冷酷者

地獄に寄り道、曲がり角(第1話)

TURA

小説

2,603文字

物語の鍵と錠前を握る、冷酷者たる男の日記。

2021/12/23  焼け付いた夢
また、あの夢を見た。火を放った夜は、必ずあの夢を見る。花びらの跳ねる、花林の様なあの夢だ。太陽の目を盗んで咲かせた真夜中の花。このまま無防備に腐らせるのは惜しいから、日記に押し花として保存しておくことにしよう。

感情の無計画な貯蔵は、良くない。己が作家でもない限り。紙に向けて思いを打ち明ける事、感情の帳簿をつける事は、健康にも、自己理解にも、重要な事だ。胃も痛めないで済む。出来る限り細かく、思い出してみよう。細部と些事を取り違えない繊細さこそ、世を乗り切る帆となる。

あいも変わらず私は目玉だった。あの、宙に浮いた二つの目玉。眼窩の制約も、視神経の使役も受けない、純粋な目玉。天候はやはり、赤い空と黒い雲。頭蓋骨から自由になった私は、全てを置いてけぼりにして街を彷徨った。とぼとぼと、無い足で歩く。私は、建物に目がいく。私にとり、街とは家屋の集合体らしい。そうだ。家の一つ一つに、一体一体、骸骨が守衛の様に立っていた。あの洒落た南欧風にも、趣向を凝らしたこの現代建築にも、一棟一棟、肉と皮をひん剥かれた骸骨が併立している。私は、骸骨たちの中を進んだ。骸骨は一様に、無い背筋を伸ばし庭や玄関先に聳えている。そのうち、指を差している骸骨に出会う。街を流れていると、ごく稀にあるのだ、指を差す骸骨が。己が寄り添っている家屋に向かって、指先を振り向けている。

連中は、使命に燃えていた。その顔には(まあ、顔と言えるのかは分からないが)もちろん何の表情もない。しかし、その漲りは、死体の顔よりは幾分か豊満だった。表情筋に依存しない表情が確かにあった。

そして今回の骸骨。彼の指の、末節骨の先には、あの木造の家だ。これは、提示なのか、命令なのか。或いは。

私は、骸骨を見た。宙に浮いた目玉は、骸骨に見惚れた。なぜかは分からない。なぜかは分からないが、もしかすると、目玉にとって骸骨は憧れだったからかもしれない。ともかく、目玉の私はは家屋のそばに、骸骨を認めた。私は、全身に(つまり眼球に)力を入れた。しばらくすると、涙が溢れてきた。涙は玄関庇を支える古い化粧柱に流れた。涙は柱を舐める様にして垂れていく。すると、雫の跡が、すぐに燻り始めた。パチパチと音を立て、煙に変わり出す。粘度の高い、私の眼から滲出する引火性の涙。そのうち家が燃え上がり始めると、骸骨は任を解かれた様に家屋を離れ、どこかへ歩いていった。

私は、他人事のように、かつ取り憑かれたようにぼうっと炎を眺めた。音が聞こえなかったのは、耳が無いせいではない。

そうして、私は炎上を眺めたが、目玉の姿で放火をし、炎の虜になるたびにやってくるものがあった。どこからかやってきて、目の前を横断する、髑髏の行進だ。さっきまで街にいた骸骨達なのか。それは分からない。ともかく行列。今回も例に漏れずやって来た。どこからきて、どこへ行くのか。一様にガチャガチャと音を立て、一列にどこかへ向かっている。

私は、そこへ加わろうとする。その行列に。頭蓋骨の中央上部、闇の広がる眼窩を目掛けて、駆ける。どこでもいいから入れてくれ。出ない声をあげ、無い手足をもがく。それでもやはり、追いつけはしない。

そして、最後尾の骸骨が、声帯も舌もないくせに尋ねてきた。

「まだ来ないのか。」

「もう少しいる。」

私は顎すら無いくせに、悔し紛れにそう答える。

私は諦めて炎を眺めた。目玉が干上がるように熱い。涙は使い切ってしまった。私は、耐えられず、瞬きをする。

そうして、目を覚ました。

一体何の夢だろう。私の願望か、それとも恐怖なのか。何の暗喩か、象徴か。毎度毎度、さっぱり分からない。恐らく分からない限り、この夢を見続けるだろうと思う。

ともあれ炎だ。炎は、育っていく。或いは感染していく。家屋自体、己を存在させる場それ自体を糧にして。炎はそのままでは居られない。環境を覆い尽くすまで、可能性の極限まで広がり続ける。拡大する個。まるで、地球という惑星に着火された、人類の様に。

おお、あの火だ。思い返しても未だ脳裏で燃え上がる炎。なぜ、炎はあんなにも美しいのか。いつだったか、この感受性はどこに由来するのか分析してみたこともあった。まるで火災の中、被災者を探す消防士のように。心理学とやらの力を借りて。しかし、無駄だった。精神に関する学問はやはり、普遍を突くことをその本旨としている。私の様な突端には、何の効力もないらしい。

どうやら医者共は、精神医学で人間を踏破出来ると思い込んでいる。なるほど製図は上手くなる。しかし、建築など決して出来やしない。種には、果実の絶対的根拠は無い。果実は、種の矮小さなど破棄してしまうからこそ美しい。

司法も、医学も、いかなるセキュリティーも、異端や異常には呆然としているだけだ。一体誰が、隕石になど備えている。予想されない物事は、防ぐのが難しい。物理的に考えて、強盗よりも殺人の方が難易度の低いのと同じことだ。

私は、難問だ。公式や方程式はまるで通じない。

その、異端として生きざるを得なかった私はなぜ、炎を好むのか。答えなどとうに出ている。私だからだ。結局その結論を回避することは出来ない。それでいい。なぜ女を好むのかと聞かれれば、男だからだ、と答えておくしかない。同じ事さ。その簡潔さのおかげで、とうに妥協点は見つけている。

しかしそれだけに、私自身、身の扱いに、些か困る。いかに私が簡潔に己を認めようと、他者までそうだとは限らない。その簡潔さを含んだ難問という難解さが、私の精神の拡大を促したこともまた、否めない。

分かり難いことだ。

それに引き換え最近読んだ本は、違った意味で中々読み進み難いものだった。ただの表皮のような、皮膚のような文章だった。それも、化粧仕込みの。血の滴る内臓の如き文章こそ、本質なのに。グロテスクとは如何なるものだろうか。私はもっと、疲弊したい。

利き手だけで駆けるこの言葉の街道も、そろそろ終わりにしよう。この益体もない散文がどこへ向かおうと、最後の句点はここに決まっている。最後には、運んで来た句点をここに落として終わる。

この丸をどこに持って行こうか。私はそればかり考えている句点の運び屋。書き終わるまで、納得のいく場所へ、どこかの穴へ、この空白の玉を運び続ける。

目玉がいつの日か、骸骨にはめ込まれる日を夢見ているのと同じように。

2022年4月29日公開

作品集『地獄に寄り道、曲がり角』第1話 (全9話)

© 2022 TURA

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