『大人の童話(三)』――織田作之助

九芽 英

小説

2,318文字

この作品、オダサクが書いた物では無いという可能性はどうでしょう。「ですます調」なのがこの作品の大きな特徴であり、オダサクの流れるような饒舌体からするとかなり違和感があります。他の作品でこのような例は思いつきません。単に「童話」という題名に則してのことなのか、あるいは新しい文体の試作なのか。流石に別人が書いたとは飛躍が過ぎるにしても、初出の謎と共に文体の謎も明らかになればと思うのですが。

 

ある朝、三吉はれいの風呂敷包を背負はずに露地を出て行きました。これは近年珍らしいことでした。木島おたねにもはじめて見ることでした。

「三吉さん、あんた背中の荷物はどうしたの?」

 木島おたねはあやしんで訊ねました。

 三吉は、

「胸に一物、背中に荷物。」

 と言ひました。

 さうして露地を出て行つて、やがて三吉は身で、ひよいと郊外電車にりました。「大和川」というでさつさと降りました。から直ぐ大和川の河原に出ます。三吉は白足袋を脱ぎました。それをふところに入れました。そして、尻からげしました。それから下駄を脱ぎました。

 身支度が出來ますと、三吉はふところからかねて用意の茶碗を出しました。そして、川の中へ足を入れました。り深くありません。膝小僧が濡れるか、濡れなゐくらいの深さでした。けれど、着物の袂は濡れました。茶碗で川の底の砂をすくつたからであります。けれど、三吉は袂ぐらゐ濡れても良い悟でした。

 三吉は一心不に砂をすくひました。さうして、分あやしい手つきで「碗がけ」をしました。「碗がけ」とは、碗をゆすつて碗のなかの砂から異物を選りわけることを言ひます。一寸どじようすくひの格好に似てゐます。

 三吉は何度も何度も砂をすくひ、何度も何度も碗がけをしました。その結果、砂のなかには時には小石がまじつてゐることがわかりました。けれど、魚一匹おりませなんだ。三吉にとつてはしかし、魚なぞゐてもゐなくても良いのでありました。三吉が砂のなかに探し求めてゐるのは、砂金でありました。

 三吉は昨日ある得意先を訪問しました。この頃は三吉はどこの家へ行つても迎されないのが常でありました。ところが、その家では非常に迎してくれました。といつても、なにも反物を買うてくれたといふわけではありません、ただ、永年中風で臥てゐるそこの御居が話好きで、良い話相手が見つかつたとばかり、三吉を枕元に引きとどめて、なかなかさうとしませなんだ、といふわけです。

 御居はどうも頭がではないかと思はれる節があり、また舌がもつれてゐるせゐもありまして、一なにを喋つてゐるのかと三吉には腑に落ちかねることが多かつたので、しぜん三吉は分退屈しましたが、御居が、

「ところで、話は違ふけど、大和川に砂金があるちゆうことを、あんた知りはれしめへんか。」

 と、言うた途端、思はず三吉は膝をりだしました。

「え? 初耳だんな。」

「誰にも喋らへんか。」

「喋らしめへん。」

「ほんなら、えたる。慶長十九年大坂冬ノ陣においてやな……」

 御居の話は分だらだらときましたが、三吉にはちつとも長いとは思へませなんだ。話の途中で御居は、

「えらいんまへんけど、小便さしたつとくなはれ。」

 と、言ひました。三吉は御居のうしろにまはり、御居の脇の下をかかへて、小便をさしてやりました。御居の小便はあきれるほど手間が掛りました。さうしてまた、その間ぢつと御居をかかへてゐることは、分骨の折れる仕事でありました。けれど、三吉はちつともそれを苦にしませなんだ。大和川に砂金があるとえてくれた代償としては、すぎるほどであると思ひました。

 小便がむと、御居は、

「よつこらしよ。」

 と、再び床の上に臥つて、暫らく、

「ああ、しんどかつた。ああ、ええ氣持やつた。小便ししさしてもろて、ほんまにええ氣持になつた。ああ、しんど……」

 と、言つてをりましたが、やがてまた話をけました。

「……と、まあ、言うやうなわけでやな、大和川には砂金があるねや。誰にも言ひなや。」

「言へしめへん。なにが喋りまつかいな。」

 今日三吉が大和川の河原に出掛けて來たのは、そんなことがあつたからでした。そして、こつそり砂すくひをやつてゐるわけです。

 さうして、大分時が經つた頃のことでした。

「あんた、何したはりまんねん?」

 不意にを掛けられました。三吉はびつくりして振り向きました。むやに背の高い、痩せた男が、鳥打帽をあみだにかぶつて立つてをりました。

 眼付きが鋭いので、三吉はぎよつとしました。私服の警官ではないかと思つたのです。

「鮒でも獲つたはりまんのか。」

「違ひまんねん。」

 三吉は思はず、さう言ひました。

「そんならなに獲つたはりまんねん?」

 男は再びききました。三吉はもうし立てが出來ぬと思ひました。三吉は大和川に砂金があることは、誰にも喋りたくなかつたのでした。それ故、さうしてひとりこつそり砂すくひにやつて來たのです。けれど、三吉は根が正直な男でありますから、たづねられるとし立てができませなんだ。

「砂金でんねん。砂金採つてまんねん。」

 さう言ひながら三吉は、内緒で砂金を竊つたりするのは、罪になるのではなからうかと、蒼くなつてをりました。

「なに? 砂金?」

 男は吃驚りした聲をだしました。さうして、

「そこ動かんやうにしとくなはれ! ぢつとして! ぢつとして! 茶碗を川のなかへ突つ込んだまんま、ぢつと動かんといとくなはれ!」

 と、命令するやうに言ひました。

「あえらいことになつた」

 と、三吉は思ひました。三吉は、自分が拘引されるのだと、早合點したのです。三吉は指紋をとられるだらうと、思ひました。

 けれど、その男は三吉の指紋なぞとりませんでした。その代り、寫眞を撮りました。

 さうして、その男は三吉を叱りつけもせず、それどころか、

「パチリツ! はい、よろしい。いや、どうも御苦さん、おほけに……」

 と、まで言ひました。

 三吉は大恐縮しました。

 男は寫眞を撮つてしまひますと、あたふたとけ出して行つてしまひました。

 三吉は再び砂すくひをはじめました。

 夕暮まで河原に居りましたが、しかし結局砂金を見することは出來ませなんだ。

2017年10月20日公開

© 2017 九芽 英

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