信じないという浪子だったが、親の一時の物好きが子に災いし、あげくにはそれが孫悟空の緊箍呪のように、呪文一声、生涯を縛られさえすることを、その出生時から身をもって体験したのであった。
回りくどい言い方になった。
つまり彼女のフルネームは小湊浪子という。ひらがなで書くと「こみなとなみこ」だ。上から読んでも下から読んでも「こみなとなみこ」。いわゆる回文というやつである。名前をつけるに事欠いて、回文にするとはふざけるにもホドがある、と両親に抗議したが、姓名がきちんと海の縁語となっている、これほど美しい名が他にあるかと逆に叱られた。
しかし浪子には分かっていた。母の名は和子という。旧姓は小塚。小塚和子(こづかかずこ)は「ず」と「づ」の字こそ違うが、声に出して読むと立派に回文が成立する。娘の名前も悪趣味の延長でつけたに決まっている。
類は友を呼ぶというが、浪子の周囲にはなぜか御同類の回文名を持つ者が集まってきた。親友は小俣玉緒(おまたたまお)と有馬マリア(ありままりあ)という。このような回文名を持つ者を浪子は密かに回人と呼んでいた。
高校生の時に丹下源太(たんげげんた)という男の子と付き合った。相手の方が熱を上げて、結婚してくれと迫られた。浪子もまんざらではなかったが、どうしても心に引っかかるものがある。なぜって私も回人、あなたも回人。回人同士が結婚などしたら、一生グルグルとループする人生を歩むことになるかもしれない。浪子は結婚を断った。
やがて与那嶺伸治という青年と出会い、愛し合うようになり結婚した。彼は回人ではないし、「よなみねなみこ」も回文ではない。ようやく人並みの人生を歩めるのだと思った。
ところがここで一つ問題が起こった。夫は子供好きで今すぐにでも産もうというのだが、浪子にはどうしても心に引っかかるものがある。子供はきっと女の子が生まれるような気がする。そうするときっと「与那嶺美奈代(よなみねみなよ)」という名をつけてしまうだろう。理屈ではない。自分の中の回人の血がそうさせるのだ。
どうしても子供を生みたくないと言い張る浪子に夫はすっかり腹を立てた。そしてこのことをきっかけに夫婦仲が悪くなりやがて離婚した。
傷心の浪子の前に大谷謙一という青年が現れた。君が欲しくないなら子供なんていらないから、と言ってくれた優しい大谷と浪子は再婚した。ところがきっちりハネムーンベビーができてしまったのであった。しかし今度は浪子は躊躇なく子を産むことを決心した。なぜなら「おおたに」と回文を成立させられるような名前はどう考えてもなかったから。
生まれた子は男の子だった。浪子夫妻は相談して「皆人(みなと)」という名をつけた。「大谷皆人(おおたにみなと)」。なかなかいい名前だ。これは万が一にも夫婦は離婚しないという決意が現れている名なのだ。もし離婚して子供が母と共に旧姓に戻ったらどうなる。「小湊皆人(こみなとみなと)」なんて、まるで「頭痛が痛い」とか「馬から落馬」の類の間抜けさではないか。そんな名前をどうして我が子に名乗らせることができよう。
数年経って、家族水入らずでハワイ旅行へ行くことにした。空港で初めて飛行機を見た小さい皆人はおおはしゃぎでそこら中を駆け回った。出国カウンターで行列している間、子供のパスポートを取り出して何気なく見ていた浪子は愕然とした。皆人のローマ字名の欄である。
OTANIMINATO
「回人の呪いだわっ!」
浪子の絶叫は成田空港を揺るがせ、出発が25分ほど遅れてしまったのであった。
血は争えぬもので、成長した皆人の親友は「浦田渡(URATAWATARU)」や「大友基男(おおとももとお/OOTOMOMOTOO)」である。国際化時代を反映して、回人もアルファベット化したということなのか、皆人はアメリカへ留学し、やがてその地の女の子と結婚すると言い出した。彼女の名前はノーラ・アロン(NORAARON)という。
かくして回人の血は永遠に循環するのである。
クイズ:さて、皆人とノーラの子供の名前は?
回答を知りたい人は著者まで連絡を!
仲江瑠璃 投稿者 | 2018-06-27 12:53
皆人とノーラの子供は?回答教えてください。すごく気になります。
大猫 投稿者 | 2018-06-27 14:41
中江瑠璃さん、コメントありがとうございます。
以下、回答例です。他に思いついたら追記してください。
Ina.T.Ootani
INATOOTANI
女性の場合。イーナがファーストネームでTがミドルネーム
Jan.Otani.Minatonaj
JANOTANIMINATONAJ
男性の場合。ジャンがファーストネームで、オータニが父の姓
ミナトナージは父の名前にちなんでつけた(ゴリ押し)
なんとなくユダヤ人ぽくていいですね。