Natural Born Fairies ~織田作之助について③~

九芽 英

エセー

4,348文字

オダサクといえば代表作は『夫婦善哉』。「文豪ストレイドッグス」コラボカバーの『天衣無縫』は、『夫婦善哉』からそのタイトルを奪ったという点において非常に価値が高いわけです。この70年間、誰もできなかったわけですからね。かといって『天衣無縫』は言葉の響きこそ最高ですが、代表作かと言うとそれも少し違うと思います。オダサクが特異点に達するには、もう少し何かが必要なんです。お膳立てはできているようですが。

【代表作『夫婦善哉』】

 全く主観ではあるが、『夫婦善哉』はそんなに持ち上げるほどの作品だろうか、という疑問が僕にはある。調べればすぐにでも分かるように『夫婦善哉』は、ほとんど満場一致で推薦された「改造社第一回「文藝」推薦作品」なのだが、実際に『文藝』昭和十五年七月号の「文藝推薦作品審査會」を見てみると、まず審査員が四人なのに「ほとんど満場一致」とは、言うほどのことであろうか。

 

審査の内容を見ても、四人の審査員のうち手放しに賞賛しているのは武田麟太郎のみで、青野李吉と川端康成は、他に選ぶべき作品がないから、といった雰囲気。宇野浩二に至っては、『夫婦善哉』を推薦することを完全に拒否。さらに宇野は「『文藝推薦』審査後記」で、「『夫婦善哉』は、下品な言葉を使ふと、殆ど満場一致で推薦されたが、これは、この小説の作家が他に二三の佳作を書いてゐる事と、この小説に危な氣がないからであらう。」と、「ほとんど満場一致」とはここから来ているのだろうが、実に皮肉たっぷりな批判ではないか。しかし、後述するが、この時の『夫婦善哉』とオダサクを最も理解していたのは宇野浩二に他ならない。

 

一方、オダサク本人はこの作品をどう思っていたのであろうか。推薦の一報を聞いた彼は、このような感想を残している。

 

 「手のない時は端の歩を突けで、私の「夫婦善哉」は自玉側の端の歩を突いたやうな小説で、手がなかつたのである。突いてはみたが、矢張り行詰まり模様で、既に私はあの小説の文体の行詰りを感じてゐた。今は私は勇を鼓して、大駒の交換を行はねばならぬと考へてゐる。その時もはや私の文体は崩れ、今私は長考中である。合駒を使つて、攻めて来る現代の諸作風を防ぐべきか、あるひはこちらから攻めて行くべきか。「夫婦善哉」では攻めも防ぎもしなかつた。つまり、端の歩を突いたのである。たゝかひはこれからである。中盤戦に定跡はないから、発見はこれからである。」

 

 曲がりなりにも「受賞作」ということで、いくらか謙遜はあるのかもしれないが、なによりもまず、受賞の喜びというものを感じない。上記の感想に続く部分では、「「夫婦善哉」は私の魂の郷愁のやうな作品であるが、これから魂の放浪を続けて行きたい。」と、むしろ自ら『夫婦善哉』を否定するような感じさえある。

 

 さらに、この作品によって、と言ってしまっていいだろう、昭和十五年八月に発行された『夫婦善哉』を含む五篇を収録した初の単行本の「あとがき」でも、

 

「『夫婦善哉』は幸いに第一回文芸推薦作となった。この作品は「雨」を書いている間に構想した。「雨」の中にも法善寺が少し出て来るが、その個所を東京本郷の下宿で書きながら、法善寺横丁のめおとぜんざい屋をしきりに思ったのが動機である。リアリズムの形式を借りた童話である。」

 

 と、実にさっぱりとした様子。続いて、詳しい中身は後述するが、同時期に書かれた『小説の思想』というエッセイでは、どこまで本気なのか分からないにしても、「最近の愚作『夫婦善哉』」とまで言っている。少なくともこれらの文章から、彼の『夫婦善哉』に対する思い入れは微塵も感じられない。

 

 このように、代表作とされている『夫婦善哉』であるが、褒め称えるような文章はほとんど目にしないし、本人の思い入れも全く感じないばかりか、むしろ逆に『可能性の文学』での、

 

 「私は六年前処女作が文芸推薦となった時、「この小説は端の歩を突いたようなものである。」という感想を書いたが、しかし、その時私が突いた端の歩は、手のない時に突く歩に過ぎず、日本の伝統的小説の権威を前にして、私は施すべき手がなかったのである。少しはアンチテエゼを含んでいたが、近代小説の可能性を拡大するための端の歩ではなかったのだ。当時、私の感想は「新人らしくなく、文壇ずれがしていて、顔をそむけたくなった」という上林暁の攻撃を受け、それは無理からぬことであった」

 

 という部分の印象が強いので、盛大に叩かれた作品、という評価がまず頭に浮かぶ。数少ない同時代評、昭和十八年の杉山平一氏による「織田作之助について」でも、論の中心が「織田は随分、方々の人から叩かれた。」であるし、大谷晃一氏の著書の「思想がない、史観がない、社会性がない、志が低い、若いくせにいやに下世話にたけている、汚い、若さがない、悪達者、職人根性……。それまでも、人生に高をくくった不遜なその態度が、どこでも嫌われた。それと同じような攻撃を、ここでも受けた。」という記述を見れば、何もそこまで言わなくても、と同情しつつ、よくもまあこの段階で挫けなかったものだと、逆に感心してしまうくらいである。

 

このように、賞を勝ち取りながらも作者は喜ばず、思い入れも感じられず、酷評されている『夫婦善哉』。これはいったいどういう状況なのか。

 

織田作之助から『夫婦善哉』に対する思い入れを感じない、とは言っても実際のところこの作品に対して自信は持っていたと思う。なぜならこの作品は、『俗臭』が芥川賞候補に挙がった直後に書いた作品であり、当然、賞を狙って書かれたものであろうからだ。書き始めから受賞することを目論んでおり、受賞のコメントも前もって考えていたからこそ、あのように気取った、敵を増やすようなコメントになったのだろう。

 

また、オダサクから『夫婦善哉』に対する思い入れを感じないのも、この作品が賞を目的に書かれたからであろう。つまり、受賞を第一の目的として、『可能性の文学』に書かれているように、文壇好みの「当時絶賛を博していた、身辺小説、心境小説、私小説の類を読んで、こういう小説、こういう文章、こういう態度が最高のものかというノスタルジアを強制され」て書いたものなのだ。

 

気取ったコメントをそのまま鵜呑みにして良いものかは分からないが、彼自身がこの作品を「端の歩を突いたような作品」、それも『聴雨』や『可能性の文学』に表された坂田三吉のそれと違い「手のない時に突いた歩」と言っているように、『夫婦善哉』はただ現状で打てる手を突いただけの作品、すなわち、書きたくて書いたわけではなく、賞を取るために書けるものを書いただけの作品に過ぎないのだ。オダサクにとって思い入れがない作品であることも頷ける。

 

以上の点を考えると、『夫婦善哉』の文芸推薦を拒み、さらに「この作家も、或る種の作家に共通してゐる、簡潔に簡潔に、と志して、そのために無理をするので、書き方は勿論、作品が窮屈でせこせこしている。(中略)簡潔に簡潔に、といふ考へは恐らく志賀直哉の作品から来たのであろう。」と、指摘している宇野浩二氏は実に卓見である。

 

同氏は織田作之助に関する評論「哀愁と孤独の文学」では、「一般に、それは、『文藝』の推薦になったからでもあらうが、『夫婦善哉』が、織田の初期の代表作のやうに思はれ、殊にすぐれた小説のようにみなされてゐるけれども、さうは云ひきれない。」と批評し、『世相』や『アド・バルーン』の方を「すぐれた作品」と見ている事も、私にとっては心強い存在である。もちろん、もし『夫婦善哉』が「文藝推薦」から漏れていたら、織田作之助は日の目を見ることなく消えていたかも知れないことを考えると他の三氏の先見の明も素晴らしいものである。

 

 『夫婦善哉』を織田作之助の「汚点」と言ったら言い過ぎなのかもしれないが、少なくともこの作品が、オダサクにとって代表作どころか、そんな扱いされてはたまったものではない作品である、ということは間違いない。『夫婦善哉』の重要性を語るならば、オダサクの最初にして最大の失敗作として語る以外に方法はなく、むしろ織田作之助の作家人生は、『夫婦善哉』を酷評されたことから始まったと見るのが適当であろう。

 

『夫婦善哉』は、思惑通りに賞を勝ち取ったものの、嵐のような酷評は、普通ならば作風を改めるしかないというところだが、オダサクにとってこの『夫婦善哉』は、初めから文壇向けに書いたつもりなのである。その結果がこの酷評の嵐なら、もう手の施しようがない。己だけを信じて独自の道を進むしかない。失敗は成功の母とはよく言ったもので、結果的には、この『夫婦善哉』の失敗、酷評の嵐が功を奏し、後の傑作を生み出す事につながったわけである。

 

そういう意味では、汚いながらも大切な看板であるが、お客に対して表に出すような看板ではない。僕がそうであったように、『夫婦善哉』という看板を出している限り、そういう店なのだと思われ、現在に至っては宣伝にすらなっていないではないか。

 

しかしながら、文壇と決別し孤独の荒野で道に外れた作品を書き続けたが故に、看板屋は織田作之助の看板として、志賀直哉を模倣した作風の「文芸」推薦作品という分かりやすい、言い換えれば実に安直な『夫婦善哉』という看板を出す以外に術を知らないのだろう。

 

 「かういった連中が、ばかのひとつ覚えみたいに、エロティシズム作家、風俗作家といふ安直なレッテルを、織田作之助に貼つたのである。貼紙無用、あつちへ行つてくれ!」

 

と、これは荒正人氏の言葉であるが、同氏のこの「織田作之助論」を続けて引用すると、

 

「昭和十五年だつたと思ふが、『文藝』懸賞入選作「夫婦善哉」でデビュウしてきたとき、将棋の駒がどうしたとか、こうしたとか、いふひねこびた感想文をかゐていたが、三十になるやならずで、と虫唾がはしり、わたくしもレッテルを貼りたい誘惑をかんじた。」

 

と、同時代の批評家である荒正人氏も、やはりオダサクを毛嫌いしていたようだ。そんな荒氏が、昭和二十二年九月という、オダサクの死後間もない時期に「織田作之助論」を発表するに至った動機は何なのか。

 

「しかし、敗戦後のかれの作品をよんでゆくうちに、もちろん距離はあるが、一脈の共感を覚えるやうになつたのである。貼紙人夫を追払うのも、さういつた気持からである。それは同時代人の共感でもある。」

 

なるほど、やはりそれは言うまでもなく、戦後の作品なのである。オダサクは戦後の活躍によって、同時代において彼を毛嫌いしていた批評家に共感を与え、晴れて「戦後無頼派」という位置を与えられることとなったのだ。出すべき看板としてふさわしいものは戦後の作品なのだ。

2017年1月14日公開

© 2017 九芽 英

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