ランクルの窓の外に広がるのは、草木が一本も生えない赤茶色の砂漠。サファイアのような深い青の空。そしてその青空に君臨する太陽が、地上を熱で焼き尽くす光。
カザフスタンのアルマトイ国際空港から車に揺られて十時間。延々と続く砂漠の光景はあまりに単調すぎて、いい加減うんざりする。
後部座席のわたしはサングラスをかけ直した。空港の到着ロビーでハルトに送ったLINEはまだ返信が来なかった。
わたしは六本木のタワマンでハルトを飼っていた。ヒモのハルトは30歳を過ぎてもバンド活動がうまくいかず、31歳の誕生日の前日、再起をかけて中央アジアのサピチャ共和国なんてところへ移住すると、連れていった銀座の寿司屋のカウンターで言いだした。
わたしはガリを食べながら、ハルトの頭がどうかしたんじゃないかと思った。もっと、アメリカとかイギリスとかドイツとか、マシな選択肢があったろうに。それに、わたしが外コンなんて修羅の世界で働けるのはハルトを養おうというためであって、ハルトが努力して稼げるようになれば何を心の支えに生きればいいかわからなくなる。
1週間後、わたしは成田空港の国際線出発ロビーに行き、ハルトに餞別の100万円を投げつけてフッた。すぐに京成スカイライナーで東京に帰って、1時間後には丸の内のオフィスで、デスクの脇に立たせた新卒をいまにも泣きそうな顔にさせながら、提出してきたスライドを無言でバシバシ修正してやった。
だが、日本から旅立って1年でハルトはサピチャでいちばんのチャンネル登録数を誇るYouTuberになり、配信の同時接続者50万人を記録したバンドのライブには大統領も駆けつけ、やがて大統領府直属の文化芸術顧問を務めるまで出世した。
今回、こんな砂漠だらけの国にわざわざ長期休暇をとって来たのは、ヨリを戻したかったのもあるが、それ以上にビジネスパーソンとしてハルトがどうやって成功したかを知りたかったからだ。
「あと一時間でサピチャイに到着します」
インドで蛇使いをしていそうな見た目の運転手が、わたしに向かって呼びかける。
「わかりました。ありがとうございます!」
運転手に返事する。サピチャは旧ソ連領でロシア語が通じる。大学の二外でロシア語を選択しておいて本当によかった。サピチャ語の語学書なんてもちろん日本のどこの出版社も出してない。
わたしはフロントガラス越しに大地を眺めた。地平線の際に、小さなエメラルドグリーンの球が顔を出した。――サピチャ共和国首都・サピチャイの大モスクだ。約1500年前につくられた古都サピチャイはシルクロードに位置し、唐の時代に玄奘三蔵がインドへ経典を取りに行くとき、サピチャイに立ち寄ろうとしたが、火焔山の熱風に阻まれ行くことができなかったと伝承されている。西遊記でも三蔵法師が火焔山を通るとき、猪八戒がサピチャのことを話している場面がある。世界の西の果てのサピチャ国は太陽が海に沈むとき、海が沸騰するので雷鳴のような轟音が響く。その音で子どもたちがショックを受けて死んでしまうので国王は毎日、城門の上に千人の兵隊を集め、ホルンを吹き、ドラを鳴らし、太鼓を打たせて、太陽の音を紛らわせるのだという。呆れるぐらいでたらめな話だ。
スマホが鳴る。わたしはすぐに画面を見ると、ハルトから「夕方はライブがあるから来て。二人で会うならその後で」とメッセージが届いていた。
え、なんで? わたしがせっかく来てやったのに。すぐ会わせてくれないなんて、ひどい。
* * *
サピチャイは白い。道も壁も、なにもかも。パルテノン神殿のようにいかつい国会議事堂や大統領官邸も、ソユーズロケットのように巨大なサピチャイ大学本館も白い。白と違う色は、大モスクのドームを覆うエメラルドグリーンとサピチャ海の水面の深碧。
サピチャイの都はサピチャ海のほとりに広がる。海といっても、カスピ海と同じで、実際は湖だ。その浜辺にライブ会場があった。わたしははやくハルトに会いたかったし、ライブへ行くことにした。
日が既に傾いていた。湖面にせりだすステージの周囲をすでに数千人の観客が埋めつくし、礼拝を終えただろう人々が大モスクから会場へ列をなしてやってくる。ステージの真上には巨大なディスプレイが設置されていた。
「さあ、そろそろ日没です。ハルトさんが来ますよ」
運転手がわたしに言うと、ディスプレイに、ステージに三人の男が駆けて出る光景が映しだされた。ロン毛が走る。さらに金髪があとを追う。そしてその後ろを走ってきたのは――ハルトだった。
三人の姿はディスプレイに映し出され、ハルトの表情がはっきりと確認できる。全員が位置につくと観客たちが天を指さしてどよめいた。 ――わたしは目を疑った。太陽がみるみるうちに空から落下し、湖の真上に、比喩表現でなく、本当に、UFOのように浮かんでいた。サピチャ共和国でいちばんの高層建築、高さ60mのサピチャ大学本館と同じ程度の大きさの太陽が、湖の真上にさも当然のようにしれっと浮かんでいる。わたしは頭がおかしくなったのか? 理解できない。太陽の直径は140万kmのはずだ。明らかに地球のよりも大きいはずなのに。
「どういうことなの? そもそもなんで太陽があんなに小さいの?」
運転手はわたしの質問に怪訝そうな顔で答えた。
「あなたはわたしたちよりも賢い日本人なのにどうして知らないのですか? 毎日、太陽はサピチャ海に浸かって沈んでいきますよ」
ハルトはマイクに向かって叫ぶ。
「Кекоска Сапичай парноКорде, ꙮ!!!」
サピチャ語だ。まったく意味は分からない。ハルトの右手はまっすぐ天を指した。観客は一斉に歓声をあげた。
ハルトはギターを弾きはじめた。太いギターの音で開放弦を交えるアグレッシブなフレーズを二小節流したあと、金髪のドラムとロン毛のベースが入りバンドサウンドへ昇華する。コードが分解された別フレーズに入り、疾走感と熱量、そして、ハルトの、太く伸びのあるハスキーな歌声がスピーカーからライブ会場に放たれる。同時に七色のレーザー照明も放たれる。厳かな古都はバンドの音とレーザー光と、煮えたぎるようにぶるぶると震える太陽の光が満たした。
太陽が湖面に触れ、そのままずぶずぶ沈んでいく。太陽の熱で湖の水が沸騰し、雷が十発同時に落ちたような爆音が轟く。だが、その爆音をハルトのギターと歌声がすぐにかき消した。そこはまさに、壮大なショーだった。ハルトはわたしの届かないところへ行ってしまった。鳥肌がたった。
ハルトから汗が飛び散り、光り輝く。ハルトの魂の叫びに負けないよう、運転手へ大声で質問する。
「ハルトは毎日このライブをしているんですか?」
「ええ。子どもたちはサピチャ海の沸騰する音を聞くとショックで死んでしまうのです。だから、偉大なハルトさんたちが、毎日、バンドの音色で日没の音をやわらげています」
「なんでYouTubeでこのライブが観れないのですか?」
「投稿してもすぐ動画が削除されるからです。アメリカのヤンキーどもは地動説なんて戯言をほざき、わたしたちのハルトの動画をすぐ削除するのです。では、サピチャの海に落ちるこの太陽は偽物なのですか? いいえ、あの太陽はたしかに本物です」
太陽が8割ほど沈み会場の熱気が最高潮になると、汗だくのハルトは天を仰いでシャウトした。観客たちもシャウトし、運転手は涙を流していた。
「ハルト、かっこいい……!」
わたしは思わずつぶやいてしまった。ハルトは、わたしの知ってる、タワマンのソファーでぐうたらスイカゲームをしていたハルトではなくなった。サピチャでいちばんのバンドマンだ。いや、サピチャの偉大な英雄だ。
残り2割の太陽も湖面へ隠れた。太陽は水に完全に浸かった。沸騰した湖面はぶくぶく泡立ち、巨大な湯気を放つと、やがて、光は消えて静かになった。空は夜闇に包まれ、無数の綺羅星が、うるさいほど瞬きだした。
ディスプレイに映るハルトはウインクして、日本語で叫んだ。
「愛してるぜベイベー! 俺はお前のこと、ずっと好きだからな!!」
ああ、会いに来てよかった。わたしの目からすっと涙がこぼれ落ちた。
山谷感人 投稿者 | 2024-10-26 00:02
物語のテンポが良いしユーモアも有り特に、筆者が諸々な事に造詣が深い方だなあと感じました。
ラスト、私もホロリとし、もの凄く面白かった。
眞山大知 投稿者 | 2024-10-26 00:37
ありがとうございます! 感人さんにコメントいただけるとは!
想像力が貧弱な人間と自覚しているので資料を山のように集めてこないと作品が書けず、正直ヒーヒー言いながら書いてます……。ラストシーンをお褒めいただき嬉しく思います。
わく 投稿者 | 2024-11-18 20:01
ルーマニア語で小説を書いている日本人の方を思いだしました。
シンプルな考え方ながら、海外で一発逆転というのは夢があり、日本が落ち目の今こそ、それを再確認することにはおおいに意義があると考えさせられました。
眞山大知 投稿者 | 2024-11-20 12:54
たしか済東鉄腸先生ですね? ルーマニア語を学ぶためにFacebookをつくり、BLEACHを翻訳してルーマニア人に教えていたって話が大好きです。
海外で一発逆転したい……。この作品もいつの日か中国語で出版されればなと思います(
河野沢雉 投稿者 | 2024-11-20 00:02
一方的な理由でハルトを振ったのにハルトが成功するとヨリを戻しに行く(しかも下衆で世俗的な仕事の理由までつけて)パワハラ外コン糞野郎の主人公が清々しいくらい糞野郎で良かったです。
眞山大知 投稿者 | 2024-11-20 12:57
こういう糞野郎のような女性がわたしの大学にゴロゴロいたので主人公の外コン女は非常に書きやすかったです。メリットのある奴だけとつきあい、要らなくなったらポイ捨て。資本主義をそのまま人格化したような方々でした