またさびしさを描いた我が子は、遠のくばかりの手を合わせて擦筆のふりをして、アクリルキャンバスに生まれたてのコットンを押し付ける快楽から。
ソコは金の砂漠に燐粉を推し混ぜ、真っ赤な錆を置いたゆりかごが接岸する 夢という花を持たせ。浅い水辺はそれでも震え、なにもかも残らない〝ハゴロモ〟を懐わせる。
アウトラインに焦点を定め、ぼかそうとしたけれど筆もないから口寄せて、消えず、ぬるぬると被せるような床を踏みしめても、それは葡萄酒と太陽に飲み込まれるだけなのです。
「また〝燐〟という鈴が響いた」
銀のオウムがいう、
「〝合わせ鏡〟はうまれていた」
だれもいない だれもしらない と。
なにかしらの いきものが きらきらとひかる
それら植物や動物となり、
〈溶け始めたあかり/歩いていく私〉
/すこしずれて、少し前にいる私
/おもいえがく。わたしの骨まで
アタマん中に指でなぞり、焼き増した明日を経由した まだら墜ちていく雨は ひねるように問い返す。あなたの境界線までわからなくなるように/昨日透いた濡れ羽色の髪。また易しくせき止められ/明日咲くという花の蕾、(低地には名残も見せない。俯瞰された記憶が立ち上がり)再生されていく工程 ボートがカーブを曲がり、ガーゼ越しの骨組みのまた外側には また知らない世界が埋もれている。
天使の想像にも満たない魂の種ばかり、伸び切った天井に吐くように握り返しても(芳しくないというも、)窓際に向いて、降り注いでいる〝ひかり〟だけ ガラスの鳥籠と縁取られる〝幻燈〟によって もうずいぶん眺めていて。眩しく伝染るこの面の純粋に錆びたことだ
ほのかなにおいに人は簡単に神隠しに出会うような水琴窟へゆく末。そんな非れもない羊水ともいう。春風のいたずらとしろくみずいろに流れ、飲み込まれた過去のものたち。しかしやわらかな造花であればちらちらと埃も溜まるようで、イーゼルのスキマからチョーク一本の色彩を与える。
それは小さな堰のイメージを抱かせるものであり、遠ざかる腐臭を染める、わたしどもの歩幅では気にもならない嵩から、無駄のない雪解けと雨の声でだくだくと流れ去る清き濁りのさなか。
踴らせる熱に、抱かれたばかりの螺旋の坩堝を滴らせて、口止めされた嘘は剥げた昨日を忍び足で近づける、彷徨い続ける恋でしょう。
音のない明かりがたぶんゆめのまたゆめに等しく。包装紙はまた通り雨ばかりで。もう、のろのろと自嘲した左手の小指で、希望の名を 閊えるままに、壊してしまった土気色で、くすぶるだけの回遊花にのせられる。パドルは濯うような歩道のそばをつかみ、チグハグな時間と空間を削ぎ落として。ころして みて。
眼の前の、わたしと泉。拒んだ闇 緩んだ脛、弾ける間際のマナコ。「許してあげる」って。化けたハンカチを探しているフリでしょうと。ホワイトの顔料でドローイングをするHEAVEN。
ささやかな輪郭だけの私が 引き剥がした刺青の皮、私だけのハコニワに閉じこもる風。乾いていく。今日のそらは脳裏に寄生する 陽の一日に、造作もないカタコト摸造。記憶に新しい 言葉の綾は、冷ややかな水と脱色した街中に、過ぎていく季節というのは 優雅な黒蝶の一種なのです。と、いつからかわからないけれどもね。
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