彼女の嘘と8秒間 〜夏〜 その2「夏休み」

宮園希

小説

3,723文字

これは、彼と彼女の「8秒間」をめぐる物語。

蝉時雨、入道雲、刺すような日差し、そして紫外線の嵐。

 

 

「あっついね〜!」

「だったらわざわざ来なきゃいいのに……」

夏休みが始まり数日、二人はプールに来ていた。前日、梨沙からの急な誘いを受けた隆士は、驚きはしたものの、その誘いを快諾した。出不精なはずの梨沙がわざわざプールに、しかも自分を誘ってくれた理由は気になったが、直接会って訊けばいいと思位、その場では何も訊かなかった。そういう、小さな行動の一つ一つが、梨沙にとって一緒にいて気楽な存在になっている理由なのだが、当の隆士は気づいていない。

二人は、隆士の家の最寄駅で待ち合わせると、そこからバスに乗り、市営のプールに向かった。曰く、「私は場所が分からないんだから、西本くんの一番馴染みのあるところでいいよ。ていうかそれが一番楽でしょ?」とのことである。これにはさすがに反論できない。誘いを受けた以上、どこに行くのかは間違いなく課題になる。まして梨沙はこの土地に越してきて最初の夏、もし近くにあったとしても、知らなくても無理はない。隆士に案内をさせるのは、至極当然の流れだった。

少なくとも、「自ら地図で調べて行く」ということを良しとするほど、梨沙は行動的ではなかった。

 

 

「ま、理由は後で教えるとして、まずは着替えようよ」

「おう。確か、更衣室の出口は隣り合ってるはずだから、その辺りで待ってるわ」

二人はそれぞれ更衣室に消える。エアコンの効いたバスから降りてしばらく、なにしろ暑くてたまらない。溶けてしまう前に、早く着替えて水の中で涼みたかった。

 

 

十分後。

「あっついな……」

いち早く着替え終えた隆士が死にそうになりながら待っていると、いかにもありがちなセリフを言いながら梨沙が現れた。照りつける日差しのせいで、すでに隆士の脳天は灼熱地獄である。

「ごめ〜ん、お待たせ〜。待った?」

「待った。けど、そういうもんだろ?」

こういう時、男の方が圧倒的に早く着替えることができる。それくらいは想定の範囲内だった。だからこそ、何も文句はない。そして、それが誤解なく梨沙に伝わる程度には、打ち解けているつもりだった。これがもし他の相手だったら、変に誤解されて嫌なムードになるかもしれない。

その表情を確認すべく梨沙の顔を見ると、どこかつまらなさそうにしていた。

「……ど、どうしたの? もしかして、暑さで参ってる?」

「それはそうだけど、そうじゃなくて。せっかくの水着だよ? 何か感想はないの?」

そう言われてはたと気づいた。今の今まで全く意識していなかったが、これは「クラスメイトの女の子とのプール」である。とてつもなく夏らしい、そして男子高校生だったら心が沸き立っても仕方ない大イベントである。まして相手はクラスでも人気の梨沙だ。こんなに平静でいられることが、むしろ不自然なくらいだった。

改めて、梨沙の姿を上から下まで眺める。水色の地に若草色の葉が舞う柄のビキニだ。これはさすがの隆士も何か言わないと失礼だと思った。普段気の利いた言葉などまるで無縁だが、隆士は隆士なりに頭をひねって梨沙に向ける言葉を紡いだ。

「……似合ってると思うよ。うん、かわいい」

「えぇ〜、何それ〜、短い〜。心がこもってない〜」

手を腰に当て、いかにも心外といった様子で口を尖らせる。もちろん、隆士の本心が分からぬ梨沙ではない。少し間が空いたことも、言葉尻に照れ隠しのような歯切れの悪さがあることも、それが考えて捻り出した精一杯の気遣いだということを十分に物語っていた。

「こ、心? これ以上どうしろって言うのさ。十分に心を込めてるって」

「うろたえるところがなぁ〜。内心似合ってないって思ってるんじゃないの? 後、お腹が出てるとか。でも言えないからそれらしいことを言ってるとか。なんてね。伝わってるから大丈夫だよ。ありがと。それと、催促したみたいになっちゃって、ごめんね。さ、泳ごう泳ごう!」

からかったことを誤魔化すように、梨沙は隆士の手を取りプールサイドを緩く駆け出した。監視員に注意されないよう、速度に気をつけながら。

 

 

「で、こっちなの?」

「変?」

梨沙は「遊ぼう」ではなく「泳ごう」と言った。意識の片隅にもなかったその意味の違いを、隆士はすぐにその身をもって体感する。二人が向かったのは水遊びなどをするための浅いプールではなく、その奥にある「泳ぐ」ためのプールだった。ここは、水泳を習っている子供や、水泳部に属していそうな若者がひたすら泳ぐという、とてもストイックな場所だ。まさか、こちら側に誘われていたとは。

「いや、変っていうか。普通あっちじゃない?」

「そうかな。男子の西本くんは体育が別々だから知らないと思うけど、実は私、結構水泳が好きなんだよね。この暑い晴天の下で泳ぐなんて、夏らしくていいじゃん。それに、さっきの答えじゃないけど、ちょっと青春っぽいこともしてみたかったし」

「ははぁ、それで俺を誘ったんだ。いやちょっと待って。こっちでストイックにクロールって、全然青春っぽくないから。青春っぽいっていうと、水を掛け合ったりビーチボールで遊んだり、ここにはないけどウォータースライダーで滑ったり、そういうイメージだから」

日差しを避けるようにベンチに座り、必死に梨沙の行動と自身の持つイメージのギャップを説明する。しかしそれを意に介すほど梨沙は一般論を重んじてはいない。少なくとも、今は他人との軋轢が生まれるような場ではない。自分の気持ちを優先させてもいい場だった。だからこその「水泳用プール」である。

隆士も、梨沙の「だから?」という様子に説明を続けるだけの根気を失いつつあった。そもそも、隆士も笑いながら水を掛け合うような水遊びは性に合っておらず、こちらに来ていた可能性が高いのだ。

「まあ、俺も嫌じゃないからいいけど。ていうか、そもそも何で外に出ようなんて思ったのさ。青春ぽいことをしたいって言うのも、泳ぐのが好きだっていうのも分かるけど、家にいたらエアコンの効いた部屋で涼しく過ごせるんでしょ? それに、少なからず雑踏は存在するんだし」

「んー、何でかなぁ。家が厳しくてそこまでエアコン様に頼れないっていうのはあるけど、夏に泳ぐっていうのは、強い魅力があるんだよ。少なくとも私にはね。それに、引っ越した記念でつい買っちゃったからさ、この水着。せっかくだし誰かに見せたくて。かと言って女の子同士で出かけると、絶対品評会になるし! ああいうのは絶対嫌! というわけで白羽の矢を立てたワケ。自己満足に巻き込んじゃったみたいだけど、感謝感謝だから。て、まーた話ばっかしてるし。いくら日陰のあるベンチでもこのままいたら死ぬって。早く冷やそう!」

「そ、そうだね」

一足先にプールへ向かった梨沙の背中を見つめながら、隆士は考えていた。自分を誘ってくれた梨沙の気持ちを。しかも、誰に見せてもいいわけじゃないはずの、新調した水着姿のお披露目相手に選んでくれたのだ。そのことには、十分に感謝せねばなるまい。

どうやら、友達としての立ち位置は、確実に上へ上へと登っているらしかった。ならば、自分もそれに応えるのが筋なのだろう。隆士の心に、小さな決意のようなものが芽生え始めていた。

 

 

夕方、二人はバスに揺られていた。思い思いの泳法で25mプールをいくらか往復し、冷えたり疲れたりしたらプールサイドに上がって休憩し、楽になったらまた泳ぐ。そんな時間を数時間も繰り広げ、二人は疲れ果てていた。

「西本くん、正直私より体力ないんじゃないの?」

「悪かったな。こっちは運動は苦手なんだよ。そっちこそ、あんなに精力的に泳いで、帰り着けるの?」

女子高生の身空でただひたすらに泳ぎ続けるというのも、いささか以上に色気のない行為だったが、なんだかそれが梨沙には似合っていた。隆士もまた影響を受け、ひたすらに泳ぐことを良しとした。ただ、そのペースは明らかに違っていたのは事実だ。隆士の方が、早く根を上げていた。

「いくらなんでも、それは大丈夫……帰れないなんて……そんな小さい子じゃあるまいし……」

「……佐々木?」

口では大丈夫と言っていたが、いつしか窓際の梨沙は眠りについていた。口ではああ言うものの、やはり相当疲れているのだろう。もしかしたら、慣れない場所に気を張っていたのかもしれない。

(やれやれ……)

駅前のバス停に着くまでには、まだ時間がある。起こすのもかわいそうだと、今はこのまま寝かせておくことにした。梨沙を見る隆士の眼差しは、とても優しかった。

 

 

その夜、十分に日焼けした隆士は、浴室でしたたかな痛みにもんどり打つことになった。そしてその翌日、宿題をするために学校近くの図書館で待ち合わせた梨沙の白い肌を目の当たりにし、「日焼け止め」という名の言いようのない憤りを感じたのだが、それはまた別の話である。

 

 

続く

2016年8月25日公開

© 2016 宮園希

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