ある孤独死の風景

合評会2022年01月応募作品

ヨゴロウザ

小説

4,660文字

新年から暗い話になってしまいましたが、今年もよろしくお願いします。

「身を噛むような孤独」という表現があるが、孤独とは本当に大きな口が自分の体を噛みしめているような気持のするものだと実感したのは七十歳を過ぎてからである。しかもその歯は食い込んでくるばかりで少しも緩みはしない。
 特に独身主義を通したつもりもないが、私はこの歳まで伴侶を得る事なく過ごしてきた。当然子供は無い。両親はとうに他界しているし、兄弟はいるがもうずいぶん長く音信不通だ。どこに住んでいるのかも知らない。そんな私が今までどのように生きてきたか、それを綴るのはやめよう。私の人生には書くに値するような面白い事件は何も無かった。いや、正確に言えば事件が起こるような生き方をして来なかったのだ。私はただ何となく生きてきた。そして人生はただ何となく過ぎたのである。それはそれで幸せな人生だという者は(あまりいるとも思えないが)馬鹿者である。こんな人生はいけない。私は今まで一度も生きたことがない。何も始まらないうちに、始めないうちに人生を消費してしまったのである。…………
 
 そこまで書きさして、林頓吉郎は馬鹿らしくなりペンを擱いた。自分は相変わらず勿体ぶって、なにか大層なものに自分を見せかけているように思えたのである。何をまた深刻ぶっているのだ、ただ自分を買いかぶって世をすねただけの、ありふれた独居老人だというのに……もっと素直に自分は寂しくてたまらないと書けばいいのだ。
 彼は現在六畳のアパートに独りで住み、週に四日ほど施設の警備をして暮らしていた。仕事を始めた頃は日中のシフトで入っていたが、それだけでは収入が足りず泊りがけの一昼夜のシフトに入ることにした。非番の日でもよく夜勤のヘルプに出ることがあった。そのように惰性のままに何年も警備の仕事を続けたある朝、目を覚ました彼は自分が灯りを点けたまま寝てしまっていたのに気が付いた。しらじらと空しい昼間の光が部屋を満たしていて、蛍光灯が無意味に照り続けていた。それはもう何日か前から切れかけていて、光も弱々しくどこか苦しげに点滅するようになっていた。往生際悪く自己の存在を主張しているようでなんだか不快だった。頓吉郎はしばらくそれをぼんやり見上げてから消した。すると突然、自分の人生の無意味さが地崩れのように折り重なってくるような感覚に襲われたのである。
 しかし、無意味さ? 今さらなぜ自分がそんな事でうろたえねばならないのだ。私はむしろそんな虚無を自明の事として、いやそれを虚無とさえ思わず平気で生きていく事ができる、要するによく知らないがそういう西洋から移入された思想で仮設されたに過ぎない近代的な悩みとは無縁の人間のはずではなかったか? なのにいま自分は無為のまま過ぎ去った歳月を振り返り、誇張抜きに眩暈を起こしそうな恐怖を覚えている……人生の時間とはいわば血液に等しい。なんとおびただしい貴重な血液が使い道もないまま流されたことか、そして残り少なくなった今になって私は……
  
 思考の中でさえなにやら大袈裟調の文体になっているのにも無自覚のまま、頓吉郎は恐怖に衝き動かされて何かしないではいられなくなった。そこで自分の人生をまとめた手記の執筆に着手したのである。彼はその中で赤裸々に告白し、自分を仮借なく断罪し、しかし自分の無為に潰えたかに見える人生からなにがしかの真実を、自分にだけつかめた真実を剔出してみせるつもりであった。彼は若き日に身を投じた学生運動とその挫折(とはいえ、実質何もしないうちにムーブメントは終焉を迎えた)を、挫折した後も理想を保持して反骨の生を送ってきたことを、そしてついに仏教にこそ借りものではない東洋式の社会主義の可能性を見出したことなどを書き綴ろうと思っていたのである。ところが書き出してすぐに馬鹿らしくなってしまった。自分の人生に真実などいう大それたものは薬にしたくても見つからないと判っていたからであった。自分は結局、他人の思想をばかり生きてきたのだ。それもただこちらに付いておけばどうやら良さそうだというぐらいの動機で、自己実現のために他人の思想を信じているふりをして、自らをさえそれを信じているように欺いて無益に過ごしてきただけなのである。自分は本当に理想の世の中を求めていたのだろうか? 本当に「真理」とやらを求めていたのだろうか? そうであったような気もするし、そうではなかったという気もする。いまや頓吉郎にはある種の諦念が備わってきた。自分の今までの人生などウソであると認めることができるようだった。
  
 そう発見したならそれはそれで新しい始まりのようであるが、頓吉郎には無念さしか無かった。すっかり嫌になってしまった彼は、貴重な休日をただでさえ狭い部屋をさらに狭くしている蔵書の整理に費やした。それらを次の古紙回収の日に出すつもりで無慈悲に紐で縛っているうちに、彼はどこか自虐的な快味を見出していた。かつての愛書をぞんざいに処分することで、自分の人生に復讐をしているような気分がしたのである。彼は大月書店版の『資本論』全巻セット、さらに現代思潮社系、みすず書房系の書籍を括り終えるといよいよ仏教関係に取り掛かった。これらも結局、私の知的なこけおどしのためにしかならなかったのだ……頓吉郎は悔いと怨みのこもった目で一冊手に取りぱらぱらめくってみた。と、その中の一節に目が引き寄せられた。それは法華経薬王菩薩本事品第二十三、天台大師がそこを読んで大悟したと伝えられる一節であった。
 
『一切衆生喜見菩薩、三昧より起って自ら念言すらく、我神力を以って仏を供養すと雖も身を以って供養せんには如かず。……即ち日月浄徳仏の前に於いて、天の宝衣を以って自ら纏い已りて諸の香油を濯ぎ、神通力の願を以って自ら身を燃して光明遍く八十億恒河沙の世界を照らす。其の中の諸仏、同時に誉めて言わく、善い哉善い哉善男子、是真の精進なり。諸の施の中に於いて最尊最上なり。法を以って諸の如来を供養するが故に。……是の語を作し已りて各黙然したまう。其の身の火、燃ゆること千二百歳、是を過ぎて已後其の身乃ち盡きぬ』
  
 頓吉郎は釘付けになったようにその頁に目を留めたままよろよろと立ち上がった。これは啓示だ、と思った。折しも部屋の中に夕日がさしこみはじめていた。
  
***
  
 週末の夜の街は人々で賑わい、しかもその数は時間が経つごとに徐々に増えて行くようだった。しかしやや遅れてやってきた者たちは、駅前の人だかりと異様な雰囲気にすぐ気が付き、意識的にせよ無意識的にせよそちらへ引き寄せられた。彼らの注視する先には建物の間を連結するトラス橋があり、どうやって登ったのかその桁の上にあぐらをかいて座る、頭髪のすっかり白くなりまた残り少なくなった男の姿があった。頓吉郎であった。
 一張羅のスーツを着てかたわらには香り高いガソリンの缶を置き、黝ずんだ葡萄の皮のような色の夜空を背にした頓吉郎は、今こそ自分は人生の絶頂にいるという想いにとらわれた。あとほんの少しの苦労である。この後、われとわが身に火を点けたとき、八十億恒河沙の如来は彼の前に現前し、彼を誉めたたえ、そして沈黙するであろう。だがその前に、自分は自分の真実を言い残しておかねばならない。いつしか自分には何の注意も払わなくなった世間、それゆえにひがみ続けた世間、けれど実は認めて愛してほしかった世間に、最後の最後に嘘の混じらない掛け値なしの自分の真実を……頓吉郎は職場から勝手に持ち出してきたメガホンを手に取った。
「皆さん、私は……私は、……どうかお聴きください」彼はメガホンを通した自分の声への違和感から少し気後れしたが、すぐに気を取り直して声を張った。
「私は、今まで虚偽を生きてきたのです。けれどそれは、それはですね、きっと皆さんも同じ事だと思うのです。皆さんもやはり虚偽を生きておられると思うのです。私はそれに気が付くまで、いや自分でそう認めるまで、ただそれだけの事に一生かかってしまいました。だから皆さんには、どうか手遅れにならないうちに気が付いて欲しいのです。いったい皆さんは……」
「お前だけだバカヤローッ」酔っ払いが野次った。
「なにこれ? 宗教?」ひそひそ声が聞こえた。
「いえ、決して私だけではないはずです。私はですね、自分がやりたいと思う事を何もしてこなかったのです。よそから押し付けられた正しさを鵜呑みにして、……私はすっかり騙されていたのです。そして皆さんも騙されています。そして今になって、自分は自分の人生を生きなければならなかったのだとわかったのです。皆さん! 他人の考え、それも所詮は妄想に過ぎない他人の考えにただ乗りしてそれに自分の人生をまかせてしまうという事、自分自身でつかんだ自分の人生を生きないという事は、これは深刻な罪悪なのであります。一体皆さんの持っている考えのうち、どのぐらいが皆さん自身のものでありますか。考えてみてください、皆さんがお持ちの常識……それの根拠を問うてみたことがありますか? 思考だけに限りません、皆さんの感情、それでさえ何か出来合いのものを自分のものと思ってはいますまいか」
 それから頓吉郎は「マルクス主義」に、「近代仏教」に惑わされてきた自分の人生を語りだした。ところがいよいよ結論の部分、演説の眼目であるはずの「自分自身の真実」を述べる段になったとき、彼ははたと言葉に詰まってしまった。彼自身がそれは何かわからないし、それは何かを知りたかった。勢い込んで出て来たまでは良かったが、この土壇場も土壇場においてさえ彼は自分に語るべきことなど何も無いことを発見しなくてはならなかったのである。彼はしばらく沈黙してから弱々しく再開した。
「皆さん。真実とは……」
「なんだよ?」
 どこか間の抜けた声が聞こえ、それとともに失笑が広がった。人々は真面目に頓吉郎の話なぞ聴いてはいなかった。頓吉郎はもう充分だと考えた。そもそも言葉でだったら何とでも言える、言葉こそは虚偽のはじまりなのだ。真実は言葉の及ばぬところにある。時は来た。今、私は私自身の光で過去現在未来にわたる全宇宙を照らすであろう。
「皆さん。真実とは、これです!」
 言うが早いか彼は雑にざんぶとガソリンをかぶり、ライターで自身に着火した。炎が彼を包むより早く、連絡を受け待機していた消防隊の放った逆流する滝のような消火剤が彼を直撃、落下。首の骨を折った頓吉郎は死亡した。
  
***
  
 蛍光灯というものもやがて完全に廃れ、ガス灯やランプなどと同じく昔の小説の中にだけその姿が見出されるものとなるのでしょうか。林頓吉郎の住んでいた部屋はすっかり片づけられ、大家さんは切れかけていた蛍光灯を外して発光ダイオードすなわちLEDに交換しました。こころなしかLEDの光はどこかよそよそしい明るさの蛍光灯よりも親しみ深い優しい光のように思えます。LEDは光の三原色のうちの青色のみがなかなか実現しなかったそうですが、その青色がついに日本の研究者三人によって開発され、照明として実用化されるに至ったのだといいます。これによりノーベル賞を受賞した研究者のうちのお一人が、発明の原動力は怒りであると語ったことも皆さんの記憶に新しいでしょう。けれど怒りを元に作られたものであろうと、その成果はいまその怒りの対象であった日本中の部屋を明るく照らしております。その光は頓吉郎が住んでいた部屋に入ることが決まった、期待と不安で若い胸をいっぱいにした新大学生の生活をも見守ることでありましょう。

2022年1月11日公開

© 2022 ヨゴロウザ

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3.4 (13件の評価)

破滅チャートとは

"ある孤独死の風景"へのコメント 30

  • 投稿者 | 2022-01-24 01:16

    こういうの、すごい好きです。
    頓吉郎の鬱屈したキャラクター性と、何か大きなものに手を引かれるかのように破滅に進んでいく感じが。ああ、どう表現したらいいのでしょう。とにかく好きです。これ。

    • 投稿者 | 2022-01-24 23:09

      オニダルマ様、ご感想ありがとうございます!
      自分ではどこか暗い、底意地の悪い感じの作品になってしまったように思えて悩んでいましたので、気に入っていただけたならとても嬉しく、励みになります。
      自分がまだ「切れてない蛍光灯」であると証明しようとする、または自分がもう「切れかけの蛍光灯」であることを認められない男の話を書こうとしたのですが、誰かを戯画化しようとしたのではなくむしろ自己批判のつもりで書きました。一隅ヲ照ラス、此レ即チ国宝ナリと古人は言っております。そんな風に生きていけたなら良いなと思ってます。

      著者
  • 投稿者 | 2022-01-26 12:34

    それにしても今回は老人の登場が多い! 蛍光灯=斜陽の存在=老人 という連想でも(意識的にせよ無意識にせよ)あったのでしょうか。
    全体的にはとても、とても内省的でウーンと唸る内容です。共感の余地はありませんが。
    一点気になったのは、頓吉郎が学生運動に挫折した後は流されるように生きてきたことが示唆されているところに「反骨の生」を生きてきたと書かれているところです。
    反骨精神自体は彼の中にくすぶっていたでしょうが、その生活は反骨とはほど遠く、人生の最後になって眠っていた反骨精神が頭をもたげてきた、というイメージが近いでしょうか。
    最終段の語り手は筆者ということでいいですかね?

    • 投稿者 | 2022-01-26 22:46

      鈴木様、ご感想ありがとうございます。
      自分の場合はまさにそのベタな連想です。前回のお題『YouTuber』用に孤独な老人がふとしたきっかけでYouTubeを始めたら大人気になって……というものを書いてたのですが、終わらせ方がわからずもたもたしているうちに大猫さんが同じモチーフの作品を出したのを見てこりゃ駄目だとあきらめたのですね。でも『切れてない蛍光灯』にぴったりじゃないかと。なので早く書けて、ネタがかぶらないうちにというセコい魂胆から二週間前には提出しました。

      語り手についてですが、実は「一人称´」みたいな視点を試してみたかったのです。「第四人称」とか「死者の視点」とかと重なるのですが、強いて言うなら本来の自分自身と言いますか、彼岸にある彼自身が此岸の彼自身の内面や人生を他人事のように眺めている、というような。なので語り手は頓吉郎´なのです。けれど実際やってみるとただの三人称と変わらず、鈴木さんが最終段の視点は誰のものかと思われたように、あまり上手く行かず失敗しました。けれど上手く行けばこれでいろいろ面白い事ができる気がするので、引き続き鋭意開発中です。

      著者
  • 投稿者 | 2022-01-26 21:37

    老人モノ仲間ですね。
    私の作品よりも老人感があって素直にすごいと思いました。蛍光灯をLEDと比較することで、より取り残された孤独が強調されていて良かったです。主観と客観を上手く書き分けることで突き放されていくのが感じられました。
    名前が頓吉郎なのも皮肉というか、良いですね。

    • 投稿者 | 2022-01-26 22:59

      曾根崎様、ご感想ありがとうございます。
      頓吉郎という名前はけっこう適当に付けましたが、なんか愛嬌があって気に入りまして、長編の登場人物か自分のペンネームに使おうかと考えています。
      曾根崎さんの方はなんか病身とはいえダンディな老人像が浮かんで良かったです。

      著者
  • 投稿者 | 2022-01-27 11:21

    ヨゴロウザさん
    コメントがとても難しい作品です。
    何度か書き直し、読み返しました。
    まず残酷過ぎる。
    瑕疵基準監督所(そのような場所があればですが)の仕事でしょうか。

    大衆の中で声を上げた人物の目線を感じました。ほんの僅かながら声を上げた人物はそれを孤独死とは呼べないと感じたのではないでしょうか(瑕疵基準監督所の仕事の一部という可能性も含めて)言語化した災そのものとして管理記憶した風景が、のちに何かの拍子でフラッシュバックされ、終にその人物の内では滑稽にまで行き着いているようにも感じられます。作中描かれていませんが、意味を見い出すのなら、この人物に注目したい。
    郷土の墓石なりがパワーストーン的力で最後の役割を果たそうとしているのかもしれませんね。

    • 投稿者 | 2022-01-27 22:03

      西向様、ご感想ありがとうございます。
      滑稽で重くならない感じに書こうと心掛けたのですが、やはり残酷に思われましたか。自分でもどうも気鬱な作品に思えたので、次回は誰も死なない良い話を書こうと思います。

      著者
  • 投稿者 | 2022-01-27 23:23

    無意味、無縁、無益という言葉が氾濫し、悲観的なイメージが漂う作品ですが、これでもかというぐらいに孤独がよく描けていると感じました。また、孤独の果ての頓吉郎の行為が時事的な話題を想起させもします。
    真理とは何でしょうか。作中に「他人の思想をばかり生きてきたのだ」、「他人の思想を信じているふりをして、自らをさえそれを信じているように欺いて無益に過ごしてきた」とありますが、真理というものがあるとすればむしろ、自分がそうやって生きてきたということに得心することではないか、そんなことを思ったりもしました。

    • 投稿者 | 2022-01-28 23:49

      古戯都様、ご感想ありがとうございます。
      社交辞令というかご配慮というのはわかっているのですが、古戯都さんによく描けていると言われるのは光栄です。と同時に、自分ではそこまで深刻に書いた(書けた)つもりもなかったので、自分はちょっといま本当に病んでるのかもしれないなと思えてきました。次回は明るい話を書きたいと思います。

      著者
  • 投稿者 | 2022-01-28 16:44

    悪趣味ですねー(褒め)

    特に、最後の段落っていうか。あの部分悪趣味ですねー(褒めてます)。死んだ主人公の部屋の次の入居者の事なんていいじゃない!別にいいじゃない!(嬉々)そんなの別にいいじゃない!(褒めまくり)

    でも、ああやって書くんですよ。書くのがいいですね。素敵です。

    • 投稿者 | 2022-01-28 23:57

      小林様、ご感想ありがとうございます。
      自分も頓吉郎と同じで、まだ「これが俺や」というのを書けずにもがいております。なので毎度ちびちび小手先の手法の実験みたいな事をやって試行錯誤、というよりお茶を濁しております。小林さんみたいに少し読めばもうその人が書いたものとわかるような、そういうものを書けるようになれれば本望です。

      著者
  • 投稿者 | 2022-01-29 14:17

    とても良かったです。70歳を過ぎても中二病が直らない爺さんのああでもないこうでもないの独白がいやにリアルで、本当にこういう人が社会のあちこちにひっそり住んでいるんだろうなと思わされます。基本的に真面目な人なんだろうし志のある人なんだろうけど、これも「自己実現」の毒の犠牲者でしょうか。
    個人的には仏典の引用部分が大好きです。お経ってけっこうとんでもないことが書いてありますよね。それにしても法華経薬王品の一切衆生喜見菩薩は「香油」を12年間も飲んで油分を全身に充満させた後、焼身自殺を図るわけですが、ガソリンが香油代わりでは飲むわけにも行きませんし、頓吉郎は焼死さえさせてもらえず現実の寂しさがひしひしと身に染みたことでした。

    • 投稿者 | 2022-01-30 00:47

      大猫様、ご感想ありがとうございます。
      自分ではどうも厭世的なものになってしまったと落ち込んでいましたが、意外にも頓吉郎の人物像をリアルに感じられたというご感想を結構いただき、ちょっと喜んでおります。
      さすがは大猫さん、仏典にもおくわしいのですね。両方ご存じかもしれませんが、華厳経入法界品中の満足王のエピソードなどもなかなか面白かったです。二十世紀の独裁者たちにもこういう意義があったのだろうか的な。あと律の中の話ですが、提婆達多がお釈迦さんにみんなの前で面罵された時、怒りで周囲の塵が巻き上がったとかいう箇所があって、彼の暗い怒りを見事に表現してるなあと思ったことがあります。

      著者
      • 投稿者 | 2022-01-31 12:40

        ヨゴロウザ様
        華厳経まで読んでらっしゃるとは。素晴らしいです。
        私は法華経をちょっとかじったくらい。
        提婆達多のエピソードはいろいろありますが、爪に毒を塗って釈迦を殺そうとして自分が毒にやられるってのが大好きで、恋に狂った女(あるいは男)が、相手を道連れにするみたいな、エロティシズムすら感じますね。

  • 投稿者 | 2022-01-29 18:05

    拠り所を見つけようと探せも探せもどこか空時らしく感じてしまう。冷静になればなんてばからしいことをと思うことが私も暫しあります。虚無に取りつかれてしまっているんでしょうね。最後に他人を巻き込むことなく自死したのは清いです。

    • 投稿者 | 2022-01-30 01:49

      諏訪様、ご感想ありがとうございます。
      他人にも自分にもガソリンをぶっかけることなく、むしろその鬱屈や怒りをクリエイチブに利用したいものですね。そこでとりあえず長編など書こうかなと思っております。

      著者
  • 投稿者 | 2022-01-30 10:38

    自己を嗤う老人の目線が昭和の私小説っぽくてよいと思う。世間に向かって演説をぶってヤジられる場面は、イデオロギーは全然違うけど自決前の三島由紀夫みたいな悲壮さを感じされる。資本論や現代思潮社といったコテコテのディテールがどうしても左翼のステレオタイプにとどまっている印象を受けるので、政治活動や仏教で出会った人間との関係を盛り込むともっと奥行きのあるキャラクターになると思う。

    • 投稿者 | 2022-01-30 21:59

      Fujiki様、ご感想ありがとうございます。
      鈴木さんにも主人公の生活について突っ込まれましたが、学生運動やら仏教研究やらどんな感じだったのかを数行だけでも書いておくか、演説のところに挿んでおくかすれば良かったかなあとも思います。自分は手際よくまとめるという事が不得手なので、つい長く冗長になりすぎるのが怖かったところがあります。
      三島由紀夫がらみ?の話をしますと、今回のFujikiさんの御作は能の卒塔婆小町だなと思いましたが。

      著者
  • 投稿者 | 2022-01-30 23:55

    これはなかなかに強力な予言書なのでは思えました。最近流行りのガソリンを利用した自滅的犯罪になぞらえて、団塊の世代の寄辺のなさを端的に表現しているのではないかと感じました。実際にこのようなテンパり系犯罪は今後ますます増えてくると思います。巻き込まれないように気をつけて暮らしたいものです。団塊の世代が燃えたあとは、ぼくたち団塊ジュニアが控えています。団塊ジュニア世代より下は年金を受け取れない可能性が高いので、ますまずテンパり度が増します。ヤバいです。

    • 投稿者 | 2022-01-31 04:19

      波野様、ご感想ありがとうございます。
      珍しく波野さんに長い感想を頂けてなんだか嬉しく、それだけでも今回参加した甲斐があったというものです。学生運動やってたやつが警備会社に採用されんだろと突っ込まれるかと思ってました。
      わたくしもがっつり蛍光灯に属する世代であります。時代に取り残されないようがんばります。

      著者
      • 投稿者 | 2022-01-31 12:29

        横から失礼します。
        ご安心ください。学生運動家あがりで今は警備会社でアルバイトやってる知り合いがおります。60代70代の爺さんの過去など誰も知ろうともしませんが、それがまた頓吉郎の孤独なのかと思いました。

        • 投稿者 | 2022-01-31 22:00

          大猫さんありがとうございます! では結果オーライでしたね。書いた後にふと気が付いて、これは波野さんに言われるかとひやひやしておりました。雑な部分をきっちり指摘されてきましたので。けれど皆さんにそれだけ細かく丁寧に読んでいただけるのが有難いですし、他の方々への感想を読むだけでも学びになります。

          あの、ちゃんとZoomでの合評会に出席しなくてはいけないと思っているのですが、実は自分いま現在無職の「こどおじ」でございまして、居間で共有のPCを使っているような身分なのです。自分の肩身上の問題で出席はちょっと厳しいのです。たいへん失礼であると思うのですがそのぶんうるさくコメントいたしますのでご容赦下さればと思います。感想を下さる皆様にお見せして恥ずかしくないものを書けるよう精進しますので、次回もよろしくお願いします。

          著者
  • 編集者 | 2022-01-31 14:24

    2014年に新宿で反安倍を叫びながら焼身自殺を図った老人がいたことを思い起こしました。仏教には最近興味が湧いてきているので、こういった末路を辿らぬよう教訓として心に留めておきます。頓吉郎という名前はいいですね。最後の神視点で繋ぐ死に様シリーズで単行本化できます。

    • 投稿者 | 2022-01-31 22:24

      松尾様、ご感想ありがとうございます。
      死に様シリーズ……困った時はそれで書こうかと思います。ただ毎回人が死ぬものを提出しておりますので、次回は誰も死なないものを書きたいと思います。できればほっこり系で。

      著者
  • 編集者 | 2022-01-31 20:08

    良いコメントは皆が先にしてしまった。前に、似た様な老人を扱った「廃兵」という話を合評会に出したことがあるが、ヨゴロウザさんの作品の方がずっと現実的な末路だ……。やはりこれからこの様な人々が増えて来るのではないか。しかし、まあ、ほぼ即死なら良かったのではないか。

    • 投稿者 | 2022-01-31 22:30

      Juan様、ご感想ありがとうございます。
      『廃兵』、拝読しました。やはりご自分のテーマで一貫して書いておられるのだなと感じ入りました。自分は節操なく書いていて駄目です。自分の方が現実的など飛んでもないです。萩原恭次郎の死刑宣告は自分も持ってます。

      著者
  • 投稿者 | 2022-02-12 15:52

    (注)ヨゴロウザ様の「ある孤独死の風景」は、応募規定の枚数を守っていないため、選考対象にすべきではないと判断し講評を控えておりましたが、2022年1月の月間ランキング一位に選んでいただいた他たびたび週間ランキングなどで選出していただいている拙著「コールドエンジェル」についてヨゴロウザ様から「子供だまし」「安っぽい」「小説に本腰を入れていない」などと実に懇切親切なご指導を賜ったため、その返礼としてここに講評をしたためる次第であります。言い換えれば、売られたケンカは喜んで買いまっせ-、ということなんですがね(ww)。/若い頃に学生運動にかかわり、その後は独身のまま警備員としてさえない人生を送った主人公の男が仏教の本を読み返したことでなぜ焼身自殺を試みることになるのか、因果関係が全く不明であり、これではほとんどの読者を「はあ? 何で?」と困惑させることになってしまう。主人公に思い切った行動をさせるためには、作者が操り人形のように勝手に動かすことは許されず、一定割合以上の人たちが納得できる動機を用意することが鉄則。/主人公の視点による三人称スタイルで物語が進むのに、最後の最後で作者の視点に切り替っており、大手出版社主催のコンテストなら一次予選で確実に落とされるほどの反則であることを判っていない。一場面一視点の原則という最低限のルールをまずはちゃんと勉強してから合評会に参加することをお勧めしたい。/大手出版社で純文学を担当している編集者から直接話を聞いたことだが、版元が一番歓迎していないのに毎度毎度たくさん送られてきてうんざりするのが、この手のいわゆる「悩める主人公もの」。主人公がイケてない人生を振り返り、今後を悲観してもう死んでしまおうか、みたいな世界で、コンテストや持ち込みで原稿を送ってくれる当人たちは高尚な物語を書いたつもりでも、ほぼほぼ太宰や三島の劣化版でしかなく、下読みをしている編集者や書評家さんたちは陰で「クズネタ」と呼んであざ笑っている。ヨゴロウザ様、おかわいそうにそういう事情をご存じなかったようで、とてもイタいお方でらっしゃったのですねー。ウケるー。/みなさーん、でもヨゴロウザ様はこのまま終わるようなお方ではありません。次回の「ラジオ英会話」では必ずや、私たちを平伏させるような傑作を読ませてくださるに違いないのでお楽しみに。もちん私も投稿するので、どちらが「小説に本腰を入れているか」ご判定くださいませー。

    • 投稿者 | 2022-02-12 22:48

      小木田様、ご感想ありがとうございます。
      なのですが、わざわざわたくし宛に書かれた文章の中に『実力のない者同士が傷をなめ合うような気持ちの悪い「ほめ合い」なんてつまんねえぜ。破滅派を活性化するために俺たちが立ち上がってやろうじゃねえか。』などとありましたが、自分の方ではそういう事をするつもりは全く無く、自分までそんな考えを持っているかのように書かれるのは迷惑ですのでああいうのはやめて頂きたく思います。
      ご活躍お祈り申し上げます。

      著者
  • 投稿者 | 2022-02-13 17:11

     ヨゴロウザ様、それはないんじゃないですかー。
     破滅派ではもそも 「合評会とは、それぞれの書いた作品を持ち寄ってお互いに批評し合うことです。目的は同人相互の実力向上と破滅派コミュニティの活性化です。」 と定義されてるんですよ。批評する気もない、活性化させるつもりもないとおっしゃるのであれば、なぜご参加されているのでしょうか。もしかしたらもっと崇高な理想を目指しておられて、私なんぞが理解が及ばない境地にいらっしゃるのかしら。あるいは、私の下品なコメントがお気に障って、ご体調でも悪くされましたか? 心配ですー。
     

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