飛行機がラサ空港に着陸してターミナル付近で走行を止めた途端、アナウンスも待たず乗客がガタガタと立ち上がった。勝手に頭上のハッチを開けて荷物を取り出たり、どうやって押し込んだのかと呆れるほどの巨大な荷物を座席の下から引っ張り出したり、やがて大荷物を持った人々がどやどやと通路に行列し始めた。まだ出口が開いていないのに、もう押すな押すなの大渋滞だ。中国の国内便ではごく普通のことだが、中国人に比べたらはるかにのんびりしていると評判のチベットに来てまで同じ光景を見るとは思わなかった。やっぱりどこに来ても騒々しいものなのかと諦めた。
ところが空港ビルを出た瞬間、音が消えたことに気がついた。
騒音の中にいる間は、それが騒音だと気がつかなかったりするけど、音が止んだら急に頭や体が軽くなってホッとした経験は誰にでもあるだろう。上海は一年三百六十五日騒がしい。真夜中でも必ずどこかで物音がしているし、昼間ともなればカークラクションやら工事現場のドリル音やら音量全開のお遊戯音楽やら子供が泣きわめく声やら夫婦喧嘩の怒鳴り声やら、常に大音量のシャワーにさらされ続けることになる。
ラサはすごく静かだった。
なんて静かなんだろう。耳から三半規管にかけてスッと緊張から解放されて、首筋から肩の凝りがほぐれるようだ。
体中にこびりついていた「音」が、鼓膜を震わせ続けていた「音」が、頭蓋骨内に鳴り続けていた「音」が、きれいに流れ出ていく。そうして青すぎるほどの青い空。高原の太陽の強烈な紫外線。周囲の禿山から吹いてくるひっきりなしの風砂、激しい乾燥。チベットは好ましい、そう思った。
どうしてもチベットに来てみたかった。上海で見るニュースやらテレビのコマーシャルやら、何を見ても「西部地域の大発展」「いまや辺境ではない」「成長の果実は人民の手に」などなど、漢族による経済開発の手が彼の地に着々と伸びていることを思い知らされた。遠からずチベットやウィグルはその独自の文化を消滅させられるだろう。私に何かできるかと言えば、絶滅の道を歩き始めた文化の有様を目に焼き付けておくことくらいだ。
と言うのはまあ建前で、とにかくチベットを見てみたかった。それだけだ。
下調べをしたら、日本語の本や日本語のブログには例外なく「狂犬病のワクチンを打て」とあった。チベットには野犬が多く狂犬病が蔓延していると言う。狂犬病のおそろしさについては語るまでもない。
上海の旅行会社でその旨相談し、ワクチンを打てる医者を紹介してくれと頼んだら、社員のおばちゃんに一笑に付された。
「心配するな。犬なんかいない。人間の方がよっぽど怖い」
その通りだった。当時チベットは個人旅行は許されておらず、各地で申し込んだ個人客を取りまとめて、現地のガイドを付けてグループ単位で移動させる形式で、ベテランガイドが野良犬のいる場所になど案内するはずもない。
人間が怖いというのは本当だった。ラサの街には物乞いが多く、ぼけっと歩いていて飲み物や食べ物を強奪されたりした。金は肌身離さず持っていたから奪われることはなかったが、子供の物乞いに小銭をあげたら、次々に仲間が現れて難儀したりもした。とは言え、出会ったチベットの人は一般的に人懐っこかった。飛行機で隣り合わせたおばちゃんと仲良くなって住所を交換したし、トイレに入ったら(露天トイレだった)並んでしゃがんでいたおばちゃんにキャンデーをもらったり、地元の料理屋で食事をしていたら学生たちが寄って来て外国の話を聞かせてくれとせがまれたり。
ラサは標高三千メートル以上あって空気が薄くすぐに息切れを起こした。十二月末だというのに、ホテルは節電だと言って暖房を切っていた。ちなみに気温は零下十度。夜中に寒さと酸欠で頭痛を起こした。お湯がすぐに切れるので風呂にも入れなかった。それでもチベットは好ましかった。本当に静かだった。気分は爽やかだった。
数日して、ラサからシガツェまで車で峠越えをした。標高五千メートルの場所で休憩した時は、歩くのにも細心の注意を払った。地上と同じ動作をするとあっという間に息が詰まる。成層圏が近いせいか日射しがやたらと眩しかった。そうしてラサにいる時よりも一層静かだった。ガイドや同行の人々と話もしたし、ランドクルーザーのエンジン音も聞こえていた。でも静かだった。
遥か頭上の山々では雪崩が起きていた。二千メートルほど上のはずなのに、雪渓が崩れ落ちる様が目の前に見えた。数秒遅れて地鳴りと共に崩落音が聞こえてきた。音が止んだ後は死んだような静けさに戻った。
標高五千メートル以上になると、気圧のせいで音の伝導が鈍くなるのだろうか。それともこっちの耳がおかしくなるのだろうか。
上海は炒られたフライパンみたいだし。嫌いではないが時々ひどく疲れる。
東京は静かなようでいつでもどこかでざわざわしている。
もちろん日本にも静かなところはたくさんある。山の中、森の中、高原に田園、小さな集落、広大な寺社。物音ひとつしない場所はたくさんある。でもヒマラヤの高山の静かさとは違う。草花や土や水、苔、小鳥、虫、木々の梢から差し込む日差しや柔らかい風の流れ。ここにはそんなものはない。ここにあるのは薄い酸素と氷点下の冷気、剥き出しの岩と青すぎる空と苛烈な太陽光線だけ。生命を拒否する絶対的な静けさだ。
峠を越えてシガツェに到着し、翌日は当地最大の聖地であるタシルンポ寺を訪れた。
禿山の麓に大小無数の僧院が立ち並び、その中に遠目にも派手派手しい金ピカのお堂が聳え立って非常に壮観だ。ダライ・ラマに次ぐ高僧・パンチェン・ラマの行宮だった。背後の山上には「天葬場」、いわゆる鳥葬場がある。いくつかある葬儀の形式のうち、鳥葬は最高グレードらしい。鳥が食べやすいようにあらかじめ遺体を大きな石で砕き、形を残さぬようにするという。それは極めて神聖な儀式で、死者が天に昇れるかどうかがかかっているらしい。知り合いにこの鳥葬場をこっそり覗きに行って、見つかって岩を投げつけられた奴がいる。
もっとランクが上の活仏とか高僧となると遺体を保存することになる。タシルンポ寺には歴代のパンチェン・ラマのミイラが保存されている。どうもこの地には遺体崇拝の風があるようだ。チベット工芸品で人間の頭蓋骨を使った器や盃とか、大腿骨を使った法具というものを度々見た。織田信長が敵の頭蓋骨を盃にしたのは、相手を辱めるためだったのだけれど、チベットでは相手を敬うが故に盃にしてしまうものらしい。黄金の小物入れというものも見た。ある高僧のお母さんが亡くなり、僧は母親の頭蓋骨を金箔で加工したと言う。頭のてっぺんの縫い目がはっきり見えた。
このタシルンポ寺には犬がやたらにたくさんいた。寺院前の広場だけでも十数匹いる。
茶色いのやら白いのやら黒いのやら模様入りのやら毛色は各種揃っていて、大きさは柴犬ほどのから土佐犬クラスまで様々だ。みんな毛足が長い。寒い土地に適応したのだろう。狂犬病など心配する必要はまるっきりなかった。犬は揃いも揃って日向にゴロリと寝転んで平和に眠っていた。通行人が近づいてもまるっきり知らん顔。厳寒の気候ではなるべく動かずに体力を温存するのが鉄則だ。
大人の犬はことごとく惰眠をむさぼっていたが、この冬先に生まれた子犬たちだけは、僧院の出入り口や階段でコロコロ元気に遊び回っていた。ボロ切れを引っ張り合ったり、石ころを追っかけて走り回ったり、じゃれ合って転げ回ったり。この子たちだけが生きているようだった。あんまり可愛いのでつい手を出しそうになったけど思い止まった。甘噛みでもされたら大変だ。
と、急にそこら中の犬がみんな立ち上がってすごい勢いで駆け出した。向こうから赤い法衣の坊さんが一人やってくる。犬は尻尾を振りながらまとわりついていた。餌をくれるんだろう。この時ばかりはワンワンキャンキャン賑やかだった。
一瞬で餌は無くなって、訪れたのはまたしても深い沈黙だった。大人の犬はまた寝てしまったし、子犬は母犬の乳を飲みながら寝入っている。坊さんの読経の声は異世界の音楽のように天へ舞い上がり、巡礼の人々は黙々と五体投地を続ける。お堂の仏様は物を言わない。
この地は死が支配している。生命の躍動は一瞬、強い太陽光線の下でギラリと輝いて、その後はまた死の沈黙が続く。ワクチンを打つ必要はなかった。
鈴木 沢雉 投稿者 | 2021-05-24 06:12
犬なんかいない。人間の方がよっぽど怖い。
この一言に凝縮されていますねえ。
それにしても恐るべきは鳥葬を覗きにいったというお知り合いの方ですね。
色々と余罪がありそうです。
小林TKG 投稿者 | 2021-05-24 19:37
エッセイだからなのか、あるいはこの話の舞台、場所が関係しているのか、全体を通して温度の上下が無かったように思います。なんか、なんというか、エッセイだからなのかな。あるいは書き手があえてそれを排除しているのか。でも、とりあえず旅行記とかいいですよね。あるがままありのまま。みたいな。
千本松由季 投稿者 | 2021-05-25 08:55
綺麗に書かれたエッセイだと思いました。分かりやすいし、興味深いです。自分のことを言わせていただくと、私は旅行が嫌いで、色んなことを見逃しているんだな、という気持ちにさせられました。北米に長く住んでいるのに、ナイアガラにもニューヨークにもロサンジェルスにも行ったことがないです。この作品は、旅先で見た出来事を、静寂という一番作者が感じたことを、テーマとしてしっかり持った秀作だと思います。
Juan.B 編集者 | 2021-05-26 15:55
行きたいなあ。その一言に尽きる。しかしもうこの出来事から二十年とすると、更に変容しているのだろう。何気ない、人間の方が怖いと言う決定的な言葉に感じるところがあった。と言っても結局仲良くできた様で何より。早くワクチン打ってどこかに行ったり人体5G通信をしたい。
曾根崎十三 投稿者 | 2021-05-26 22:39
すごく静かです。「耳から三半規管にかけてスッと緊張から解放されて、首筋から肩の凝りがほぐれるようだ」なんてすごく秀逸だと思いました。私の好みですが。
大猫さんの土地が絡んだ話は臨場感があって、行きたくなります。
古戯都十全 投稿者 | 2021-05-28 21:51
鳥葬や標高五千メートルなど、未知の描写に興味が尽きませんでした。
二十年前の出来事ということですが、現下の感染状況やワクチンのごたごたをどこか遠くから俯瞰するような、そんな印象も受けました。
わく 投稿者 | 2021-05-29 06:17
外国のことを聞きに集まる若者や、狂犬病を恐れていたのに、現地の犬たちがのんびりしている情景が印象的でした。
人の方が怖いというのは本当にその通りなのかもしれません。しかし、死が支配していると最後にあるように、人間を超えた力を私たちは忘れているだけなのかもしれないと考えさせられました。
諏訪真 投稿者 | 2021-05-30 00:05
チベットのイメージがseven yearsで止まっていて、文明から隔絶されたある種の聖域的なままで止まっていました。
中国との関わりで随分様変わりしてポタラ宮の前がアスファルトで整備されている写真を見ると、複雑な思いがしました。
ヒマラヤの高層から見る空がもう青から黒に変わりかけているような、そんな光景を実際に見られたことに羨ましく思いつつ、自分だとそこまで行動できないのが非常にもどかしい。。
静けさだけが昔抱いていたイメージと相違なくて、少しホッとしました。
ポタラ宮とか行かれましたか?(そもそも公開されているかどうかさえ知らず。。
大猫 投稿者 | 2021-05-30 16:54
ポタラ宮、行きましたよ。今も公開されていると思います。大事な観光資源ですからね。
でもチベット人には信仰の総本山です。冬は農閑期で巡礼の季節なので、全国から善男善女がお参りに来ていました。一家総出で来ていて赤ん坊の泣き声がしたり、今にも死にそうな爺さんを背負った若者がいたり。
金ぴかの仏様、ヤクのバターで作った灯明、仏前にうず高く積もったお賽銭。小銭がなくてお賽銭からお釣りをもらっている人もいました、
お金は灯明の横とかに無造作に置いてあったのに、誰も盗む人はいないようでした。こういうところが中国とは違うなと思いました。中国だと(たぶん日本でも)お金は一瞬でなくなりますね。
今度写真などお見せしましょう。
Fujiki 投稿者 | 2021-05-30 12:32
時間の地層を通って濾過された純度の高い情景という印象を受ける。たぶん自分で実際に現地に行っても同じような景色を見ることはできないだろう。「生命を拒否する絶対的な静けさ」の描写のあと鳥葬場の話題に移り、作品全体に崇高なタナトスが感じられる。
狂犬病は発症するまでの潜伏期間が長いので、ワクチンは咬まれた後すぐに打ち始めても間に合うらしい。私も狂犬病ワクチンを頼み込んで一笑に付された経験があるので、みんな似たようなこと考えるんだなと微笑ましく思った。
諏訪靖彦 投稿者 | 2021-05-30 21:49
旅に出たい。そんな気持ちにさせてくれる紀行文でした。チベットやウイグル、それとブータンには死ぬまでに一度は行ってみたいなあ。もう少し若くて健康的身体を持っていれば全部丸っと忘れてスマホも持たずに日本から飛び出すんだけどなあ。
波野發作 投稿者 | 2021-05-31 17:01
政府に海外渡航を禁じられている身としては羨ましい。あんまり静かだと自分の心音がうるさくて眠れなかったりしますよね。