問題文『事実の多様性』

【原発】工藤はじめ大学入試問題(第3話)

工藤 はじめ

小説

42,611文字

  問題文『事実の多様性』       ■3月11日、大地震が起こったワールド■   私は、生まれは新潟、育ちも新潟、大学も新潟。私は、父に支配されてしまった存在だ。親の […]

 

問題文『事実の多様性』

 

 

 

■3月11日、大地震が起こったワールド■

 

私は、生まれは新潟、育ちも新潟、大学も新潟。私は、父に支配されてしまった存在だ。親の決めた企業にしか履歴書が書けない。親の決めたことしか面接で言ってはいけない。親を尊敬しなければならない。親の決めた物しか買えない。親の決めた人としか会話してはいけない。自由に友人も作れない。主食は米。パンを食べてはいけない。若者の飲酒喫煙は禁止。老人には優しくなければならない。これら人としての当然の行いに反すれば、父に監禁される。車に乗せられ、急発進と急ブレーキを繰り返す。そうして、この当然の行いはより強固なものになる。

私は反抗した。新潟を逃亡して、貯金を切り崩して、東京の武蔵野市で生活することに成功した。今思えば、新潟での生活はいつも、親や地域社会が要求する常識に苦しんでいた。若者の新しい価値観など認められなかった。若者の自由はなかった。それに比べて、武蔵野市の町は穏やかだった。歩いていける場所に何でも売っていたし、住宅街にはアパートとお金持ちの一軒家が立ち並び、道路は平らで歩きやすかった。そこには自然の脅威は皆無だった。社交的なお年寄りもいたし、髪を染めている真面目そうな飲食店の店長代理もいたし、昼間はロックバンドをしている、髪の毛を大きく逆立てた夜勤のコンビニ店員もいた。老人も若者も調和していた。

住んでいるアパートから一番近いコンビニには、親切なおばちゃんが働いていた。カード作りませんか。わたくし、カードは持たない主義なんで。あなた、いっつも買い物に来てるじゃない。ほら見て下さいと財布の中を見せた。カードが溜まっちゃって、もう入りきらないんですよ。国民健康保険、郵貯、漫画喫茶、パン屋さん、図書館、漫画喫茶その2、他にアパレル関係が6枚。コンビニのスペースがないんですよ。でも、あたな、いつも来られるから。初回だけ300円だけど、すぐに溜まりますよ。お金かかるの。100円で1円たまるから、3万円買えばいいのよ。あなた1日千円くらい買うから、3ヶ月で溜まりますよ。検討します。おばちゃんは、カードの案内をとろろそばの入った袋に追加した。

おばちゃんのことを思って、私は入会を決意した。書類を記入し、コンビニへ持っていった。あら、あなた、名前、工藤はじめって言うの。いけませんか。いやね、特殊な名前だなって思って。ときたま言われます、自分では特に普通じゃないとは思いません。おばちゃんはおでんのスープだけを掬い、クリームパンと一緒にどうぞと、くれた。今日は100円のクリームパンしか購入しなかったので、申し訳なかった。クリームパンの甘さと、おでんの汁の塩味が意外と合った。

2週間に1度、目覚ましで起きると、今日は贅沢するぞーと叫び、普段はしない朝シャンをする。そして、高級なパン屋へとそそくさと出掛ける。ビルの一階にグリーンの長い板が打ち付けてあって、どこから入ればよいか分からないし、何の店だか分からない。入り口に立つと、大きな板が動き、中に入れる。緑の割烹着を着た女性店員が4人いる。私は、400円する小さなフランスパンを買い、店を出る。スキップで帰宅し、果物ナイフで薄く切り、アイスミルクティと一緒にパンを味わい、石原慎太郎の小説を読む。パンには、香ばしい風味と、小麦の人生を感じさせるような深い味がある。床が揺れた。ゆっくりと横に長く。

新潟で二度の震度6強の地震を体験している私にとって、すぐに終わるだろうと高をくくっていた。予震から本震になり、横のゆれが大きくなっていく。新潟の地震では、これくらいの揺れでは私の家は大丈夫だった。しかしこれ以上大きな揺れで、建物が壊れないという体験が私にはない。横揺れは、更に拡大する。自分の心臓が不気味に鼓動し、私はアパートの外へ出た。平日の昼間だったのでアパートに残っている人はほとんどいなかったが、アパートの他の部屋の人も、ちょうど外へ出ようとしているところだった。私の4部屋隣から、男の4人組みが、マージャンの牌を持ちながら、部屋から出てきた。どうした、どうしちゃったんだ。そうだな。口数は少なかった。私も、鉄筋コンクリートの柱がぎーぎー鳴るのを聞いて呆然としていた。仮に友人と一緒にいたとしても、発する言葉が見つからなかっただろう。

テレビを観ないのでつないでいなかったブラウン管テレビのコードをつなぎ、ニュースを見た。津波が町を飲み込む映像が凄まじ過ぎて、悲しいという感情を抱くこともできなかった。何で私は感情を失ってしまったのだろう。その原因が分からない。後で考えてみれば、ストーカー殺人事件の場合は、犯人を敵と設定して、その反射的効果として被害者の若い女性に好感が持てる。だから若い女性をかわいそうだと思える。でも、津波は犯人がいない。誰も悪くない。敵が設定できないから、感情もない。この仮説も正しいか分からない。もっと複雑な事情が絡んでいるような気がする。とにかく震災当時は、こういうことを考えることすら放棄してしまっていた。

夜になり、今更、食料を確保しようと思い立つ。スーパーに行った。地下一階の食品売り場は空であり、所謂、おかずといえるものは何も売っていなかった。1階にはお菓子と飲み物が売っているのだが、水とお茶は存在せずジュースと酒ばかりで、お菓子も三分の一くらいしか売れ残っていない。絶対に甘いものを好まなさそうなサラリーマンが、渋々、柔らかいスポンジをチョコでコーティングしたお菓子を買っていた。ある若者二人連れは、一人が携帯で話し終え電話を切って、俺の友人、××いるだろ、あいつじゃがいも買えたんだって、超ラッキーだったって言ってたよ。ほんとだよな。私もオレンジジュースとポッキーを買って帰った。酒を買っている人はいなかった。ニュースを深夜まで観た。テレビにかじりついた。

次の日は、コンビニにふたつしか入荷していなかった弁当のひとつ、鳥の照り焼き弁当を購入し、食べた。それがブランチだった。夕食はポッキーを食べた。そんな生活の土日が過ぎ、日曜の夜、停電していた神奈川県が復活し、電力が不足する見込みだとテレビが言っていた。計画停電なるものがあるらしい。計画停電になる時間は地域ごとに細かく違うので、インターネットで確認して下さいとのことだった。ネットで、東京電力のページやテレビ局のページにアクセスするも、繋がらない。どうしてこんな無理なことを強いるのだろう。ケーブル局の地域番組を何時間も見続け、自分の地域が午前中の最初の2時間停電すると知る。よりによって私の地域なのかとため息が出る。テレビでコメンテーターが電力が回復するのには、10年単位の期間が必要だと言っていた。

停電のときはどうせ店はやってないから、停電してないときに食料を買いに行って、と1日の計画を立てた。停電のときは暖房が使えないから、朝から大量に服を着込んで準備し、計画停電の開始を待った。計画停電の開始時間を過ぎ、防災武蔵野の宣伝カーが大音量でやってきた。計画停電は午後に変更になりました。1日のうちどれだけ、停電の準備をすればよいのだろう。テレビは自ずと、柏崎刈羽原発の再稼動の話題になる。3月12日、原発が爆発した。私は新潟県出身で新潟に親戚の友人もいるし、自分の家族もいる。私の出した結論はこうだ。新潟なんて関係ないや。どうぜ戻るかどうかなんかわかんないし。今は地震が頻発しているし、新潟で大地震が起きても何ら不思議じゃない。新潟が放射性物質で汚染されたら、誰も新潟に帰れなんて言わないだろう。だから、東京でいいや。

私のこのときの感情はどんなものだっただろう。原発が爆発したことを考えているのに、爆発というもの実体のないものとしか考えていなかった。子供向けの全部ひらがなの小説の一部に「ばくはつ」という文字があっただけで、挿絵には全く気ままに戯れている絵が書いてあるような気分だった。ちょっと空気が黄ばんだだけなんだよ。新潟に住む人がバトルゲームのキャラクターのように、「死んでも当たり前でしょ、もう一回スタートすればまたいるでしょ」くらいに錯覚していたし、その錯覚自体に気づかなかった。

原発の再稼動は政治家を選ぶ上で重要なことではない。重要なことは経済政策だ。東京は電力不足で経済的ダメージを受けたのだ。それを回復することだ。計画停電など、こりごりだ。復興だ。日本を以前のような元気な姿に。コンビニのおばちゃんに会った。武蔵野市の計画停電って、いつなんでしょうね。もう困っちゃうわよ。停電したら、アイスはもう商品にならないでしょ。牛乳とかお弁当だって、冷やさなきゃ悪くなるものも多いの。私、生まれが山口で、こっち来て東京生まれの旦那と結婚して、そのとき決意したの。一生東京で生きていこうって。今もこうして正社員として働いてんのよ。だから、どんなに停電ばっかりで住みにくくても、山口に帰ることなんかできないのよ。工藤はじめちゃん、あなたの実家確か、新潟よね。そういう工藤はじめちゃんだからこういうこと言ってるのよ。工藤はじめちゃんだって、あなたなりのこだわりというものがあって、簡単には東京から離れたくないでしょ。はい。そうですね。東京に住むのが一番いいと思います。おばちゃんは私が家出をしたという事情を知らない。でも、東京にしがみつきたくて離れる気が全くない者同士の、わずかな一致点というものに感づいていたのだろう。

みんな笑顔になれる日が早く戻ればいいね。おばさんはそう言った。そしておばさんは、新商品のおでんの具、チーズインハンバークの話をした。。おばちゃんは正社員という地位に満足しているのではない。正社員としての責任の下で顧客と接し、顧客を愛しているのだ。そして、旦那も真摯に愛しているのだ。人の悪口を絶対に口にしない性格だ。人と対話をしながら信頼を深めていくタイプだ。私もこういう生き方を参考にしたい。こういう大人が日本中に溢れれば、日本は平和になるのに。

原発が爆発した現状。でも、東京がどんな放射線濃度なのか分からなかった。生きるためには外出して食料を調達しなければならない。だから外出はする。直ちに影響はないということだった。誠実な元弁護士の幹事長が「直ちに」という言葉を遣っていて、私は失笑した。その日どうやら放射線濃度が高かったらしいということが、数日後に判明する、そんな毎日だった。水、ティッシュ、トイレットペーパー、カップラーメン、缶詰。スーパーに行列を作っている老人たちの話は面白い。私もたまに一緒に並ぶ。行列を作るのなんて、戦時中以来だねえ、と昔を懐かしむ老人。私はいいんだけど、孫がねえ、と水のペットボトルを確保する孫思いの老人。たまたま前後になった老人同士で会話が弾む。どうしたん、エスカレーター急に止まったんか、怖いねと人懐っこく私にしゃべりかける老人。この、朝のスーパー以外の場所では、誰も震災や放射線の話をしていない。特に若い人は、誰もそういうことに触れない。若い人のそういう場面には出会ったことがない。老人だけが朝のスーパーで頑張っている。私は朝のスーパーが好きでもあった。

コンビニのおばちゃんも、そういう話題は出さない。コンビニ弁当で福島の食材を多く使っているとネットのニュースでコンビニ自身が発表したが、おばちゃんは何も言わない。今日も他愛もない話をする。おばちゃん、名前も知らない巨大な樹の下で、こんな広告見つけたのよ。おばちゃんはB5の大きさの赤く印字された広告を見せた。ここよ、ここを見て。お買い得。吸血鬼の肉、500円。これ、誰かの冗談でしょ。いたずらだよ、いたずら。私はこんな現実を受け入れられない。いやでも、それにしたら、印刷が綺麗すぎるでしょ。いたずらにしたらお金をかけすぎよ。おばちゃん、名前も知らない巨大な樹ってどこにあるの。武蔵野市よ。武蔵野市にそんなことあるの。あるのよ、普段は閉じきっている神社の中にね。

 

 

 

■吸血鬼がいて、3月11日大地震が起こらなかったワールド■

 

俺は福島県民の佐藤だ。肉というものは、人間に近い動物ほど、食べる人間にとっては旨い。人間の肉を食べる習慣がないということからして、吸血鬼の肉は極上の肉だった。香辛料がきいたソーセージ、サラミは、食欲をさせる。吸血鬼は身長は人間と同じくらいで、顔は人間の平均より、美男美女だ。外を歩いている吸血鬼を見ても、人間と区別することはできない。ただ、足の先だけ、青色になっており、靴下を脱げばばれてしまう。

人間は遺伝子的にみんな夜、眠くなり、寝静まる。夜、人間が消えた地球を、吸血鬼が飛ぶ。白い星を捕まえようと、大気圏ぎりぎりまで行く。結局、星はつかまらないけど、星から金平糖がふってくる。それを舐めて、優しい気持ちになる。

パクリフーズでは冷凍食品を販売している。名物は冷凍ピザで、吸血鬼のサラミを使用している。このパクリフーズは福島県に工場を置き、日本の冷凍食品のシェアの95パーセントを獲得している。従業員数も多く、福島県の人口の7割もの人がパクリフーズで雇用されている。みんな正社員だ。

ものすごく実感していることがある。それは、ピザというのは何をどうのせるのかが難しいということだ。素人はピザのトッピングの乗せ方なんか誰がやっても同じだと思うだろうが、違うのだ。まずはトマトソースの量。少ないと安物のチーズの味だけでピザがまずくなるし、使用量が多ければ、採算が会わないと現場のリーダーから怒られる。一番の難点は、具材のトマトソース、チーズ、サラミ、パプリカを、どのくらいの量をどう重ねて置くべきかだ。これでピザを口に入れたときのハーモニーが決まる。これを誤ると、具材の良さを完璧に消してしますのだ。

これにつき、俺は独自のノウハウを持っているし、だからこそ今の自分がここにいると思う。ピザ作りがうまくいったときは、腕の脈がどくんどくんと、それ自体が鼓動しているかのように鳴る。そういう臨場感がある。ここは俺の領域だ。誰にも奪われたくない。誰かに奪われるのを考えたら、悲しい。

3月11日、事件が起こった。会社に苦情の電話が殺到しているらしい。冷凍ピザから異臭がして子供が口から吐き出しただと。後日、一部のピザから、農薬のマラチオンが検出された。下痢や腹痛、嘔吐を訴える苦情が100件よせられた。パクリフーズの社長は、このマラチオンの濃度では安全です、と販売の継続をマスコミにアナウンスした。しかし主婦たちの消費者団体は黙っていなかった。このマラチオンの濃度でも健康に害を生じさせるという研究もあり、自主回収すべきだと訴えた。俺はどうしても言いたいことがあった。会社の仲間も、いいぞ、佐藤、やれやれ、消費者団体の奴らの言うことはどうもおかしい、言ってやれ、佐藤、と背中を押してくれた。俺は白い拡声器を持ち、会社の前を囲んでいる消費者団体の前に出た。

このマラチオンの濃度は安全だ。健康に害が出ることなんかあり得ないんだ。だって、東大の学者はみんなそういってるんだからな。この濃度で害が出るかもしれないっていう学者は、みんな東大以外だ。東大とそれ以外を比べて、貴様らはどうして東大以外を信じるんだ。入試のときの偏差値が全然違うんだぞ。貴様ら、東大に入れなくて、妬んでるだけなんじゃないのか。それに下痢や腹痛なんて、普通に生活してりゃあなるだろ。珍しくもない。貴様ら、下痢や腹痛になったことないのか。にっぽんの人口を考えれば、100人くらいお腹壊しても当たり前だろ。

何言ってんだ、お前。お前の会社のピザ食って、100人も体調崩してんだ。100人もだ。最近パクリフーズを食べたっている人は1万人と推定できるから、1万人のうちの100人だ。

冷静に考えて下さい。癌で死ぬ人の方が多い。癌で死ぬのは1万人のうち、330万人以上である。100人くらいどうってことはない。それにだ。100人の体調不良は、うちとは他の食材が原因かもしれない。うちが原因だっていう証拠でもあるのか。だいたいマラチオンが検出されたのも、たくさん出荷したうちの3枚だけだし、今回の100人はうちが原因じゃないですよ。

そんなの、もう食べられてしまって検査できないよ。

うちが原因だって分からないんだろ。どうして俺らのせいにするんだよ。福島に住む俺らが丹精こめて作ってんだぞ。因果関係も証明できないのに福島のせいにするなんて、風評被害だ。

風評被害という言葉が、人々の心に届いたのか、テレビ、新聞、ラジオは、風評被害という言葉を連呼し、パクリフーズの冷凍ピザの安全性を報道しまくった。俺は感動した。人間同士というのは、話し合えば必ず分かり合うことができる。一部、変な潔癖症軍団がいるが、あんな奴ら、適当に無視していればいい。

吸血鬼にも訊いてみたくなった。今夜は眠らないことにした。すね毛を抜いて気持ちを高揚させ、眠気を吹き飛ばす。あくびをしながら、深夜2時の町へ出た。吸血鬼が腕を何千回もはばたかせ、飛んでいた。おーい、俺も空高くへ連れて行っておくれ。一匹の男性の吸血鬼が無言で俺を背中に乗せた。中肉中背の30歳くらいの、栗みたいな体臭のする吸血鬼だった。俺と同じくらいの年齢だ。なあ、お前、パクリフーズのピザは安全だよな。俺らは誰にも被害を与えていない。一部の人間が、自分勝手に八つ当たりしてるだけだよな。吸血鬼が答える、その通り。危険だなんてどうして分かるんだ。作っている人間のことを最も優先しなければならないんだ。福島の作っている人間の気持ちが大事。食べた人がどうなるかなんて、福島の利益に比べたら、たいしたことないだろ。吸血鬼は、白い歯を見せながらそう言った。俺は混乱した。思考がぐちゃぐちゃになった。俺は何に悩んでいるのだろう。しばらくして、悩みを思い出した。なあ、お前らは、何で空なんか飛んでるんだよ、そこに空があるからか。空を飛んで、地盤のエネルギーを吸収しているんです。こうしないと、地盤と地盤の境界が盛り上がって、それが元に戻ろうとしたときに大きな揺れを起こす。これを地震というんだ。そうならないように、吸血鬼が空を飛んで、地盤がぶつかりあうエネルギーを吸収して、圧迫し合わないようにする。事前に大きな揺れを防止しているんだ。地震? 聞いたことないよ。そりゃあそうだよ。今までは僕たちが完璧に地震を防止してきたからね。それじゃあ、実感沸かないなぁ。地震なんて自然現象、本当に起こるのかなあ。吸血鬼は、うまれたばかりの赤ん坊を始めて見る親みたいな表情で次のように言った。この宇宙にはいろいろはパラレルワールドが存在しているんだ。人間が最も小さい生命体のワールド。人間の肉体が顔しか存在しないワールド。クローバーが四つ葉しか存在しないワールド。そういえば、吸血鬼が存在しないワールドもあってね、そこでは福島で3月11日に大地震が起こるんだ。ん、パクリフーズの風評被害は発生したのと同じ日にちじゃないかい。だから、地震というのは確かに生じえる現象なんだよ。吸血鬼さんの言うことは、こじつけみたいで、あんまり説得力ないなあ。吸血鬼はポケットから新聞の切り抜きを取り出した。ほら見なさい。津波で大勢の人が流されている写真だった。死者1万人。これ、君が作ったんだろ。馬鹿言え、紙と印刷代でいくらかかると思ってるんだ。

 

 

 

■3月11日に大地震が起こったワールド(再び)■

 

大地震から半年が過ぎた。貯金が尽き、どうやって東京で暮らしていけばよいか、見失いかけたとき、答えはすぐに出てきた。アルバイトしてお金を貯めて、声優養成所に通おうかという答えだった。新潟に帰るという選択肢だけはなかった。それなら長野に移住した方がましだった。だいたい新潟なんて土地、原発が再稼動されるのは目に見えていた。いつ大地震が起きて、大量の放射線を浴びるか分からない土地に行く馬鹿なんていないと思った。だからアルバイトだ。しかしこれを父はよく思わない。私が正社員にならないと気がすまないらしい。理由を聞いたら、俺は朝8時から働いて、サービス残量を毎日夜8時までやってきたし、休みもお盆と正月しかなかった。だから、お前も正社員になって、毎日サービス残業しないと許せねえ。その許せねえというのはどういう意味、という子の疑問に、父は子を蹴る。靴のつま先を高く上げ、子の腿に命中する。何が起こったのかと子は、蹴られるのを呆然と受け入れる。子供なんてゴミだ。そんなもんだと思うけどな、どこの親だってな。何でこんな人間が生きているのかと、私は愕然とする。

なぜ声優を目指したのかというと、演技をするときは、人間というものの背景と本質、そしてその感情というものに、真摯に向き合っているからである。演技をするときは、台本に書いていない人物像を想像し、肉感とリアリティというものを構築し、演技をしながらそれを体感する。冷静に考えると、私は人間が好きだし、人間に興味もあるらしい、という結論になる。だが、なぜか現実世界の正社員というのは、舞台上の登場人物よりも肉感もないしリアリティもない。でも、それがマナーというものだから、それが東京(や他の地域)の正しい生き方なのだ。だから私はこの生き方を否定しないし、自分もそうやって生きようと思う。むしろそれをうまく利用すればいいと思う。原発再稼動なんて、新潟の一部の反対派の人の言うことをうまく封じ込めて、話題に出さないようにして物事を進めれば、簡単に達成できる。計画停電がないのって、平和だよね。そもそも貿易赤字を出さないためには、再稼動は必要。断固として日本のことを想っている安倍や石原がかっこよく見える。

声優というのは不定期に仕事が入るため、勤務時間が定まっていたりサービス残業したりする正社員とは両立できないんだ。アルバイトしかないのだ。それにしても親をどうするのが正解なのか。そんなさなか、親が私の住んでいるアパートに押しかけた。私を殴って言った。アパートはもう解約してある。新潟に来て正社員だ。お前ならどこでも受かる。大企業に行け。私は頭痛がした。父は、私が卒業した新潟の国立大学がさも東大よりも格が高いと昔から豪語していたが、そのようなことを言っているのは宇宙で父しかいない。

父は私を車に連れ込む。父の太くたぷたぷした腕に比べ、私のは母親譲りで筋肉質でなく細い。私は、力負けし、車へとすっぽりはまった。こんなことしてどうなると思っているんだ、何か解決するとでもお父さんは思っているんですか。文句があるなら殺してみろ。どうだ、できねえだろ、意気地なしが。お前の決意なんてそんなもんなんだよ。そんなことないよ。私は車の窓ガラスを叩いた。割れろ割れろ。やめろみっともない。父が私の腕をつかみ引き寄せる。いや絶対に割るんだ。ガラスを叩いている所を誰かが見て通報してくれるなんてせこいことは望まない。自分で未来を切り開くんだ。私は父の腕を振り払った。父の頭は、勢いに乗って反対側のガラスに当たった。父が気絶した。もう父の意識は戻らないかもしれない。私のこめかみに冷や汗が伝った。でも、父は呼吸はしているようだ。早くこの体を土に埋めなくては。そうすればきっと死ぬ。

私は父の体を後部座席に投げ捨て、車を運転した。大学時代にとった免許が役に立った。富士の樹海なら、埋める場所はいくらでもあるだろう。時速50キロで走り少しでもハンドルをずらせば、みるみる自分の行くべき方法は変わってしまう。この状態に感動した。それに加え、自分はこの膨大な力で、ハンドルをいじれば、人をいくらでも殺せてしまう。自分で世界地図を描くのだ。仮にこの道路の歩道を5列で歩いている男の大集団があったとして、その男たちをタイヤでおしへこませていく様は、私にとって荷物を梱包するプチプチを潰すようなものだったし、退屈しのぎの作業として成立するだろう。人と人の間の空気(いわゆる場の空気)で溢れる空間を、人間を平らにして潰していくというもんだ。おしゃれをするにしても、完全に左右対称で何もかも綺麗に整っていては気持ちが悪いので、多少乱すという遊びと同じ心理だっただろう。おしゃれでも少し乱した方が世間に受け入れられるならば、タイヤで少し人を圧迫した方が、そういう圧迫された人間が出てくる方が、社会的であるような気がする。圧迫された人間がいた方が、社会の満足度があがる。そもそもそういう心理を私に抱かせたのは、男の集団という、感情移入もできない肉感皆無の人間を押しつぶしたからである。だがその前提はこの妄想だけに限定されない。現代社会の特に都会で、道ですれ違った人のことなんて考えていられない。むしろ考えるのは失礼である。隣に誰が住んでいるかなんて知ったことではない。もちろん挨拶して欲しい人もいるだろうが、実際に作者の工藤はじめは引っ越したとき隣人に挨拶にいって怒鳴り散らされた。東京では血の通った人間同士の付き合いを避ける人も多いのだ。学校のクラスが同じ、大学のサークルが同じ、職場が同じ等でなければ、東京では人の人間としての深みを見ない。人間という存在がそこにあるだけ。男か女か年齢が何歳か、どういう顔かくらいは認識するが、それ止まりである。ゲームの登場人物や、最近編集者で流行の定型的な小説キャラクターのような存在だ。それが東京の人間の見方だ。編集者が定型的な人物描写を好み要求するのは当然のことだし、誰も責められない。工藤はじめが編集者と同じ地位と身分と威圧感と給料と安定感があったなら同じことをするだろう。

富士の樹海に着いた。何十年前かに舗装された色褪せたコンクリートの道、そこから少しはずれると、痩せた老人の手首みたいな樹木の大群だった。細い樹木の隙間は、名前も知らない小さい葉の植物が侵食し、日の当たりにくいその風景は、毒々しいグリーンに満ちていた。命は親から頂いた大切なもの。もう一度静かに両親や兄弟、子供のことを考えましょう。ひとりで悩まずまず相談して下さい、という看板があった。この看板を見て、心が痛かった。分かり合えるはずの親や家族がいるのに自殺する人がいるのかと。そういう可愛そうな人たちのことを考えて、心が痛かった。そして、自分の親のことを考えた。殺してもいいじゃん。心は痛まなかった。親を殺すかより、まずまずという看板の言葉が気になった。

親の鼻の穴に手のひらを当てた。手のひらが痒い。まだ、呼吸をしているということだ。埋め甲斐があるというものだ。ここで車にスコップを積んでいなかったということに気づいた。仕方がないので木の枝で土を掻くようにして掘った。自分の手で直接は掘らない。殺人の痛みというものを感じてしまうかもしれないから。人間の指先はもろいのだ。10時間くらいかけて体が入る深さと広さになった。父を埋めて、遠くを見ると、そこにはあの武蔵野市の神社でみたのと同じ、名前も知らない巨大な樹があった。その枝には、オレンジの果実がたくさん鳴っていた。トマトくらいの大きさで、へたは丸かった。ひとつ拝借して食べた。カシューナッツ炒めの味がした。工藤はじめは死んだ。

 

 

 

■やり直しのワールド■

 

私は生まれ変わった。時間が遡る。父は私を車に連れ込む。父の太くたぷたぷした腕に比べ、私のは母親譲りで筋肉質でなく細い。力で負けて、私は車へとすっぽりはまった。こんなことしてどうなると思っているんだ、何か解決するとでもお父さんは思っているんですか。文句があるなら殺してみろ。どうだ、できねえだろ、意気地なしが。お前の決意なんてそんなもんなんだよ。私は以前の記憶を心の奥でかすかに覚えていて、自分が社会的な人間になろうとした。反射的に私は殺すのをやめた。親の車に乗せられて新潟に戻る。新潟で住むうちに私はいろいろなことを思い出した。さて、私の思い出を語る前に、外国の読者もいるだろうから、新潟の電力事情を解説しなければならない。そもそも新潟県は東京電力の管轄ではなく、東北電力の管轄である。電力は東北電力から送られてくる。しかし東京電力の原発が設置されている。福島県も東北電力から電気が送られている。しかし東京電力の原発が設置されている。

原発再稼動で地元の了承として必要とされるのは、原発を設置している柏崎市と刈羽村のふたつだけだ。ふたつの市町村というのは少なすぎはしないか。東京で言うなら、武蔵野市と三鷹市だけで、他の市町村の意見を聞かずに、原発を設置してもよいのか。そして、まず、第一に思い出した過去の出来事は、中学校の社会科の先生が、柏崎の電気料金はただなんだ、遣いたい放題だ。みんなどう思う? と言っていたことだ。それで大人になってから私はインターネットで調べてみたが、少しネットサーフィンしたくらいでは分からない。何時間もかけていろいろな検索ワードを調べ、どうやら周辺自治体は電気料金の一部が補助されること、企業では一般家庭より上乗せされて電気料金の半分くらいが補助されること、そして、原発立地自治体には公共事業の寄付金が支給されることが分かった。電気料金が全部ただになるわけではないので、中学校の社会科の先生が言っていたことはデマだと分かった。よく調べないで生徒に教える先生もどうかしているが、堂々と広報しないのだから、電気料金の補助について間違っているのも仕方ないとも思う。

そもそも原発立地地域の人がお金を貰っていることは隠すべきことなのだろうか、そうこの小説を書きながら考えていたら、自分たちの一部の地域だけお金を貰って、新潟県全体に負担を背負わせているんだから、そりゃあそうだろと納得した。電気料金が補助されるのは、立地している柏崎市と刈羽村を除けば、長岡市、上越市、出雲崎村の3つだけ。新潟県では、柏崎市と刈羽村、長岡市、上越市、出雲崎村以外の市町村は、原発を設置しても何のメリットもなく、ただただ危険だけを背負うこととなる。

ところで柏崎市は、東電から公共事業の寄付金を大量に貰っており、さぞかしお金持ちだと思うだろうが、このブログを見てほしい。

 

(ラーター兼カメラマンかさこさんのブログ)

2012年10月9日「原発誘致で財政危機に陥った柏崎市~原発麻薬の恐ろしさ」

http://kasakoblog.exblog.jp/19004306/

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わずか人口9万人の柏崎市に、これまで3000億円ものあぶく銭が流れ込んだとするなら、さぞ財政は豊かなのかと思いきや、市の年間予算が521億円に対して、借金が573億円もあるという。

なぜ? 原発誘致すれば危険かもしれないけど、ボロ儲けできるはずじゃなかったの?とんでもないデタラメだった。

なぜ原発があるのに借金が膨れ上がったのか。その原因の1つが原発マネーで作りまくった、施設の維持費が巨額になることだ。

人口9万人の柏崎市には、首都圏の人たちの電気代によって、豪華な施設が次々と建てられた。柏崎ソフィアセンター、柏崎市立博物館、柏崎市産業文化会館、柏崎マリーナ、柏崎アクアパーク、佐藤池運動広場などである。また総事業費60億円もの大金をかけて作った、「柏崎・夢の森公園」なるものもある。この公園は東京電力の寄付=すなわち、首都圏の人たちの電気料金によって作られた。こんなことしているから電気料金が高いのだ。

こうして原発マネーによって、たった9万人の地方の市には似つかわしくない超豪華施設ができ、原発に対していい印象を持っていなかった地元民も、「東電様のおかげ」「原発のおかげ」と原発を許容するようになる。

2016年9月24日公開

作品集『【原発】工藤はじめ大学入試問題』第3話 (全5話)

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