「なあ。春になったら、」
そう切り出しても、先生の眼差しは変わらず穏やかなままだった。そのことに僅かな安堵と恐怖を覚えた。
この会話は先生を傷つけることになるのかもしれない。そう思いながらも口にした。
次の季節のことを語る行為は最早、見つからないとわかりきっている失せ物を諦めきれず探すようなものだった。それでも未来への希望を語ることすら憚ったら、それこそ先生に対して失礼ではないか。そんなもっともらしい理由付けをしながらも、本当のところは自分が苦しみたくないだけだということはよくわかっていた。結局、我が身可愛さだ。
「春になったら、植樹をしてみようと思うんだ」
それはささやかで身勝手な祈りだった。「春」と口にすることで、何か目に見えない偉大な力が、今にも消えそうな命をどうにかほんの少しだけでも繋ぎ止めてくれるかもしれない。大して信心深くもないくせに、都合の良いときだけ何かの存在に縋るのは浅ましいと思いつつも、そう願わずにはいられなかった。
「植樹、ですか?」
先生の声には小さな驚きが滲んでいた。どうして急にそんなことを? とその目は問うている。いつも通りの、相手の次の言葉を静かに待つ態度であった。
「かつて訪れた地域で、山から恵みを貰うお返しに、山に木を植える慣わしを目にしたことがあってね」
床の側に腰を下ろす。先生は身じろいで上体を起こそうとしたが、そのままでいい、と制した。枕をひとつ足して、会話がしやすいように整えてやる。
「なんでも、西の方には「木の神」ってのがいるんだと。神話の時代に、日本全国に木の種を撒いて野山を緑にした神様がいるらしい。で、その神様を祀っている神社がある地域の人々は、毎年山に木を植える。木を植えることが信仰なんだそうだ」
「五十猛神の神話でしょうか」と先生は返す。
「紀伊国で、林業の神様として知られている神様です。『紀伊国』も『木の国』が由来だとも言われますね」
「ああたしかに、そのあたりで聞いた話だ」
先生の知識の深さにはいつも驚嘆させられる。どれほど強く世界を求めているのか、先生の言葉を、語り口を耳にすればわかる。これまで出会ってきた誰よりも、その目は遠くまで見据えていた。
しかしどれだけ望んでも届かない。叶わないものの方が多い。その事実に押し潰されてしまわない、底なしの強さの理由がどうしてもわからなかった。
決して届かない世界から目を背けることなく、かといって恨むこともない。どうしたらそんな境地に至れるのか、どれほどの痛みを抱えたらこうまで強くなれるのか。いくら同じ目線に立ってみようと努力すれど、計り知れない世界だった。だからこそ、強く惹かれたのだろうと思う。
「話は植樹に戻るが。神様を祀るなんて大層な思いじゃなくても、一本くらい自分で植えた木が、小さな願いを吸い込んで育った木がこの世にあってもいいんじゃないか、なんて思ったんだよ」
いいですね、と先生は微笑む。
「どこに植えるつもりなのですか」
「それさ。それを相談しにきたんだよ」
場所の相談もあるにはあったが、本当は先生の反応を窺いたいというのが一番の理由であった。
先生はきっと、この行為に込められた真の意味を察している。察していて悲しむようならやめようと思っていた。
「場所ですか。それは確かに、悩ましいですね」
先生は思案気に目を伏せた。しばらくそうしてから、
「私ならあの山のどこかに」
先生は細い指をある一点へと向けた。
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