穴だらけの花嫁

国会議事堂が妊娠して九ヶ月が経過しました。(第7話)

眞山大知

小説

11,266文字

「法律にも穴があるんだよなあ……」と思っても、絶対に法律と肉体関係を持ってはいけません。

悲しいことに新郎のタツくんはセンスというものが壊滅的になかった。――ウェディングムービーに、中学時代に出馬した生徒会長選挙での演説の様子を入れるぐらいに。

学ラン姿のタツくんは「わたしはこのみどり中学を、先輩たちに誇れるように、もっと清く正しく美しくしていきたいです」だなんて、聞いていてむず痒くなるような公約を訴えて、披露宴会場の巨大スクリーンに映るタツくんを、友人席に座る、大人になった同級生たちは「なんだよこれ」と苦笑いしていた。スクリーンのなか、体育館に集められ演説を聞いている生徒たちも呆れたように笑っていた。

たしか、あの演説のあったあとにタツくんに告ったっけな、と、わたしは過去の自分の愚かさに呆れながらシャンパンを飲んだ。

披露宴会場の真ん中に目を向ける。過剰なほどのライトに照らされる、おとぎ話に出てきそうなパステルブルーのソファーにはタツくんと新婦が収まっていた――いや、あれ、、を新婦と言っていいのか? 表情が硬く口をぎゅっと結んでいるタツくんの隣、ラグビーボールの形をした新婦は座高だけでも2メートルもあり、オフホワイトのウェディングドレスと、ドレスより白い肌には、血の色で文字を耳なし芳一のように全身に刻んでいた。のっぺらぼうの顔には黒くぽっかりとした穴が空き、その穴から、タツくんの演説を打ち消す大声で「ぬべべべべ」とか「くひびぎぎぎ」とか「ミシガン州法セクション435.251 いかなる人または企業体も、週の始まりの一般に日曜日と呼ばれる日に、自動車(新車、中古車の区別を問わない)の売買または交換をすること(以下、「売買等」という)、売買等を申込むこと、売買等に関する商談に参加すること、売買等を試みること、または自動車に関する権利もしくはその権利に関する証券の売買等を試みることは、違法であへへへへびびびぺぺぺぺ」とかいう奇声を発し、体をぶよぶよと変形させ、穴を突然3つだったり4つだったり、はたまた蓮コラのように無数に増やしてはまたひとつに戻していた。――新婦は「法律」だった。タツくんはマチアプで「法律」と出会い、よりによって法の穴に出してしまったらしい。

責任を取って結婚することになったと知ったのは結婚式1か月前。最初聞いた時は訳が分からなすぎて、「これが多様性の時代か」と妙に納得してしまった。

ふと、隣の席から愛海――わたしと同じ、放送委員のメンバーだった――が小さいケーキにフォークを突き刺しながら聞いてきた。

「なんであんなムービーをつくったの」

「だってタツくんがああいう素材ばっかり送ってくるんだもん。いくら気に食わなくたって、依頼主の依頼通りにしないと」

タツくんにはセンスもないうえに、肝心なところでデリカシーがないことをしてしまう。元カノのわたしにウェディングムービーの制作を依頼する程度に。

 

 

*     *     *

 

 

からっぽの言葉とからっぽの行動しかできない、からっぽの男。それがタツくんだった。つきあっていたときも、親か親戚の勧めただろう、みどり町立図書館とか、東北電力鬼首地熱発電所なんて、遊説しにきた総理大臣かマニアしか寄らないような堅苦しいところでしかデートしなかったし、愛を囁く言葉も、どこかのまとめサイトから探してきたようなセリフだった。中学の卒業式の前にフって正解だった。

先代の町長の孫として生まれたタツくんは中学いちばんの秀才で、町から南に50キロ離れた仙台の進学校の高校へはわざわざ下宿してまで通い、地元の国立大学を出た後は、電力会社に就職し、火力発電所の燃料・ガスの調達部署に働いている。そんなタツくんが「法律」と結婚式を挙げるなんて! この結婚式はみどり町の歴史に永久に残るだろう。もちろん、怪談話としてだ。もしくは物笑いの種としてかもしれないが。

遊ぶところがマルハンとまねきねこと高速のインターチェンジ脇のラブホしかない、こんな田舎じゃ、多様性なんて言葉を聞くことはないと思っていた。わたしが東京から実家に帰るたび、お母さんはタツくん、そして同級生たちが偏差値いくつの高校を出てどこの会社に就職してどこの誰とどこのラブホでHしたあとに別れて、結婚した相手の年収はいくらで勤め先では出世頭として活躍しているとかか窓際部署でくすぶっているか、建てた家はどこの工務店が作ったとか、聞いたことのないようなメーカーに頼んで欠陥住宅を掴まされた高野の阿部さんちの長男おおきいあんつあん阿呆ほでなすとか、乗っている車やそのグレードと年式、そしてナンバープレートの数字まで教えてくれる。中学を卒業してから15年間もタツくんに会ってなかったのに、わたしはタツくんのセンター試験の点数まで知っている。そして「陽香も早く結婚してよ。町役場の観光課にいる、相川のとこの沼田さんなんてどう?」なんてグチグチ言われる。そんな、プライバシーなんて概念が1ミリもない土地にずっと住むなんて頭がおかしくなりそうだった。古川の高校へ行ったあと、仙台の映像系の専門学校へ通い、就職して東京へ移り住んだのはわたしの人生でいちばんの決断で、いまでも正解だと思っている。

 

 

東京で自由の空気を吸った以上、わたしは二度と田舎には戻りたくない。たとえ、貧乏暮しでも。

経堂駅から徒歩20分。ごみごみとした家賃6万円の1Kのボロアパート。わたしは、19インチのディスプレイに「作品」を映した。ディスプレイ脇のスピーカーからは安室奈美恵の『CAN YOU CELEBRATE?』が滲むように流れだす。

画面には夕暮れの海辺が写り、右端から、小さいタツくんが現れて走ってきた。タツくんが送ってきた素材の動画を、どう頑張ってカジュアルな出来に編集しようとしても、どことなく硬さと、そしてテンプレ感の残るウェディングムービーしか仕上げられない。なんでこんなカタブツの男に惚れていたんだろと、わたしは左手を動かし、スーパードライを口につけながら思った。

田舎から逃げるように上京してもう10年。クソ上司のネチネチの嫌味に耐えかねてメンクリ通いが続いても、東京住みというブランドを死ぬまで保持したかったわたしが、経堂のチョコザップでセルフ脱毛をしていたときに、中学のクラスLINE(中学生のころなんてまだLINEが存在なかった。成人式の帰りに集まったとき、クラスのLINEグループをつくったのだ)を使ってわたしのアカウントを探したのだろう、タツくんがいきなりわたしにメッセージを送ってきた。――「ウェディングムービーの制作やってくれない?」と、さも、自分の結婚が知られているのが当たり前のように。

当然タツくんに自分の仕事のことはまったく話していない。個人情報漏洩怖っと思ったが、すぐに気づいた。わたしもタツくんの個人情報を知っている。タツくんが結婚したとかなんて、クラスLINEで発表されるずっと前から、お母さんからLINEで「あんたの元カレ、できちゃった結婚したらしいわよ」と教えてもらった(別にいまは好きでもなんでもない。単なる同級生だ。男はむかしした恋愛を本当に死ぬまで引きずるらしいが、わたしには理解できない感覚だ)。

わたしは「いいよ!」と返事したが、引き受けるんじゃなかったと後悔するまでそんなに時間はかからなかった。休日返上で編集をしていたが、作業中、頭を掻きむしりながらゲーミングチェアごと倒れたなんて両手で数え切れないほどある。まず、よりによってタツくんが授かり婚をしたので短納期。そして、わたしのSAN値は新婦の姿を見るたびにゴリゴリ削られた。何回かメンクリのお世話になった。診療代を請求したらタツくんは申し訳なさそうな謝罪文とともに少しばかりの追加料金を送ってくれた。

海岸を走るタツくんは海に沈む夕日――わざわざこのシーンを撮るために山形の鶴岡まで行ったらしい――に重なるように止まる。いよいよあれが来る。息を飲んで目を細める。動画の左端から新婦が出てきた。「法律」は「民法第752条 夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならなばばばばべべべ」と言ってタツくんの目の前で止まると、大きく体を広げ、タツくんの身体をそのまま飲みこんだ。

酒を飲んでなきゃ、目の前の異様な光景に頭がおかしくなりそうだ。タツくんいわく「これが妻の愛情表現だよ」とのこと。

「恋は盲目、か……」

たしかシェイクスピアの言葉だっけな。わたしはつぶやきながら動画を保存して、すぐさま画面を消した。画面はあっけなく真っ黒になった。

なんだか、タツくんが可哀想になってきた。どうにかして結婚を辞めさせたい。一度は惚れた男だし、大事な同級生だ。さすがに助けてやらないと。

チェアに深々と座ってしばらく壁をぼーっと眺めている。ふと、いい案が思いついた。わたしはすぐにお母さんにLINEした。

 

 

*     *     *

 

 

隣の席の愛海はホワイトムースショコラをフォークでぐちゃぐちゃに崩しながら、「わたし、あのムービーで頭がおかしくなりそう」と呆れたように笑う。

「それな。この動画作るのにいくらメンクリに貢いだと思ってるの。タツくんにもっと金を請求しなきゃ」とわたしは今度は赤ワインを飲んで悪態をついた。愛海の肩越しに、招待客が座るテーブルが見え、真剣な表情でムービーを見る客もいれば、ゲラゲラ腹を抱えている客もいた。「法律」と結婚するなんてこんな異常事態をよくわたしは受け入れられるなと思ったが、案外時間が経てばすんなりと受け入れられるものだ。――たとえわたしたちの人生にこれからなにかが起き、苦しい日が続いたとしても、あの、どん底の絶望とかすかな希望の入り交じった2011年よりは過ごしやすいだろう。

2025年1月30日公開

作品集『国会議事堂が妊娠して九ヶ月が経過しました。』第7話 (全8話)

国会議事堂が妊娠して九ヶ月が経過しました。

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© 2025 眞山大知

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