雨になったキリア

合評会2022年11月応募作品、合評会優勝作品

大猫

小説

3,884文字

「死」という字を習う時期の小学校三年生、四年生向け。
三年生までに習う漢字を使っています。
2022年11月合評会参加作品。合評会には現地参加します。

キリアが落ちたのは、ヴァニ川という大きな川です。冬のはじめのころだったので、それはそれは冷たい水でした。あおむけに落ちてゆきながら、ポプラの木やうすい水色の空をチラリと見ました。いっしゅん、気が遠くなって、それから目を開くと、ゆれる波とかすかな光だけが見えたのです。地上はすぐそこのように思えて、手を上にのばしたのですが、せなかがとても重くて、どんどんしずんでいきました。それからむねのあたりでパン! という音がして、キリアのこきゅうが止まりました。

あおむけのまま、いったん、川のそこまでしずむと、流れにおしもどされて、こんどは立ったしせいになって流されていきました。しばらくして、橋げたの大きな柱に当たって、そこで止まりました。

あたし死んだみたい、とキリアは思いました。

今まで死んだことはなかったのに、キリアにはよくわかっていました。心ぞうが止まって、体中の血がどんどんつめたくなっていきますし、やわらかかった手足が、ろうでぬりかためられたようにこわばっています。でもふしぎと寒さは感じないし、目をあけたまま死んだので、まわりがよく見えています。

橋の上には大ぜいの人がいるようです。さわがしいふんいきで、みんないっせいにこっちをのぞいているようです。おとなの声も子どもの声も、話し声もわらい声も聞こえてきます。

キリア! キリア! とさけんでいる女の人の声がしました。それはお母さんの声でした。

「キリア、どこなの?」

あたしここよ、お母さん。と、大きな声で返事をしたかったのですが、死んでいるのでぜんぜん、口が動きません。

ぎっちら、ぎっちら、小船が水の上を通っていきました。何か長いぼうのようなもので、あちこちをつついています。あたしをさがしているんだわ。と、キリアは思いました。ぼうは、キリアのすぐ目の前までのびて来ました。なんとか見つけてもらいたくて、顔をぼうの方へむけようとしたのですが、どうしても体が動きません。ぼうはちょうどキリアの頭の上の柱をつつくと、そのまま通りすぎてしまいました。

どんなにか見つけてもらって、橋の上でないているお母さんに会いたい、と思ったことでしょう。でも小船は二、三度そのあたりをこぎ回ってから、どこかへ行ってしまいました。

ほどなく夜が来て、水の中はまっ暗になりました。キリアは氷よりもつめたい水の中で、一人で夜をすごしました。
朝になっても小船が来ることは、ありませんでした。それから何度か夜が来ては朝が来ましたが、キリアはあいかわらず橋の柱にもたれていました。橋の上には、通りすぎる人々のにぎやかな気配がします。

あたしのことなんか、みんなわすれてしまったのね、と、キリアは悲しみながら考えました。お友だちも先生も、町の人たちも、みんなみんな、あたしのことをわすれてしまったのね。

ただ時どき、お母さんがやってきては、キリア、キリア、とよぶ声が聞こえて来ます。そんな時、キリアはわすれられるよりも、もっと悲しくなるのです。

橋の手すりにもたれたまま、お母さんは長い時間、水を見つめながら、キリアの名を呼んでなみだを流しました。お母さんのなみだは川へこぼれ落ちて、まっすぐにしずみ、柱にもたれたキリアのほほに一つぶ一つぶ当たって、きらきら輝きながら流れていきました。

川の中は、本当にいろいろなものが流れていきます。寒い川に住むうろこの大きな魚、冬が来て死んでしまった虫たち、ポプラの落ち葉やりんごの皮、かたっぽだけのだれかの古いくつ、たまに死んだねこや犬も。

キリアの三つあみにむすんだ赤いリボンが、いつのまにか流されてしまい、ほどけたかみの毛が水の流れの中で、海草のようにゆらゆらゆれて、ほほにからみつきます。時おり、小さな魚たちがやってきては、ゆれているかみの毛の間に身をひそめて休んだり、するする通りぬけて遊んだりしています。キリアのほほやくちびるをつついてみる魚もいましたが、ひふが固くこわばっているせいか、すぐに行ってしまいました。

そのうちに、キリアの体へ水が入ってきました。水は長い時間をかけて、はじめはひふの中へ、それから肉や内ぞうやほねの中へ、さいごにはキリアの細ぼうにしん入しはじめました。そのうちに体にしんがなくなり、水のようにやわらかくなりました。水が入ってくるにつれ、キリアはとうめいな色に変わって行きました。くり色だったかみの毛もうす茶色だった目も、ピンクのほほもくちびるも、すべて水の色に同化をしていきます。一番さいごまでのこった心ぞうまで水につかり始めた時、キリアの心の中にも水がしみてきました。

冷たい、冷たい、そう思っているうちに、心ぞうがすっかり全部、水にのみこまれそうになりました。すると、うすい心ぞうのかべから、小さなあわがうき上がったのです。あわはとうめいな血かんを通り、とうめいな体をぬけて、とうめいなくちびるの間から、キリアの体をぬけ出しました。

するとキリアもあわと一しょにぬけ出ていたのです。

小さなあわは、他のあぶくと一しょに川の表面までうかび上がると、パチンとはじけて消えました。キリアも一しょにはじけて、川の水にまじって流れていきました。

流されながら、キリアはひさしぶりに外の世界を見ました。

そこはなんていろどりあふれる世界だったことでしょう。お日様の光とうす青い空、ポプラの大きな葉っぱ、岸辺の町なみや、ベンチにすわってひなたぼっこをする人々、花だんにさいているのはクリスマスローズ、大きなゆうびんポスト、白いかべに赤い屋根の小さなおうちがならぶ町。その中にはキリアのおうちもあって、はい色の犬がそばにねそべっているのです。そんなけしきが、あっと言う間にサラサラ音を立てて、後ろへ流れては消えていきます。

冬にしてはあたたかい日です。冷たいヴァニ河にも太陽がたくさんふりそそいで、ほんの少し水があたたまっていました。流れるキリアのまわりが、かげろうのようにぼやけて、なんとも言えないあたかさにつつまれました。

気がつくと、流れていたつもりだったのが、水の上にうかんでいます。水面からわずか数センチのところで、ふんわりふんわりただよっているのでした。と思うと、生あたたかい空気に、下から強くおし上げられて、キリアは空へ上っていきました。水面がどんどん遠くなり、川が見え、家や人びとや車が見えました。木の緑、屋根の赤や青、灰色の川、教会のとがった屋根。

やがて、町は豆つぶのように小さくなり、あたりはひゅうひゅう音を立てる白い雲におおわれていました。

キリアは小さなちぎれ雲となって、強い風におされて流されました。空を行くスピードはとても速くて、地上の様子はほとんど何も見えません。同じように小さな細い雲が、まわりにたくさん流れています。

ふと見ると、行く手には大きな黒いかみなり雲が、待ちかまえるようにいなびかりを立てています。かみなりをこんなに身近に見るのは初めてです。すごい音がします。他の小さな雲たちは、身をすくめてまん丸いボールのような形になっています。キリアもまねをして、まん丸に丸まってみました。すると、幸いにもかみなり雲のすき間を、くぐりぬけることができました。

かみなり雲からはなれると、風がずいぶんおだやかになりました。上空でのんびり流されながら、キリアはもう一度、はるか地上を見下ろしました。やっぱり何も見えません。あんまり遠すぎるからでしょう。緑の平野と青く光る川。ときたま白い山が見えては遠ざかっていきます。キリアは地上が恋しくてなりません。お母さんいるおうちに帰りたくてたまりません。でも雲になって風に流されているので、行きたいところへ行かれないのです。

急に寒くなってきました。キリアをふわふわおし上げていた、あたかな空気がどんどんひえて、あたりの雲たちが、下へ下へとおりて行きます。キリアの雲もじっとりと重たくなり、下へ下へと下がります。

地上が少しだけ近くなって、ここはどのあたりなのかと見ていたところ、とつぜん、プツン、と音がして、キリアは雲からはなれ、まっさかさまに落ちていきました。

落ちて行くキリアを、すきとおった空気がバアッ、と広がって、おしもどそうとします。けれども落下のエネルギーは、止められません。上から、下から、強くおされて、体がぐにゃりとゆがむのを感じました。いっしゅん、まぶしいにじ色の光が体を通りぬけて、キリアは水の細かいしずくとなっていました。

たくさんの小さな雨つぶとなったキリアは、後になり先になり、どんどん落ちていきました。すぐに地上が見えてきました。あれはキリアのあの町、あのヴァニ川、あの橋の上です。橋の上には、なつかしいお母さんがいます。

だれにも聞こえないよろこびの声を上げながら、キリアの雨は、あるいは橋をこえて川の中に、あるいは歩道のレンガのすき間に、あるいは橋を見おろす灯の上へと落ちました。橋の手すりにかかったお母さんの白いゆびに落ちて、体温でとけてしまった雨つぶもありました。お母さんのたばねたかみの毛の間に、身をくねらせながら入っていった雨つぶもありました。

ある雨つぶは、お母さんのほほに落ちて、お母さんの目から流れてきた、あたたかいなみだとまじり合いました。なみだはほほをつたい、川の中へとこぼれ落ちました。

その雨つぶは、川の流れのいきおいにおされずに、そうっとまっすぐにしずみ、橋の柱のかげにかくれていたキリアのまっ白な体にまでとどきました。キリアの体が、その時、初めて動きました。

そうしてキリアはゆっくりと川面にうかんでいきました。

2022年11月12日公開

© 2022 大猫

これはの応募作品です。
他の作品ともどもレビューお願いします。

この作品のタグ

著者

この作者の他の作品

この作者の人気作

リストに追加する

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 短編集として公開したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

あなたの反応

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

作品の知性

作品の完成度

作品の構成

作品から得た感情

作品を読んで

作者の印象


3.8 (10件の評価)

破滅チャートとは

"雨になったキリア"へのコメント 10

  • 投稿者 | 2022-11-19 15:59

     少女の亡骸が分解されて水分がやがて雲になり、雨となって降り注ぎ、母親の顔にもかかって涙と混じり合う。「水の循環」を擬人化して詩的に描いており、独特の感性を感じる。時系列を守ってシンプルな構成なので読みやすい。/水中死体は、呼吸が止まって空気が肺から抜けるせいでいったん沈み、その後体内でガスが発酵して身体がパンパンに膨らんで浮揚し、破裂して腐敗した肉片が飛び散る。そういった生理学的な事実に触れずに亡骸が透明化して静かに姿形を変えてゆくという描き方が、子どもたちに偏った死生観を与えることにならないか、少し気になった。/少女が死んだ理由も示してほしい。

  • 編集者 | 2022-11-19 20:30

    ヴァニ川というのがいいですね。一瞬のできごとが幻想的に引き延ばされたような物語になっている気がします。「アウル・クリーク橋の一事件」を思い起こしました。

  • 投稿者 | 2022-11-20 09:45

    こういった幻想小説も書かれるんですね。なんとも悲しいお話ですが、美しい文章で綴られ耽美な雰囲気を纏っています。なぜ少女は死んでしまったのか、ひとり遊んで溺れてしまったのか、友達と一緒のときに溺れたのか、はたまた殺されてしまったのか、その辺りを書かないのも想像を掻き立てられます。

  • 投稿者 | 2022-11-20 09:53

    最後の一文がすごく良いですよね。遺体が無いといつまでも、生きてるような気がして残された家族は辛いですもんね。だから、最後優しいって思いました。

  • 投稿者 | 2022-11-20 10:35

    死んでしまって身体も動かせず声も出せないのに思考と視覚だけが残っていて、いったいこの語り手はなんだろう、と思いながら読みました。もちろん語り手はキリアなのですが、主観的でありながらもどこか全体を俯瞰してみているような、幽体離脱して自分自身の遺体を離れたところから見ているような、そんな感じでした。
    心というものがあるなら、それは脳にあるのだろうか、胸の中にあるのだろうか、という哲学的な問いにさしかかったとき、キリアの心が心臓から口を通って出ていく。泡になって水蒸気になって空へ上っていく。これは「昇天」の暗喩でしょうか。
    雨となって再び降り注いだキリアの心=魂が母のもとへ帰っていく、というラストも印象的です。

  • 投稿者 | 2022-11-20 10:42

    とにかく文章が美しい。しかしそれは大人の小説としての文章の美しさ(描写の美しさ)なのでは、とも思いました。子どもに読み聞かせて、ちゃんと最後までついてきてくれるかな。

  • 投稿者 | 2022-11-20 11:47

    死体が主人公なのかと思いきやそれよりも幻想的で綺麗でした。腐ってしまうところも描かれるのかと思ってドキドキしましたが、明確には描かれていなくて良かったです。絵画みたいな物語でした。

  • 投稿者 | 2022-11-20 12:59

    安易な強制ハッピーエンドがなく、雨粒になって流れていくところがいい。「死」の漢字にこだわる必要はある?

  • 投稿者 | 2022-11-20 15:42

    童話ってもともと結構生死を扱うものって多いですよね。子供のころから死と生は隣り合わせのものだと知らされることで、人は健全に育つのではないでしょうか

  • 投稿者 | 2022-11-20 19:47

    輪廻転生の概念で水の遷移で表現されるのを見たことがありまして。
    死の概念を子供に説明するのに、何が妥当かは未だに分かりませんが、スッと入ってきそうな内容でした。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る