お正月。
浅草橋・銀杏岡八幡神社はまことに平和です。まだコロナ禍は収まらぬものの、初詣はまずまずの入りで、じゃらじゃらお賽銭の音が絶えませんし、酒やお餅やお菓子やらのお供え物もばっちりで、銀杏八幡様こと誉田別命は大喜び。同じ境内の此葉稲荷神社のカンちゃん、キンちゃん、コンちゃんの狐三兄弟も嬉しそうです。
三日の深夜、参拝客もいなくなり、本殿では八幡様がお供え物の酒を一升瓶ごとあおって、ごろりと横になっていびきをかきはじめました。周りには酒のつまみのお餅のかけらだのリンゴの芯やらが打っちゃられております。それを兄のカンちゃんと妹のキンちゃんがブツブツ言いながら片付けています。
「やれやれ汚い食い方だなあ」
「ほらそこ、バナナの皮があるから気を付けてよ」
「さっさと捨てなきゃ。八幡様、滑って転んだことがあったよね」
「自分で滑っても他神のせいにするんだから」
カンちゃんがバナナの皮をつまみ上げると、下から何かが転がり出ました。小さなボールみたいなもので、キンちゃんが拾い上げようとすると、スーッと抜けてコロコロ転がりピタリと止まります。それを拾おうとすればまたまた逃げるように転がるのです。
「さてはコンちゃんだな。何してるの?」
するとボールから元気な声がします。
「これね、アボカドの種だよ」
末の弟のコンちゃんは遊びたい盛り。まん丸いアボカドの種に乗り移って社殿の床を転がり回って遊んでいたのです。
「へえアボカド? そんなものがお供えにあったかしら?」
フルーツの籠に入ってたよ。八幡様ったらリンゴもメロンもアボカドも一緒くたに食べちゃって、種だけ吐き出したの」
などと喋っていると、八幡様がむっくり起き上がります。
「ああ喉渇いた。酒が甘すぎたな。熱燗用のを冷やで飲んじまった」
言いながら水を探して立ち上がった足元に、コンちゃんのアボカドの種がコロコロ……八幡様、足を取られてすっ転び、ズズンと盛大な音を立てて尻餅をつきました。衝撃で本殿がぐらぐら揺れ、正面の鈴がカランカラン鳴り出すほどです。
「ちきしょう、なんだ、こりゃ!」
足元の球体を引っ掴んでみれば、ケラケラ笑うコンちゃんの声が。
「キャハハハ! 八幡様、飲み過ぎ!」
「コンの野郎か。神をからかうとはふてえ奴め!」
たちまち八幡様の周りにバチバチと火花が散り始めました。それを見てカンちゃんとキンちゃん、大慌て。
「雷落とすのはやめてください、前にバナナの皮に雷落として、社殿ごと燃えちゃったじゃないですか」
「うるせえっ、神罰食らわしてやる!」
怒鳴ってはみたものの、怒りに任せて雷を落として神社が丸焼けになっても困ります。それを見透かしたようにアボカドのコンちゃんはケタケタ笑うのをやめません。さあ八幡様、怒りで冠を被った髪は逆立ち、顔は真っ赤っか、大きなギョロ眼が耳まで裂けてビカビカ光ります。
「この、バカ狐めえっ!」
言いながら野球のピッチャーよろしく右腕を振り回すと、アボカドの種を思い切りぶん投げます。コンちゃん、きゃーっ、と叫び声を上げて、本殿の壁をぶち破って飛んで行ってしまいました。
そもそも八幡様は、源氏や平氏など武家の尊崇を集めた戦神で、腕っぷしは八百万神の中でもトップクラスです。かたやコンちゃんは子供とは言え稲荷神の化身で、風よりも速く空を飛ぶのです。小さなアボカドの種は、この二柱の神力を宿して飛んだものですからもうたまりません。
神社近隣のビルをぶち抜き、神田川を越え、人形町の甘酒屋をひっくり返し、水天宮の屋根をぶっ壊し、さらに永代橋の鉄橋をなぎ倒したところで、やや右にカーブし、もんじゃ屋が立ち並ぶ月島の街を破壊しながら通り抜け、晴海トリトンスクエアを貫通してもまだ勢いは止まらず、南下して有明アリーナを突き破り、東京ビッグサイトのガラス窓をたたき割り、埠頭に立ち並ぶ倉庫を穴ぼこだらけにして羽田空港に至り、各国の飛行機のどてっ腹に次々を穴を空けたあげく、ようやく第二ターミナルビルの展望デッキのガラス窓にめり込んで止まりました。
さすがのコンちゃんも力尽き、ヘロヘロになってアボカドの種から抜け出すと、コンクリートの地面にバッタリと倒れてしまいました。本性を現した子狐の身体は傷だらけです。このままでは命も危うかったところ、幸いにも近所の羽田穴守稲荷神社の狐が通りかかって救助されました。
一夜明けて人間界は大騒ぎです。東京の東半分を縦断する謎の貫通痕に、さては北朝鮮の攻撃かそれとも隕石かとテレビで大々的に放映されるし、警察では特別捜査本部が設置されるしで、八百万の神様界でも何事かと調査に乗り出す気配です。慌てた八幡様は急遽八幡連絡会を招集しました。これは全国四万社以上ある八幡神社に住んでいるそれぞれの八幡神を一堂に集める会議で、よほどのことがなければ開かれません。
「銀杏八幡のバカめが、何しよんのかのぉ。しんけんよだきい騒ぎになっちょんなえ。幸い死人は出らんやったけど、被害総額は百兆円やったわい」
と司会進行役の宇佐八幡宮の八幡様が口火を切りますと、続いて鶴岡八幡宮の八幡様が文句を言います。
「あにやってんだよ、稲荷の子供のいたずらだからってやりすぎじゃん」
「じゃっどな、どげんしたもんじゃろかい。稲荷に詫びを入れもんそ」
鹿児島神宮の八幡様が腕組みをしますと、富岡八幡宮の八幡様が横から口を出します。
「そりゃべらぼうだ。稲荷が悪りいんだろ、なんで他神の肩持つんだよ、さてはよそもんが紛れてんじゃねえのか」
それを聞いて四万柱の八幡様が一斉にざわめきます。
「よそ者とな!」
「でりゃあやべえでかんわ、天機が漏れてまう」
「ばかこくでね。こごには身内しかいねが」
騒ぎを宇佐八幡様が片手を上げて制します。
「確認するけん、合体するで!」
あら不思議、四万の八幡様が瞬時に一人になってしまいました。もともと八幡神はただ一柱の神様で雲井の上に住んでいたのですが、人口が増え、日本中に数万もの八幡神社が建設されるに及び、いちいち降臨していては面倒だと、分霊の術を使ってそれぞれの神社に住み着くようになったのです。長年住んでいるうちに土地土地の言葉まで染みついてしまったというわけ。
「うん、よそもんはおらんごたるけん、戻るで」
「散!」の一言で、またまた八幡様が四万柱に分かれます。
さて、よそ者はいないことを確かめてホッとした八幡様たち、誰もが正月疲れが抜けていないし、元来がずぼらな性格でもあり、なんとなくまあいいかという雰囲気になります。
「もともと稲荷の子が悪さをしたけん、こげんことになっちょる。死人も出ちょらんし、まあええんじゃなかろうかのう」
「ビルやら橋やらこじゃんとちゃがまってしもたけんど、人間どもが直しよるぜよ」
「んだ、んだ、これで終めえにすっぺ」
それでは帰ろうかとがやがやし始めたその時、
「お待ち!」
と甲高い声が轟き渡り、たちまちあたりに白煙が立ち込め、中から黒髪豊かな女神様が現れます。あっ、と驚く八幡様たち。これなん宇迦之御魂神すなわち全国のお稲荷さんの総元締め、伏見稲荷大社の稲荷大明神様です。
「八幡さん、いやさ誉田別はん、うっとこの大事の子に何をしやすねん。死ぬとこやったで!」
懐にはぐったりした子狐を抱えております。それを遠目に見た銀杏八幡様、
「コンがそう簡単に死ぬわけねえよ。だいたいそいつが先に仕掛けてきたから」
「お黙りっ!」
稲荷大明神様の大音声に四万柱の八幡様は一斉に首を引っ込めます。
「生まれてたかだか二、三百年の小っさい子にムキにならはるのがアホや。きょうび子供の狐はなかなかおらんのどす。うちさえ小言もよう言わんのに、ようもまあこないな目に遭わしてくれましたな。さ、落とし前つけてもらいまひょ」
恐れをなした八幡様たちはどうしたものかと話し合いますが、わいわいがやがややっているだけで全然話が進みません。稲荷大明神様はしびれを切らしてしまいます。
「アホくさ、あんたらほんまは一柱やろ? 一柱で喋りよし。合体!」
戦神の悲しさで号令には瞬時に反応してしまう八幡様です。たちまちシューッ、と音を立て、稲荷大明神様の身体に入り込んでくるではありませんか。
「おお、女神と合体するのは何百年ぶりか……」
「あっ、誰がうちと合体せえ言うた……何をしやはんねん……どこ触っとるのや、ドアホ! こら、誉田別はん、ホンダワケ、このクソダワケ! 出て行き、散、散、散!」
「むむ、柔らかくて良い匂いじゃ。これは離れがたい」
のらりくらり、八幡様はなかなか出て行きません。激怒した女神様、
「そういうことなら銀杏八幡さんの敷地は没収、此葉稲荷を主神にするよう、十月の神議で取り上げてもらいますさかいにそのおつもりで」
途端にぱっと八幡様は元に戻りました。皆、神妙な面持ちです。銀杏岡八幡神社は貧乏とは言え、東京の浅草橋駅前の一等地に建っています。手放したくはありません。そうなると話は早いもので、一同、女神様に詫びを入れ、主犯の銀杏八幡は人間に姿を変えて壊した街の修復をすること、二度とコンちゃんを虐待しないことなどを約束したのです。
「ほな、せいぜいおきばりやす」
八幡様たちはやれやれとばかりに地元へ帰って行きました。一柱、労役に就くことになった銀杏八幡様は不服顔ですが、仕方なく現場に出向いて普請に取り掛かります。しかしちょっと難しそうな現場に入ると、
「合体!」
と号令をかけて一点集中で乗り切ろうとします。そう、元々は一柱の身なので、四万柱の誰が号令しても合体せざるを得ないのです。全国の八幡様はたびたび出動させられるものですからこれはたまらんと、全員で工事現場に散って働き、三日ほどで被害を復旧しました。
コンちゃんは伏見稲荷で養生し、すっかり元気になって戻って来ました。カンちゃんとキンちゃんが大喜びで出迎えますと、本殿から八幡様の大いびきが聞こえてきます。
「八幡様、また酔っぱらってるの?」
「さっき帰って来たばっかりだよ。さすがに疲れちゃったみたい。今日までにビルを十万三千棟、橋を四百五十本、飛行機を三十機直したんだって」
「八幡様とコンちゃんがいなくて、正月の祈祷やらお焚き上げやら、あたしたち二人で大変だったんだから」
「ごめんね。今日から手伝うよ。あ、僕、門松片付けるから!」
すると本殿からギャーッと叫び声が。
「あ、僕門松、あ、ぼくかどまつ、ア、ボカドマツ……もうアボカドはたくさんだあ!」
お後がよろしいようで。
Fujiki 投稿者 | 2023-01-24 20:07
いつものドタバタ感に安心した。ア、ボカドマツはどっかの方言でないとちょっと苦しいとぼかぁ思う。
小林TKG 投稿者 | 2023-01-27 08:45
合体って便利だなあ。でも不便さもあるなあ。北朝鮮の攻撃って面白いですねー。
松尾模糊 編集者 | 2023-01-27 13:46
すっかり定番になりましたね。面白かった。八幡さまが狂暴で、ちょっと先が心配になってきました。
黍ノ由 投稿者 | 2023-01-27 15:34
すごく面白かったです!!!
知ってる舞台ではないのに、カラーで情景がありありと浮かびました。
限られた文字数なのに、キャラクターたちに愛着がわいて、いつまででも読んでいたいと思いました。
こんな神様だったら、神頼みしすぎないで自分でもっと頑張ろうと思えるかも。
退会したユーザー ゲスト | 2023-01-27 21:10
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曾根崎十三 投稿者 | 2023-01-27 21:43
アボ門松! 本当にアボカドの門松があったら楽しそうですね。八幡様理不尽すぎる。
全然関係ないんですが、私、少年マンガでよくある、吹っ飛ばされて壁を何枚もぶちぬくやつが好きで、未だにそういうシーンを見ると「あれやりたいんだよね」と言うので、良かったです。そういうシーンがあって。名シーンでした。地名とかも具体的で躍動感がありました。
ヨゴロウザ 投稿者 | 2023-01-27 23:46
お稲荷さまと合体するあたりに密教を感じました。伏見稲荷は知らないのですがうちの近くに豊川稲荷があって、確か女性のそれを象ったものの中に仲良く二柱の神様が鎮座しておりまして、カラフルでポップでかわいらしく、何か知りませんが自分もこうありたいと思ったのを思い出しました。
我那覇キヨ 投稿者 | 2023-01-28 18:44
アボカドの種が飛んだ軌跡の土地を調べてみて、浅草橋銀杏岡八幡神社のお祭りでドネルケバブが売ってる写真を見つけてウケてたり、羽田穴守稲荷の鳥居の面白い風景を見つけたりと、土地追いかけて読むだけで楽しくなりますね。
神様いっぱい出てきたりと設定の説明するだけで10枚じゃキツいはずなんですが、すんなり読めて楽しいのはお見事です。
春風亭どれみ 投稿者 | 2023-01-29 15:13
少子化時代の稲荷ちゃんたちはのびのび教育を施されてるのですね。ムキになる八幡さま、いいオモチャ扱いじゃないですかあ。
諏訪靖彦 投稿者 | 2023-01-29 22:36
とっても人間臭い八幡様が出てくるこのシリーズ大好きです。カンキンコンちゃんもかわいい。途中で、「え、八幡さん沢山いんの?」となりましたが分霊の術を使っていたのなら納得です。オチはちょっと苦しかったかも笑
鈴木沢雉 投稿者 | 2023-01-30 09:12
思ったよりスケールの大きな話になって面白かったです。
八幡様が合体するところが昔の特撮ヒーローものの巨大ロボっぽくて笑いました。各地の八幡様がその地方の方言を喋るのも芸が細かくて良かったです。
日本の神社で八幡が一番数が多いとつい最近になって知ったほど神仏に造詣のない私ですが、難しいところもなく楽しめました。
波野發作 投稿者 | 2023-01-30 10:21
安定の大猫ワールド。最近あんまり浅草橋行けてないんですよねえ。コロナが明けたら(5種になったら)毎回の合評会をエディトリーでって感じでもいいかもですね。おあとがこれで本当によろしかったのかは保留にしておきますw
眞山大知 投稿者 | 2023-01-30 12:36
あまりに話のスケールが大きすぎてついて行くのが大変でした。それでも、物語全体から滲み出るハチャメチャ感が癖になりました
kujakuya 読者 | 2023-02-02 18:17
八幡連絡会とか一等地とか、神様も世知辛いのう(笑)と思いながら読んでました。
方言で目立って活躍できると知って、各地の八幡さまたちがアップを始めたのではないでしょうか(笑)