穴だらけの花嫁

眞山大知

小説

11,274文字

「法律にも穴があるんだよなあ……」と思っても、絶対に法律と肉体関係を持ってはいけません。

 悲しいことに新郎のタツくんはセンスというものが壊滅的になかった。――ウェディングムービーに、中学時代に出馬した生徒会長選挙での演説の様子を入れるぐらいに。
 学ラン姿のタツくんは「わたしはこのみどり中学を、先輩たちに誇れるように、もっと清く正しく美しくしていきたいです」だなんて、聞いていてむず痒くなるような公約を訴えて、披露宴会場の巨大スクリーンに映るタツくんを、友人席に座る、大人になった同級生たちは「なんだよこれ」と苦笑いしていた。スクリーンのなか、体育館に集められ演説を聞いている生徒たちも呆れたように笑っていた。
 たしか、あの演説のあったあとにタツくんに告ったっけな、と、わたしは過去の自分の愚かさに呆れながらシャンパンを飲んだ。
 披露宴会場の真ん中に目を向ける。過剰なほどのライトに照らされる、おとぎ話に出てきそうなパステルブルーのソファーにはタツくんと新婦が収まっていた――いや、あれ、、を新婦と言っていいのか? 表情が硬く口をぎゅっと結んでいるタツくんの隣、ラグビーボールの形をした新婦は座高だけでも2メートルもあり、オフホワイトのウェディングドレスと、ドレスより白い肌には、血の色で文字を耳なし芳一のように全身に刻んでいた。のっぺらぼうの顔には黒くぽっかりとした穴が空き、その穴から、タツくんの演説を打ち消す大声で「ぬべべべべ」とか「くひびぎぎぎ」とか「ミシガン州法セクション435.251 いかなる人または企業体も、週の始まりの一般に日曜日と呼ばれる日に、自動車(新車、中古車の区別を問わない)の売買または交換をすること(以下、「売買等」という)、売買等を申込むこと、売買等に関する商談に参加すること、売買等を試みること、または自動車に関する権利もしくはその権利に関する証券の売買等を試みることは、違法であへへへへびびびぺぺぺぺ」とかいう奇声を発し、体をぶよぶよと変形させ、穴を突然3つだったり4つだったり、はたまた蓮コラのように無数に増やしてはまたひとつに戻していた。――新婦は「法律」だった。弁護士になったタツくんはマチアプで「法律」と出会い、よりのよって法の穴に出してしまったらしい。
 責任を取って結婚することになったと知ったのは結婚式1か月前。最初聞いた時は訳が分からなすぎて、「これが多様性の時代か」と妙に納得してしまった。
 ふと、隣の席から愛海――わたしと同じ、放送委員のメンバーだった――が小さいケーキにフォークを突き刺しながら聞いてきた。
「なんであんなムービーをつくったの」
「だってタツくんがああいう素材ばっかり送ってくるんだもん。いくら気に食わなくたって、依頼主の依頼通りにしないと」
 タツくんにはセンスもないうえに、肝心なところでデリカシーがないことをしてしまう。元カノのわたしにウェディングムービーの制作を依頼する程度に。

 

 

*     *     *

 

 

 からっぽの言葉とからっぽの行動しかできない、からっぽの男。それがタツくんだった。つきあっていたときも、親か親戚の勧めただろう、みどり町立図書館とか、東北電力鬼首地熱発電所なんて、遊説しにきた総理大臣かマニアしか寄らないような堅苦しいところでしかデートしなかったし、愛を囁く言葉も、どこかのまとめサイトから探してきたようなセリフだった。中学の卒業式の前にフって正解だった。
 先代の町長の孫として生まれたタツくんは中学いちばんの秀才で、町から南に50キロ離れた仙台の進学校の高校へはわざわざ下宿してまで通い、地元の国立大学を出た後は、電力会社に就職し、火力発電所の燃料・ガスの調達部署に働いている。そんなタツくんが「法律」と結婚式を挙げるなんて! この結婚式はみどり町の歴史に永久に残るだろう。もちろん、怪談話としてだ。もしくは物笑いの種としてかもしれないが。
 遊ぶところがマルハンとまねきねこと高速のインターチェンジ脇のラブホしかない、こんな田舎じゃ、多様性なんて言葉を聞くことはないと思っていた。わたしが東京から実家に帰るたび、お母さんはタツくん、そして同級生たちが偏差値いくつの高校を出てどこの会社に就職してどこの誰とどこのラブホでHしたあとに別れて、結婚した相手の年収はいくらで勤め先では出世頭として活躍しているとかか窓際部署でくすぶっているか、建てた家はどこの工務店が作ったとか、聞いたことのないようなメーカーに頼んで欠陥住宅を掴まされた高野の阿部さんちの長男おおきいあんつあん阿呆ほでなすとか、乗っている車やそのグレードと年式、そしてナンバープレートの数字まで教えてくれる。中学を卒業してから15年間もタツくんに会ってなかったのに、わたしはタツくんのセンター試験の点数まで知っている。そして「陽香も早く結婚してよ。町役場の観光課にいる、相川のとこの沼田さんなんてどう?」なんてグチグチ言われる。そんな、プライバシーなんて概念が1ミリもない土地にずっと住むなんて頭がおかしくなりそうだった。古川の高校へ行ったあと、仙台の映像系の専門学校へ通い、就職して東京へ移り住んだのはわたしの人生でいちばんの決断で、いまでも正解だと思っている。

 

 

 東京で自由の空気を吸った以上、わたしは二度と田舎には戻りたくない。たとえ、貧乏暮しでも。
 経堂駅から徒歩20分。ごみごみとした家賃6万円の1Kのボロアパート。わたしは、19インチのディスプレイに「作品」を映した。ディスプレイ脇のスピーカーからは安室奈美恵の『CAN YOU CELEBRATE?』が滲むように流れだす。
 画面には夕暮れの海辺が写り、右端から、小さいタツくんが現れて走ってきた。タツくんが送ってきた素材の動画を、どう頑張ってカジュアルな出来に編集しようとしても、どことなく硬さと、そしてテンプレ感の残るウェディングムービーしか仕上げられない。なんでこんなカタブツの男に惚れていたんだろと、わたしは左手を動かし、スーパードライを口につけながら思った。
 田舎から逃げるように上京してもう10年。クソ上司のネチネチの嫌味に耐えかねてメンクリ通いが続いても、東京住みというブランドを死ぬまで保持したかったわたしが、経堂のチョコザップでセルフ脱毛をしていたときに、中学のクラスLINE(中学生のころなんてまだLINEが存在なかった。成人式の帰りに集まったとき、クラスのLINEグループをつくったのだ)を使ってわたしのアカウントを探したのだろう、タツくんがいきなりわたしにメッセージを送ってきた。――「ウェディングムービーの制作やってくれない?」と、さも、自分の結婚が知られているのが当たり前のように。
 当然タツくんに自分の仕事のことはまったく話していない。個人情報漏洩怖っと思ったが、すぐに気づいた。わたしもタツくんの個人情報を知っている。タツくんが結婚したとかなんて、クラスLINEで発表されるずっと前から、お母さんからLINEで「あんたの元カレ、できちゃった結婚したらしいわよ」と教えてもらった(別にいまは好きでもなんでもない。単なる同級生だ。男はむかしした恋愛を本当に死ぬまで引きずるらしいが、わたしには理解できない感覚だ)。
 わたしは「いいよ!」と返事したが、引き受けるんじゃなかったと後悔するまでそんなに時間はかからなかった。休日返上で編集をしていたが、作業中、頭を掻きむしりながらゲーミングチェアごと倒れたなんて両手で数え切れないほどある。まず、よりによってタツくんが授かり婚をしたので短納期。そして、わたしのSAN値は新婦の姿を見るたびにゴリゴリ削られた。何回かメンクリのお世話になった。診療代を請求したらタツくんは申し訳なさそうな謝罪文とともに少しばかりの追加料金を送ってくれた。
 海岸を走るタツくんは海に沈む夕日――わざわざこのシーンを撮るために山形の鶴岡まで行ったらしい――に重なるように止まる。いよいよあれが来る。息を飲んで目を細める。動画の左端から新婦が出てきた。「法律」は「民法第752条 夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならなばばばばべべべ」と言ってタツくんの目の前で止まると、大きく体を広げ、タツくんの身体をそのまま飲みこんだ。
 酒を飲んでなきゃ、目の前の異様な光景に頭がおかしくなりそうだ。タツくんいわく「これが妻の愛情表現だよ」とのこと。
「恋は盲目、か……」
 たしかシェイクスピアの言葉だっけな。わたしはつぶやきながら動画を保存して、すぐさま画面を消した。画面はあっけなく真っ黒になった。
 なんだか、タツくんが可哀想になってきた。どうにかして結婚を辞めさせたい。一度は惚れた男だし、大事な同級生だ。さすがに助けてやらないと。
 チェアに深々と座ってしばらく壁をぼーっと眺めている。ふと、いい案が思いついた。わたしはすぐにお母さんにLINEした。

 

 

*     *     *

 

 

 隣の席の愛海はホワイトムースショコラをフォークでぐちゃぐちゃに崩しながら、「わたし、あのムービーで頭がおかしくなりそう」と呆れたように笑う。
「それな。この動画作るのにいくらメンクリに貢いだと思ってるの。タツくんにもっと金を請求しなきゃ」とわたしは今度は赤ワインを飲んで悪態をついた。愛海の肩越しに、招待客が座るテーブルが見え、真剣な表情でムービーを見る客もいれば、ゲラゲラ腹を抱えている客もいた。「法律」と結婚するなんてこんな異常事態をよくわたしは受け入れられるなと思ったが、案外時間が経てばすんなりと受け入れられるものだ。――たとえわたしたちの人生にこれからなにかが起き、苦しい日が続いたとしても、あの、どん底の絶望とかすかな希望の入り交じった2011年よりは過ごしやすいだろう。
 愛海は急にフォークを動かす手を止めると「ところであんたさ、やっぱりそういう服似合わないよね」と言った。 
「でしょ?」
 わたしは激しく同意した。女っぽい格好をするのが昔から無理なのだ。ひらひらのドレスなんて窮屈すぎるし微妙にサイズの小さいパンプスは足の指がぎゅうぎゅうに押されて、じんわりと痛い。披露宴の最中に脱ぐわけにもいかない。
「シューズで出れる結婚式ってあるのかな」
「あとジャージも着させてほしいって言うんでしょ」
「なんでわかるんだよ」
 わたしはケラケラ笑った。
 小学校から高校までずっと同じ学校にいた愛海と話すのは実家にいる時よりも安心できる。東京に帰る前に愛海だけと飲み歩こうと決めていた。
「で、式をめちゃくちゃにするのはいつ?」
「ケーキ入刀のタイミング」
 わたしはまたシャンパンを飲むと披露宴会場のスクリーンに視線を戻す。スクリーンには新婦の人生(というのか?)が映し出されていた。
 福岡県に生まれた「法律」の七五三の動画は太宰府天満宮で撮られたもので、広々とした厳かな境内をまだ小さい頃の「法律」と両親が歩いていたが、両親はどちらとも黒いスーツを着ていて、顔にはモザイクがかかっていた。
 ――なぜか「法律」から送られてきた動画には、家族の顔にモザイクがかかっていた。ムービーの制作のときに「モザイクを外すように頼んで」とタツくんに言ったが「あれは加工じゃない。無理だ」と言われた。なぜできないんだろうと、今日実際に顔を見るまでわからなかった。
 新婦の親族席に視線を向ける。丸テーブルを囲む「法律」の家族や親族たちはみな、顔の周りにモザイクがかかっている、、、、、、、、、、、。「法律」の親族はみな、ストライプ柄でスリムなブラックのスリーピーススーツを着て席にじっと座っているが、ときおり、一斉に「ゐゐ!」と叫ぶと、メインディッシュの伊勢海老を素手で掴み、一瞬で平らげる。
 見てられない。わたしはすぐスクリーンに目を戻す。
 こんな奇妙な家族に生まれた「法律」も、人並みの人生を送ってきたようで、小学生時代に使っていたという交換日記が映された時は、ムービー制作者のわたしでも少し吹き出してしまった。
 ムービーは中学時代と高校時代を全部飛ばして、いきなり社会人時代の話を流しはじめた。――いろいろあったのだろうと察している。わたしのお父さんも九州の出身だが、東北にやってくるまでの話を一度もしたことがない。お父さんの実家にも連れて行ってもらったことがない。世の中には知らないほうがいい過去もある。わたしたちの同級生には通じない話だろうが。
 ここからはタツくんと「法律」の出会いと結婚までの話になるが、あまりにも映像素材がなさすぎて、たった10秒しか動画が作れなかった。仕方ない。デキ婚だし。ムービーはすぐラストシーンに切り替わる。日本海に沈む夕日の色がスクリーンから反射して、披露宴会場の空間ををぼんやりとオレンジ色に染める。
 海岸を走る2人。スクリーンのなかの「法律」は「民法第752条 夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならなばばばばべべべ」と言ってタツくんの目の前で止まると、大きく体を広げ、タツくんの身体をそのまま飲みこんだ。
 新婦側の親族はいきなり大爆笑して、そのけたたましいおぞましい笑い声は鼓膜が破れるんじゃないかと恐怖に思うぐらいだった。
 新郎側の席はタツくんの家族と親族も、友人たち――わたしたちみどり中や高校、大学の同窓生――は全員目を伏せていた。このラストシーンを観るなと事前に警告しておいたのだ。それでも、ちらっと見てしまったのだろう、愛海は叫んで震えあがってしまった。顔が真っ青になった愛海をわたしは抱きながら励ます。
 スクリーンの映像はフェードアウトしていき、やがてなにも映らなくなった。披露宴会場の照明がつき、高砂席の左の演台から司会がマイクを持つ。
「皆さまから温かい祝福をいただいている新郎新婦でございますが、ここで一つ、大事なセレモニーをご披露いただきたいと思います。披露宴に欠かせない、ウェディングケーキのご入刀です」
 司会は右腕をさしだして、会場の奥へ向けた。向けた先にはスポットライトがあたり、2人組の子ども――新婦側の親族と聞かされていた2人の子どもの顔にも当然モザイクがかかっている――がウェディングケーキを載せたワゴンを押して、高砂席の目の前までやってくる。
 普通は白い生クリームを施した、デコレーションケーキが出てくるのだろうが、新郎新婦の間にそびえるケーキはすべてが黒かった。宇宙の深淵よりも黒い闇の表面には、夜空の星々のように小さくて不規則でいて、配置に宇宙の深淵から這いだしてきた不吉な規則性がありそうな、小さな白い穴がびっしりと空いていて、その穴からは煙が出ていた。煙は硝煙の鼻につく匂いがした。
 ラグビーボール型の新婦とタツくんは立ちあがると、巨大なウェディングケーキの前に佇んだ。
「新郎新婦のお2人にもケーキの前へとお進みいただきますので、是非ゲストの皆様もカメラ・ビデオをご準備の上、ケーキのお近くへとお越しくださいませ」
 司会に促され、わたし、そして招待客の全員が立ち上がり、2人の近くまで歩く。近くで見るタツくんの顔は笑顔だったが、顔のいたるところがぴくぴくと痙攣していた。だが、タツくんの視線だけは隣の新婦――いや「法律」の顔(と呼ぶべきなのか)を向いていて、ぴくりとも動かない。
「それでは、ナイフをお取りください!」
 司会者が促し、タツくんは震える手で銀色のケーキナイフをつかんだ。一方、新婦は全身の穴をゴボゴボと音を立てて動かすと、左右に穴ができ、そのなかからは節足動物のような、細くて殻に覆われた、数え切れない腕が生え、ナイフをつかむ。タツくんは絶叫した。――「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」と、駅のトイレ前で流れる自動音声のように無機質にかつ異様に繰り返し唱えだした。
 わたしは固唾を飲む。足がじんじんと痛いが、作戦は決行しなければいけない。
 新郎新婦はナイフをケーキに押し当て、その瞬間、新婦の全身からから煙が噴射され、腐ったドブのような匂いが立ちこめた。わたしを含めて新郎側の参加者はみなせきこみ、わたしの背後で甲高い悲鳴が聞こえた。「法律」の穴は一斉に赤く光り始め、おおよそ地球上のどの人類も、どの動物も発しないような奇声で叫び出した。
「逾櫁繧ケ繧エ繝ヲ蟶晏嵜繝社会主義共和国連邦刑法セクション541.114 いかなる人または企業体、概念は、資本主義、帝国主義の象徴たるウェディングケーキに対する接触行為を……、遏帷崟縺! 禁止される!」
 その瞬間、新郎新婦の持つナイフがバチバチと火花を散らし、ケーキ全体が震えだす。
 そろそろだ。わたしは大声で叫んだ。
「ちょっと待った! その結婚、異議あり!」
 タツくんのお父さん――宮城県遠田郡みどり町の現町長はゴホン、と大きく咳払いをした。タツくんのお父さんは演台に立つと、むかし、大学の応援団で鍛えていたという堂々とした口調で喋りだした。
「皆さま、本日は愚息・達彦の披露宴にお越しいただき誠にありがとうございます。しかし、残念ながら――わが息子は過ちを犯しました。『法律』は人でありません。概念です。概念を好きになるのは構いませんが、概念を人のように愛し、ましてや結婚するだなんて、社会秩序にとってもわが石山家にとっても、多大な不利益をもたらすものです。本件については、臨時国会をここに招集し、速やかに対処したいと考えます」
 新婦側の招待客たちはどよめきだす。
「えっ、国会って……」
「どういうことだ?」
「いまさら結婚を無しにしようってのか!」
 タツくんのお父さんは拳を演台に叩きつけた。
「わたしはみどり町の町長であり、『国家元首』だ。国会招集の権限はわたしにある」
 わたしはすぐさまテーブルに戻る。テーブルの下に隠していたタブレットPCを操作する。スクリーンに「ミニ独立国・お米共和国臨時国会緊急招集」の文字が映しだされた。
 
 

 

*     *     *

 

 

 停車したのは新幹線専用の、2つしかホームのない駅だった。ホームは一面クリーム色の壁が囲い、壁に均等な感覚で嵌められた窓からは、仙台平野の田園の、震えるほどの緑と、地平線を塞ぐ、栗駒山と奥羽山脈のごつごつした山際だけが見えていた。
 東京から新幹線のやまびこに乗って3時間。生まれ故郷の町外れにあるみどり温泉駅の、幅が3メートルもないような狭いホームに降り立つ。改札へ下る階段のほうへ歩く。長袖のブラウスを着てきて不正解だった。やませが吹いて寒くなる6月の宮城にしては珍しく暑かった。
 小さい駅なので降りる人間も数えるぐらいしかいない。そのホームを歩いてくるのは見知った顔だった。キツネ顔の男は仙台市役所職員で幹事の千葉。高校の時に毒キノコに当たって学校を休み、皆勤賞を逃したヤツだった。丸メガネをかけた顔のいい女は愛海だ。わたしの悪友の愛海誕生日プレゼントに週刊実話と月刊ムーを送ってきた馬鹿野郎だ。ミステリーでオカルティックなのはお前の頭の中身だと、いまでも会うたびに心のなかでツッコむ。
 千葉がスーツケースを引きながら話しかけてきた。
「事情は知ってる。結婚式をぶち壊すらしいな」
「当たり前でしょ。あんな化け物とタツくんが結婚するなんて、ああ、身の毛がよだつんだけど」
「へー、それってやっぱりあいつのこと、いまでも好きなの」
「いや、それはないね。あんなカタブツ石頭」
「ひでえな。まあ、とりあえず少し話すか。俺も町一番の秀才のピンチには少しばかり手助けしたいし」
 ホームの3席しかない待合室に、わたしと愛海と千葉くんは座る。
 愛海は「まず、ロジックの確認ね」とタブレットを取りだす。画面には、阿部寛の公式サイトのようなデザインの、お米共和国のホームページが映し出されていた。
 お米共和国――昭和に流行した『ミニ独立国』のひとつである。領土はみどり町全域、大統領は町長が代々している。だが、いまでは名義だけの存在で、実質的な活動はゼロである。
 ミニ独立国とは地域の商工会議所や青年団、地方自治体などがパロディー化した独立国家を作り、その国家の運営を通して行う地域起こし運動で、東北地方では福島県二本松市・岳温泉の旅館協同組合が建国した『ニコニコ共和国』が有名だ。ニコニコ共和国は独自の憲法、パスポート、標準時や通貨を設けていたが、もちろんパロディーの国家なので、国際機関に承認されてなく、現実に日本国からの分離独立を主張していない。本当の意味での独立を宣言したら、井上ひさしの『吉里吉里人』や、西村寿行の『蒼茫の大地、滅ぶ』のように日本国政府と戦争をしなければならなくなる。
 最初のミニ独立国は1976年、大分県宇佐市で建国された『新邪馬台国』だと言われて、81年に井上ひさしの『吉里吉里人』がヒット。東北の貧しい村が日本国からの独立を宣言するストーリーに影響され、日本各地でたくさんのミニ独立国が建国された。86年には東京都八王子市のミニ独立国『銀杏連邦』が主催となり、50のミニ独立国が参加するオリンピックが開催。それぞれのミニ独立国同士での交流も盛んに行われたが、90年代後半になると活動が沈静化。多くの国が自然消滅したり、日本国への「併合」を宣言したりして活動が停止。仙台平野の米を特産としているみどり町は1985年にお米共和国を建国。東京や大阪まで大統領の町長が出向き、米のPR活動をしていたが2000年代以降活動は全く行われていなかった。
「『法律』を廃止にするには国会の採決が必要。まずは国会運営に必要な命令を現大統領が大統領令で決めないと」と千葉くんが言った。
 お米共和国には憲法はあるがかなり概念的で、細かい国家運営の規則など当然決まっていない。
「とりあえず議会運営のルールをつくりあげてこう。わたしが議長をやりたい」
 愛海はわたしの肩を叩いて言った。
 そう、わたしたちが企むのは法律の廃止、、だ。わたしたちの手で、法律を消すのだ。

 

 

*     *     *

 

 

 わたしはこれから行われる国会を記録するため、スマホのカメラを向け、録画ボタンを押した。愛海――昨日出された大統領令により、お米共和国の国会議長に就任した――が演台に登壇し、咳払いするとマイクに向かって喋りだした。
「諸君、お米共和国第1回臨時国会は本日召集されました。これより会議を開きます。まず、日程第一、日本国の和暦・令和7年6月8日においてお米共和国国民・石山達彦と結婚式を挙げた法律を廃止する法律案を議題といたします。法務委員長の報告を求めます。法務委員長、千葉祐希くん」
 愛海に促され、千葉くんが演台に登壇した。
「ただいま議題となりました法律案につきまして、法務委員会における審査の経過および結果をご報告申しあげます。本案は、法律を廃止するとともに、これに伴う諸政策の措置を講ずるものであります。本案は、昨日当委員会に付託され、その日のうちに、大統領から提案理由の説明を聴取しました後、質疑を行い終局いたしました。次いで、法務委員会にて採決いたしましたところ、本案は全会一致をもって原案のとおり可決すべきものと決しました。以上、ご報告を申しあげます」
 法務委員会は昨日、タツくんの実家で行われた。といっても、わたしと愛海と千葉くんと、タツくんの家族しかいなかったが。
 ふたたび愛海が演台に戻る。
「採決をいたします。本案の委員長の報告は可決であります。ご異議はありませんか」
 新婦――「法律」は、穴をブクブクと泡立てながら「異議あり!」と叫び、不気味に揺れた。
「法律くん、発言を認めます」
「法律のむやみな廃止は、社会の基本的な秩序の破壊を……ぎぎぎ、クワァァァ!」と奇声をあげ、触手を振り回し、ケーキを破壊した。
「静粛に! 国会中の暴力行為は断じて認めません」
「なんで、俺の嫁を消そうとするんだ!」
 タツくんが泣きながらわたしたちに訴える。
「許可なき発言は一切認めません!」
 愛海は動じることなくタツくんを一蹴すると、議事を進行した。
「では、日程第一について大統領より趣旨説明の通告がありましたが、これを許します。大統領、石山宏明くん」
 タツくんのお父さんが演台に上がり、演説が始まった。
「わが国の国民であり、わが息子の石山達彦と法律が婚姻契約として認められることは、わがお米共和国の社会秩序に深刻な影響を与えかねません。また、法律の穴は、わがお米共和国および友好国の日本の安全保障を脅かす可能性が高く、よって、法律は廃止されるべきであります」
 理路整然とした語り口だった。怒り狂ったのだろう、「法律」は体を膨らませ、会場の天井にまで達するほど巨大化し、「対バイオロン法 第1条 機動刑事ジバンは、いかなる場合でも令状なしに犯人を逮捕することができる。第2条 機動刑事ジバンは、相手がバイオロンと認めた場合、自らの判断で犯人を処罰することができる。(補則)場合によっては抹殺することも許される。――お前たちはバイオロンだ! 抹殺してやる!」と、嫌悪感しか感じさせない、おぞましい声で叫んだ。「法律」を押さえつけようとする親族たちも、たちまち「法律」の腕に吹き飛ばされた。
「この採決は記名投票をもって行ないます。本動議に賛成の諸君は白票、反対の諸君は青票を持参せられんことを望みます。——議場閉鎖!」
 愛海が叫んだその瞬間、手はずどおりに、男子8人――石巻の高校でラグビー部だった――が披露宴会場の入口へ立つと「さあ、これで出られねえぞ!」と叫ぶ。
 絶対に法案は可決される。事前に新郎側の招待客だけに渡した、白票の力で。
「はやくみんな、投票して!」
 わたしは叫ぶ。演台に同級生も、親戚も、票を持って急ぎ足でやってきて、票を置いていく。新婦側の親戚はただ、床に膝から崩れ落ちて、悔しそうに叫んでいた。
 絶叫した「法律」は入口に向かうが、男子8人はスクラムを組み、「法律」の行く手を阻んだ。「法律」は意外と力があり、スクラムがじりじりと押されていた。
「早く、採決しろ!」
 男子たちが雄叫びをあげると、一気に「法律」を押し返す。
 演台には白票の山が築かれた。――全員の投票が終わった。あとは可決するだけだ。
「投票の結果を事務総長より報告いたさせます」
 愛海に促され、留袖姿の事務総長――タツくんの母が演台にあがると報告した。
「投票総数、67。可とする者(白票)67。否とする者(青票)ゼロであります」
「結果、賛成多数で『法律』の廃止が可決されました!」
 どこからか持ってきたのだろう、愛海は大きな木槌を振り上げ、テーブルに叩きつけた。刹那、「法律」は奇声を発し、穴がぐにゃりと歪み、体がぶよぶよと崩れると、次第に、穴――法律の穴へ吸いこまれていった。新婦側の招待客も、絶叫しながらその穴に吸いこまれ、「法律」は気絶しそうな断末魔を放つや虚空へと消滅した。――ひどい悪臭が立ちこめる。場内は静まり返った。タツくんは崩れ落ちるようにソファーへ座りこみ、「なんで……。ただ、幸せになりたかっただけなのに」とつぶやく。
 タツくんのお父さんは、高砂席に向かってタツくんの肩を叩いた。
「結婚するならせめて人間にしてくれ」
 愛海が大きく息を吐くと「さあ、次の仕事をしなきゃ」とつぶやく。
 ――昨日、タツくんの実家で作戦に必要な大統領令を作っていたとき、タツくんのお父さんは「こんなことができる恐ろしい国会も、それを有する国家も、消滅させなければならない」と語った。
 今日のわたしたちの一番の大仕事はタツくんの結婚をやめさせることでなく、法律を廃止させることでもなく、それを成し遂げた手段をこの世界から消し去ることだ。この世界に蠢く、人間ならざるものは、この手段を悪用してふたたび力を持つかもしれない。その前に、この力を消し去らなければならなかった。
 愛海は再び演台のマイクへ向かった。
「日程第二、お米共和国の日本国への併合に関する条約案およびお米共和国の廃止案を議題といたします――」

2025年1月30日公開

© 2025 眞山大知

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