本書の文庫版の裏表紙に掲載されているリード文を読むと、「随所に張り巡らされた緻密な伏線と、予測不可能な本当の真相」という惹句が目を引く。ということは、最後の最後でどんでん返しがあるのだろう。本稿ではこのどんでん返しを推理することによって勝利に結びつけたい。
さて、本書の「十五歳、夏」までは、おそらくヨーロッパの国の王女であろうレイアの生い立ちが描かれる。某国の王女レイアは実のところ、盲目の少年「れい」が幼い頃に誘拐され、女として育てられたという秘密が160ページを費やして明らかになる。その後、れいは視力を取り戻すことで、実の両親や身の回りの世話をしてくれた医療関係者に好意を抱くが、次第に王女だった頃を懐かしく思いだし、周囲の人、とりわけ両親を疎ましく思うようになる。
いくつかの文学作品への言及がありつつ、「孤独」「光と闇」といったテーマが語られる。これだけ文学作品に言及しつつ、それらが生かされないということもないだろう。また、レイアの置かれていた状況がヒントにもなるだろう。
- 19世紀初頭の「革命の欧州」っぽい世界にレイアを閉じ込めたが、CDなどのアナクロニズムは放置されている。
- レイアは女として育てられた。
- 「国王」こと父(D)は美術や文学に造詣が深い。
- 最初からレイアを返すつもりだった。
これらの諸要素から「父とダフネは何者であり、動機はなんだったのか」という点について推理してみたい。
まず、「れい」が「レイア」として育てられたことにより、Dは誘拐対象が「れい」であることを知っていた。これにより、両親とかかわりのあった人物であることがわかる。また、性別が反転させられていたこと、そして、欧州のような環境で育てられたことは、そうする必要があったからで、それはおそらく復讐のような意味を持っていたはずだ。美術関係者であることから、おそらく父親と関わりのある人物が犯人であることもわかる。推理は以下の通り。
- 犯人には失われた子供がいて、それはおそらく女の子だった。そのため、「れい」を女の子として育てる必要があった。
- 犯人の子供が失われたのは、「れい」の母が起こした交通事故が原因。お腹の中の赤ちゃんは女の子だった。
- 女の子の父親はイラストレーターの父親ではなく、母の不倫相手あるいは前夫。
- 犯人は父と美大の同級生であり、画家を志していた。
- 犯人の動機は、イラストレーターである父と母の子供である「れい」の盲目時代に「美」とは何かを施し、目の見えるようになった世界で「醜」を思い知ることになる。それが長い年月をかけた復讐である。
- おそらく「れい」が犯人を知る頃にはDは死んでおり、ダフネだけが警察に捕まる。
未読の最終章は「レイアⅡ」であり、おそらく冒頭(というには長い160ページ)の「レイアⅠ」に繋がるような展開になるはずだ。おそらく「れい」の妄想として描かれるだろう。そして、最終章の「ムーンレイカー」では、馬鹿者としての「れい」が真実を知る展開が描かれる。「れい」は、現実世界の中で厨二病的な世界を渇望しながら人生を送ることになる。
"厨二病のまま終われない〜服部まゆみ『この闇と光』"へのコメント 0件