彼女の嘘と8秒間 〜秋〜 その2「ふたりの文化祭」

宮園希

小説

4,760文字

これは、彼と彼女の「8秒間」をめぐる物語。

文化祭当日がやってきた。

『−−このように、近隣にあった村々は池の水の増水により沈んでしまい、争いを止めるための願いで祀られた神社は、池の底に沈んだ人々の魂を鎮めるための神社へとそのあり方を変えた。まさに、人のエゴが形を持った存在といえるだろう』

二人の展示はこんな一文で締め括られていた。教室に立てられたベニヤ板には、この地域の写真、神社の写真、そして図書館で見つけた古地図のコピーと共に、あの日おじいさんから聞いた話が書き綴られていた。その前に立ち、じっと展示を眺めているおじいさんがいた。

(なるほど、よくできておるわ……)

あの時この土地と神社の謂れについて教えてくれたおじいさんである。あの場ではそっけない風だったが、やはり展示が気になり見に来ていた。土地の祭りよりも賑やかで騒々しい文化祭という場に初めは戸惑ったものの、校内を歩いているうちに気にならなくなってきた。

 

 

 

校門に設えられた入場ゲートをくぐると、運営委員っぽい生徒がパンフレットを配っていた。あの時訪ねてきた二人の展示はどこだろうかと探すと、一クラスだけ「郷土史の発表兼お休み処」という発表をするクラスがあり、他に展示系の出し物を行うクラスは一クラスもなかった。間違いない、ここがあの二人の展示だ。しかも、幸いなことに一年生ということで教室は一階にあるらしい。さすがに四階建てのこの校舎を延々と登るのは骨が折れる。

文字通り、骨が折れてしまうかもしれないという縁起でもない想像を振り払い、目的の教室に向かった。

 

 

 

「おじいさん、来てくれるかな」

「さて、どうだろうね」

一方の隆士と梨沙はというと、二階にある二年の発表や模擬店を巡っていた。お化け屋敷やカフェなど、内容自体は定番の一言に尽きるものが多かったが、何より近隣の住人や保護者も加わってのお祭りムードには無意識に沸き立つものがあった。

カフェに腰を落ち着けた二人は、頼んだ紅茶とクッキーを味わいながらおじいさんが来るかどうかに思いを馳せていた。

「来てくれれば嬉しいけど、おじいさんの期待する水準の発表になったかどうかはなんとも言えないからね、ちょっと怖くもあるよ」

「この私が手伝ったって言うのに、自信ないの?」

向かい合って座る隆士に向け、覗き込むような形で視線を投げかける。県民歴にして半年にしかならない梨沙が「この私が」とは、どの口が言うのかとは思うものの、顔には出さずにつぶやく。

「……まぁね」

「あら意外」

素直に負けを認めたかのようなコメントには、驚きを禁じえない。想定しているおじいさんが喜んでくれるクオリティを高く見積もっているのか、自分たちの研究発表を過小評価しているのか、それはわからなかったが、梨沙の目にはクラスのどのグループよりもよくできているように見えた。それを「自信がない」とはなんたることだろうか。

これをどうにかするには、おじいさんから直接感想を聞くしかないだろう。急いでクッキーを頬張り、紅茶を飲み干した。

「ちょっと、なにしてるの? まだ時間は……」

「教室に戻らないと、こうしてる間におじいさんがやってきてて、帰っちゃったらどうするのさ。感想、聞きたいんでしょ? ほら、急いだ急いだ」

こういう背中の押され方はなんとなく悪くない。梨沙の後を追うように残ったクッキーを頬張り、紅茶で流し込む。紅茶はティーバッグから出したものかもしれないが、クッキーはこのクラスの誰かがちゃんと焼いてくれたものかもしれないというのに、これでは少しもったいないと思わないでもなかったが、今は自分の都合の方が先だ。見ず知らずの先輩に心の中で謝罪をしつつ、慌てた様子で席を立って、教室前方の出入り口そばに用意されたカウンターで会計を済ませた。

文化祭の模擬店には、レジなどという文明の利器はないのだ。

 

「おごってもらっちゃって、ありがとね」

「これくらいどうってことないって。それより、さっきはありがとな、背中を押してくれて」

もし、今ここでおじいさんと入れ違いにでもなろうものなら、取り返しがつかない。それを思えば、紅茶とクッキーの代金を奢るくらい、わけもないことだ。それに、校内の規定で三百円以上の単価は認められていなかった。お財布にも優しい価格設定だったのである。

「おじいさんに聞きに行くくらいいつでもできるかもしれないけど、今日この場じゃなきゃだめなんだと思う。なんとなくだけど」

「なんとなく? んー、いいんじゃない? そういう曖昧なの、私は好きだけどな。古来人間は直感を重んじて生きてきた。近代以降それを軽んじるとは何事か。てね」

人ごみをかき分けるように廊下を進み、階段を降りる。誰もがお祭りムードになっているせいか、どうにも進みにくい。その状況が逸る気持ちとぶつかって、じりじりと焦りの色が見え始めてきた。そこまで焦る必要はないのに、大した距離ではないのに、なぜか一刻を争っているかのような気持ちが湧き上がる。

「……何言ってるの? とにかく急ごう」

「おけ」

二人は階段を駆け下りると、一年の教室のある一階へと戻ってきた。そして、これまた急ぎ足で人混みをかき分けて自分たちの教室を目指す。もともと大した距離ではないところを急ぐのだから、当然それはあっという間の出来事だった。まるで競歩のような足取りで教室に戻ると、案の定そこは閑散としていて、この時間の当番になっているクラスメイトが四人と、外部からの来客らしい大人が2、3人いるだけだった。

「お、おかえり。まだ時間あるけど、いいの?」

突如戻ってきた二人に、クラスメイトは戸惑いの色を浮かべる。それはそうだろう、もともと「他のクラスの出し物を回る時間がたくさん取れる」、と休憩所を提案したのは隆士なのだ。それが当番の時間よりも早くに戻ってきたのだから、驚くのも無理はない。まして隆士は珍しく慌てたような素振りを見せており、落ち着きがない。そばにいる梨沙の様子からは、特に気にしなくても良さそうな空気を感じるのだが、それは事情を知っていて仲がいい(と目されている)梨沙だからこそかもしれない。

「ね、ねえ梨沙ちゃん、一体全体何がどうなってるの?」

「あー、まあ、色々あってね。それより、ここにおじいさんこなかった? 小粋で矍鑠とした感じで、私たちの発表を見てるはずなんだけど」

事情を説明するよりも先に、おじいさんの存在とやらを尋ねてくる。本当に、わけがわからない。しかしさすがに訪れる人の少ない展示だ、どんな人が来たかを把握するくらいは簡単だった。四人はまだそれほど薄らいでいない記憶の糸を手繰り寄せて教えてくれる。

「あぁ、そういう人なら来たよ。来た来た。ちょうどさっき出てっちゃったけど。用があったの?」

「うん、そうなんだ。ありがとね。まだ廊下にいるよね。よし、行こう!」

「だね。ていうか、俺の代わりに訊いてもらっちゃって、悪いね」

梨沙と隆士は阿吽の呼吸で教室を出て行く。去り際、

「必ず当番の時間までには戻るから!」

と言い残して。

残されたクラスメイトも、これには生返事で頷くことしかできなかった。

「あの二人、なんかめっちゃ我が道を行ってる感じだよね」

「ホントにね」

「人当たりいいし、もっと仲良くなれるかと思ったのに、なんで一番とっつきにくいあいつと仲良くなってるんだろう……」

「俺たち、完全にただのクラスメイトだよな……」

それは、荒野に吹き荒ぶ風のような、突然の帰還劇だった。

 

 

 

「おじいさん、ここを出て行くとしたらどこだろう。他の教室回るかな。それとも、そのまま帰っちゃうかな……」

教室を出てすぐ、隆士は推理小説の探偵のように呟きながら、この後の足取りをイメージした。学校には、当然のように搬入用のエレベーターしかなく、生徒も来客も、階を移動するには階段を使うしかない。とすると、上の教室に行く可能性は低い。出入り口は昇降口しかないから、校庭の催しを回るにしても帰るにしても、昇降口は通るだろう。しかし、同じ階にある他の教室を回るとしたら、案外隣の教室にいるかもしれない。そもそも、他のクラスが何をやっているかすら把握できていない。少ないはずの可能性はその一つ一つが大きく感じられて、どうにも考えがまとまらなかった。

「うーん、どこを探したら……」

「ねえ。悩むくらいなら、他の教室を探しながら昇降口を目指すのはどうかな。なんなら二手に分かれてもいいし。携帯、持ってるよね」

梨沙の言葉にハッと我に返る。そうだ、悩んでいるより動いたほうが早い。そんな簡単なことになぜ気づかなかったのか。

「昇降口に向かおう。追いかければ間に合うかもしれない」

隆士は昇降口に方向を定め、早足で廊下を進んでいく。今日のおじいさんの服装はわからないから、それらしい姿を必死にイメージして、少しでも背格好が似ていたらその顔を確認して。少しばかり挙動不審になっているが、こればかりは仕方がない。ぜひともここで感想を聞きたいのだから。

「いないね」

「ああ。だけど、そんな簡単に会えるもんでもないだろうし、まだ帰ってないことを信じて探すさ」

まるで競歩のような勢いで昇降口にたどり着いた。昇降口はさすがに広い。その、何列にも分かれている入場口をしらみつぶしに探す。靴を履くために屈んでいる男性を見かければこちらも身を屈めて顔を覗き込み、今にも外に出ようとしている人がいれば上履きのまま行って確認をして。

しかし、おじいさんの姿はついぞ発見できなかった。

「うーん、やっぱり帰っちゃったのかなぁ。他の階とか他の校舎とか、行くところは多いしねぇ」

「……でも、まだこの近くにいるはずなんだ! だから、この辺りをくまなく探せば!」

焦りにも似た衝動で声を荒げたその時だった。

「おや、お前さんたちは……」

背中から、乾いた声が降り注ぐ。それは紛れもなく……

「おじいさん!」

「まだここにいたんですね。私たちてっきり移動しちゃったんだと思ってました」

待望のおじいさんは、ハンカチで手を拭いている。おそらくは、どこかへ移動する前にお手洗いに行っていたのだろう。何はともあれ、ここで出会えてよかった。隆士は喜びと安堵で、疲れが一気に襲いかかってくるようだった。

その様子を見ていた梨沙も、一緒に胸を撫で下ろす。

「全く、そんなに息を切らせてどうしたと言うんだ。わざわざ探してくれたのはありがたいが、そういうのが苦手だからこっそり見に来たと言うのに」

「そんな……こと、言わないで……感想……聞かせて……ください」

その言葉には、切実な思いが込められていた。自分なりの努力を総括してほしいという思いは、ただの「感想のおねだり」ではない。

「あの、私が言ってもお門違いじゃないとは思うんですけど、精一杯資料をまとめて、周辺のことも調べて、クラスの中でも一番いい発表になったっていう自信があるんです。だから、情報を教えてくれたおじいさんには、絶対ここで感想を聞きたかったんです。私も、西本君も」

「まあまあ、そう急かしなさんな。お前さんがたの発表、あれはよかった」

おじいさんはそれ以上語ることはせず、軽く右手を振るとそのまま昇降口から帰ってしまった。やはり、わざわざ二人の展示を見るためだけに来てくれたということなのだろうか。

「なんか、おじいさんらしい感じだったね。……西本君?」

先ほどから俯いたまま微動だにしない隆士だったが、梨沙が覗き込んでみると、今まで見たことのないような笑みを浮かべていた。

「頑張った甲斐あったね」

優しい語りかけに、小さく頷くことで精一杯の返事を返した。この瞬間、二人にとっての文化祭は成功に終わった。

 

 

続く

2016年12月30日公開

© 2016 宮園希

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