彼女の嘘と8秒間 〜春〜 その2「部活動」

宮園希

小説

3,456文字

これは、彼と彼女の「8秒間」をめぐる物語。

-六月-

 

しとしとと雨が降りしきる。最近はゲリラ豪雨のような、熱帯じみた降り方をすることも多い中、この日は昔のようなしとしととした優しい降り方だった。

梨沙が転校してから一ヶ月、隆士に教科書を見せもらった最初の一週間から三週間を経ての六月、その持ち前の明るい人柄で、すっかりクラスに溶け込んでいた。

その一方で、隆士ともコミュニケーションを欠かさないでいた。梨沙の目からも孤立しているように見えたのだが、特段嫌われている様子がないことから、原因はこの一つだけ飛び出した座席のせいなのではないかと考えた。そして、自分が隣に来た以上、無言では済まさせまいと、休み時間には積極的に話しかけ、お昼には一緒にお弁当を食べないかと持ちかけるなど、何かとコミュニケーションを取っていた。対する隆士も、特に嫌がる様子もなくコミュニケーションに応えて、校舎案内なども積極的に行うなど、元来は今見せている以上に社交的な性格なのではないかと思わせた。

 

「それじゃ、また明日ねー」

クラスメイトに別れを告げ、梨沙は一人三階の部室へと向かった。梨沙が選んだのは、化学部だった。隆士と同じ部活である。クラスメイトにとっては、それ自体にも大いに驚かされたが、なにより驚くべきは、この化学部が開店休業を絵に描いたような、形だけの部だということであった。

部室に入ると、先に入っていた隆士が出迎えてくれた。上級生も数人在籍しているらしいのだが、顧問共々、滅多に顔を出さない。今日も、部室である化学室にいたのは隆一人だけだった。

「私が入ってから三週間、先輩を一人も見てないんだけど」

「俺が入ってからの二ヶ月も、ほとんど見たことがない」

味気ない会話をしながら、薄暗い部室に入った。鉛色の空が太陽を覆い隠していて、蛍光灯を点けない教室は不安になるほど薄暗かった。なぜ蛍光灯を点けないのだろうと疑問に思いながらも、促されるまま部室の奥へと足を進んでいく。当然のように、部としての活動などはしていない。

「あれ? 窓開けてるの?」

降りしきる雨音が聞こえてくる。隆士が開けたのか、日中使ったどこかの生徒が開けたのか、窓が一つ開け放たれていた。おもむろに窓の外を眺めてみると、雨にぬかるむ校庭の様子が目に入ってくる。そして、雨に濡れた土の匂いとアスファルトの匂いが鼻腔をくすぐった。

「なんとなく、風情があるだろ?」

「んー、そういうことですか。西本くんが窓を開けた、と」

言いたいことは伝わってきた。なるほど窓を閉めるのはもったいない。きっと、校舎裏手の紫陽花も美しく咲き誇っていることだろう。雨を嘆くよりも、今は「梅雨」という日本の風情を楽しむべきなのだ。

若い身空でそんなことに気づけたのは、恐らく幸運なのに違いない。梨沙はそう思った。

「ところで佐々木さあ」

「何?」

隆士が梨沙の隣にやってくる。ぴったりとくっつきそうな距離で、こちらも梅雨の空気を胸いっぱいに吸い込んでいた。まだまだ分からないところのある隆士だが、どうやら風情を解する情緒を持ち合わせているらしい。今時の高校生にしては珍しいものだ。もしかしたら、蛍光灯を点けていないのも、そうやって外の景色を楽しむためなのかもしれない。

「佐々木はなんで化学部にしたの? 今まで訊いたことなかったけど、佐々木はもっと別の部活を選びそうな印象がある。バスケ部とかテニス部とか、家庭科部とか吹奏楽部とか」

「私、そんな女子力高い印象なの?」

乾いた苦笑いを浮かべながらも、隆士が自分に懐いている印象がわかるかもしれないと思い、続きを促した。

この一ヶ月、隣の席の住人として触れ合ってきた隆士には、一体どう見えているのか。

「女子力っていうか、隣で見てて思ったんだけど、佐々木って結構何でもそつなくこなすタイプだろ? だから、もっと普通の部活に入って、一般的な高校生活を謳歌するように思えたんだ。まあ、体育の成績はわからないけどな」

「そっか、そういうことか。いや、うん、確かに落ちこぼれではないけどね。本当はさ、帰宅部決め込むつもりだったんだよ、私。でも、合格してから知ったんだけど、まさかの部活強制でしょ? どこにしようか悩んでたところで、西本くんの話を聞いたのよ」

そういえば、そんなことを話した気がする。隆士は不意に一ヶ月前の会話を思い出した。

 

 

「ねえ、西本くんは何部に入ってるの?」

「俺? 化学部だけど……」

今より少しだけぎこちなく無愛想に答えた隆士は、その質問に何の意図も感じていなかった。ただ興味本位の質問なのだろうと。しかし、実際は違った。帰宅部への入部希望が打ち砕かれた転校生が、少しでも「帰宅部っぽい」部活を探しての質問だったのだ。

この時、隆士はこの部の状況をありのままに話した。「開店休業が売りだ」と。恐らく他のクラスメイトにも訊いて回っていたであろう梨沙は、この時決意したのに違いない。

「入るなら化学部しかない」と。

 

 

かくして本人の狙い通り「楽チン」な部活への入部を果たした梨沙は、日がな一日放課後をこうして隆士とのんびり過ごすことになった。

時には他愛のない会話を、時には互いに読書を、またある時には助け合ってその日出された宿題を片付ける。そして、帰りしなに隆士がこの地域を案内する。そんな日々を過ごしていた。

しかし、それが二人の仲を近づけ、特に隆士の社交性の扉を開けていくことになるのだった。

「で、ここに入って楽はできてる?」

「概ねね。運動部ほどじゃないけど、どうしたって帰りは遅くなるから」

少し残念そうなため息。授業が終われば真っ先に帰ることのできる帰宅部に比べれば、時間の制約は大きかった。今はいいが、冬場はこの一時間で、決定的に暗くなってしまうのだから。

自転車通学の二人にとっては、思いの外大きな影響があるのだ。

「そっか。なら、一応良かったと言うべきなのかな、この場は」

「いやもちろん。あの時、訊いておいて良かったよ。何も聞かなかったら、というより、真面目に活動してる部活だったら、絶対入ってなかったもん」

部員に支給される真新しい白衣が、部室の隅に掛けてある。当然、二人の分もあるのだが、その存在を思うと、少しばかり罪悪感がないでもないのだが、部活らしい活動は、安全上の都合もあり、月に一度来るか来ないかの顧問がいる時だけなのである。そして、梨沙はまだ、その「珍しい一日」に立ち会っていない。どうしても、帰宅部まがいの部活になってしまっていた。

それでも、顔を出すだけマシなのだが。

「それにしても、いるっていう先輩はどこで何をしてるんだろう。帰ったら間違いなく怒られるよね」

校門には見張りの先生が立っており、毎日持ち回りで部活をサボっていないかを見ている。この学校の、数少ない厳しい一面だった。だが、そのシステムによってよしんば部活をサボったとしても、一足先に帰宅するわけにはいかなくなっている。だから、在籍だけはしているはずの先輩が今どこで何をしているのかは、梨沙にとって一つの疑問だった。

「図書室で自習してるフリとか、そんなんじゃないの? どこで何してても、俺たちにはほとんど関係ないし」

「それは、そうなんだけどね」

こうした会話が、下校の時刻まで続くのである。それは、二人にとってはとても貴重な時間だった。もともと明るい性格ではあるものの、どこか遠慮が入り、ついクラスメイトに気を遣ってしまう梨沙と、他者とのコミュニケーション自体を避けるかのように過ごしている隆士にとって、何も気負わず過ごせる場となっていた。

「そろそろ、窓閉めよっか」

「そうだね。降り込んでくるわけじゃないけど、閉め忘れても良くないし」

ガラリと音を立て、窓を閉める。途端に外の雨音が聞こえなくなり、雨に濡れた外気の匂いも入ってこなくなる。化学室はかすかに薬品の匂いがするため、一瞬にして別室にいるような気になった。

「そろそろ下校の時間だ。帰るか」

「帰りましょう。そうだ、西本くん、帰りに文房具屋に寄りたいんだけど、案内してもらっていい?」

嫌と言わないのをわかっていての案内役のお願い。それを全く面倒だと思わない自分に、少し驚きながらも梨沙と並んで部室を出る隆士。

二人にとって、初めての夏が訪れようとしていた。

 

 

 

続く

2016年8月3日公開

© 2016 宮園希

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