於陵葵と小休は主人と召使を超えた強いSM関係で結ばれている。葵はこの関係をまずいと思っているが小休の方は非常に執着している。ところが雲夢にやって来て葵は観露申にぞっこんに入れ込んでしまう。肌着を欲しがるシーンがあるけれど、古代の中国人は(実は日本人も)、肌着には魂が宿ると信じていた。肌着を他人に与えるイコール体の関係を持つということだ。それほど露申に恋焦がれている女主人に対し、素直なだけで愚鈍な少女と内心思っていた小休は心中穏やかではなかった。嫉妬、これが第一の動機。
第二の動機は「巫女」としての葵を守ることだ。巫女たる掟に背き、世俗の幸せを求めた者の身には不幸が訪れると小休は信じていた。神の如く敬愛する(性的な意味でも熱愛する)葵の堕落は耐え難いことだった。
露申が家を出られなくなる状況を作るしかない。
ところで葵と小休との関係は堕落ではないのかと思いたくなるのだが、これは現代人の感覚で、身分の低い者との関係は罪にも堕落にもならず、精神を汚されることもない。けれども貴族である露申と恋愛関係になることは御法度だ。
第一の殺人
取り急ぎ露申を長安に連れ出そうと意図する観姱を殺害した。犯行時刻は葵の推理通り、葵と露申が通った後、江離と会舞が通る前。両人とも草の色の血しぶきを見分けられなかった。「太陽神を信仰し五行説に触れた者は赤と緑の区別ができない」という葵の説が証明されることになる。国によって虹が七色だったり三色だったりするのと同じ理屈だろうか。
第二の殺人
小休は夜明け前、白先生に「緑衣黄裏」や「子矜」の詩の解釈を尋ねに行った。先生は自説を開陳し、観姱を惜しみ、江離や露申に観姱の志を受け継ぎ、長安のような都会に出て活躍してほしいなどと期待の言葉を述べた。そこで小休は白先生を危険人物と見なして崖から突き落とした。白先生は前夜の宴席に遅れて来たので小休の名を知らず、「子矜について聞きに来た者」だとのダイイングメッセージを残した。
第三の殺人
宗教改革に乗り出した者に危険が迫っていると知った江離が対策を講じる前に消しておく必要があった。倉庫から持ち出した弩は葵が使うのを見ていたので扱うことができたが、日頃訓練をしていなかったので5本中3本外してしまった。
自殺
葵のためにここまでやったにもかかわらず「別れ」を持ち出され、小休は最後の手段を持ちだすしかなかった。「直諫」、自身の死により永遠に相手に自分を刻み付けることである。
いったい中国の伝統文学では侍女は女主人と一心同体で、時には主人のために不義不正を働いたり、主人のために犠牲になったりするものだけれど、小休は特異な位置を占めることになりそうだ。もっともこれは現代作品だけど。
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