新しい世紀の幕開け。それを思い出すことに特別の感慨はない。無職のまま迎えたからかもしれない。
将来に対する不安はなかった。辞職を境にするまでもなく、私にはそもそも、具体的な想像力が欠けていたのだ。きちんとした定職に就き、日々の暮しを組み立て、不安を取り除き、ささやかな幸福に喜ぶ――こういうことの重要性に対する想像力が徹底的に欠如していた。
もちろん、達観していたというわけじゃない。生活に困るようなことがあれば、必死になっただろう。そうはならなかっただけの話だ。
辞職した直後、私は実家へと帰った。今まで粛々と育ててくれた父のためにも、一言断っておく必要があると感じたからだ。実家は東京からほど近いにもかかわらず、就職以来一度も帰っていなかった。顔を見せてやろうという、図々しい親孝行の気持ちもあったのかもしれない。
辞職を告げても、父はそんなに困った顔をしなかった。大道芸人を見る時、あんな顔になるのかもしれない。変わったことをするなあ、という表情だ。これからのことを訊かれると、しばらくこのままフラフラしてみると答えた。父はそれを聞いて笑い、「そうか」と言った。息子に対してそう振舞う鷹揚さは、父を少し若く見せた。年齢を重ねるに従って身についていく、ある種のナイーヴさ――若者の持つそれとはまた異なる種類のナイーブさ――が、少しもなかった。
「母さんがいたら、辞めなかったんだろう?」と、父は唐突に尋ねた。
「だろうね」
そう答えると、父は「その気持ちはわからんでもない」とだけ呟いた。
その時、ふと、父が若く見えるというより、父の年齢が母の死以来止まっているのではないかと思った。母は、私が十四歳で、父が四十七歳の時に亡くなっている。目の前にいる父はもう還暦を迎えようとしていたが、髪も黒く、肉付きもしっかりしている。ちょうどそれぐらいの年齢に見えた。
私はそれに頼りがいを憶え、安心してフラフラすることにした。父も父で、無関心な様子を見せながらも、私にいくらかの援助を約束してくれた。
貯金と、父の援助と、わずかな失業保険。この三つのおかげで、私はあいかわらず東京に留まっていた。文字通りフラフラと町を徘徊することもあったし、同じように早くも退社してしまった友人達と酒を飲んだりもした。とりわけ、私の退社理由は正義感に基づくものと思われ、皆に歓迎された。正義のための堕落――ある友人はこの言葉を気に入って、よく口にしていた。
しかし、無職になったことがあらゆる人々に歓迎されるはずもない。勇気ある行為とも、道化じみた冗談とも取れない人間が一人だけいた。
彼女の名は……ミユキといって、私の恋人だった。大学を卒業する時、私は年老いた猫のように人懐っこい女の子と別れ、ミユキを新しい恋人にした。社会に出てから、ずっと付き合っている。私と同じ年齢で、住宅関連のOLをやっていた。物事を深刻に捉えがちで、いつも困ったような顔をしている。一度など、外国で大きな地震があったというニュース映像を見て、二日間も眠れなかったことがある。寝ている間にテレビが頭の上に落ちてくるのが怖かったからだそうだ。ちなみに、テレビは彼女のベッドから二メートルぐらい離れた地面に置いてあった。
とにかく、そんな彼女にとって、私の唐突な辞職は決定的な事件だった。日常的な会話の最中、私がぽつりと辞職したことを告げた時、彼女は電話越しに素っ頓狂な声を出した。たしか、日曜で、小春日よりの素晴らしい日だったと思う。
「辞めちゃったの?」
「うん、辞めた」
「そうなんだ」
電話はそれきり、終わった。あまり怒っていないらしい――そう判断したけれど、それは間違いだった。彼女は怒りを表すまでに、かなりのタイムラグを要する。その翌日、彼女の部屋に呼ばれて、いざ到着すると、彼女はいきなり殴りかかってきた。なんとか彼女を押さえつけると、相談しなかったことを謝り、純朴な義侠心を言い訳にした。彼女はそんなことなどまったく受け入れず、いつもひそめがちな眉をこれ以上ないというほどひそめ、こう言った。
「じゃあ、どうしてそのプログラマーの人と、新しい仕事するなり、そういう努力をしないの?」
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