この世の終わり

習作集(第7話)

合評会2023年05月応募作品

ヨゴロウザ

小説

4,942文字

अनादेरन्तवत्त्वं च संसारस्य न सेत्स्यति –Māṇḍūkya Kārikā, 4.30

 一、 
 新宗教教団「みろくの世」の歴史は、開祖の小此木ミチヨがまだ俗人であった時分に台所で重たい漬物石を持ち上げようとしてぎっくり腰になった瞬間から始まる。あまりの激痛で声も出ず、糠味噌にまみれてひっくり返っていたその数分の間に、ミチヨは神の声を聞いたのだと伝えられる。  
 その声はミチヨにこう教えた――「この世の終わりは近いぞよ。お前だけでなく世の中全部がひっくり返る。それから糠味噌でなくて血にまみれる。業病は稲だけでなく人をも枯らすぞ。月と太陽が墜ちてくるならどこに逃れられようか。みろくの世が来るのはそれからぢゃ」そしてミチヨの眼前に三千大世界がすっぽり入るような巨大、というより広大な、味噌汁のぐつぐつ沸いたいろり鍋が現れ、その中に家屋が豆腐のように、人が油揚げのように、崩れた山が葱のように浮かんでいるのが見えたのだという。『終末の味噌汁』――みろくの世の信徒たちは、開祖に顕現したこのヴィジョンをそう呼んでいる。彼らによれば、この世の終わりが来るとき悪人どもは皆そこで煮られるのだと。
 それ以来ミチヨは次々と怪しげな予言をするようになり発狂したと思われかけたが、しばらくしてから首都を襲った空前の大地震を予知していた事によりがぜん周囲に畏敬の念を呼び起こした。ミチヨによればこれはほんの始まりに過ぎなかった。この世の終わりは今からちょうど百年後にやって来る。その百年の間、この地震を皮切りとしてありとあらゆる災難が人間を襲うのだという。戦争、津波、疫病、火山の噴火、……そして最後の仕上げに「空からみろく様である星がひとつ、全部終わらすために降って来て」天地がひっくり返る。それから悪人は前述の味噌汁の具になるが、正しい生き方をしてきた人たちは幸福なみろくの世を生きることになるのだ、と。味噌汁の具は今からすでに次々と投げこまれている。けれど正しく生きた人間なら涼しくていい匂いのする野原に迎えられているのだという。
 ミチヨは地震の後ほどなくして世を去ったが、彼女の残した様々な予言、人として生きる道を説いた説教、熱烈な信奉者の群れ、そして一人息子(父親は不明)――これらは一つの教団を成立させるのに充分であった。
  
 二、
 その一人息子、二代目教祖である寅吉はなかなかのビジネスパーソンだった。彼は母ミチヨの亡くなった時はまだほんの子供だったが、成人して教祖に祭り上げられてからはそつなく信徒たちの望みに応えて教団の運営に力を注いだ。冷静に見れば狂人の譫言としか思えない母の語録に細かい註釈を添えて教義を体系化し、富裕層や有名人に積極的に布教してたんまりお布施を巻き上げ、みろくの世寺院を全国津々浦々とまで行かなくともかなりの数を建てることに成功した。そしてずいぶんまあ長生きした。
 その間、実にさまざまな事があった。国に弾圧されることもあり、この世の終わり以前に教団の終わりが来るのではないかとも危ぶまれた。しかし寅吉が自分の平均より長い人生をふりかえったとき何よりも記憶に残っているのは、母が予言した通りに起こった世界大戦争であった。そのとき目にした光景は寅吉に強い印象を与えた。まっくらな夜間に飛来し探照灯に浮かび上がった無機質で無慈悲な金属の怪鳥群。彼らが蛙の産卵のごとくボコボコ落とす「モロトフのパンかご」。一面くまなく燃え上がる地上、束になって燃える人間、寅吉自身これでもう最期かという目に遭いながらもその凄惨な美に目を奪われた……もっとも、実感としてはその戦争以後はおおむね平和な日々が続いたと、巨視的な観点からはそう言えない事もなかったし、やがていつまでも続く平和を前提としたこの世の終わりならぬ「歴史の終わり」なる概念も俗世間では提唱される始末であったが、彼はそんな事を信じなかった。ようするに彼は真面目な人だったのだ。
 最晩年に津波が日本を襲った事がますます彼の確信を深めることになった。彼はいよいよこの世の終わりが、みろくの世の到来が近いといたく興奮し、そのあまり熱を出して寝つき、そのままぽっくりという仕儀に到ってしまったが、臨終に際してつぶやいた言葉は「赤味噌かと思っていたのに、白味噌だったとは……」というものだった。これをどう解釈すれば良いのか、おそらく信徒たちの言う『終末の味噌汁』を見たのだろうけれど、どうも彼自身がその味噌汁に投げ込まれたように受け取れなくもない。彼は地獄に落ちたというのか? 後継ぎである南平(寅吉が五十歳の時の息子である)は少し考えた末に、この最期の言葉は信徒たちには発表しないことにした。南平は冷ややかな目で、あんぐり口を開けたままの父の遺骸を見下ろしながら考えた。せめてもう少し長く生きていれば、自分の目で本当にこの世の終わりが来るかどうか確かめられたのにな……
 予言されたこの世の終わりまであと十年ほどだった。百年はわりとすぐに来てしまったのである。
  
 三、
 三代目教祖・南平は祖母の予言などこれっぽっちも信じてはいなかった。そればかりでなく、彼は祖母を無知無学な女だったに違いないと軽蔑さえしていた。自分がなりたくもない教団トップの後継ぎにされてしまったのも、全ては祖母の狂気に由来するのだと思うとやりきれなかった。百年後にこの世の終わりが来るなど、ずいぶん無責任な予言をしてくれたものだ。本人からすれば自分が責任を負う必要のない遠い未来のつもりだったのだろうけど、その百年後の自分からしてみればたまったものではない。見ろ、かわいそうな信徒たちはみんな本気でこの世の終わりが間近に迫っていると信じているではないか……
 ところが、不都合な事に祖母の予言はまたしても成就したのだった――パンデミックの発生である。世の中全部が家に閉じこもった結果、一時的にせよ本当にこの世の終わりのような光景が現実にあらわれた。父の寅吉が見たそれとは異なり、誰の姿も無い廃墟としての大都市が現出した。それは死に鎖された奇妙に静かで美しい日々だった。南平自身、まさか自分が生きてる間にこんな光景が見られるとは思っていなかったし、本当のところを言うと少々信念がぐらつくのを感じた。だが世界はすぐにこれはペストや天然痘ではないと知って、わりと速やかに日常を取り戻した。一方で信徒たちは、やはりミチヨ様の予言は本物だったのだと非常に盛り上がった。それを南平は苦々しい思いで見ていた。一体どう信徒たちに説明すればいいのだろう、この世の終わりも、みろくの世も来るはずが無いことを? 
 信徒たちの興奮は、南太平洋の火山が噴火してある国がまるごと火山灰に覆われるような事態が起こって最高潮に達した。挙句のはてに、教団内の彼のあずかり知らぬところで「この世の終わり式典」なるものが企画されるにいたった。こんな奇妙な式典があるだろうか? 信徒たちは本気で現在の悪と不浄の世が滅び、みろくの世がやって来ると信じてウキウキなのである。ここで南平は、(もしそんなものがあったとしたらだが)教団はその使命を終えたのだと悟った。どのみち教団に「百一年目」があるはずはないのだ。自分が責任を持ってこれを、教団を終わらせなければならない…………
  
 富士山麓にある古代ローマ式の野外円形劇場で、午後七時から式典は始められた。弦楽四重奏が演奏された後で南平は壇上に立ち、期待に目を輝かせて全国から集まった数千の信徒たちを見渡した。自分はこれから彼ら彼女らの期待を裏切るのだ――そう思うと気後れがするようだったが、意を決して教祖らしく、厳かに切り出した。
 「皆さん、終わりが来たのです……ただしこの世のではなく、みろくの世の終わりです」
 会場はしんとした。
 「皆さんは一体何を期待して今日ここにお集まりなのでしょう? 私の祖母は完全に悪質な詐欺師です。しかし信じる方も信じる方だと言わざるを得ません。なんで皆さんは素性も知れない飯炊き婆さんの妄言を信じることができたのでしょう? 彼女の予言が的中したからですか? 彼女の教えが素晴らしいものだからですか?」
 南平は信徒たちを見回した。
 「そもそも天災というものは、そりゃいずれやって来るものです。ことに日本のような地理的条件なら遅かれ早かれどこかに必ず来るものですよ! 世界戦争が起こるなどという話も、当時の情勢を考えればたぶん同時代の誰もが考えていた事でしょう。もっとも、天災が来るのを前もって予知していた人間がいるとかいう話はよく聞きますし、祖母もそういう人間だったのかもしれないとは思います。私は別にそういう話の真偽をはっきりさせたいとは思わない、というかあまり興味がない。どちらでもよい。どちらにしろ祖母は世の中にうんといじめられた人間だったのでしょう。そしてこんな世の中全部ひっくり返したいという怨恨と自分の低すぎる社会的地位を逆転したいという願望とがないまぜになって沸騰した結果、神の選びの器である自分という妄想に憑りつかれただけに決まってるんです。そしてそれはきっと……」
 南平はそこで少し言い淀んでから続けた。「きっと、皆さんもそうなのでしょう? 皆さんも周囲と違う選ばれた自分でありたいだけなのでしょう? 冷静に我々の教義、祖母が遺した人としての正しい生き方の教えをよく見ると『早寝早起きはみろくの世の習い』だの『弱いものいじめはなりませぬ』だの『ハナクソを食べる人は地獄に落ちます』だの、どれもしごく常識的な話ばかりじゃありませんか。何の形而上学も、世界や人間に対する深い洞察も無い。なんでこんなものをありがたがって聞いて真面目に実践する人間がいるのか意味がわかりません」
 会場は不満そうなどよめきに包まれだした。幹部が何人か慌てた顔をして壇上に近づいた。が、南平は構わず続けた。
 「皆さん、いい加減目を覚ます時です! 祖母の予言したこの世の終わりとは、つまりこの百年の妄想の終わりですよ! 私たちはこの世の終わりを待ったりするべきではないのです。終わりなき世をこそ信じて生活するべきです。それこそが人間としての、正しい人間としての……」
 「見ろ! みろく様だ!」
 会場のどこかで鋭い叫び声が上がり、皆いっせいに空を振り仰いだ。満天の星の中にひとつ際立って大きく、赤い星が輝いていた。そしてそれは徐々に徐々に大きさと輝きを増しているようだった。信徒たちは立ち上がり、口々に何か言いながらそれに向かって手を合わせ拝みだした。南平は呆然として立ちすくんだ。まさかそんなはずは……では祖母の予言は本物だったというのか?
 赤い光はもう疑いようもなくこちらに近づいてきていた。今や信徒たちは口をつぐみ、この世の終わりを迎え入れようとしていた。そしていよいよ地上に落ちてくるかと思われたその時、赤い星はひときわ眩しく輝いたかと見えるとそのままふっつり姿を消した。あとには白けた沈黙が残された。誰も何も言わず立ち尽くしていた。この世は終わっていないようだった。つい数分前までと同じ、なんでもない時間がただ流れていた。
 南平は涙を流していた。なんだかんだ彼ら信徒の気持ちを彼はよく理解していたのである。この世が終わらないのだったら、では明日から一体どうやって生きて行けばいいというのか? それは南平にとってもまたわからない問題だった。彼はちょっとよろめきながらおもむろに壇上を降りて、どこかへ駆け出していった。誰もそれを止めなかった、というより気付きもしなかった。
  
 四、
 それはただの火球だったのだ。翌日にSNSなどに画像が投稿され、少しばかり話題になっただけで終わった。当然の事ながら、世間にこの世の終わりが来たと考えた者など皆目存在しなかった。
 あの夜姿を消した南平の行方は杳として知れない。しかしそれでも、みろくの世ぐらいの規模の教団ともなればこの世が終わらなかったからといって簡単に解散はできないのだ。終わらなかったら終わらなかったでそれでも信仰を続けて行かなくては。いま教団は南平の娘を新しい教祖としている。彼女は曾祖母のように、みろく様のお告げを直接聴く事ができる人だという触れ込みだ。彼女の夢の中にみろく様が出て来て、予定が延びたと告げたのだとか。次のこの世の終わりがいつになるのかは知らない。

2023年5月15日公開

作品集『習作集』第7話 (全8話)

© 2023 ヨゴロウザ

これはの応募作品です。
他の作品ともどもレビューお願いします。

この作品のタグ

著者

リストに追加する

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 短編集として公開したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

あなたの反応

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

作品の知性

作品の完成度

作品の構成

作品から得た感情

作品を読んで

作者の印象


3.4 (10件の評価)

破滅チャートとは

"この世の終わり"へのコメント 13

  • 投稿者 | 2023-05-17 23:35

    クールエイドでも飲ましときな! 日本の現代史を追いかけている感じがいい。90年代半ばに日本社会を騒がせたカルト教団の事件を主人公はどう見ただろうか? かなり駆け足だったので、もう少しふくらませてもいいかも。

  • 投稿者 | 2023-05-19 17:02

    > 『早寝早起きはみろくの世の習い』だの『弱いものいじめはなりませぬ』だの『ハナクソを食べる人は地獄に落ちます』だの、どれもしごく常識的な話ばかりじゃありませんか。
    一般道徳的に良いとされていることを教義にしている新宗教団体は多くありますね。ニューソート系は特に。因みに天理市に初めて訪れたときはびっくりしました。皆さんいい人ばかりで入信しようかと思ったほどです。してませんが。

  • 投稿者 | 2023-05-20 22:57

    Fujikiさんのコメントが雑なので、補足をしておくと、これは2023年2月の名探偵破滅派『名探偵のいけにえ: 人民教会殺人事件』に登場した「教祖の予言が外れたけれど、今さら引っ込みがつかなくなって予言の解釈を変えて教団を存続させた」エピソードです。このミステリーは毒薬入りのクールエイドを飲んで集団自殺したジョーンズタウン事件をモデルにしているため、あのようなコメントをされたわけです。

    大河ドラマのような宗教団体の歴史。先に述べたエピソードに通じる普遍性も備えていて、なかなか読ませますね。
    神は細部に宿ると言いますが、「涼しくていい匂いのする野原」に行けるとか、「赤味噌かと思ったら白味噌だった」とかのくだりが格別に好きです。本当に新興宗教の教義にありそう。
    クライマックスの南平と信者との対峙部分をもっと詳しく読みたかったです。この枚数じゃ無理だけど。

  • 編集者 | 2023-05-21 00:01

    ミソスープと日本精神のつながりは確かに深い気がします。知りませんが。大河ドラマはいいですね。三代続くというのは、やっぱり物語として強いと改めて思いました。

  • 投稿者 | 2023-05-21 00:17

    物語としての流れが素晴らしかったので星五つです!
    一点だけ、ペスト=黒死病なので「ペストや黒死病」は「僕や私」みたいになっちゃうと思います。

    • 投稿者 | 2023-05-21 01:27

      貴重なご指摘ありがとうございます! チョンボの記録としてあえて残そうかとも思いましたが、「ペストや黒死病」→「ペストや天然痘」に直しておきました。
      ちょっとした事でもちゃんと調べてから書かなくては駄目ですね。ググってみるなり何なり、これからは気を付けます。本当ありがとうございます。

      著者
  • 編集者 | 2023-05-21 10:08

    宗教なんてららら。予言が外れ続けても存続し続けてる教団は数多あるが、それは信念ではなくコミュニティの惰性なんだなと思うとリアルな作品だった。

  • 投稿者 | 2023-05-21 11:06

    予定が延びた、で気軽に続いていくのが良いですね。そんなもんなんでしょうか。
    天災のくだりとか、読みながら本当にそんな気がしてきたので入信しそうです。神のみぞ知る神のみそ汁。

  • 投稿者 | 2023-05-21 11:27

    ハナクソを食べることは見たものに忌避感を抱かせる事象だけど、それが「ズバリ言うわよ、アンタ地獄に落ちる」的悪なのかというと、「なんでだ?」感があるなあと変なことをずっと考えてしまいました。

  • 投稿者 | 2023-05-21 16:30

    団塊ジュニア全員1999年の8の月に恐怖の大王が降りてきて人類滅ぼすと言われて育って、どうせそこで死ぬなら頑張ってもしょうがねえなと適当に生きてきたわけですが、ご存じのとおり何者かが秘密裏に撃退してしまったせいで、人類はのうのうと21世紀を迎え、果てしない停滞の中を生きている。非常に身につまされる説話でした。

  • 投稿者 | 2023-05-21 16:31

    この世の終わり式典いいなあ。私も参加したいなあ。この上なくいいなあ、この世の終わり式典。

  • 投稿者 | 2024-12-25 10:36

    面白かったです。新興宗教の教祖の悲哀が伝わってきました。時期を逸したコメントなのでこのくらいで。曾根崎さんのコメント、神のみぞ知る神の味噌汁、ウケました。

    • 投稿者 | 2024-12-25 22:44

      コメントありがとうございます。昔のものだったので驚きました。わたくしもう合評会はご無沙汰しておりますが、いずれまた何かでお会いしましょう。

      著者
コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る