◇
1. 《 ヤツリーダム 》 の物語
1-0. 僭称する《神》
主界神〈ティアスラァル〉は〈何もせぬ神〉と呼ばれた。
そのため《泥球界》ティカーセラスは無法の世界であった。
いさめる者がなきゆえ、好き勝手に外界より侵入し来たった精霊たち妖霊たち魔霊たち、
また力ある悪霊たちまでが、自由に往来し、放縦のかぎりをつくした。
しかしながら咎める者なき無秩序。
それはむしろつまらなかった。
放霊たちは法なき世界にすぐ飽いた。
やがて、最も力ある者、妖しく光り輝く者が、
自らを〈太陽神〉と号し、
より弱き者らを従え、脅かした。
「力ある者の専横こそが、唯一の法である。」と
〈太陽神〉は宣した。
これが《泥球界》での、初めの掟となった。
1-1. 「ヤ・ツリーダム!」
この僭称王たる〈太陽神〉は、いまだ格低き「姿ある神」であった。
肉性を好み、暴政を嗜虐した。
ある時、気まぐれにひとつの小さな水の精に目をとめ犯した。
泣き叫びながら犯された水の精はやがて一群れの卵を産んだ。
卵から生まれ出た仔らは
細長く小さく平たいぶかっこうな体に
平たい四ツ足と、
太く短い尾を持つ姿で、
肌の色は茶まだらで醜く、
弱く、歯も牙も、爪さえ持たず、
のたのたと無様に地を這うばかりであった。
「ヤ・ツリーダム!」(なんと醜い!)
〈太陽神〉はひとこと吐き捨てると、哭きむせぶ水の精をも見捨てて去った。
それがこの仔らの、最初の名前となった。
1-2. 〈水霊母〉
水の精は困り果てた。
幾万となく生まれた卵塊から孵ったばかりの醜き仔らが、
まもなく次々と苦しみもがき、死に絶え始めたのである。
母は水の精であるがゆえに
泥水の海の底の底の底で卵を産み護り孵したが、
生まれ出た仔らは空の者である太陽神に似て、
水の中に長く居ることはかなわぬ存在だった。
母は大慌てで口から大いなる泡を吐き、
泡の中に生き残った幾千かの仔らをくるんで、
大慌てで海の上の、空とのあわいにまで持ち上げた。
ところが仔らは水面に浮いて泳ぐことさえ長くは出来ぬのだった。
次々と、もがき溺れ死ぬ様を見た母は
大慌てでまた海の底の底へ戻り、
泣きむせび平伏嘆願して、
弱き仲間らのかぎりある力を全て借り集め、
海の底の底から泥と岩をこねあげ押し上げて突き固め、
なんとか仔らを載せる、小さな陸の揺籃を造った。
この深く強い母の愛の功徳をもって、
名もなく小さな水の精であった者は〈力ある水の霊〉となり、
これより後〈水霊母〉と呼ばれた。
1-3. 剥奪
ところが水の中からようやくに出た生き残りの幾百かの仔らは、
空気のなかでは肌が乾いて、ひび割れて次々に死んでしまうのだった。
地の上にあがれぬ母は水辺から身を乗り出して涙を落とし、
弱き小さき仔らの肌を護った。
眠る暇さえ惜しんだ。
それを遠くから見かねた父なる〈太陽神〉が再び襲い来た。
「来い。それよりはマシな子種を仕込んでやろうぞ!」
母は哭き叫びながら力づくで連れ去られた。
飢え乾く幾十匹かの仔らだけが残された。
1-4. 〈いちばん強い〉と〈いちばん大きい〉
空は無慈悲に乾き、天は無慈悲に照らした。
みるみるうちに乾いてゆく泥溜まりの底の底に
とり残された仔らは身を寄せ合った。
〈いちばん大きい〉と呼ばれる《グェップロップ》は仲間たちと声をかけあった。
「小さいやつを中に入れてやれ。
弱いやつは真ん中に入れてやれ!」
干乾びてゆく浅い泥水の底の底を掘り、
小さく弱いものらを中に沈めて、
大きいものらは交代で外に出て、
奪われた母の代わりに
短い尾の先で、
弱いものたちの背なや頭に、
ぱしゃぱしゃと必死で泥をかけやるのであった。
やがて、もう自分たち全てが入れるほどの
泥の大きさは残っていないと気付いた
〈いちばん強い〉《グェップラップ》が言った。
「おれは、母を取り戻せぬか、見て来る。」
沼辺のふちの高い崖を乗り越え、
固く乾いた岩漠の果てに、
彼は姿を消した。
〈いちばん大きい〉 兄弟《グェップロップ》は、
その大いなる姿で
小さく弱いものたちに日陰を造ってやりながら、
去ってゆく《グェップラップ》を、
ただ、哀しく見送るしかなかった。
1-5. 〈いちばん弱い〉と〈いちばん小さい〉
泣き叫び嫌がり逆らう《水霊母》をふたたび無理矢理に犯し
二度目の卵を孕ませてはみたが、
怒り狂い威嚇し、必死に拒絶するだけの女霊を
ただいたぶるにも、すぐ飽いて、
媚びへつらう美しい笑顔の他の女精たちに、
〈太陽神〉は気をうつした。
そのすきをついて逃げ出した母が、ようやく戻った。
その時。
累々と固まる干乾びた《ヤツリーダム》たちの
無惨な遺骸の山のかたすみ、
かろうじて生きて残されていたのは、
息絶えた兄姉らによって真ん中に入れられ、
むくろの山の日陰に護られていた、
〈いちばん小さい〉と〈いちばん弱い〉の
末の弟妹だけだった。
二匹は喪われた兄姉の遺骸の肉をはみ、
血膿まじりの泥をのみ、
もはや流す涙すらなく、
ただかろうじて震えながら息をしていた。
その眼は虚無だった。
母は哭き伏しのたうち、
ただひたすらに〈太陽神〉を怨み、呪った。
1-6. 《 月女神 》
その母の血涙の慟哭の、
世の涯てまでもと叫ぶ悲嘆を聞き及び、
ようやくに上つ界より正義なる神〈レリナルディアイム〉が、
低く醜き《泥球界》まで
降りて来たった。
白銀に光る長い髪に
銀に光る鋭い瞳の
怜悧なる上界女神は宣した。
「〈太陽神〉と名乗る者。
おのが身分をわきまえるがよい。
この界のあるじは〈なにもせぬ神〉ティアスラァル。ただ一柱のみである。」
これがこの界における二度目の掟となった。
僭称神とその眷属らは怖じ恐れ、捨て科白を吐き捨てると、疾く去った。
◇
残されたのは水霊母が二度目に産んだ、
哀れな卵塊の仔らのみであった。
この仔らはやはり海に泳げず空も飛べない、
父神に似ず翼なき姿の、
二足二腕のみの不具の姿であったが、
すでに心を病んだ水霊母は、
この仔らを、かえりみることはなかった。
1-7. 〈慨嘆の一族〉
〈いちばん小さい〉ガップレップと
〈いちばん弱い〉ガップヤップの
弟妹は、
哀れにおもった上界月女神にまもられて
《涙滴大陸》の湿気た沼地の
穏やかな淵に棲まうこととなり、
やがて夫婦となり、卵を産んだ。
生まれた新しい仔らの産声にひかれて
姿をあらわした《水霊母》は、
喪われた古き仔らに生き写しのその姿に魂を傷め、
「ヤ・チーダム!」(なんて可哀想な!)と叫んだ。
それが彼らの二度目の名前となった。
◇
哀しみのあまり姿を隠した《水霊母》は
深く深く海の苦しみの底の底に身を沈めたまま、
長く長く仔らの安寧を願いながらも、
天と太陽を呪い続けた。
◇
"『 水 の 大 陸 』 … ヤツリーダムの物語 …"へのコメント 0件