彼女の嘘と8秒間 〜夏〜 その1「期末テストと入道雲」

宮園希

小説

3,200文字

これは、彼と彼女の「8秒間」をめぐる物語。

−七月–

 

梅雨も明けきらぬ内に入道雲が高くその首をもたげ、セミが声高らかに自己主張を始める。この頃になると、誰の脳裏にも「夏が来たか」という気持ちが芽生える。と同時に、気温はぐんぐん上がり、建物や木々の落とす影は濃くなり、全体的な世界のコントラストが強くなる。かと思えば、そのあまりに強い日差しに世界の色が薄まり、どこかぼやけて見える日もある。

まさに、日本の夏だった。

一方、高校生にとってはまさに期末テストの真っ最中であり、夏休みを前にした、最後の難関だった。少なくとも、隆士の通っていた中学では「赤点」という制度はなかったため、成績に響く程度であったが、高校ともなると違う。ある程度の点数を獲得せねば、「補習」と「追試」が待っているのである。テストの返却期間が過ぎると、いよいよ短縮授業が始まり、校内が夏休みムードに包まれ始める。しかし、補習生はその、せっかくの夏の午後を補習授業に当てなければならない。そして、その極め付けである追試は、なんと終業式の後に行われるという。生徒の余暇を奪うという意味では、この学校での補習システムは確かに赤点抑止に一役買っていた。

 

 

「遅れてごめんねー」

「んー、気にすんなー」

隆士たちはと言うと、部活時間中に行ったテスト勉強の甲斐もあってか、赤点を免れることには成功していた。いや、梨沙は必要十分、隆士は平均点前後といった具合に、一緒に勉強していた割には、その出来栄えには個人差が如実に表れていたのだが。兎にも角にも、二人は赤点の恐怖からは脱し、今日も短縮授業を終え、いつものように部室に顔を出していた。当然、顧問と先輩の姿はない。いつものように、開店休業状態だ。

梨沙が部室に入ると、隆士は何をするでもなく席についていた。これもまた、いつものことだ。ただただ、のんびりしているのである。エアコンが付いていないため、部室は蒸し暑いが、薬品臭さを緩和させる意味も込めて、窓は開け放たれていた。時折吹いてくる風が、汗ばむ肌に心地いい。

「いつも悪いね、鍵を開けさせちゃって」

「気にすんなって。そっちこそ、まだ話し足りないんじゃないの?」

梨沙はいつも少し遅れて部室にやってくる。それは、「授業後のおしゃべり」という、女子特有の”おつきあい”をしているからだ。もともと、そういう人付き合いを避けるために帰宅部を決め込もうとしていた梨沙にとって、「クラスメイトの女子」というコミュニティに参加することは、楽しさ半分煩わしさ半分といったところだった。クラスで孤立したり、ましてや嫌われたりしようものなら目も当てられないため、ほどほどには仲良くしておいたほうがいいし、仲の良い友達が欲しいのも事実だ。だが、その波長が合うかどうかは、とても難しい問題だったし、恐らく、梨沙の考える友達付き合いの深さやそこに割く時間は、友達たちの考えるそれとは明らかに違っているはずだった。だからこそ、難しい。

「確かにねー、話してるそばでは楽しい気もするんだけどさ、話題がねー。大体が恋愛の話題か昨日のドラマの話題か歌番組の話題か、後はタレントの色恋沙汰の話にダイエットの話とお化粧の話。固定されすぎちゃってて、ちょっとどうなんだろうって思っちゃう自分がいるんだよ」

「それって、面白くないってこと? 俺は女子じゃないからよくわからないけど、普通、なんじゃないか?」

「普通」。その言葉が、梨沙の行動の全てを物語っていた。彼女は、世間一般の女子と自分の感覚が少しずれていることを自覚している。テレビドラマは基本的に刑事ドラマしか見ないし、いわゆるランキングを賑わせる曲も聴かないし、今の所好きな男子はいないし、容姿に関しても過不足を感じていない。当然、化粧だってまだ必要ないと思っている。唯一、眉の形を少し整えるだけだ。

「そこらの子と同じ話題で心から盛り上がれたら、苦労しないんだろうなー」

「そっか、そういうの興味ないんだっけ。痩せる必要もなさそうだしな」

上から下まで視線を動かしながら、隣に立つ梨沙の姿を確認する。これにはさすがにいい気はしなかったのか、慌てて向かいの席に座る。

「……変な目で見ないでよね」

「いや、そんなつもりじゃないけどさ。話題が合わないのは、どうしようもない気がするぞ?」

クラスでは孤立しがちな隆士も、これには同意する。さすがに、無理やり話を合わせていたのでは、話し足りないという感想は生まれないだろう。梨沙がこうして日々部活で隆士と会話を続けていられるのも、ひとえにこうした共感にある。

「分かってくれる〜? だからって、別に男子と話が合うわけじゃないんだけどさー、今頃じゃ、変わり者枠なのは確かだからねー。なんなら生まれてくる時代を間違えたかもしれない」

「それ、もっと苦労する奴じゃないの? 多分、女子は数十年単位で似たような話題で盛り上がってると思う。でもさ、その割には色んな奴に好かれてるよね。男女問わず」

今こうしてのんびり話せているのが不思議なくらい、梨沙は人気だった。さすがに上級生がやってくることはなかったが、クラスでは男女問わず複数のグループに慕われ、そのグループ経由で他のクラスの生徒とも知り合う。そうして、いつしか梨沙の周りには多くの生徒が集まっていた。

そして、当の梨沙は、多くの相手と当たり障りなく、いたって穏やかな友達関係を築いていた。

「まー、転校生って珍しいからね。あんな時期に突然っていうのもあるし。これが男子なら、顔がよくないとダメとか、運動できない奴は眼中にないとか、結構シビアな目で見られると思うんだけど、その点女子は女子ってだけでハードルが下がるからね。男子からしてみれば女子と知り合いになりたいってことだろうし、女の子同士のコミュニティは、最初のとっかかりがすごく些細なんだよ。正直、あんな大勢と知り合うとか、想像してなかったんだけど」

「それ、一番避けてるやつじゃないの? 友達は選ぶの難しいと思うけど……」

いかにも理科室といった趣をした紺色の机で頬杖をつきながら、梨沙は視線だけで窓の外を見る。青々とした空に、真っ白な入道雲がそびえ立つ。陰になって薄暗いこの部室が、外の景色とはまるで対照的で、いかにも外界から隔絶されているような感覚を覚えてどこか心地いい。

やはり、喧騒は苦手だ。

「八方美人ってわけじゃないんだろうけど、ついつい話を合わせちゃうんだよね。結局のところ、私も現代的な馴れ合い重視の価値観に染まってるのかもしれないなぁ」

「高校生が”現代的”なんて言葉使うなよ。いつの時代から来たんだ」

いつの時代いつの世代にも世間の波長とは少しずれた人間は存在する。そして、少なくともこの二人は互いに自分のことをそういう人種だと自覚していた。だからこそ、こうして二人は歯車が噛み合うように雑談に興じていられる。

「佐々木はさ、俺と話してても平気なわけ? めんどくさいとか会話が入らないとか、思わない?」

「んー、ないですなぁ。それこそ、そういうことを訊いちゃうくらい会話の煩わしさを分かってる相手だからこそ、むしろ煩わしさがないというか。はじめに愛想よく挨拶しておいて何よりだったよ」

決して存在しない打算をちらつかせる。梨沙は時折、こう言う衒学的な物言いをした。

「俺のこと、他の連中とは違うって見抜いてたってことなのか?」

「さーねー。私こんなんでももともと愛想いいし? それより、そろそろ帰ってもいいんじゃない? まだまだ暑いけど、学校にずっといるよりはさっさと帰ろうよ」

部室に掛けられた時計を指差す。確かに、もう下校可能時間だ。であれば、隆士にとっても居残る理由はない。二人は荷物を手に、部室を後にした。

「じゃ、また明日」

「ん、また明日! て、ここで別れるわけじゃないんだから!」

夏休みは、すぐそこまで迫っていた。

 

 

続く

2016年8月17日公開

© 2016 宮園希

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