偽りの洗礼名を剥ぎ取ることなく、私は教誨を受け続けた。もう、それほど熱を入れることはできなかった。祈りの定義が根本的に違いすぎる。私は私の言葉で祈る方法を知らなければならなかった。
私はノートに向かい、何の武器も持たず、ただひたすら言葉について考えていた。どうして、誰かの言葉は死んでいるのか。どうやったら私は生きた言葉を語ることができるのか。
そう、私の言葉は奇形だったのだ。私は自分で考え出したと思っている言葉を使いながら、他人の死んだ言葉を操っていた。それはそれで楽なことだけれど、語りえない何かが、どうしようもなく、あった。
コミュニケーションの不可能性を手紙に喩えた哲学者がいた。彼の書物はあまりに難解すぎて、私の手には負えなかったけれど、手紙を巡る言葉だけは印象に残った。言葉は時に届かない。郵便物だって、誤って配達されることがあるぐらいだから。
私がMに宛てた手紙は全部で三通あり、一通しか彼女に届かなかった。それは別に構わない。手紙は一度書かれれば、受け取った人が正式な受取人になる。その人は私の意図とは違ったように、その手紙を読むだろう。そして、その誤読が、手紙の本来の意味になるのだ。
手紙の誤読――この言葉が、私に一通の手紙のことを思い出させた。受け取った頃は判決が出ていなかったので、まだ外部交通がそれほど規制されておらず、たくさんの手紙が届いた。ほとんどが励ましの言葉だったけれども、私は客寄せパンダのようにふてくされ、あまり真面目に読まなかった。ただ、彼の手紙は割に早い時期に届いたということと、『三年A組出席番号八番』という衝撃的な冒頭だったために、奇跡的にすべて目を通した。ほとんどは忘れたけれど、なんとなく内容は憶えていた。
送り主は、私の小・中学時代を通じてのクラスメイトだった。それほど仲がいいというわけじゃなかった。明らかに違うグループに属していて、何か特別な事情(体育の授業でチームを作る時や、学園祭での手伝いの時など)にだけ、臨時に親しくする程度の間柄だった。もちろん、卒業してからは没交渉だったから、手紙を受け取った時は意外に思った。
『三年A組出席番号八番』――小さく控えめでいながら、倣岸に歪んだ文字。それはよく憶えている。想い起こされた字面の印象は徐々に変化し、彼の幼い顔――とても古い顔――が脳裏に浮かんでくる。
その後に続く投げやりな自己紹介は、私の彼に対する思い出と、彼が私に対して与えていたと考えていたらしい思い出との違いを際立てるだけだったような気がするけれど、彼が抽象的に近況を報告し始めた下りが記憶に上るに従って、記憶は少しだけ雄弁になる。
『今の俺は似たような草ばかり食む草食動物だ』――たしか、彼はそんな自画像を報告していた。何か作家じみたことを目指していたはずだ。堕胎された子供のようにひきずり出された一つの記憶が、その直感を裏打ちする。
小学校高学年の時。まだ自分の考えも判然としなくて、身体の動かし方もよくわからず、何かに飛びついては放り投げ、自らの嬌声を煩いとも感じない――そんな頃だ。「ぼく」達はある国語教材を読んでいた。太平洋戦争で祖父の元に疎開した少年の物語だ。
「***行目の表現、『灰色の中を動く二つの点』はなんのことを言っていると思う?」
ずり落ちそうな眼鏡をかけた、ジャージ姿の教師は、そう尋ねた。自発的に答えようとする生徒はいなかった。他力本願の沈黙が教室中に降り積もっていく。と、そのうち、生真面目なピンク色のトレーナーを着た女子が、「川の中を泳ぐ鳥だと思います」と答えた。
「そうだね」
教師はそう答え、ぼく達を安心させた。それは確かに、正解だった。主人公の少年と、その祖父は、問題の部分の直前で、橋の上から二羽の渡り鳥を見下ろしているからだ。そんなもの当たり前だ――ぼくはそう思い、ずり落ちそうな眼鏡から視線をそらした。
「じゃあ、***くんはどう思う?」
先生はある男子生徒の名を呼んだ。ぼくは驚いてそっちを見た。手を挙げていたんじゃない。腕を組んで座っていただけだ。なぜ彼が指されたのか。ぼくは彼が生贄であるかのように、おどおどと見つめた。
「戦争という不安定な時代を生きる、少年と祖父」
彼はそう言うと、特に満足した様子を見せるわけでもなく座った。驚いた教室中の生徒達が、嘆声を上げた。それは確かにそうだった。いや、渡り鳥なんてどうでもよくて、『灰色の中を動く二つの点』は、少年と祖父に他ならなかった。
満足げな先生による「暗喩」の説明をぼんやりと聞きながら、言葉の新しい機能をすでに使いこなす少年への驚嘆がぐるぐると巡っていた。言葉には二重の意味を込めることができる。ふと、窓の外に目をやると、すでに葉桜となったソメイヨシノが、光の雫を振り散らしながら揺れていた。もしかしたら、彼にはこういう風景も、違ったように感じ取れるのだろうか。
それから少し歳を取って、大学の文学部に入っても、「ぼく」には彼のような言葉の感覚を持つことが難しく思えた。何の小説を読んでも、そこに書かれた言葉にはもっと違った意味があって、完全に理解することはできないんじゃないだろうか、まして、使いこなすことなんて――そうした切実な遠慮から、小説に対する意見は控えたし、また、それに関する職業を選ぶことも、あくまで憧れとして、そっと懐にしまいこんだきりだった。
いや、それは小説に限った話じゃなかった。誰かの言葉にこめられた意味をすべて受け取ることは難しい。向かい合って丁寧に話したとしても誤解は起きる。その点で、二人の対話も、恐ろしく長い伝言ゲームも、大した違いはない。
だからといって、それを気に病み、対人恐怖症に陥るということもなかった。どちらかと言えば、それに気付いているだけマシなわけで、そのことにすら気付かずに他人と接しようとする人の方が、ずっと不公平だ。彼のような言語感覚の持ち主は、一握りの幸運な人種なのだ。ぼくはぼくでがんばればいい。持ち前のあつかましさが、ぼくにそう考えさせていた。
自分の言葉は生きている。最適だ、と言ってもいい。誰にとってもそうだ。思ったことをすぐに言葉に乗せられないもどかしさがあったとしても、やはりそれは生きた言葉だ。
しかし、その最適性は他の誰かに伝わる前に、死んでしまう。対話する人々の状況や、身振り手振りや、関係やらが、その死を和らげることはあるだろう。如才ない聞き手が完璧に(限りなく近く)蘇生させることもあるだろう。私はそのような呪術的能力を持たず、また、持とうともしなかった。誰かの言葉は、取り返しのつかないもので、だからこそ、自分勝手に生き返らせてはならない――そんな倫理を抱えていたから。
まあ、それはもう過ぎたことだ。私はもう、言語の違ったあり方に気付きつつある。
彼の手紙は私に何かを書くよう迫るものだったと思う。『死刑囚のおまえには書くべきことがある』と書かれていたのは確かだから、ほとんど脅迫のような調子だった。彼は私が特権的な書き手だと宣告していた。人間は一生に一度だけ、そうやって書くことができる、できあがる文章は独り善がりだろうが、それこそが本当の文章になるのだ――その先は憶えていなかった。字はどんどん乱雑になっていて、「~だ」を多用した熱っぽいくだりは、今思うと、クールだった少年時代の彼からはちょっと想像がつかない。最後に彼は印象的な英語のフレーズを挿入していた。とても胸を打ったのだけれど、忘れてしまった。
受け取った頃に返事を書かなかった理由は、客寄せパンダのようにふてくされていたというのもあったけれど、何より、まだ判決が出ていない未決囚なのに『死刑囚』と書かれたことに反発を覚えたからだった。自分では死刑になるつもりでいたくせに、他人に言われると腹が立つものだ。
教誨に挫折した今となっては、何かを書く以外の方法はなかった。彼に連絡を取ってみよう――私は入所してからはじめて、外部の人と接触を持つつもりになたった。
建て前上、死刑囚の待遇は判決前の被告と同じで、外部交通が法的に保証されているのだけれど、実体は肉親以外との交通に許可が下りることはなかった。でも、法律として書かれたという事実が(というより、事実の持つふてぶてしさが)、なんらかの突破口になるのではないかという希望を私は抱いていた。
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