主演の殺し人形

TURA

小説

6,645文字

殺し人形は、心臓部に形成される主体と全く同形態の人形及び、それらを発生させるこの地特有の現象のことを指す。おそらくは、生態系のバランスを傾ける食性を持つ生物を、間引く為の効能であると考えられる。

ここのところ毎日の様に、複製された日々を送っている。

複製、複製、複製。恐らく、複製の本質的な目的は、原本喪失の予防だと思う。スペアキーやら美術品などなど、失くしちゃ困るもんを増やしておくんだ。形状情報、価値情報、そこから得ることのできるものが同じなら、原本だろうと副本だろうと構わないわけだ。

僕の日々もそうだ。僕がそれを望んでいない事を除けば、同じ様なもんだ。相も変わらず、昨日と同じ今日。きっと明日も、今日と同じなんだろう。

それなら一体、僕の過ごしたどの一日が原本なのだろう。楽観と悲観の隙間でそんな風に考えた。ただ、原本を探り当て、破壊したところで、複製された日々は無数にあって、それ自体が増殖していく。

そんなこんなで虚日の増殖の食い止めを諦めて以来、僕が夢中になったことは、複製不能なものの存在、その探索だった。そんな訳で様々思いを巡らせたけど、難しく考える必要はないことにも思い当たった。

例えばほら、あの月だ。僕はぼうっと丸い月を見つめた。黄色なのか、金色なのか、答えはいつも違う。あの美しい衛星を複製するなんて、掌握にすらまごつく人類の手で到底為せるもんか。

最近、そうやって月を見上げて、無為な時間を過ごすことがある。すると、こんなにもまん丸だったんだと驚く。何処かの保守的な芸術家が作ったんじゃ無いかと錯覚を覚える程、人工的に丸い。まるで淡い舞台照明の電球のよう。願わくば、豆電球にだけ暴くことの出来る物語があってくれ。そうやって月明かりの下、僕は夜を這いずる。

不気味さと感銘を両手に、僕は月を眺めた。

忙しない生活に追われる中、こんなものがいつでも頭上に掲げられているんだと、酔う様な、醒める様な気分になった。

やがて僕は、月を色々と物色し始めた、狡っからい別の動機に気が付いた。それは、今目に見えるものの中で、一番遠くて、そこに憧れているからだ。──ああ、曇りってことで、星のことは考えないことにして欲しい。ここから一番遠いなら、今近くにある嫌なものの影響が、一番薄いとそう思うんだ。

あんな所まで行けたら、諸々のくだらないことなんて、下界の酔狂だと笑えるのにな。

そんな何より馬鹿げた、与太な事で、月が近い。僕はそんな風に、この両の足を吸い付ける地球の陰口を叩きながら、複製不能ってことで、憧れてもいるのさ。

まあでも実際には、月が近く見えるのは、この場所が山の上にあるからだ。

なぜ僕が、月が出ている様な時間帯に山の上にいるかと言うと、複製不能物の探索に加えて不可解極まりない、苦々しい事情もある。

ひとまずそれは置いておくとして、僕の目の前に泰然として立ち尽くしている廃墟の話をしよう。

この建物を見てくれ。1990年代、バブルの熱気に煽られ、莫大な公金を注ぎ込み、この大掛かりな箱は建てられた。ヨーロピアンと、更に時代を遡ったヘレニズムさえ感じさせる造りのこのホテルは、素っ頓狂で場違いなジョークのように、山の上に寒々と尖っている。

括りとしては、どうやらリゾートホテルらしい。一体、この地域の、何処をどう使って保養を促すというのかは知らないけど、あの汚い海か、岩肌の露出した色気の無い丘を一望するらしい。

ともかく、この地域の観光の要所として、経済復興の期待を担ったに違いない。しかし時機は味方せず、着工からしばらくしてバブルが崩壊。日本経済はドミノ倒しの様に順当にこけていき、関連団体が資金繰り不能に陥った結果、完成前に閉鎖されるという結末を見たわけだ。ちなみに着工のことを調べてみると、僕の生まれ年と同じ年に、運用が開始される予定だったらしい。

そんな、時流の冬に立ち枯れたこの豪華な建物は、自然の循環にも混ざれず、時代の潮流にも乗れず、ただ生まれたままの姿を晒してそこに干涸びている、皺とシミだらけの赤ん坊に見えた。

僕はホテルの背景を埋める、200mそこそこの低い丘陵を眺めた。ただひたすらに黒ずんだ白い壁、割れた窓ガラス。

誰もが見た夢の死骸。みんなが共同で失くしたあの時代の、象徴の様な代物だった。

そんな、時代の狭間で死産されたこの廃墟の前に立っている僕はというと、やっぱり移り変わる時代の狭間にいる。デジタル、グローバル、ダイバーシティ。

翻弄された。僕の人生を一言で言うなら、そんな風に言い投げることができる。失われた10年、震災。冬に次ぐ冬、その上で、この激動だ。

まあ、それはそれで、納得はしてるんだ。するしかない。頭ではよく分かっている。遠足の日に降る雨は、誰のせいでも無い。

それでも、金曜日のPM6時きっかりに死に絶え、亡霊となって土日を彷徨い、月曜日のAM6にゾンビのように墓場から這い上がる生活は、無い気骨が、擦り減っていくようだった。

なら、どうしたらいいんだ。

そんな、どこでどうしたらいいか分からない鬱屈を持て余し続けた結果、この廃墟という最悪の行き止まりの前に、例の欲求を携えて、転がり込んだわけだ。そうそう、この廃ホテルもまた、複製など出来ない。いや、しても仕方が無い。

時計を見ると、深夜2時丁度。昨日の仕事での失敗をまだ引きずっている。実のところ、今回の乱行の主因はこれなのかも知れない。終わった昨日が地縛霊になって、今日に張り付いているようだった。日々の複製のちょっとした失敗か。

イヤホンを外す。

さあ行こう。寝静まる様な時間帯も、休息を求める体も関係無い。どうせ、いつまでも何かを待っているかのように、眠れやしないんだ。

 

廃ホテルの裏手に、こじ開けられた扉を発見した僕は、苔蒸した床を歩いていった。従業員用と思しき狭い通路や、幾つかの、数段の階段を抜けると、大広間に出た。懐中電灯の光線が、遠くの方で光だまりを作った。ほぼ全面にわたる剥き出しのコンクリートには、落書きや風雨による侵食が点在していて、配管や天井照明の骨組みも、一様に古くなっている。そこにはホテルらしき面影はどこにもなかった。

孤独がぎゅうぎゅうに詰め込まれた廃墟。この深夜、誰もが夢の中で明日を待っている中、僕はこんな所で明日の背を、追いかけている。

僕は仕方がないから、当てもなく歩き回った。

バージンロードを花嫁が歩くかのように、自分にはふさわしいと思った。

コンクリートの壁を撫でる。汚くて、危険で、実用性が無い。まるで、現代社会が拒絶したものが全てここに集っているかの様じゃないか。複製不能というより、複製不要な代物だった。

孤独は寒い。人間というのは、36.5°cの発熱機だ。ここには誰もいないのさ。初秋だとしても、肌寒い。幽霊が出る程の、熱すら感じない。

広間から伸びる階段を上がり、吹き抜けを見下ろす。昔、麓に居たらしい暴走族の集会にでも使われていたんだろうか。この落書きの主たちは、今どうなっているだろう。

さあ、思った通りのがらんどうだ。滅んでいく意思以外、何一つありゃしない。それだけに帰れない。まだ歩こう。

2階を彷徨くと、突然広い空間に出た。やはり何も無い。構造から考えて、なんらかの商業施設が入るダイニングエリア、もしくは宴会場の様な場所だろう。これが半分の広さなら、侘しさは半分になるだろうか。

それからまた、シャッターに取り囲まれ入り組んだ通路を、進んでみた。

またしても、横長の何も無い空間に出たが、ここはなんだか、狭苦しい印象を与える。天井が低く、梁のH形鋼が迫ってくる様だ。ライトで照らすと、太い柱が等間隔に立っている。窓の方に、西洋風バルコニーが見えた。どうやらここは、壁の仕切りを施工する前の客室らしい。

懐中電灯を振り向けながら、丸く切り取られた円の中を探っていく。明るく照らし出されたその円はまるで円形劇場の舞台の様で、寒々しさは、尚も加速していった。

光の輪をスライドさせる。壁のシミ、工具、吹き込んだ葉。移り変わるキャスト。その中で、部屋の隅を照らした時に照明の下へと躍り出た、ある物体について、僕は驚いた。

ああ、あれは、殺し人形だ。

 

殺し人形。もちろんご存知だとは思うが、地理、民俗の知見に浅いぶっきらぼうな方にだけ、特に説明しておこう。

 

殺し人形は、心臓部に形成される主体と全く同形態の人形及び、それらを発生させるこの地特有の現象のことを指す。おそらくは、生態系のバランスを傾ける食性を持つ生物を、間引く為の効能であると考えられる。辞書的な説明をするとこんな感じだ。

この地の歴史を話すと、長い均衡と調和を保っていた当山間部において、ある時期を境に頂点にあたる捕食者が急減、その結果として、ある種の蛙がこの地の覇権を握ったわけだ。そんなことで増えすぎたカエルは、この地の昆虫類を食べ尽くしていった。

その生態系の崩壊を食い止めるために環境が変異した結果生まれたシステムが、この殺し人形だ。

ここの環境は、形状を記憶するんだ。風が、土が、何がどこにその情報を蓄積するのかは分からない。ともかく、生物のことを覚えてしまうらしいんだ。

人形形成には、一定の姿勢を断続継続問わず、一定期間とり続ける必要がある。おそらくは、冬眠と同じ程。そして、記憶の形成条件を満たすと、対象の在不在を問わず、記憶に基づいた人形の形成が始まる。

対象生物内の無機質(対象が不在なら空気、土中の成分)を消費し、形状の数十分の一サイズの、全く同型の人形を形成する。その位置は専ら心臓部に近くなる。当然、心臓及びその周辺器官は機能を停止し死に至る。それがこの土地特有の、循環機能の異常発達というか、まあ、進化らしいのだ。

この効果は、全生物、つまりは人間にも適応される。ただ、条件を満たすまでに正直かなりの日にちを要するし、人形が100%形成されるわけでも無い。だから、普通人の社会生活には影響は無いらしい。

なんせ形成途中に、必ず崩れてしまう。その代わり、崩れたミネラルの粉の清掃は、この土地の習慣として生活に織り込まれている。

具体的な対策を立てているのは、独自のマニュアルを用意している病院くらいのもんだ。

そう言えば、この地の呪いを知らずに越してきた、寝たきりの高齢者を一員に持つ家族の事故なんかは、世間に割と知られているな。まあ、ある民俗学者はこの変質環境は、むしろ人を勤勉にしたとかなんとか言ってるらしい。

そんなことで、この辺りの土には、朽ちた蛙や山鼠の中から、殺し人形が発掘されることがあり、マニアに人気を博している。ただ、大して芸術性の無い人形だから、好事家が見出した特殊な価値以上のものは無いのだという。

 

殺し人形の説明は以上だ。

突然現れた役者に、初めて目にするこの地の呪いに、ここへ来て初めて、好奇心を揺さぶられた。

この異物自体は、ただの色気のない人形だ。僕が惹かれたのは、言うまでもなくこの複製品が指し示す原本の存在だ。

僕には青年に見えた。カラスでも、カエルでも無い。項垂れて、地面に座り込んだ青年。細い腰や長髪から見て、若い男の子らしいことが分かった。

しばらく辺りを見回しても、死体はない。白骨死体の中に埋もれていないなら、彼は生きているらしいな。

長時間、ワンシーズンに渡る長い期間、ここで項垂れていた青年がいたってことになる。一体、何者だろうか。

ご存知の通り、ここは廃墟だ。

 

こんな自問自答を始めかけたけど、僕は仮説を立て、それを推し進めることにした。普通に考えて、実物には会えないだろう。

見つけたのは複製だ。つまりは単なる痕跡。ただ、痕跡には、面白いところもある。足跡は、必ず誰かへと繋がっている。学者の取り組む遺跡研究なんて、そういうもんなんだろ。

彼は、不登校の青年だ。麓にある中学、いや、高校だろう。ここで一体何をしていたんだろう。

そもそもここは、山の上だ。どうやって毎日ここまで?まさかここに住んでいたわけではないだろう。原付バイクだろうか。免許はあったんだろうか。

いや、そんなことはいい。重要なのは、何をしていたかだ。ここで何を失い、何を得たんだろう。ここには、今日を明日へとつなげる様なものは何も無いはずだ。

僕は、ハッとした。僕は、こんなにも、他人というものに関心を持った事が今まで無かった。それは、なんとなく察しがつくはずだ。なぜなら、人生につまずきかけた時に訪れている場所が、友を伴っての居酒屋でも、恋人と繰り出す街でもなく、山の上の廃墟なんだから。

今まで、嫌な人間に会いすぎた。それは多分、僕もまた同じ穴の狢だからだろう。これを認めるのにも随分時間がかかった。

色んなものを無視してきた。きっと他の誰かが愛してくれるだろうと高を括って。

僕は、彼のことをよく考えてみることにした。人形には色の濃淡は無く、ただ形態だけしか情報は無い。

しかし、いくつかのことは分かる。服装は判然としないが、厚着ではなさそうだ。下はジャージだろうか。おそらく、彼がここにいたのは春先から初夏のことだろう。片膝を立てて、地面に座り込んでいる。顔つきは、判断が難しい。ディティールに関しては、人形の上に再現されていない。しかし、全体のニュアンスとして、虚ろで伏し目がちなのは分かる。

場所は、例の汚い海の見える客室。設計者が意図したであろう景観の癒しを、孤独な彼がここで独り占めにしていた。彼だけを乗せ、彼だけを支えて、彼だけを取り残した。

この建物は、自分の為に建てられた様なものだと感じたに違いない。誰も訪れず、誰も出て行かない。これだけ立派なのに。誰もが忘れた廃ホテル。自分と同じ様に。誰も、自分の事を気にしやしない。立派な体がありながら、立派な名前がありながら、廃ホテルの様に持ち腐れた自分。

自分を鑑みるに、大したものを持っているように思う。人権章典に守られ、憲法に抱かれ、司法に保護された存在。なら、僕は一体何を守る?自分の知らないところで、全ては完了した。その、残り香の中を、彷徨う煙。消し炭に漂う煙。

希望を持ちたいほど絶望なんてしていないし、生きたいと願うほど、死にかけてもいない。何かが欲しいと思うほど、足りないわけでもない。何かを夢見るほどの、濃い現実が無い。

今この瞬間にも、誰かが僕の事を忘れていっている。

それはそうと彼だ。彼は世界を恨んでいただろうか。廃れた世界の中に出来た廃ホテル、の中に出来た廃物の様な自分、の中にできた殺し人形。僕は、勝手な妄想に惑いながら、その人形を手に取った。それを待っていたかの様に、掴む感触もなく、人形は崩れた。

上の階に上がってみることにした。彼が、そこに居るのではないかと期待して。

 

彼を見つけてみたい。僕の明日にとって、彼の行き先は、重要な意味を持つらしかった。

彼もまた、月を見上げていたのだろうか。

僕は堅牢な宝箱だ。盗賊なんて目じゃ無い。そうだ。僕たちはみんな、堅い堅い、宝箱になった。でも、そこに入れる宝自体はどこにもありゃしないじゃないか。省略でも婉曲でもなく、僕たちは宝箱を守っている。

誰もが自分の中に入れるに値する宝を探しているはずだ。彼は見つけたろうか。

連鎖して増殖していく妄想には、意味なんか無い。

初めから答えは出ていた。複製出来ないものなんて、分かっていた。

場所も時間帯も忘れ、僕は、勢い付いていた。

階段を踏み締める。コンクリートの平板で無機な感触が、足の裏から伝わってくる。

取り残されたくせに、何かを待っている僕を尻目に、階段は上へと伸びている。

今までの計算は、全てを知っている。後はいつでもイコールで結べば、実にくだらない答えが、導き出されるはずだ。過去の痕跡が僕を掴んで、どこにも行くことはできない。そうだ。殺し人形の様に。それを振り解こうと、階段を上がる。

僕は、高さ以外、全く同じ造りが成された一つ上の階に上がってきた。懐中電灯の光を当てる。彼は居ない。

彼は、殺し人形から逃れた。彼を決して殺してはいない。人形は、彼を転々と追いかけ続けても、彼には追いつかない。主役にはなれないんだ。

僕は懐中電灯を消し、バルコニーから空を見上げた。高い。地上と同じ様な月が出ていた。

さっきよりも、何故だか、遥かに近く見えた。あれは死だと思った。

改めて地面を照らす。充分だった。充分に近い、高さだった。

彼の人形は居た。バルコニーの柵の上部に、彼の人形は引っ掛かっていた。ただじっとりと地面を見つめて。

照らし出された月の光の中で、彼の人形は、自分の落下した跡を静かに眺めていた。

2023年1月23日公開

© 2023 TURA

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