六 夢の後先

歌 and ON(第6話)

高橋文樹

小説

5,386文字

写真を手に入れたリリィは、老人モロイの探し物について尋ねる。モロイが語る過去は、横浜桜木町で軍楽隊を務めた頃の話だった。「弱さを隠す事が出来れば、其れは立派な強さだろ」全編七五調のみで書かれた衝撃のヒップホップ小説。

追い詰める爺の腕をしっかと掴み、百合リリィは首を横に振る。

「良いのよ脆弱モロイ、写真は無事に戻ったんだし」

逃げる辛さを知ってる風に、百合リリィはふふ——と、聖母の笑みを顔に浮かべて、識らぬ女の味方に成った。他人の見せた優しさを袖にするのは言語道断、無理強いはすまいと決めた、爺が思い浮かべる相貌かおは、其れでも矢張り、素知らぬ顔でほっき回る悪党づらで。

「写真が有れば其れで良い、というのは如何も解せんがな……優し過ぎぬか」

「良いでしょう。私が良いと言うんだし。女受もてないよ」

「此の歳で女受て堪るか」

虚言うそ。強がりよ」

爺の固い侠気など、冗談水じょうだんみずさっと流して、百合リリィは眉をかりがねの形に曲げて、ふふふ——と、漏らす。しなれ掛かる百合リリィ首筋くびは、静脈の青もさやかに麗々しくて、馥郁たるは薔薇の香、幽かに混じる驟雨の匂い。悪い気しない。不思ついゝゝつい伸ばす鼻の下、ふっ横切よぎった不安の影は、蛇に睨まれ竦む蛙の其れと同じか。爺蛙はおとがいの肉を抓んで呆気ぼけを払う。

「そう苛めるな。兎も角も、写真戻った目出度い付手、脆弱モロイ真物ほんもの探しに行くぞ」

「そんなの無理よ。余りに人が多過ぎるもの」

と、断念あきらめの良い訳知り顔が、恋の名残りに強張った。爺は胸に手を入れて、きゅうと握るは弁財天の御神籤かみだのみ——待ち人来る。御利益を百合リリィに遣るも悪くない。

「おい百合リリィ、持っていろ」

差し出した御神籤を視て、百合は両手で押し返す。好意を無碍にされたのが腹立たしいという気は無いが、眉根がぎゅっと、厳しく寄った。

「何故拒む。信じる神が他に有るのか」

「左様じゃなくって、真正ほんと無理なの……見つからないよ」

「何だ弱虫、無理な事かよ。誰かに訊けば済む事だ。おい、御兄さん……」

と、怒り混じりに呼ぶ口を塞いだ物は百合リリィの手。白魚なんて物じゃない、飾る詞も思い付かない柔らかさ。

だ無理い。御願いだから。心構えが……」

「心構えと言ったって、絶対会える確証なんて無いだろう。確か浮浪離ふらりと寄ったのが、御前の謂いじゃなかったか」

左様そうだけど。今夜は何故か、遭えそうで……でも今夜駄目だったなら、ずっと遭えずに終わりそう……」

「恐くて逃げる。良いのか、其れで、地縛霊」

百合リリィは首を震ゝふるふると、赤い唇、其の端に御髪おぐし先端さきを咥え込む。いとけない毛を白魚の指で引き抜き、唇噛んで、焦れったいのに踏ん切り付かず、眉を顰めて、子供然うりうりと首を振る。強い想いがあだに成り、不在いないと解る事が嫌。覚悟を決める儀式のように、逝った我が子の写真を眺め、静かに時をやり過ごす。

「嬉しかった。こんな可愛い子が生まれ、暫時ちょっとだけでも居てくれて。こんな惨めな女でも、赤ちゃん産めたと思えたものね。良い人生よ」

百合リリィ漏言ぽつり。幼い母の健気な意地に、流れよ涙……老いたる爺の涙腺は、乾き死ぬほど緩み切る。写真を眺める百合リリィの朱いまなこも滲む。侘然しんみりと、もやが雫を結ぶよに、覚悟が固くなっていく——。

と、踊場フロアから、全員エブリバディ合唱セイホウ——と、確かな合唱こえ呼応合戦コール・アンド・レスポンス合唱セイ朋ゝホウホウ——と、さらに合の手求めれば、朋ゝ——と、陽気な合唱こえで返り来る。しまいには、朋ゝゝホウホウホウ——と、三つも求め、客は三つ、朋ゝゝ——と、感極まって雄叫び上げる。

侘然しんみりを打ち破られた爺と百合リリィ虚噸きょとんと顔を見合わせて、肩の力が抜けたよな。

2015年8月19日公開

作品集『歌 and ON』第6話 (全8話)

歌 and ON

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© 2015 高橋文樹

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