「冬の命日①」

消雲堂

小説

942文字

昨年の秋に義父が死んだあと、実母が肺がんであることがわかり、治療のちに入院、看病の甲斐なくたった二ヶ月で死んだのです。

 

雲ひとつない空は、澄んだ水をたたえる湖のように僕の頭上に拡がっている。母が死んだ哀しみにこの晴れた空は違和感がある。僕たち家族の哀しみを無視して母の死を天が祝福しているかのようだからだ。そういえば、15年前に父が死んだ時も 同じように晴れていた。
おまけにワザとらしいお涙頂戴ドラマでも小さな子供のようにすぐに反応して泣きじゃくる僕が、愛する母親が死んでも一滴の涙も出てこないのだ。哀しいのだ、哀しいのだけれど涙が出ないのだ。死んだ母が聞いたら怒るかもしれないが、いつ消滅するかわからない生命の束縛から漸く解放された気がした。
戦前から日本陸軍の施設として使われていたこの病院の旧病棟は、昼でも幽鬼が漂っているかのように不気味なのだが、その古色蒼然とした趣の旧病棟と隣り合わせの近代的な新病棟との趣は、無理矢理な和洋折衷感に満ちていて、思わず笑ってしまうような滑稽さがある。
母の遺体が運ばれる霊安室は旧病棟の外にある。僕と妹はその霊安室で病院での最後の儀式を済まさねばならない。僕たちは新館から旧館へと続く長い回廊を重い足取りで歩いていく。母が目の前で死んだばかりで気が動転して何を話していいのかわかならなくなっていて、回廊の窓越しから外を見ると、中庭には小さな紅い花をたくさんつけた一本の樹が見えた。僕はその樹を指差しながら「桃の花かね? 綺麗だなぁ」と言うと、妹は「ママも見たかっただろうね」と言って笑った。
しばらく妹と一緒になって歩いて行くと、戦中の兵舎のような旧病棟の建物の外に隔離施設のような灰色の建物が見えてきた。この世に遺恨を残して死んでいった死者の霊がその建物を形成しているような不気味な建物だ。「あれが霊安室かい? やだなぁ…」僕が言うと「そうかしら?」と妹は平然としてその建物に向かって行く。その建物の入り口には木製の古い板に「霊安室」と書かれていた。
引き戸を開けて霊安室の中に入ると土間があって、そこには遺体を寝かせるための大きな祭壇が設けられていた。その奥には六畳ほどの畳部屋があった。待合室だった。待合室には火のついたガスストーブがひとつだけ置かれていた。僕と妹はガランとした畳部屋に靴を脱いで上がり、母の遺体が運ばれてくるのを待った。

2015年8月4日公開

© 2015 消雲堂

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