俺のはなし

破滅派20号「ロスジェネの答え合わせ」応募作品

我那覇キヨ

エセー

11,324文字

2010年、日本で初めてプロゲーマーという職業が誕生した。
その人物の名は梅原大吾。(通称:ウメハラ)
これはその10年ぐらい前に、同じようにゲーセンに通っていた俺のはなし。

俺のはなしをしよう。
大学進学のため上京した俺は、大学のサークルより先に、ゲームセンターとインターネット掲示板に夢中になった。
ちょうど俺の受験の前くらいに出た『ジョジョの奇妙な冒険』の格闘ゲームにハマり、大学そっちのけで遊び惚け続ける生活を送っていた。この『ジョジョ』はすごいゲームだった。原作は週間少年ジャンプのカルト的人気漫画で、それを格闘ゲームを得意とするカプコンがゲーム化した作品だ。キャラクターの再現度はめちゃくちゃ高く、技の一つ一つが原作のシーンとリンクするという、細部に至るまで作り手が『ジョジョ』を愛しているのが伝わってくる作品だった。小学生の頃から『ジョジョ』が好きだった俺は歓喜した。(少ないこづかいで買い集める漫画を選ぶ時、漫画の貸し借りを考慮に入れた結果、クラスのみんなが持っていない『ジョジョ』を戦略的に選んだという経緯があったが、そういうセコい戦略はともかく、人は自分の選択を愛するようになるのもあって、俺は『ジョジョ』が好きだったのだ)
だが、格闘ゲームの『ジョジョ』は原作らしさを意識し過ぎて開発されたため、対戦ゲームとしてのバランスはめちゃくちゃで、俺が遊び始めた頃になると、ゲームの上級者達からはそっぽを向かれていた、対戦の流行っていないゲームだった。
だが、それが良かった。上級者が遊んでないから、俺のようなヘタクソでもちょっと練習すれば勝てるようになった。ネット対戦もない時代だったから「俺って結構強いかも」と勘違いできる幸福な世界が広がっていたのだった。インターネット掲示板を巡り、『ジョジョ』の流行ってるゲーセンを探る過程で、オフ会の存在を知る。オフ会と言ってもゲーセンで集まってゲームするだけのことなので、上京したての田舎者にとってもハードルは高くなかった。何度か通って対戦しているうちの顔見知りができて、一緒に飯を食いに行くようになる。飯を食いながら話す内容は、普段どこのゲーセンで遊んでいるのか、その店には他に強いヤツがいるのかみたいな、ゲームを中心にした内容だから多少コミュニケーションに難があってもなんとかなる。話の流れで今度そっちのゲーセン行くわ、みたいなこともあった。それで遊びに行くと、オフ会で知り合ったやつがその店の常連を集めておいてくれて、店の常連vs俺のような形で対戦になる。ボコボコに負ける時もあれば、ちょうど互角ぐらいの対戦ができる時もあった。
格闘ゲームは、遊ぶ人によってプレイスタイルが違う。柏の承太郎使いは動きが速ぇとか、西武池袋線沿いのやつらは連続技が華麗でかっこいいとか。
格闘ゲームの面白いところは、そういった個性を表現できつつも、最終的には相手の体力をゼロにして勝利するというルールがあるところだ。相手のプレイスタイルが好きでも嫌いでも、相手に興味があってもなくても、筐体に座ってコインを入れたら対戦が始まる。上京したてで慣れない一人暮らしをしている俺には、このゲーセンの薄い繋がりが本当に助けになった。
当時、東京にはゲーセンがいっぱいあって、店ごとに特徴的なプレイヤーが居て、それを巡って遊び回ってるうちに、友達は増えていった。
時代もよかった。インターネット掲示板のおかげで他の地方との交流も盛んになり、大阪から強いやつが来た時は、心の中で勝手に関東勢の看板を背負ったつもりで対戦していたりした。
同じ掲示板に集まる連中で、ゲーセン雑誌の主催するミニ大会に出たこともあった。
「どうせ俺たちで大会上位は独占だろうな」なんて調子に乗ってて、知らないやつに優勝をかっさらわれた時なんかはリベンジに燃えたりと、今振り返ると俺は自分の居場所を「あの掲示板に集う連中の中」に置いたり、「関東ジョジョ勢」に置いたり「デーボ使い」に置いたりと、その時々に応じて変化させながらも、楽しく過ごした。
学校のクラスメートのような必要性に縛られた人間関係ではなく、自分で得てきた人間関係だという感覚が、体験を特別なものにしていたんだと思う。

そうそう。
これは俺のはなしとはちょっとズレるんだけど。
雑誌主催のミニ大会は二回目があるはずだった。しかし、大会の日に出版社のビルにあるゲーセンに行ったら、ゲートが閉まってて雑誌社ごと潰れてたなんてこともあった。
「あらゆるサブカルチャーはその中心に雑誌の力がある」なんて言葉を聞いたことがあって、それはその通りだと俺は思う。ゲーメストって雑誌はゲーセンに集うゲーマーは全員読んでた。ゲーメストで新しいテクニックが紹介されるとみんなこぞって練習したり、雑誌に載ることで「プレイヤーの使う言葉」が更新されていくのを目の当たりにしてた。そのゲーメストを作ってる新声社が潰れてた。実は俺たち『ジョジョ』のプレイヤーは、ゲーメストに『ジョジョ』の記事がやたらと少ないことから、ゲーメストにはやっかみ半分、若気の至り半分で「ゲーメストはレベルが低い」みたいなことを言ったりもしてたんだけど、それでもビルが暗くなって入れない状況はショッキングだった。ゲーメストのファンがビルの前に来てショックを受けた様子で帰っていくのを見ると、俺のような生意気で世間知らずなガキでもちょっとは感じるところがあった。(俺は中の人が遅刻してるだけで遅れて大会開かれないかなってしばらくビルの前で待ってた。アホ過ぎる)
この倒産は今振り返ると象徴的だなと思う。「雑誌が弱くなり、インターネットがその役割の中心を担っていく」ということの始まりだった。

その後、1999年の9月には『ジョジョ』の続編が出て、ゲームバランスの刷新とキャラクターの追加が行われた。
これまで俺のはなしを聞いてくれた我慢強い人なら「好きなゲームの続編が出るんだから、めちゃくちゃ嬉しいんでしょ」と思うだろうが、実際に体験するとそれは複雑な位相を持つめちゃくちゃに嬉しい経験だった。
まず、操作感が変わったり、キャラクターの性能が変わったこともあって、それまで勝てた相手に負けるようになったり、その逆もあった。
この「ゲームが変わることでそれまでの積み上げがリセットされる」という体験は、俺の今の性格にも強く影響を与えてると思う。
要は自分が積み上げたものにこだわらなくなったし、他の人が積み上げたものに対しても、距離を置いて見れるようになった。上達するために遊ぶ。でも上達してできるようになったことに執着しない。これはゲームをやってないと身につかない感覚じゃないかなと思う。そのほかにも、自分の使うキャラクターを変えることで自分の考え方自体が変わるのを経験したりと、立場の変化が考え方に直接影響を与えるのを経験できたのはよかった。自分の感情や判断を絶対視しないようになったのも、多分ゲームのおかげだ。

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2023年10月1日公開

© 2023 我那覇キヨ

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