タクシードライバー(5)

タクシードライバー(第5話)

サムライ

エセー

1,513文字

タクシー・ドライバーは孤独な仕事。そして、車窓を流れる大都会の風景にも、どこか人々の孤独の影が垣間見える。都会に浮かぶヘッドライトとそこに映る人生の陰影と。人々との一期一会を通して社会と人生を眺める。

説教

午前1時半、歌舞伎町

 

 

赤、青、黄色、けばけばしいネオンサインが今宵も道行く人々を妖しく照らす。恰幅の良い中年紳士に、厚化粧の夜の女たち、いかにも組員風のお兄さんに、はたまたホームレスに至るまで、区役所通りはあたかも社会の暗い縮図のようである。

空車タクシーの長い車列の中で、のろのろと進む私の車の前をふらりと人がよぎった。太り肉の坊主頭、地味なポロシャツの上に上等そうな背広を羽織り、手には風呂敷包み。妙な出で立ちだった。

その中年男が私に手招きをする。俗に言ういかにも近そうな客、営業成績のふるわない私は、はたと当惑した。だが、我々に拒否権はない。

ドアを開けると、分厚いめがねの奥から私を見据え、「千葉の西船橋、キャッシュだ」と言う。意表をつかれた私は、空車表示のまましばらく走り、通りの出口であわててボタンを押した。

男は僧侶だった。ごきげんらしく首都高を走行中しきりと怪気炎を上げる。「俺も歌舞伎町にはずいぶん通った。昔からさ。最近じゃあ、いい女も減ったがね。すれっからしが増えたぜ」

「そうですか」

「お前さん、坊主がこんな話をするのはおかしいと思っているんだろ」

「いえ、別に」

「宗教界なんかそんなおきれいなもんじゃないぜ。大昔からだ。ウィーン少年合唱団を知っているだろ」

「ええ」

「あれはもともと稚児さんだったのさ。むかしは偉い連中の慰み者だったんだよ。日本の坊主たちだって五十歩百歩だ。男色なんて日常茶飯事だった。今と違って権力を握っていたからな、女を囲っている坊主もたくさんいたんだよ。叡山焼き討ちの時なんざ、女郎どもがわらわらと出てきたらしい。女人禁制なのにだ」

「お坊さんとは言え、生身の人間ですから」

「まあ、俺も人のことはとやかく言えんな。若いときから遊びまくったから。女も二人や三人じゃなかった」

「奥さんも大変でしたね」

「そんなもんいねえよ、子供はいるがね」

「養育費だけ払っているのですか」

「払いやしないよ、金なんか。認知はしているけどな。子供なんかほっとけば勝手に大きくなるよ」

「そんな、竹の子じゃあるまいし」

破戒僧を乗せた車はいつしか環状線を抜け京葉道の直線コースへと入っていた。アクセルをぐっと踏み込む。両側に続く鮮やかな東京の夜景が徐々に薄くなってゆく。

「おいおい、そんなにスピードを出すな、人生あわてちゃいかん」ペダルから足を離すと、破戒僧がさらに言った。「人間はな、生かされているんだよ」

「生かされているって、誰にですか」

「神様に、だよ。なぜ生きているのか分からんとほざく馬鹿者は多いが、みな生かされていることに気づかないのさ。こら、だから言っただろう、そんなにスピードを出すんじゃない。わっ、俺たちは生かされているんだぞ」

私はまたペダルから足を離した。

「何でそんな話をするのかと言うとだ、お前さんもそんな馬鹿者のようだからだよ。お前さんは背中に影を背負っている。こちとら商売柄すぐ分かるのさ」と高笑い。

わたしはバック・ミラー越しに僧侶の顔をちらりと見た。目に力のある人物だった。死を司るべきこの僧侶は、実は生の権化なのかもしれない、彼の奥深い目に出合ったとき、私はふとそう感じた。だからこそ、彼はこれまで宗教家として、人々に生きる力を与え続けることができたのであろう。

ある種の父性に触れて、私は自分のことを語りたい誘惑に駆られた。だが、原木のインターは既に目前であった。

片田舎のみすぼらしい共同住宅の前で私は車を停めた。

チップの千円札を渡しながら坊主が言った。「達者でやんな。けど、ご用の節はいつでも念仏を唱えに言ってやるぞ」

私は苦笑いを口元に薄く残し、見知らぬ土地を後にした。

2008年11月20日公開

作品集『タクシードライバー』第5話 (全6話)

© 2008 サムライ

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