ペンウィー・ドダーは手術がお好き。

巣居けけ

小説

6,688文字

おれはメスを持っていないと身体が震えてしょうがないんだ……。

そして三つ目の扉を素手の形に吐き出した呼吸の音で開き、外側に去っていく取っ手に注文用紙を投げつける。すると調理係が出入り口付近のおれにナプキンを手渡してくるので、おれはゆっくりとした動作でそれを受け取る。それからは人々のでたらめな言葉の吐息が入り混じる電波の溜まり場に侵入し、異物の感覚で奥の席へと自分の身体を導いていく。向かいに少年が座っておれの右頬の瘡蓋を観察し始めている。
「やあ、そんなにおれの顔が気になるのか?」
「……ぼくは人間の瘡蓋やシミの形を使うことのある占い師なんだ」

少年は腐ったビーフジャーキーのような色をしていそうな声でおれの手前に運ばれてきたカレーライスに波紋を呼ぶ。静まったのを確認してからおれはスプーンを取り出し、最初の一口を全ての神経で感じてから香辛料を振りかけた。
「ねえお兄さん。ぼくの新しい占いを聞いておくつもりはない?」
「おれはあいにく運を信じないタイプでな」

おれは三度目のスプーン攻撃をカレーライスの端に当てた。カチンという音が鳴り、茶色いカレールウと白米がちょうど良い比率で乗る。おれはスプーンを持ち上げて口を開く。カレーを口内に置き去りにしてスプーンを抜き、咀嚼と共に舌でルウと白米の感触を楽しんだ。
「おれはあいにく運を信じないタイプでな」
「でもカレーは食べるんだね?」

おれは五度目のスプーン攻撃をしながら頷き、左手で水の入ったコップを取り出した。すると少年がおれのコップに唾を吐き、水の中に広がっていく唾液の波紋でおれの未来の運を勝手に読み始めた。
「あんたはいずれ犬のような人生に転換するさ……」
「その前にお前が水浸しになるさ」
「は?」

おれはコップの中の水を勢い良く少年の顔面にぶちまけた。飛沫が舞う音が鳴り、少年の中途半端に焼いたせんべいのような色の顔面が濡れた。少年の着ていたパーカーの赤色も濡れ、下着の紫色が透けて見えていた。

すると頭上のアナウンスがプツリという音と共に口を開く……。「ええ、ペンウィー・ドダー先生。ペンウィー・ドダー先生。至急、第三手術室に来てください。貴女の輝かしい腕が必要です」

おれは最後の七度目のカレーライス攻撃を終えてからここに来る前に剥ぎ取ったナプキンで口を拭き、椅子に掛けた白衣を翻して、少年に二円を払って、ようやく動き出した足でカフェテリアを後にした。

 

「名医。この患者にはどのような処置が必要ですか?」

移動式手術台の上で寝かされた短髪の女の横で、助手の女医が問いかけてくる。ペンウィー医師は彼女のカルテを眺めながら、二枚目の全身のレントゲン写真で全ての処置の可能性を検討し、最後には素早く正確な医学の道を自分の中で導き出した。
「異常だ! 異常まみれだ!」

すると助手の横で患者の容態をじっと見つめていた母親が震えた声で悲鳴を上げる。甲高い鳥類の鳴き声のようなそれに隣の女医が両耳を塞いだ。
「なら、どのような処置が? この子にはどんな処置が必要なのですかっ?」

母親はペンウィーに縋りつき、たるんだ頬をぶるぶると震わせながら怒鳴った。
「今すぐ開腹手術をしなくては!」

ブロッコリーのような頭髪を掻きむしりながら叫ぶペンウィーは母親を突き飛ばし、自分の素手で手術台を進行させ、長くつるりとした白色の廊下を渡って手術室へと飛び込んだ。広々とした室内の中心に台を置くと、出入り口付近に置かれた消毒液とポケットから取り出したゴム手袋を絡ませてから自分の素手に装着した。
「執刀は私が。麻酔を」
「了解、名医!」

二人の麻酔技師が横から患者に迫る。彼女たちは双子で、利き手とカレーライスの辛さの好み以外の全てが同一の存在。透明な液体が入った注射器の先端を患者の首筋に添え、息を呑むと同時に針を進め、目を合わせながらプランジャーを押し込んだ。麻酔液が患者の体内に入り、それまで不安の顔を示していた彼女に暗澹たる眠りをもたらした。

ペンウィーは自分の横に備えたステンレスの台車の上に乗ったトレイからメスを取り出した。このトレイには数本のメスのほかに一般的な文房具がそろっていた。ペンウィーは自分が手に取ったメスの輝きを確かめた。すると双子の麻酔技師が壁際に退いた。ペンウィーはメスをぐっと握り、患者の白いパーカーをびりびりに裂いた。すると彼女のほぼ白の肌が無影灯に晒された。ペンウィーはメスを肌に進めた。

腹の位置でメスを横にする。身体に対して縦に入ったメスは肌を貫いた。途端に血液の香ばしい臭いが手術室に充満した。ペンウィーはメスを置き、ゴム手袋の素手で患者に出来た隙間を無理やり広げた。すると赤くぬめりのある管状の腸が現れ、むわっとした熱が迸った。ペンウィーは鼻で勢い良く呼吸をした。鉄の濃い臭いが脳にまで到達した。

それから出てきた腸に慎重に手を伸ばした。狭い腹部の中に強引に納まっている管状のぐにゃぐにゃの赤い肉塊に触れた。ゴム手袋越しの感触はぬめぬめとしており、熱があった。少し触れただけで血液の赤が手袋に触れ、赤に染まった。
「腸の切除を開始する」

ペンウィーはメスを取り出し、腸の適当な位置に突き刺した。柔らかい肉にメスの鋭い刃が入り込み、ぐりぐりと動かすと亀裂は大きくなっていった。ペンウィーは右手でメスを持ち、左手で腸を握って引っ張った。すると腸は簡単にちぎれた。素手の中におさまっている腸の一部はその鮮度の良さからまだどくどくと蠢いていた。ペンウィーは腸をステンレストレイに落とした。べっとりとしている小さな肉塊は、心臓のように、どっどっど、と脈のようなものを打っていた。
「彼女はどこの肉片であっても脈を打っているのか?」

ペンウィーが助手に訊ねた。するとカルテを持っていた一人の助手がペンウィーに歩み寄った。
「はい。彼女は全身心臓人間の末裔でして、いつでも脈を打っています」
「ならさっさと止めないとな。電撃を持ってこい」
「了解!」

ペンウィーは室長らしい低い声色で命令を下した。すると助手たちがせわしなく動き、自分たちがどれだけ忙しいかをアピールしはじめた。ペンウィーはそんな彼らの中から最もせわしない助手を選び、彼が握っていたアイロンのような形の電撃装置を手に取った。そして円形の選択器具を動かし、五ボルトの電流を選択した。取っ手に付いたトリガーを押し込むと底面から電撃が迸り、装置が完全に電撃装置になったことを理解したペンウィーは患者の胸部の位置にアイロン装置を押し付けた。
「電撃!」

ペンウィーは取っ手のトリガーを押し込んだ。すると底面から電撃が発進し、患者の微細な煽動をゆるやかに静止させた。ビクンと跳ねる身体が手術台に打ち付けられ、背骨の二か所が破損した。
「よし、すぐさま腸の調理を開始しろ」
「了解!」

電撃装置をトレイに置くペンウィーは老舗料理店の料理長のような低い声で命令を下した。すると助手たちがせわしなく動き、自分たちがどれだけ忙しいかをアピールしはじめた。ペンウィーはそんな彼らの中から最もせわしない助手を選び、彼が握っていた家庭用のミキサーを手に取った。市販で流通しているスムージーなどを作るための機械の上部の蓋を外し、取り出した腸を中に詰めた。そして蓋を閉じ、下部の丸いボタンを押した。すると中の刃が高速で回転し、腸をずたずたに刻んでいった。強靭な切れ味がなまめかしい肉塊を切り刻み、なめらかな液体が煽動する音がモーターの音に混ざって鳴った。ペンウィーは刃の回転を停止させ、蓋を開いた。その瞬間ミキサーの中のペースト状になった腸の肉と鉄の香りが鼻孔を通り過ぎ、脳に刺激を与えた。それは快感のあまり頭痛を引き起こすほどの強烈なものだった。しかし同時に血を好むペンウィーに生命力を与え、みなぎる力でミキサー内部の腸を一気に飲み下した。どろどろに粉砕されている腸はペンウィーの喉を流れ、胃に溜まり、肉の旨味が全身に広がった。
「お味はどうですか、名医!」
「うるさい」

ペンウィーはミキサーステンレストレイに置き、メスを取り出して助手の胸元に振り下ろした。研ぎ澄まされた刃は助手が着ていた手術着を貫通し、人体の中へと入っていった。熱のある痛みに悶える助手はペンウィーに覆いかぶさるように襲い掛かったが、身軽な名医はひょろりと回避し、体幹を崩した助手は手術室の消毒液で湿っている床に倒れた。

ペンウィーはその瞬間を見逃さなかった。メスを逆手に持ち、助手に馬乗りになるとうなじの辺りに刺し入れた。そしてそのままメスをぐちゃぐちゃに動かし、助手の皮膚やその下の組織をめちゃくちゃに破壊していった。鮮度の良い助手からは血液が迸り、辺りが赤色に埋まった。助手は数秒だけ死にかけの山羊のような声を出していたが、すぐにぐったりと動かなくなった。
「面倒なのが一人、消えたな」

ペンウィーは死体になった助手から上がり、ミキサーを片手に独り言ちた。残りの腸を飲み干し、二度のげっぷを吐き出してから患者に向き直った。

ペンウィーは患者の胸の位置のパーカーを裂いた。ビリビリと小さな音が鳴り、患者の胸部があらわになった。ペンウィーは患者の左乳首を摘まみ、引っ張った。テントのように上に張った左乳房にメスを入れ、ぎこぎこと小刻みに震わせて乳房を切り取った。ペンウィーは患者のぷるぷると震える乳房を口に入れ、咀嚼した。こりこりとした触感を数回ほど楽しむとゴクンと飲み込んだ。

ペンウィーは次に右の乳首を摘まみ、左同様にメスを入れた。簡単に切れた乳房はペンウィーの素手の中でどくどくと脈を打っていた。身体から切り取られてもなお蠢く肉片に敬意を感じたペンウィーは自分の素手の中の乳房に敬礼をしてから口に運んだ。左と変わらない感触を舌の上で感じ、唾液と共につるりと飲み込んだ。

ペンウィーは乳房を失った胸部にメスを入れた。谷間の位置に切り込みを付け、素手を押し入れてぐいっと開いていった。すると真っ赤な肉の中に埋め込まれている肋骨が見えた。そこでペンウィーは戸棚に向かった。木製で古びた引き戸を開き、中から片手で扱える大きさののこぎりを持ち出して患者に戻った。そして肋骨の一番上の骨に切っ先をあてがい、ぎこぎこと擦って削っていった。

鮫の牙のような形状の刃は患者の二十四本の肋骨の全てをいとも簡単に切断した。

ペンウィーは汗の一滴もかかずに肋骨の切断を終えた。どことも連結していない骨の塊を持ち上げ、助手に手渡しした。すると助手はその大きな骨を口に入れた。そのままばりばりと音を立てながら、あっという間に肋骨を食らってみせた。
「君は生粋のカルシウム・マニアだったのか」
「ええ。わたくしはいつでも白いカルシウムを求めています」

ペンウィーはメスを持ち出して患者のむき出しになった肺に目をやった。ハムのような薄い桃色の臓器は無影灯の光を受けていた。ペンウィーはまず左気管支にメスを刺し入れた。そのまま納豆をかき混ぜる時のようにぐちゃぐちゃとメスを動かして気管支を切断した。ペンウィーは次に右の気管支にメスを入れた。左同様にメスを時計回りに適当に動かして切断した。これで肺が自由になったはずだった。ペンウィーは左の肺を両手で持ち、強引に引っ張った。すると肺は簡単に持ち上がった。取り出した肺を助手に渡し、残りの右肺も持ち上げた。全体的にぬめりとしている肺をしっかりと持ち、助手に手渡した。
「これらは今日のギャラだ。自由に使いたまえ」
「ありがとうございます!」
「さて、彼女の容態をそろそろ戻さないとな」

ペンウィーは患者の顔の位置に歩み、彼女の口元に右耳を当てた。すると彼女の微細な呼吸の音が届いた。
「驚いた。双子の麻酔は意味を成していないということか」

ペンウィーは壁際にいる麻酔技師の双子の怯えている小動物のような顔を見つめながら呟いた。「あるいは電撃のおかげか」

ペンウィーは耳をより口元に近づけ、彼女の小さな小さな呼吸の音を聞いた。こひゅう、こひゅう、という掠れた音は生命が途切れかけていることを物語っていた。
「まずいな。再度電撃が必要か」

ペンウィーはトレイの上の電撃装置を持ち出し、選択器具で五ボルトを選択してから患者の頬に当てた。そして息を吐き、「電撃っ」と叫んでから取っ手のトリガーを引いた。すると装置の黒色の底面から電撃が流れ、患者の身体に流れた。強力な電撃によって彼女の身体はビクンと跳ね、背骨が三か所ほど割れた。

ペンウィーは装置を置き、患者の口に耳を付けた。肌と肌とが接触するほどに近づけると彼女の呼吸の音が鳴ったが、五回ほどそれが続くとそれ以降は途切れて音がしなくなった。ペンウィーは耳を患者の口に押し付けて音を待った。両目を閉じ、神経の全てを耳に集中させた。しかし彼女からの呼吸は無かった。両目を閉じているペンウィーはただ無音の暗闇を数秒味わっただけだった。
「そんな……。助からなかったというのか……」
「名医……」助手の一人が両肩をがっくりと落とすペンウィーに近づく。

しかしペンウィーはそんな彼女のことを片手で制し、歯を噛みしめた。ペンウィーの頬には涙が流れていた。手術室の照明を反射している透明な涙が目頭から下り、手術着専用の深緑のマスクを濡らした。
「君たちは十分に頑張った。全ては私の責任であり、悪運のせいだ」

ペンウィーは室長らしい低い声で助手を労いながら室内の棚に向かった。木製の引き戸を開き、装置を取り出した。

それは最新式の脳みそ改造マシンだった。黒色のヘルメットのような形状で、頭頂部の位置にタッチパネルが付いていた。ペンウィーは脳みそ改造マシンを患者の頭部に付け、パネルを操作した。最初にパネルに表示されたのは性別の変更だった。ペンウィーは『女』の方をタッチした。次にパネルに現れたのは職業の選択だった。ペンウィーは迷わず『医者』を選択し、さらにその中から『助手』を選択した。すると装置から温かな高音が鳴った。それは装置の準備が完全に完了したことの合図だった。ペンウィーは最後にパネルに表示された『決定』をタッチした。すると装置から再び高音が鳴り、さらに歯車同士がかみ合って動き出す音が鳴った。それは装置の内側に付いた銀色の針金が患者の頭皮を貫き、頭蓋を貫通し、脳に達する音だった。

針金は脳を慎重に操作し、患者の人格を改造していった。それまでの生活や記憶を全て破壊し、これからに必要な技術や覚悟を植えつけていった。それはまさに手っ取り早い英才教育だった。無数の針金が脳に達し、原型を無くすほどに破壊して再構築していった。

やがて脳の改造が終了した。チン、という電子レンジのような音が一度鳴り、全ての動作が停止した。ペンウィーは脳みそ改造マシンを患者から外した。すると患者の頭皮から湯気が立っていた。白い煙が手術室に溶けて消えた。ペンウィーはマシンを棚に戻し、患者のゆっくりと開いていく両目を視た。
「調子はどうかな? 新たな助手よ」
「ええ。私は名医のためなら乳房なんて必要ではありません」

患者だった助手はなめらかな舌の動きで答えた。
「ああっ!」ペンウィーは歓喜の声と共にトビウオらしく跳ねた。「素晴らしいっ! 君には布がお似合いだ! おい! さっさと布を持ってこい!」

すると助手たちがせわしなく動き、やがてペンウィーの素手には深緑色の大きな布が握られた。ペンウィーは布を患者の身体にかぶせた。胸部から腹まが開かれている身体が布で覆い隠された。ペンウィーはステンレストレイから唯一のホッチキスを取り出し、布と患者の身体をパチンと止めていった。複数人の助手で充満している手術室に、こ気味のいい乾いた音が五十近い回数鳴った。
「ペンウィー! 急患です!」
「なんだと!」

そして手術室の重たい扉が開かれ、ガタガタとうるさい音を鳴らしながら手術台が運ばれてきた。上に乗っているのはペンウィーがここに来る前、カフェテリアで対峙したあの少年だった。
「ならは! 新しい助手よ! さっそく君の素手の実力を視るときだな!」

ペンウィーは患者の肩を叩き、彼女の上半身を起動させた。彼女は自分で起き上がり、よたよたの足取りで手術台から降りた。胸部と腹部が深緑色の布で覆われている彼女の眼光は歴戦の執刀医のそれだった。

すると、誰も居なくなった手術台が飛ばされ、少年が乗った手術台が手術室の中心に現れた。横たわっている少年はすでに気絶しており、腹部を大事そうに抱えていた。
「では執刀を開始する。メス」

ペンウィーは新しい助手に素手を伸ばした。

数秒後、その手には新品のメスが乗せられた。

2022年11月23日公開

© 2022 巣居けけ

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