マリと雲雀の夕暮れ

応募作品

大猫

小説

4,006文字

世界が明日滅びるとしたら一番嘆き悲しみ命を惜しむ者は誰だろうと想像していたら、こんな話になりました。荒唐無稽だけど幾分の真実があると思います。2018年7月合評会参加作品。

マリは昼寝から目を覚ました。昼間の暑さは過ぎて空気が柔らかくなっている。テラスは仄暗いけれどまだ日は落ちていない。足元に寝ていた愛犬のサラが鼻を鳴らした。家に入らなきゃと思いながら、籐のロッキングチェアに凭れてしばらく海を眺めた。

血のように赤い太陽が水平線すれすれまで近づいて、海を割って黄金の一本道ができている。一本道は海岸まで続き、波が光の帯となって寄せては返している。頭を巡らせると、万年雪を頂いた連峰が夕陽を受けて薄紅色に染まり、鋭い稜線に区切られた濃紺の空に黄色い三日月が昇っていた。

何かおかしいと思った。一年三百六十五日、毎日見ている夕焼けと同じなのに、何かが違っている。

 

 庭の桜草の向こうから雲雀が一羽飛び立った。真っ直ぐに上へ上へと飛んで行く。遥か上空から鋭い囀りが聞こえて、そのまま急降下したかと思うと再び空へ上がった。

マリは不思議に思った。雲雀が空へ駆け上がるのは春先の昼間のはず。晩春の夕方に飛ぶのは見たことがない。それにあの雲雀は我が家の芝生の上に巣を作って卵を抱いている母鳥だ。マリは雲雀に声を掛けた。

「ねえ、雲雀、どうして飛ぶの? 卵を守っていればいいのに」

 上空にいた雲雀は、あっという間に下りて来てマリの目の前の空中で停止した。

「奥様、空をどこまでも高く上がって行くと、何でもできる神様がいらっしゃるとか」

 言いながら雲雀はチェアーの肘掛へ止まった。白い胸毛と褐色の斑模様が見えた。

「私の翼は小さくて天まで昇れません。優しい人間の奥様、どうかお助けください。神様にお願いをしたいんです。私の雛たちを助けてください」

マリは困惑した。

 

夕焼け色に染まった連峰の奥から一羽の鷹が飛んできた。急峻な岩山を抜け、針葉樹林を越えて里山の上空に差し掛かると、雪融け水が作った銀色の川が海に向かって流れている。川の周りの緑の扇状地には色とりどりの建物が小さく見えている。鷹は人里まで行ってみるつもりだった。

 里山の中ほどの杉の木のてっぺんにカラスが一羽止まっているのを見つけて鷹は急降下した。食うつもりはなく、カラスが慌てて逃げ出す様を見て笑い飛ばすつもりだったのだが、カラスは逃げる様子もなく、黒くて太い嘴を突き出したままぼーっとしていた。不思議に思った鷹は隣の木に止まった。

「おい、そこで何してんだい?」

「こりゃ鷹の旦那、どうも」

おざなりに挨拶するだけのカラスを見て、鷹の黒い目元が鋭くなった。

「てめえ、どうも心ここにあらずって風情だな。とすると、やっぱしそうなのかえ?」

「何のことで?」

「ほらよ、今日明日にもみんな死んじまうとかなんとか」

「ほう、旦那もご存じで」

「ご存じもなにも、岩山すみかじゃあおんなどもが泣きわめくし、若鳥ガキどもはどうにかしてくれろって泣きついて来やがるしで、うるさくってしょうがねえんで里まで様子を見に来たってわけさ」

「おんなじでさぁ、わっち集落むれでもえれぇ騒ぎで」

鷹の金色の目がキラリと光った。

「で、どうなんだ。何がどうなってやがるんだい?」

「まあねぇ・・・」

カラスは漆黒の目を緑の街へ向けた。もっともカラスの視野は三百六十度あるので顔を動かす必要はない。

「ここんとこ人間どもが大騒ぎしてるのを遠目に見てやしたが、何でもお天道様が倍に膨れあがって、地面から山から空から全部ぶっ飛んじまうってこってす」

「そらあ途方もねえことだ。人間どもになんか手立てはねえのかい?」

「あれこれ手立てを尽くしたってこってすが、どうもいけねえようで」

「うーん」

鷹は更に何か言おうとしたが、カラスの冴えない顔色を見れば、これ以上問う必要もなかった。もっともカラスの顔は真っ黒だが。

「旦那、川沿いの赤え屋根の家が見えますかい」

「ああ、海に近えとこだな。時々羽休めに寄る家だ」

「なら話は早え。一ッ飛び覗いて来やせんか。あすこの奥さんは物知りなんで、なんか教えてくれっかもしれませんぜ」

「おう」

鷹とカラスは上下になって木から飛び立った。

 

マリの周りには雲雀や野ウサギや野良猫、子連れの牝馬などが集まっていた。テラスの柱にはお腹に卵を抱いたヤモリやトカゲもへばりついており、大きなお尻の蜘蛛も天井に巣を作っている。犬のサラも足元にくっついていた。

「そう、この世界はなくなってしまうの。人間だけが知っていると思っていたのだけど、あなたたちにも分かっていたのね」

雲雀が悲痛な声で叫んだ。

「奥様、私の巣の中に卵が二つ見えるでしょう? すぐにでも雛が出てきます。それなのに、あの子たちは目も開かず翼も生えぬうちに死ぬんです。空の高さも、雲の白さも知らず、春の暖かい空気に飛んで仲間と呼び合うこともなく、夏の風に乗って涼しい里山を飛ぶこともなく、森の木々の間で遊ぶこともありません。何とかこの子たちだけでも助けられないでしょうか?」

すると野ウサギが寄って来て、大きな黒い目でマリを見上げた。

「奥様、私のお腹にも赤ん坊がいるんです。明日にも生まれます。若草のよい匂いも知らず、畑の美味しい人参を食べることもなく、野原を駆け回る楽しみも知らず、生まれないうちに死んでしまうんです。どうにかなりませんか?」

母馬も何か言おうとしたが、自分の子はすでに生まれているのでみんなとは違うと思い直し、子馬の黒いたてがみを優しく舐めてやった。三毛の野良猫も何か言いたそうにしているが、上品な言葉遣いができないのを気にして黙っている。虫たちも声は小さいが何か訴えている。

「無理を言うのはやめなさい。奥様にもどうしようもないのよ」

とサラが言った。

「それに、奥様にだってお腹に赤ちゃんが…」

それを聞くとみんな口をつぐんだ。マリは何と言っていいか分からぬまま臨月のお腹を撫でた。

 

そこへバッサバサと羽音がして、テラスの柵の上に大きな鷹と真っ黒なカラスが止まった。雲雀は慌てて巣へ戻り、ウサギは前脚で地面を掘って頭を突っ込んだ。猫はカラスを見るなり、毛を逆立ててフーッと唸った。

「てめえ、この極道カラスめ、何しに来やがったっ!」

言うなり猫は柵へ襲い掛かろうとしたが、臨月の腹が重くて半分も跳べない。カラスはせせら笑いながら言った。

「三毛さん、よしねえ、今さらどうなる。確かに昔、あんたの子猫をさらったのは俺だが、俺だってガキを養わにゃならん理屈さ、お互え様じゃねえか」

「黙りゃあがれっ!」

なおも攻撃しようとする三毛猫を鷹が大きな翼を広げて止めた。

「三毛の姐さんよ、気持ちは分かるが、じきみんな死んじまうんだ。今、仇討ちをしたところで腹の子が助かるわけでもあるめえ」

それを聞くと、猫は尻尾を垂れ頭を下げて戻って行き、一声ニャオーン、と鳴いてマリの膝に飛び乗ると大きな腹に顔を擦りつけた。

マリは猫の頭を撫でてやりながら、鷹を振り向いて尋ねた。

「お前はあの雪山の上まで飛べるのでしょう? もっと高いところを飛んだことはある?」

「あっしは山を越えたことはござんせんが、仲間にここより高い山を越えて来た奴がおりやす」

「山より高くまで昇ると、神様はいるのかしら?」

「さあね、そんな話ぁ聞いたことはござんせん。高く飛んだって寒くなるだけで」

「そう…ねえ、見て」

マリは海へと顔を向けた。

「さっきから夕陽が動かないの。とうに日が暮れていてもいいはずなのに。それに太陽が大きくなっているような気が」

巣で卵を見ていた雲雀が叫んだ。

「本当に、本当にもうお終いなんですか?」

すると犬のサラが黙って立ち上がると、テラスから庭へ降りて行った。ふさふさした尻尾を揺らしながら、サラは雲雀の巣を卵ごと長い口でそっと咥えて来て、マリの肘掛へ置いてやった。

「ここで一緒にいましょう。卵が孵るのをみんなで見ていてあげる。泣いたりするのはやめて、楽しくしていましょうよ」

 

雲雀は思い諦めた様子で巣の上に座った。ウサギはマリの足元へ座り込んだ。馬の親子は柵越しにマリの肩に顔をつけた。

「今、ここにみんなと一緒にいることは、死んだって消えたりはしないのよ。何万年何億年も経っても消えない。さあ、みんなお顔を見せて」

鷹が翼を広げた。

「奥様、あっしは山へけえります。仲間に覚悟を決めさせなくっちゃなんねえんで」

マリは分かったと頷き、お前はどうするのかとカラスを見た。

わっちは奥様にお供いたしやす」

音を立てて鷹は飛び去った。マリは動物や鳥や虫のすべてをそばに呼び寄せた。

「みんな一緒よ。卵も雛も赤ん坊も」

太陽が不気味な赤茶色に膨れ上がった。海も同じ色に染まって、どこからか地鳴りが聞こえて来る。マリは目を閉じて最後の祈りを唱えた。

空から、地から、焼けたナイフのような閃光が立て続けに放たれて目が潰れた。次の瞬間、大地が木っ端みじんに吹き飛んでいた。

 

しばらくの間、マリの意識は保たれていた。昏い宇宙空間に一筋のガスとなって漂っている間も、断末魔の太陽が噴き出す熱光線や、砕け散った大地が飛びすさぶ様を不思議な気持ちで眺めていた。あたりに別のガスがふわふわ流れて行くのが分かる。あれはサラだろうか、雲雀だろうか、あの賢いカラスだろうか。

忽然と眩い光の中に投げ出されたマリは、ぐぅーんと風船のように膨らみ、大小の岩石やいろいろな成分のガスを内部に吸い込んでいた。それから、きゅっとゴム毬のように縮んで真っ暗闇の空洞へ吸い込まれた。意識が急速に消失して行く中、これで本当に死ぬのだと思った。我が家のテラスから一刹那のようでもあり、数万年も経ったようでもあった。たった独りのようでもあり、足元にサラが寝そべり雲雀が空で囀っているようでもあった。

2018年7月18日公開

© 2018 大猫

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"マリと雲雀の夕暮れ"へのコメント 10

  • 投稿者 | 2018-07-27 01:14

    動物との会話というひねりはあるものの、基本的にテーマをストレートに扱った作品である。穏やかに終焉を迎えるシーンの描写に魅力を感じるが、ストーリーの盛り上がりに欠けやや物足りなく感じた。そして本作において世界が滅びるのは明日ではなく、今日の夕方のようだ。夕日が位置を止めたまま、日付が変わるまでマリと動物たちがおしゃべりを続けていたということだろうか?

    マリと動物たちのあいだには平和的共生が成立しているようだが、ここで「世界が滅亡する原因が人間の行いにある」「マリは動物を愛し彼らを理解したつもりになっているが、動物は人類を恨んでいる」などの設定を加えれば、話を盛り上げる葛藤が生まれると思う。また、マリに関しては夫婦の関係が描かれないことが気になった。妻が妊娠中なのだから夫婦仲が冷え切っているわけではないはずだが、なぜ夫は世界が滅亡する前日に妻のそばにいないのだろう? 身重の妻だけ都市部から里山の別荘に疎開してきているということか?

    それと、誰が何をどの程度知っているかをもう少し整理する必要があると感じた。1~2節では「何かおかしいと思った」「マリは不思議に思った」「マリは困惑した」という表現が繰り返され、マリは世界の終焉にまったく気づいていないかのようである。一方、3節でマリは「あすこの奥さんは物知り」と説明され、4節では「そう、この世界はなくなってしまうの。人間だけが知っていると思っていたのだけど、あなたたちにも分かっていたのね」とマリは語る。ここではマリはおそらく動物よりも状況を把握している。マリが午睡のあと健忘症に襲われていた、あるいは実は日の沈まない日が何日も続いていて1~2と4のあいだに長い時間の経過があるなどの説明があったほうが親切だと思う。

    動物たちが江戸っ子の言葉で話す点はユニークだと感じた。ただ、私の中では江戸弁は町の言葉というイメージがあったので、自然に囲まれた里山で江戸弁が話される必然性をあまり感じられなかった。山には「緑の街」や「集落(むれ)」もあって田舎と都会が隣接しているようだが、自然描写はほぼ人間の目を通して見たものと変わらないため今ひとつイメージがつかみにくい。擬人化を極端に進めて動物の商店街や幼稚園、老人ホーム、ショッピングセンターなどを描き込めばより活気が伝わってくるかもしれない。

    • 投稿者 | 2018-07-29 21:56

      藤城さん、いつもながら的確で鋭い指摘をありがとうございます。
      今回のお題には少々過剰反応をして、「自分が死ぬことよりも自分より大切な者を死なせることへの悲しみ」を前面に出してしまい、デディールの書き込みはおろそかになった気がします。滅びる時間や滅びることをだれが知っているのか分かりにくいという指摘はその通りです。マリの夫の存在に至ってはほとんど最初から除外していました。腹に子や卵を持った者たちを集めたかっただけです。
      鷹とカラスに江戸言葉を喋らせたのは、母親たちではないグループとして区別したかったのと、江戸弁では上下関係が分かりやすいことで、深い意味はありません。
      谷田さんの指摘にもありましたが、マリが世界の終わりを知らなかった設定にしておいた方が面白くなったかもしれません。別バージョンを書いて見ようと思います。

      著者
  • 投稿者 | 2018-07-28 21:51

    希望のある作品だと思います。最後の瞬間まで、理解し合い、怯まず、無力でありながらも、次の一瞬一瞬のために最善の生き方をしていくような。
    子どもや雛たち、その母親たちを主役にした温かさと、宇宙と一体化していくようなラストシーン、滅びてもまだ何か(「ここにみんなと一緒にいること」)が確かに消えずに未来に残るような手ごたえ、マリの「楽しくしていましょう」という態度が胸を打ちます。

  • 投稿者 | 2018-07-29 09:04

    マリと動物たちが、自分の命よりも愛する者の命を憂い、それでも静かに受けて入れてゆく姿はとても悲しいものですが、本当に滅びに直面するならば、未来の無い子供たちへの憂い、それがきっと一番真実に近いのだろうという説得力を感じました。最後、滅びるまでの描写の中でマリはしばらくの間、意識を保ち本当の死を体験する。仏教の曼荼羅を見ているようで、深い作品だと思いました。 

  • 投稿者 | 2018-07-29 10:53

    童話調の作品に思えました。動物たちが世界が終わると知ると、どういうふうになるのか? というのが描かれていて良かったと思います。動物たちも家族を大事に思っているということが伝わってきました。

  • 投稿者 | 2018-07-29 13:24

    とても綺麗で美しい小説だと思いました。欠点を挙げるならば、綺麗すぎることかもしれません。少し物足りなさを感じました。
    とはいえ、世界の滅亡というテーマで、それが人間だけの問題ではないと捉え、最後の瞬間ゆえに、各々の動物が他者に対し寛容になる、一人であるようでみんなと繋がっている、というメッセージは素晴らしいと思いました。

  • 投稿者 | 2018-07-29 16:03

    動物たちそれぞれのキャラに合わせて練られた言葉づかいがとてもチャーミングで、お話の内容にも愛があって良かったです。ただ、マリのお腹の中の子どもに謎が多すぎる気がするので(読み違いだったらすみません)、もうすこし情報が欲しかったです。あと、最初のマリの反応を貫いて、世界が終わるということをまず動物たちだけが知っていた、というバージョンもあり得たのではないかな、と思います。

  • 投稿者 | 2018-07-31 02:13

    まさかのメルヒェンにのけぞりつつ、丁寧に織り上げられた人と動物の柔らかなふれあいにこころが癒される、けど今夜もクソ暑くてそれどころじゃない。天体による破壊という題材ながら、そこで求めるのはセックスではなくその先にあるもの。リビドーの先にある生と死を提示されて反省しきり。

  • 編集長 | 2018-07-31 12:22

    子を待つ身の者たちが世界の終わりに寄り添うという設定には冷血漢の私でもグッとくるものがある。世界設定がファンタジー寄りなので、悲劇性が少し薄れてしまった嫌いがある。

  • 編集者 | 2018-07-31 15:18

    そうだ、動物や草木にも終わりがあるのだ、海も山も死ぬのだ。それを改めて感じさせられる。人間も、赤ん坊の未来も、ここでは単に一つの在り方でしかないのだろう。メルヘン風のようで、微かな緊張感が作品を貫いている。独特の余韻がある作品だった。

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